019.工作員への給金
「お嬢さま、ヴァイスから返事の手紙が届いたそうです。」
側近がリディアに手紙を渡す。
「ふふっ、どんな返事が来ているか楽しみですわね。」
リディアは封を切ると、ゆっくりと読んだ。
「ヴァイスは何と言ってきているのですか?」
「予想通りの返事ですわ。」
「と申しますと?」
「カッツエさんの両親の移住については、条件付きで認めるそうです。」
「その条件は……?」
リディアは手紙を読みながら、楽しそうに微笑んだ。
「ヴァイス側にも、彼の改善案を共有してほしいとのことです。想定内の回答で安心しましたわ。」
「こちらの改革案を知られてしまえば、妨害される可能性があり、危険ではないでしょうか。」
「ええ。もちろん、その通りですわ。」
リディアはあっさりと認めた。
「でしたら、要求を呑まないべきかと……。」
リディアは手紙を机の上に置く。
「お渡ししますわ。」
「えっ?」
側近が目を丸くした。
「本当にですか?」
「もちろんですわ。」
リディアは微笑んだ。
「そんな事をしたら、こちらの行動が筒抜けになり、ヴァイスが有利になるだけです。」
「えぇ、有利にしてあげれば良いですわ。但し、ヴァイスに渡した案を私たちが実行しなければ済むこと。」
「実行しなければというのは……?」
「向こうは、カッツエさんの出した案を全て共有しろとは言っていません。」
「それは、そうですが。しかし……。」
「なので、私たちが実行しない案だけを共有して差し上げるのです。カッツエさんの改善案を共有しているのですから、約束は守っていることになりますわ。」
「なるほど……。」
側近は感心したように頷く。
「つまり、ヴァイスが手にする情報は全て本物。しかし、実際にタリアン王国が採用する案とは限らない、と。」
「その通りですわ。」
「そして、ヴァイスは渡された案を基に妨害工作を仕掛けるでしょうね。」
「ええ。」
リディアは楽しそうに笑った。
「そして、私たちはその妨害工作を避けて、別の案を実行すればよろしいのです。」
「ですが、お嬢さま。彼が作った案を実行しないのであれば、彼は不審に思わないでしょうか?」
「成果が出るか慎重に検討していると思わせれば良いのです。」
「…………。」
「本当に有効な案については、ヴァイスへ報告する前に採用してしまうのです。そうすれば、ヴァイスが知る頃には、妨害工作も意味がありません。」
「なるほど、考えたものですね。」
「彼が優秀であればあるほど、こちらにとって都合が良いのです。」
「……なんとも皮肉な話ですな。」
「ええ。」
リディアはクスッと笑った。
「ヴァイスは、私たちのために優秀な人材を派遣してくださったのですから、ありがたく利用させてもらわないと。」
「…………。」
「しかも、給金を払う必要すらありませんもの。」
「お嬢さま、それはさすがに……。」
「冗談ですわ。」
リディアは楽しそうに笑った。
「彼にはきちんと給金を支払っていますわよ。給金は仕事に対する対価ですからね。彼が裏でどんな事をしていようとも、この働きに対する対価は支払う義務がありますからね。」
数日後——
「カッツエさん、これをお渡ししますわ。」
リディアは和やかに1つの封筒を差し出す。
「これは……?」
「今月分のお給金ですわ。」
カッツエは封筒を受け取る。
「ありがとうございます。」
「いえ。よく働いてくださいました。」
「…………。」
カッツエは封筒を見つめる。
「何か?」
「いえ……。」
カッツエは少し戸惑ったように答えた。
「私は、ヴァイスから来た人間です。私をお疑いにならないのですか?」
「あなたがどこから来た人間であろうと、仕事をしたのであれば報酬を受け取る権利がありますわ。」
「……ありがとうございます。」
カッツエは深く頭を下げた。
「では、次の仕事もお願いしますわね。」
「はっ。」
カッツエが部屋を出ていく。カッツエが部屋を出たのを確認すると側近がリディアに尋ねる。
「お嬢さま。」
「何かしら?」
「本当に、彼が工作員だと分かった上で雇い続けるおつもりなのですか?」
「ええ。」
「さすがに危険ではありませんか?」
「もちろん危険ですわ。」
リディアは即答した。
「なら、今すぐにでも辞めさせるべきです。」
「彼は、私たちにとって非常に優秀な人材です。そのまま埋もれさせておくのは勿体ないですわ。」
「…………。」
「それに。」
リディアは少しだけ目を細めた。
「彼が危険であることと、彼を雇う価値があることは別問題ですわ。」
「そうかも知れませんが、彼が工作員である以上は……。」
「彼が私たちを欺こうとしていることは承知していますわ。」
「では、なぜ……?」
「だからこそです。彼ほど優秀な人間が、私たちを欺くために必死になって働いている。これほど便利なことはありませんもの。」
「…………。」
「ただし、彼が本当に私たちに害をなそうとした時は――その時は、容赦なく切り捨てれば済むことですわ。」
リディアは、カッツエが出ていった扉を眺めながら、小さく息を吐いた。
「それにしても……惜しい人材ですわね。」
「お嬢さま?」
「彼がヴァイスの工作員でなければ、迷わずこちらで雇っていたでしょうに。」
リディアは苦笑する。
「お互いに、随分と勿体ないことをしていますわね。」




