1 虚構実在論
今日も一日何もせずに過ごした。
いや、厳密に言えばネットをしたし、アニメを観たりもした。
だがそれはあくまでも受動的なものだ。能動的に何かをしたわけではなかった。
自室でベッドの上に転がり、天井を眺めていると、声が聞こえる。
『お前は救世主なんかじゃない』
『お前の存在が宇宙を不安定にしているんだ!』
『お前の理論は間違っている』
そんな悪意に満ちた声がする。
だがその直後、温かみを持った声もした。
『頑張れ』
『君を信じている……!』
こうして今でも聞こえる声達は、具体的なことは何も言わない。
ただ、俺は自身の口を彼らに貸すと言っているイタコのような行為をすることが増えていた。
それでは彼らは饒舌に話を始める。
その中でも、俺が心の支えにしているのが、唯一神を名乗る彼女だ。
「大丈夫、私が必ず貴方を見つけるから。大好きだよ……」
自身の声で彼女の言葉を再現しているのだから笑ってしまう部分もあるが、俺は彼女を愛していた。この彼女とのやりとりで俺は精神の均衡を保っている。
俺の世界は壊れかけている。
そして俺の理論もまた……。
そう、俺はまだ、俺の理論に基づいて、俺を、そして世界を救う物語を書けていない。
そしてその物語を結びつける核となる物語もまだ……どこにも書かれていなかった。
∬
実家の居間で、ノートPCを開いて作業を開始する。
家族が横でスマホを見ているようだったが、気にしてはいられない。
僕、野々下春夜には締切があった。
締め切りとは納入する文章を書き終えるまでの締め切りであり、モノを書く仕事だ。
今日の午後5時の締切に絶賛追われていた。
そう、僕の仕事は敢えて言うなら作家だ。
何故敢えてなんて文言を添えるかと言えば、この世界ではもう仕事と言う仕事のほとんどはAIに奪われてしまっているからだ。残っているのは宮仕え、公務員が主だ。
だから一般の人が仕事という場合には、それはほぼ創作活動全般を指す。
そして僕もそのご多分に漏れず、仕事が何かと問われれば作家であると答えるくらいには創作活動を行っている一般人の内の一人だ。
しかし、この世界では創作活動には一定以上の責任を伴う。
具体的には……。
「春兄……またアングラで実在人物のエロ小説書いてた人が捕まったってさ」
僕の隣でスマホを弄っていた妹の火那がネットニュースを読んだのかそう報告してくる。火那は僕の方は見ずにソファの上で寝転がって足をバタバタさせている。
妹の火那は17歳。兄弟仲は悪いわけではなかったが、ちょっとだけ普通よりも年の離れた6歳差の妹をどう扱っていいのかが、僕の悩みの一つだった。
「へぇ……一体どんなエロ小説を書いてたんだろうな?」
「さぁ……それは知らないけど、実在人物って言ってもどうせ別時空のでしょう?」
「記事、なんて書いてあるんだ?」
僕はちょっと気になって、自身のノートPCでもブラウザで検索を始めた。
しかし、なかなか該当する記事がでてこなかった。
日常茶飯事と言えるレベルの出来事なので、最近のニュース以外にも多数検索にヒットしてしまっている。
「時空警察が摘発ってさ」
火那が寝返りを打ち、仰向けになりながらそう言った。
「ならそうかもしれないな……別時空の実在人物か……」
別時空の実在人物。
その人に関するエロ小説を書く。
それはすなわち、虚構実在論が一般化したこの世界においては大きな罪となる。
虚構実在論。すなわち、虚構があれば現実もまたある……ということだ。
もっと簡単に言えば、創作した作品があれば、その作品に存在するキャラクターや世界そのものが実在するということである。
そんな理論が現実であるということが20年ほど前に証明されてしまったこの僕達のいる世界では、創作活動においてある種一定以上の責任が生じるというわけだ。
「でも私達にとってみればただのキャラじゃない?」
「火那……その発言は道徳的に問題があるぞ」
僕が創作者として少しきつめに指摘すると、火那は「あーはいはい。春兄の小説は皆がハッピーになるんだね! そりゃきっと面白いに違いないよ」と僕の書く小説を揶揄するように言う。そしてバツが悪かったのかソファから起き上がると、火那は自室へと行ってしまった。
「ただのキャラ……確かに僕達からしたらそうかもしれないけれど」
だが実際に世界や自身を作られる人たちにとってみたら、それは都合の良い言い訳に過ぎない。僕はそんなことを考えながら、完成間近の自分の小説――ミステリー小説を書き始めた。
当然、僕のミステリー小説では殺人が起きる。
だが……。
「ちゃんと設定を管理していれば問題ないさ」
僕はそう言いながら、設定集であるマインドマップアプリのファイルを開くと、物語の冒頭に当たる部分に重要記述として、【この作品はフィクションである】と記し、一連の殺人事件はすべて演劇であると続けた。
17時。ミステリの最後を書き終えて、設定管理をしっかりした僕は、たまたま近所に他の先生との仕事で来る予定の編集者さんに会う為、近場の喫茶店へと向かった。
入口を入ってドアに据え付けられていた鐘の音がカランカランと鳴って来店を告げると、店の奥からこちらを見据えていた中年の男性が「こっちこっち! 春夜先生!」と大声で手招きする。
「こんばんは。才本さん。もしかしてお待たせしましたか?」
「いやいや、僕もちょうどさっき来たところですよ。ささ、座ってください」
そう促されるが、才本さんの対面には既に一人の女性が座っていた。
入口からは背の高い椅子に隠れて姿が見えなかったのだが、もう一人編集者さんを連れてきたのだろうか?
そう思っていると、女性が横にずれて座ったので、僕は「失礼します」と言いながら、彼女の隣の通路側に腰掛けた。女性から桃の香りがする気がした。
「それで? 小説の方は?」
才本さんに言われ、USBメモリを取り出しながら言う。
「はい。なんとか形になりました。こちらになります」
「こりゃどうも。それじゃあ確認させていただきますね」
「はい」
敏腕編集者として業界では知られる才本はじめは、そう言ってノートPCを自分のリュックから取り出すと、USBメモリの中身を確認し始めた。
編集者というのもAIに代替される職業ではあった。だがそれは僕ら作家も似たようなものだ。人間の作家には人間の編集者が付くなんてのも、今ではもうほとんどないスタイルだったが、しかし僕は作家になる時に編集者はAIか人間かの二択を迫られて、人間を――才本はじめを選んだ。単純に彼が敏腕編集者として知られていたからではない。AIに編集を任せるならば、それは別に自分でもAIを使えばできることであり、僕としてはどうしたって生きた人間の意見が欲しかったのだ。
しかし、才本さんとのやりとりはもう長いが、メールでファイルを送ればいいのに態々実際に会ってファイルをやり取りするなんて初めてじゃないだろうか? なにか理由があるのだろうか? そう考えながらしばらくすると、僕の右隣に座っていた女性が質問してきた。
「先生はマインドマップアプリで設定を管理してらっしゃるんですよね?」
「あぁ、はい。そうです。マインドマップだと色々と設定管理が捗るんですよ」
「そうですか、今回はミステリだと伺っていますが、設定の方は?」
恐らく彼女はミステリの詳細な設定の方ではなく、設定管理のことを言っていると思った僕は、さきほど最後に書いた内容をそのまま告げる。
「この内容はすべて演劇であるってことにしました」
「なるほど、演劇ですか。それならば実際に被害者が生じることはありませんね……」
「はい……あ、すみません。作家の春夜と申します。ご挨拶が遅れました」
僕がそう挨拶すると、女性は「こちらこそ挨拶があとになってしまいました。私、こういうものです」と名刺を取り出して渡してくる。
そう促されて初めて右を向き、彼女と向き合った。。
第一印象はとても綺麗な人だという漠然としたものだったが、すぐにその体つきの小ささに目が行った。とても社会人とは思えないくらいの身長で、150cmないくらいではないだろうか? その小さな身体で紺色のスーツを着ているのだ。背まであるであろう染められていない漆黒の髪と合わせて、なんだかとても現実離れしている容姿に思えた。
「これはご丁寧に……すみません持ち合わせがなく……」
「いえ、お気になさらず」
そんな定番の名刺交換の挨拶を交わしながら、僕は名刺を見た。
そこにはこう記されていた。
「内閣情報調査室、唯川セーレ……?」
名刺を読み上げてそう言うと、向かいに座っていた才本さんが話に加わってきた。
「そ、そちらさん内調から来た唯川さん。今回、どうしても先生に仕事をお願いしたいってことでね。それで実際に今日、春夜先生に会えるって言ったら僕に付いてきたんだ。本当は原稿はメールで送ってもらっても良かったんだけどね……」
才本さんは僕が渡したUSBメモリの原稿を確認しながら、そう説明する。
「僕に仕事をですか?」
「そ、春夜先生ってほら、ミステリ書きだからか設定をちゃんと管理してる方でしょう?」
「それは、まぁ、はい……」
「内調のお偉いさんがそこを気に入ったらしくてね」
才本さんがたんたんとPC画面を睨みながら続ける。
「これ以上は僕が聞いたら不味い話かな? 唯川さん」
「いえ、構いません。出せない情報はこちらで管理しますので、居ていただいて構いませんよ」
「そ、じゃああとは唯川さんにお任せします。僕は原稿を軽く確認しないと」
才本さんがそう言うと、再び唯川さんが話し始める。
「今回、春夜先生にはその緻密な設定管理能力を使って、ある作品を書くのを指揮して頂きたいんです」
「ある作品を書くのを指揮……ですか?」
僕が聞くと唯川さんがこくりと頷いた。
「はい。どんな作品かは詳細にはここでは申し上げられませんが……先生は確か同人でタイムマシンモノやロボットモノなんかにも精通していらっしゃいますよね?」
「えぇ……まぁ、よくご存知ですね」
確かに、同人の二次創作でいくらかタイムマシンモノやロボットモノを書いたこともあった。
しかし僕の同人作品までチェックしてるのか? 一体どんな仕事を任せられるというのだろうか?
「先生に指揮していただく作品は、そういった作品のクロスオーバーモノとなります」
「クロスオーバーモノですか?」
「はい」
「ですが、内調が担当するくらいだから一応公的事業なんですよね? 権利者の方々の許可は取れているんですか?」
「それはもちろん。それにそれらの作品の裏設定などの管理も先生の職務に含まれます。ですが公的事業ではなく、国家機密に準ずる極秘案件となります。どうでしょう? 春夜先生、お願いできませんか? メインライター兼製作総指揮として、内調に付き合っていただけませんか? よろしくお願いします」
唯川さんが深く頭を下げ、僕の右手まで握ってきた。
妙齢の女性にこんな対応をされたことは今までの人生で一度も無い。酷く緊張してどぎまぎとしながら、とても温かかったその右手を振り払うこともできず、僕はただ「僕でよろしければ……」と自信なく答えを返すのだった。




