第四話 キリカを通報しますか!?
平成28年11月26日、全面改稿を実施しました。
その日の夕方遅くに、ふたりは草臥れた状態で帰ってきた。
どうやら、母は、気合を入れてキリカを連れ回したらしい。
また、キリカの衣装も、外出する前の僕が与えたやや野暮ったい古着から、キリカの美しさに負けない可愛いワンピースに着替えていた。
他にも色々と購入したようだが、持ちきれないので、後から業者が配達してくるのだという。
「おかえりなさい。それからご苦労様でした」
「どう、慎一、キリカちゃんが見違えたでしょ?」
「響子お姉さま、……恥かしいです……」
「キリカちゃんは、この恥らう表情が、また可愛いのよね」
「お母さんもキリカも玄関で駄弁っていないで、家に入ったらどう」
「御免ね、慎一。それだけ、今日のお買い物が充実していたのよ。それにしても、どうしてわたしは娘を産まなかったのか……、今日はとても後悔したけれど、その隙間をキリカちゃんが埋めてくれたわ。」
「響子お姉さま、こんなわたくしで良ければ、いつでも付き合いますわ」
「ありがとうね、キリカちゃん」
延々と続いた母とキリカの掛け合いを聞いて、僕は苦笑した。
それから、僕は、母から解放されたキリカを引き取り、キリカの私室に連れて行った。
「キリカは、摘出手術を受けたばかりなのに、連れ回すなんて……。お疲れ様、キリカ。疲れなかったか?」
「正直に申しまして、少々というか、それなりに疲れていますが、戦闘訓練よりは楽ですわ。それに、響子お姉さまには、お世話になりました」
「母は、自分の事を『響子お姉さま』と呼べと言ったのか?」
「響子お姉さまは、おかあさまと呼ばれるのはお好きではないそうですわ」
「母も年甲斐もなく……」
僕は母がキリカに『響子お姉さま』と呼ばせていることに頭が痛くなったのであった。
夕食のおかずは、デパートの惣菜をメインとしたもので、母が素早く配膳したが、いつもよりも遅めの夕食となった。
キリカは、我が家に来て初めての食事だったことから緊張しているのか、ややぎこちない所作で食事していた。
「キリカ、この料理は、この調味料を掛けると美味しいよ」
「……、ほ、本当ですわ、慎一様、ありがとうございます」
今まで彼女に与えられていた食事は、固形物と水のみだったので、食べ方の分からないものもあったのか、時折僕の食べ方を横目で見ているようだった。
こんな調子であったため、世間話ができる状態ではなかったのだ。
「――警察発表によりますと、着弾した流れ弾は――」
僕は、その沈黙に耐えかねてテレビのニュース番組を選局したところ、僕の通っている高峰高等学校に悪の秘密結社と正義の味方の戦闘の流れ弾が着弾し、校舎の一部が損壊したことにより当面休校になるというニュースが流れてきた。
「……また、悪の秘密結社が悪事を働いたのね。あいつ等は、徹底的な駆除が必要だわ」
「…………」
母はテレビ画面を、仇を見るかのように睨んでいたし、キリカの方は、身の置き場所が無いといった風情で固まっていた。
一方、僕にとっては当面キリカと一緒にいられることから、休校は、朗報であった。
夕食後、私室に戻ったキリカは、やはり慣れない行動による気疲れのためか、すぐに寝入ってしまったようだ。
翌朝、僕は夜明け前に起き出し、日課となっているランニングに行く準備をしていると、物音に気付いたのかキリカも起き出し、僕の部屋にやってきた。
キリカは昨日母に買って貰った夜着を着ていたのだが、嬉しいことにノーブラであり、動くたびに乳房が ― たゆん、たゆん ― と揺れていたのだが、キリカ自身は気付いてもいないようだった。
「おはよう、キリカ」
「おはようございます、慎一様。どこかに行かれるのですか?」
朝の挨拶をした後、キリカは、僕がスポーツウェアを着ているのを見て質問してきた。
「日課のランニングだよ」
僕は、素っ気無く答えた。
「わたくしもお供させて下さい」
キリカは、何やら思い悩んでいるような顔をしており、瞼には隈が出来ていた。
「今日は休んでいて。ナノスキンが取れて体力が全快したら一緒に行こう」
「……はい、慎一様」
キリカは美しく、見掛けた人々にとっては印象に残りやすい。
また一昨日、体内に仕込まれた異物の摘出手術を受けたばかりであったので、やんわりと断わった。
その返事でキリカは一応納得したようだったが、実のところ、昨日の段階で、母に連れ回されていたという事実は失念しているようだった。
多分、母の心無い言葉が、キリカを傷付けたのではないかと思うが、こればかりは時間の流れで解決するしかないだろう。
「キリカちゃん、そちらのボールと卵を取ってくれるかしら」
「はい、響子お姉さま」
ランニングを終えて帰ってみると、キリカは、母の指導を受けながら、ふたりで仲良く朝食の準備を進めていた。
まるで親子のようだと一瞬思ったのだが、母の娘としてキリカをみると、可愛過ぎてバランスが取れていなかったことが、逆に微笑ましかったのであった。
それから3日経ち、キリカは、すっかり我が家に馴染んでいた。
ただ、キリカに刷り込まれた一般常識は、当然のことながら大きな偏りがあり、ときおり頓珍漢な対応をしていたのだが、一時的な記憶障害という設定のお蔭で、致命的な破綻に及ぶことはなかったのである。
「『ネクロ』は、キリカのことを完全にロストしているようだね?」
「はい。そうですね」
ところが、気の緩みがあったらしく、会話を母に聞かれてしまった。
僕が人の気配で後ろを振り向くと、母が無言で睨んでいた。
「慎一、今の会話は何? 『ネクロ』って言ったら、数日前に近所で暴れた悪の秘密結社の名前よね?」
母は、深刻そうな様子で尋ねてきた。
「慎一様……」
母の只ならぬ雰囲気に、キリカは既に涙目で、僕を呼んでいた。
僕は、母からキリカを庇うような位置に割り込むと、キリカが抱き付いてきた。
キリカは顔色も悪く小刻みに震えていたが、こんな時でも、僕の背中に触れた胸は柔らかく、艶やかな黒髪からは、仄かに甘い香りがしていた。
「キリカちゃんは……、悪の秘密結社の構成員だったのね……」
僕とキリカの様子から、母は、キリカの事情を察したようだった。
この瞬間、僕とキリカの刻は凍りつき、キリカのことを警察に通報されて『殺処分』される情景が頭を過ぎった。
「慎一、キリカちゃんのことを話しなさい」
僕たちにとっては無限とも思える時間の後、母は厳かに事情説明を求めてきた。
「あの朝、いつものように早朝ランニングをしている途中で――」
「響子お姉さま、慎一様は何も悪くはないのです……。どうかわたくしの事は、警察に突き出して下さい」
「駄目だ! キリカ!! お前が殺処分されるのは、僕には耐えられない」
「慎一様、キリカは幸せでしたわ。こんなに温かい経験が出来たなんて……、これ以上は贅沢というものですわ」
「かあさん、お願いだ! キリカを連れて行かないでくれ!!」
こうして、僕とキリカは、母響子に今までの経緯を洗い浚い話すこととなった。
僕には、既に泣き落とし位しか手段は残されていなかったのだ。
そして、ふたりは、神妙な態度で母からの死刑宣告を待っていたのだが……。
「慎一、良くやったわ。キリカちゃん、キリカちゃんの出自には、正直、驚いたけれど助かってよかったわね」
母は、僕たちが予想もしていなかった意外な言葉を掛けると、キリカを抱きしめた。
「かあさん、キリカのことを警察に通報しないのか?」
僕は、恐る恐ると訊いてみた。
「わたしは、キリカちゃんの事を、とても気に入っているのよ。初めは驚いたけれど……、良く考えてみるとキリカちゃんは、天涯孤独の身の上だから……、わたしの義娘にすることもできるわ。わたしは、ずっと女の子も産みたいって考えていたんだけど、結局授かることはなかったの……」
母は、キリカに対する心情を語ってくれた。
「響子お姉さま……」
「キリカ、わたしの事を『おかあさま』と呼んでくれないかしら?」
「き、響子おかあさま……」
「とても嬉しいわ、キリカ」
「うわぁあぁぁぁ――」
母は、役得とばかりにキリカを抱き締め、キリカも母の胸に抱かれて号泣していた。
「それで、かあさんの悪の秘密結社嫌いは改善したのかい?」
「それは、それ、そして、キリカの事とは関係ないわ。あいつ等の事は憎いけれど、キリカちゃんの事は可愛い義娘だわ」
結局、悪の秘密結社に対するトラウマは、健在だった訳であるが、数日間のキリカとの生活により、母はいつの間にかキリカのことを本当の娘のように想っていたのだ。
「慎一も頑張ったようだけど、まだまだ詰めが甘いところがあるわね」
「かあさん、どう詰めが甘いんだい」
「キリカちゃんが、人間として生きるためには、周囲に認めさせる必要があるのよ」
「響子おかあさま、わたくしは何をすれば良いのでしょうか?」
「まずは、戸籍とか、法的にわたしの義娘として認知させる必要があるし、身体の精密検査も必要ね。早速動くわよ、キリカ。付いていらっしゃいな」
「はい、おかあさま」
「キリカちゃんにおかあさまって言われると、とても嬉しいわ」
「かあさん、僕は何か手伝えない?」
「慎一は……、家で待っていらっしゃい。お留守番も大切なお仕事よ」
母は、キリカを連れて動き出した。母がパワフルであることは知っていたものの、驚くべき行動力だった。
まずは、職場の伝手から政治家に働きかけ、キリカの戸籍を作ってしまった。
そして戸籍には『久遠キリカ・15歳』と記載されていた。
久遠は、母方の祖母の姓、つまり結婚前の母の姓である。
「本当は『高木キリカ』にしたかったのだけれども、それじゃあ慎一が困るわよね」
「慎一様、久遠キリカです。改めて、幾久しくお願いします」
母は、口角を吊り上げると意味深なことをいってくれた。
一方、きちんとした人間と認められたキリカは、以前とは異なり自信の程が窺えた。
これでキリカは、正式に生存権を得た事になるのだが、母がどんな裏技を用いたのかまでは分からなかった。
これで堂々と、キリカを外に連れて行ける。
そして、母の配慮により、あと数年すればキリカを娶ることも可能だろう。
そこで、僕は、キリカにプロポーズの言の葉を贈っていなかったことに気が付いた。
また、大学病院で精密検査を受けたところ、成長促進剤の影響と思われるホルモン代謝の異常が見つかり、遺伝子治療などの治療を受けることになった。
僕は、体内の異物を摘出するだけで十分であると思っていたのだが、無理に成長させたしわ寄せがあったのだ。
そして母は、治療の合間に勉強をさせ、来春には僕の通っている高峰高等学校の入学試験を受けさせると息巻いている。
今やキリカは、高木家の一員として完全に溶け込んでいた。
世間では数多の悪の秘密結社と正義の味方が跳梁跋扈していたが、高木家では穏やかな時間が流れていた……。
「く、久遠キリカ……さん。ぼ、ぼくのお嫁さんになって下さい」
僕は緊張しながら、絶世の美女に成長したキリカにプロポーズをした。
キリカの学校での評判は、すこぶる良好であり、何でも親衛隊まで結成されているという。
一緒に家に住んでいても、住んでいる世界が違うのかと思って焦っていたのだ。
そして、周囲の野郎共からも、嫉妬の視線が堪らなかった。
「慎一様?」
「な、なんだいキリカ……。僕はキリカに振られても怨まないよ」
「慎一様……、わたくしが久遠キリカと名乗った時に、既にわたくしの身と心は慎一様のものですわ。もしかして、わたくしのプロポーズに気付いていらっしゃらなかったのでしょうか?」
キリカの表情が曇ったので、僕は慌てて抱き締めた。
「キリカ、愛しているよ」
「はい、わたくしも出逢ってから、ずっと愛しておりました」
そして、僕とキリカの顔が近付き、お互いの唇が重なり合った。
これにて完結です。
最後で拙作をお読みくださいまして、ありがとうございました。
次話は、『分割投稿』したものを『一括投稿』したもので、内容的には同じですので、ご注意下さい。なお、空行の取り方が異なります。