2 フィクションズリーズン計画
後日、唯川さんから指定された東京タワー近くの荘厳な雰囲気のビルに入っていくと、珍しく複数の人間の警備員の手によって厳重な身分証確認や所持品確認などが行われた末、僕はビルの中層階に通された。
室内に入るとほぼ同時に、僕が来たことに気付いたであろう唯川さんがやってくる。
「お待ちしていました、春夜先生!」
「こんにちは唯川さん、それで、僕はここで仕事をすればいいのですか?」
「はい。ですがその前に、内調の宗谷内閣情報官をご紹介します。一言で言えば私達の上司となる方です。さぁ、こちらへ」
そうして仕事をしているであろう内調職員? を片目に、僕は奥の部屋へと通された。
「失礼します。春夜先生をお連れしました」
ノックした唯川さんがそう声を発すると、中から「あぁ、入ってくれ」という大きな声が聞こえた。
「失礼します」
そう言いながら入る唯川さんに連れられ、僕も「失礼します……」と小声で言いながらドアをくぐると、40代半ばに見える男性と20代前半に見える女性とが僕達二人を出迎えた。
「どうも、春夜先生。内閣情報官の宗谷雅彦です」
「春夜と申します。あ、本名は野々下春夜です。よろしくお願いします」
「ははは、存じ上げていますよ。どうぞお座りください。君、春夜先生にお茶を……それともコーヒーの方がよろしいかな?」
宗谷さんに気さくそうにそう言われたので、僕は唯川さんと一緒にソファに座りながら「じゃあコーヒーでお願いします」と返した。
「コーヒーだ名塚くん。確か先生の好みはミルクと砂糖もたっぷりで……でしたよね?」
「あぁ、はい。よくご存知ですね」
「情報集めが我々の本職ですからな、ハハハ」
宗谷さんがそう笑い、名塚と呼ばれた聡明そうなアシンメトリーショートボブの長身の女性が部屋の片隅に設置されていた黒色の冷蔵庫から牛乳を取り出す。しばらくして、「どうぞ」とミルクと砂糖たっぷりらしきコーヒーが僕に提供された。
しかし、僕がミルクと砂糖たっぷりのコーヒーが好きだと書いたのはWEBの同人小説のあとがきだけだったはずだ。よくそんなところまでチェックしているものだと感心する。
「まず、春夜先生にはある男女ペアを取り巻く物語を書いていただくことになります」
宗谷さんが落ち着いた様子で切り出す。
「男女ペアですか?」
「はい。春夜先生は虚構実在論については無論ご存知ですね?」
「はい。それはもちろん。虚構があれば実在もまたある……つまり僕達が創作活動を行えば、その世界やキャラが存在しているということですよね?」
「ふむ、まぁいいでしょう。ですがそれには様々な条件があるということはあまり知られてはいません。厳密には虚構が――フィクションが実在するためには種々の条件があります。そしてその内の最も重要な一つに、その物語の創造主たる作者だけでなく、唯一神がそれを認めるというものがありましてね?」
「はぁ、唯一神がですか?」
僕は唐突に現れた唯一神というワードにわけもわからず途方に暮れるようにそう挟むと、コーヒーを一口啜る。確かにミルクと砂糖がいっぱいだったが、少々甘すぎるようだ。
宗谷さんは「分かります、分かりますよ!」と言いながら、うんうんと何度も首肯し、「唯川くん境界情報宇宙論についてざっくりと春夜先生に教えてあげてくれるかい?」と唯川さんに指示を出した。
「はい。分かりました。春夜先生、虚構実在論の証明の基本となる境界情報宇宙論について、その基本である境界の話をさせて頂きます。まず基本となる公理、【情報がある為には境界が必要だ】についてご説明します。この公理は理論の出発点となる、論証ぬきで真だと仮定し、他の命題の前提とする根本命題ですが、しかしこの公理は自己論駁不可能性を持つ真理なんです」
唯川さんは続けて言う。
「何故真理なのか? この公理の否定の為に情報がある為には境界が必要ではないという仮定をするとしましょう。しかし、この仮定そのものが、境界が必要な物と境界が必要ではない物に対して境界を導入することになってしまうという構造を持っているのです。すなわち、否定を試みようとすれば、即座に公理を用いたこととなり自己言及的な矛盾を内包してしまうのです。ここまではよろしいですか?」
唯川さんの言い分に僕は顎に手を当てながら考えた。
確かに、論理的には筋が通っているように思える。
「はい。構いません。それで、その公理が何だって言うんです?」
「春夜先生は無限についてどのような解釈をお持ちでしょう?」
「無限ですか? えっと、無限だから限りがない……あぁもしかして……そうか! 無限って最大値や最小値っていう境界線を引かないからこそ無限なんですね! じゃあ真の無限は無境界であるってことだから情報的には存在できないってことですか?」
「さすがです! その通りなんです春夜先生。真の無限は無限小も無限大も物理的に存在できないということがこの公理から分かるのです。では宇宙はどうでしょうか?」
無限の話から更に飛躍して宇宙の話に飛ぶが、僕には答えが見えていた。
「つまり……無限がないから宇宙が物理的に実在する限りにおいて、有限だって言いたいわけですね?」
「はい! はい……その通りです春夜先生。なんだか春夜先生は1を説明して10を分かる人みたいですね! 私、この話をするのもう10回は超えてるんですが、ここまでスムーズに理解してくれる人は春夜先生が初めてです! けどここからは難しい話になってくるんです。有限な宇宙の端を考えてみてください。その端はどのようになっているでしょうか?」
「え? 端ですか……うーん皆目検討も付きません」
「ですよね……いえ、それは構わないんです。皆さんそうおっしゃいます。端には基本的にいくつかのパターンがあると考えられます。完全吸収、完全反射、一部反射吸収・一部透過、ループというものです。しかしこれらのうちほとんどはエネルギー保存の法則や公理への違反などで否定され、最終的にループしているという事実のみが答えとして残るのです」
「なるほど、では宇宙の端はループしていると?」
「はい。そうなります」
しかし僕にはなんだか納得が行かなかった。
だって、ループしているならばループが続く限りにおいて無限ではないのか?
それは最初の公理に違反する。
「でも、なんだかループしているってそれが無限に続くなら公理に違反するんじゃ?」
僕は疑問を口にした。それには唯川さんも驚いた様子で、「はい。実はそうなんです。ループしているだけでは同じように無限に陥ってしまう。ではどうすればいいでしょう?」と僕に聞いてきた。
「うーん、たぶんですけど、ループが無限じゃなければいいなら……つまりループ回数を知っていて、ループの始点と終点を知る存在が居ればそれでいいんじゃないですかね?」
僕がそう答えを出すと、唯川さんは「素晴らしいです春夜先生! 私から説明することはもうこれ以上ありません」と僕を褒めちぎった。
すると横から宗谷さんが「さすがは緻密な設定でSFにも精通する春夜先生だ! 僕らが説明するまでもなく、唯一神の存在にお気づきになった」と唯川さん同様に僕を褒めちぎり、唯一神というワードを再び出してきた。
「つまり……このループの情報を知るものが唯一神であると?」
僕が聞くと、唯川さんが「はい……! はい! その通りなんです!」と感動したように同意しながら続ける。
「春夜先生ならばお気づきでしょうが、この唯一神の導入が無限を否定するための必然となります。そしてこれも察しがつくかもしれませんが、この唯一神Aの境界を定義する存在である人間Bの導入もまた公理から必要となるのです。この二者相互規定と呼ばれる唯一神とたった一人の人間とが境界を共同規定することで、我々の宇宙は成立していると考えられています。つまり、フィクションが存在するかどうかを唯一神Aとたった一人の人間Bが最終的に決めているということになるようなのです」
唯川さんが興奮した様子で説明を終え、宗谷さんが説明を引き継ぐ。
「この理論はある時空の観測で以て確かめられた理論であり、その理論が初めて観測されたとき、その理論を構築しようとしていた男性が人間Bとして知られています。この理論は初めにそれを創造しようとしたもの、この理論に気付いたものこそが唯一神Aか人間Bである……そのような構造を持っているのです。そして観測された彼は本当にただの人間でしかないということが知られています。ですから彼こそが唯一神Aの境界を定義する人間Bなのであろうということです」
そして入れ替わりに唯川さんが、ピンと右手の人差し指を立てながら話し出す。
「しかしここで一つ問題が生じました。どうやら人間Bであろう彼は、他の時空の介入者達によって攻撃を受けている事が分かったのです」
僕はその説明に眉をしかめた。
唯一神ペアの人間Bを攻撃?
そんなことをして、宇宙の安定性は大丈夫なのだろうか?
「それって、非常にまずいんじゃないですか?」
「えぇ、それはもう。たった二人の共同境界を形成するうちの一人、唯一神Aの境界を定義するであろう人間Bが攻撃されるとは、宇宙の安定に関わる重大問題なのですよ。彼の境界規定が崩れれば唯一神Aの境界が失われる。それはすなわち世界の、全時空の終わりを意味します……唯川くん」
こくりと一度だけ頷きながら宗谷さんが全時空の終わりという事態を予見し、唯川さんを見る。
「それを重く見た我々は、時空を観察干渉する技術を有する我々と意思を同じくする者たちと共に、人間Bを救う時空同盟を発足、人間Bの救済に回ることにしました。これがそのプランと計画の概要です」
タブレット端末を受け渡され、僕はそれを覗き込む。
「人間Bを救う時空同盟とフィクションズリーズン計画……?」
僕がそのタブレットに表示された計画名を読み上げると、唯川さんが話し始める。
計画名の下には生体サインを求める欄があった。
「春夜先生、ここからは極秘事項になります。そのタブレットを使い、生体サインをお願いできますか?」
唯川さんのお願いに僕は少しだけ考える。
あまりに壮大な話についていけなくなりつつあるが、しかし何故かは分からないが高揚してもいた。自分の作る物語達が唯一神達を助け、ひいてはこの時空やその他の時空達をも守る。
そんな子供の頃に夢想したような絵に書いたようなヒーロー物語に触発されたからなのかもしれない。だが正直に言って、ただ創作者として胸が高鳴った……だから僕は……。
「……分かりました。世界の、宇宙の危機の為に僕なんかが役に立つって言うなら、協力させて頂きます」
僕はそう言うと、タブレットに右手の親指を押し付け指紋を登録。
そして続けて顔をカメラに近づけると、網膜を登録した。
すると、計画名のみであとは隠されていた概要が一気に表示された。
全部をいますぐに見ることはできそうになかったが、唯川さんが説明してくれる。
「有難うございます、春夜先生。これで先生は正式に計画の一員となりました。フィクションズリーズン計画、その計画の概要をお伝えします。その計画の肝は、我々の敵となる時空の攻撃によって統合失調症に陥っている人間Bの救済にあります」
「統合失調症に……?」
「はい。春夜先生は量子脳理論をご存知ですか?」
「あ、はい。人間の脳が――意識が量子力学的な振る舞いによって作られているって理論ですよね? でもそれと統合失調症になんの関係が……? あっ! もしかして……!」
僕には思いつくところがあった。
そうか! 統合失調症の人が経験する幻覚や幻聴ってもしかして……!
「はい。そうです。統合失調症とは他の時空からの干渉によって、あるいは同じ時空の意識による深層無意識的な干渉によって引き起こされる量子力学的な病であると現時点では分かっています。これは極秘事項に相当します」
「そんな馬鹿な……! じゃあ僕らは実のところ思念でもって人を攻撃できるって言ってるのと同じようなものですよ?! それと虚構実在論の証明を合わせたら、虚構を作ることで、考えることで僕らは誰かを確実に攻撃できることになりますよね!? そんなことが……でも……確かに……」
果たしてこれは医学的に、そして物理的に確かなことなのか? でも極秘事項って言ったよな……。
僕は考え込んで唸ってしまうが、唯川さんは説明の手を緩めない。
「つまり、です。敵が人間Bに統合失調症的な介入をして妄想的な混乱をさせようとするならば、私達は彼の妄想そのものに、虚構を使い介入し、彼の手助けをしようというわけです。彼の混乱が収まるように、彼にとって都合の良い妄想に置き換えてしまえばいい。そしてその虚構を作るのが私達の役目です。既に虚構世界としてこれだけの世界が存在することが判明し、我々の仲間に加わってくださいました。我々は相互に規定し合うことで全時空的には現実と言う名の物語を紡いで行こうと考えています」
唯川さんがタブレットをスクロールして、参加している時空やキャラクター……いや、実在人物のリストを僕に見せる。それには僕が同人活動で書いてきた二次創作に纏わるキャラクター達がいた。タイムマシンモノやロボットモノの時空の多くの人々が、同盟に実在人物として参加してくれている。
「……じゃあ僕らも彼らにとって見ればある種、虚構世界であり、全時空的には現実であるってことですか? 相互に物語を人間Bにとって都合の良い物語を僕らに紡ぎ合えと……?」
「はい。そうです。そして春夜先生、貴方はそのメインライター兼製作総指揮として選ばれたんです。我々の最終目的は、統合失調症に陥っている人間Bの救済と、人間Bを唯一神Aの現実における写し身である人間Aとを出会わせることです。これを因果律的に実現するためには、妄想世界に彼にとって都合の良い説明付けを与え、そして人間Aと出会えるようなシナリオが必要になるのです。春夜先生のシナリオに全てはかかっています!!」
唯川さんが僕の目をその澄んだ希望に満ちた瞳で見据えながら、はっきりと言いきった。




