第十四話 吐露
第二章 海衛団
第十四話 吐露
カイはギョッとして、部屋番号をもう一度見返した。
間違いない。
ここは、ノースの部屋だ。
だとしたら――この亀の男は、ノースの同居人なのだろうか。
「あの……」
カイが恐る恐る声をかける。
「やあ、こんにちは。僕の名前はラートル。見ての通り、亀の亜人さ」
男――ラートルは、ゆっくりと自己紹介した。
……いや、遅い。
恐ろしく遅い。
「君はこの部屋に来た。だけど、僕は君の顔を見たことがない。つまり、僕と初対面というわけだ。ここで考えられるのは二つ。僕に会いに来たのか、それともノース君に会いに来たのか――そのどちらかになるわけだね」
「そうです。その……ノースと話があって……」
「なるほどね」
ラートルは、ゆっくりと頷いた。
「つまり、僕と君は無関係だということだ。だけど、今こうして出会えたのだから、もう無関係ではなくなった。知り合いと言うべき関係になったようだね」
「あ、はい。俺とあなたは、もう知り合いです。それで、ノースはどこに?」
痺れを切らしたカイは、少し早口になりながら尋ねる。
「そうだね。ノース君はどこだったかな……」
ラートルは顎に手を当て、考え込む。
「そういえば、君はノース君とどんな関係なんだい?」
「えっと……」
また話が逸れた。
カイは、ため息をつきそうになる。
そんな長話を聞いている途中――
「……ん?」
ふと、あるものがカイの目に留まった。
ラートルの胸元。
そこには――青色に輝く徽章が付けられていた。
「……青色?」
カイは思わず目を丸くする。
自分の徽章は赤。
階級が上がるにつれて、赤、赤紫、青、緑へと変わっていく。
つまり――
「この人、かなり身分高いじゃん……」
そんなことを考えていると、部屋の奥から声が聞こえてきた。
「ラートルさん、どうかされました?」
「……!」
ラートルの背後から、ノースが姿を現した。
髪は濡れている。
どうやら、風呂上がりらしい。
「早かったな……」
ノースはラートルを見る。
「ラートルさん、ありがとうございます。もう大丈夫です」
「ああ、そう?」
ラートルは、のんびりと頷いた。
「じゃあ、僕はもう寝るとするよ。明日の朝も、その次の朝も早いからね」
「おやすみなさい」
「おやすみね」
そう言って、ラートルは寝室へ戻っていった。
カイは、その背中を見送る。
「……なんだったんだ、あの人」
すると、ノースが口を開いた。
「こんなところじゃなんだ。ベランダにでも行くぞ」
「え?」
ノースはそれだけ言って、ベランダへ向かう。
カイも後を追った。
◇
ベランダへ出る。
そこから見えたのは、カイの部屋とはまた違った海底王国の夜景だった。
月明かりが街を照らし、遠くまで幻想的な景色が広がっている。
「……こっちの夜景も綺麗だな」
思わず、そんな言葉が漏れた。
だが、今は景色を楽しんでいる場合ではない。
カイはノースへ視線を向ける。
「なあ、あの亀のラートルさんだっけ?」
「ああ」
「あの人、何者なんだよ?」
「ラートルさんは第三部隊の副隊長だ」
「副隊長……?」
「ああ。第三部隊の盾とも呼ばれている。かなりの実力者だ」
「すげ~……」
あの、のんびりとした話し方からは想像もつかない。
見た目も相まって、とても強そうには見えなかった。
……まあ、見た目だけで判断するのはよくないか。
カイがそんなことを考えていると――
「それで……話なんだが」
ノースが、少し気まずそうに口を開いた。
「その……お前に謝りたくて」
「俺に⁉︎」
思わず声が裏返る。
ノースは、カイの方を向いた。
「今までの態度は悪かった。本当にすまなかった」
そして――
頭を下げた。
「……」
カイは、驚きのあまり言葉が出なかった。
あれほど自分を拒絶していたノースが、今こうして謝っている。
まったく予想していなかった。
「少し……気が立っていたんだ」
ノースは頭を上げる。
「それに、怖かった」
「……?」
「わかっているとは思うが、俺は人間の親から生まれた人間だ」
ノースは、静かに語り始めた。
「ずっとこの王国で暮らしてきた。父は海衛団で働いて、俺と母を養ってくれていた」
一度、夜の街へ視線を向ける。
「そんな父の背中を見て、俺も海衛団に入って父のようになりたいと思った」
「父はかなりの実力者だった。隊長として、みんなを先導していたんだ」
ノースの声が、少しだけ沈む。
「だけど――三か月ほど前、父が死んだと報告を受けた」
「……」
「地底人との大規模な戦闘でな」
その言葉を聞いた瞬間、カイの脳裏に一つの言葉が浮かんだ。
――地底人。
「それから俺は、周囲の人間を極力遠ざけた」
ノースは拳を握る。
「ただひたすら、稽古に打ち込んだ。地底人を滅ぼすために」
「もう……父のように、知人が死んでほしくなかった」
少しだけ、声が震えた。
「苦しみたくなかったんだ」
ノースは目を伏せる。
「そんな自己中心的な願望で、お前のことも遠ざけていた。本当に悪かった」
「……」
カイは何も言わず、ノースの話を聞いていた。
「でも――」
ノースが顔を上げる。
「あの時のお前の拳が、俺の頭を冷やしてくれたんだ」
「……自己中なんかじゃない」
「え?」
「ノースは、俺たちを守ろうとしてくれてたんだろ?」
カイは、まっすぐノースを見る。
「だったら、そんなの自己中なんかじゃない」
「そんなこと……」
「いいや。俺にはわかる」
カイは言葉を続ける。
「俺だって、似たようなことを考えたことがあるから」
「……」
「昔、いじめられてた時、誰も俺を助けてくれなかった」
胸の奥に、かつての記憶が蘇る。
「いじめてきた奴らを恨んださ。それだけじゃない。周りの人たちも、俺と同じ目に遭えばいいのに――なんて、最低なことを考えてた」
カイは、自嘲するように笑う。
「でも、ノースは違う」
「自分が傷つくのが怖くて、人との距離を取っただけなんだろ?」
「それなら――」
一歩、ノースへ近づく。
「そんなことを、自己中なんて言わなくていいと思う」
「……」
ノースは何も言わない。
ただ、カイを見つめている。
「だから――」
カイは笑った。
「俺はノースを応援するよ」
「……」
「友達として!」
「……なんでだよ」
ノースは、困ったように呟いた。
そして、ベランダの手すりに寄りかかり、顔を伏せる。
その表情は、どこか寂しそうだった。
「最後に、一つ聞いていいか?」
「ん?」
「お前は、なんで海衛団に入った?」
カイは少し考える。
そして――
「助けてくれた人に恩を返して、対等に生きていきたい」
それだけだ。
「……それだけだよ」
「そうか……」
ノースは、夜の街を眺めながら呟く。
「それは……」
ほんの少しだけ、口元を緩めた。
「いい理由だな」
◇
ノースと別れ、カイは自分の部屋へ戻った。
扉を開ける。
「ただいまー……」
「先輩、おかえりなさいっす……」
部屋の中では、ポートがベッドの上で大の字になっていた。
まるで、ひっくり返った虫のようだ。
「今日も疲れた~……」
「お前、もう寝るのか?」
「もう無理っす……」
「早すぎだろ」
カイは苦笑する。
だが――
不思議と、胸の中にあった霧は少し晴れていた。
ノースがなぜ自分を拒絶していたのか。
その理由を知ることができた。
「……明日も頑張るか」
そう呟き、カイは自分のベッドへ潜り込む。
明日もまた、海衛団の一日が始まる。
そう思いながら、カイは目を閉じた。
◇
――深夜。
海底王国の住宅街。
その屋根の上に、一人の人影が立っていた。
黒髪。
マッシュルームヘア。
胸元には――青緑色に淡く発光する徽章。
男は、ただ一心にある場所を見つめていた。
視線の先にあるのは――
一軒のアパート。
その一室。
マールの部屋だった。
すでに明かりは消えている。
それでも男は、目を離さない。
静かな夜の中、月明かりが男の腰に下げられた剣を照らす。
その金色の柄が、淡く輝いた。
男は何も言わない。
ただ――
マールの部屋を、じっと見つめ続けていた。




