その頃、殿は
こんにちは! あまはる です!
この物語を手に取っていただきありがとうございます!
本作は史実を元にしたフィクションです。
実在人物を題材にしていますが、人物描写・会話・逸話などに独自解釈と創作を多く含みます。
生暖かい目で見てくださいm(__)m
宗茂の姿は、見つからなかった。
「旦那様――!」
誾千代の声が、水路沿いに響く。
泥に足を取られながら、下流へ走った。
少し先では、十時が兵たちへ声を飛ばしている。
「水路が分かれる先へ回れ! 田へ流れ込んだところも探せ! 縄を持っていけ!」
「はい!」
「舟も出せ! 急げ!」
兵たちが散っていく。
誾千代も、そのまま走ろうとした。
「姫様!」
背後から呼ばれ、振り返る。
兵が二人、綾を連れていた。
「この者が姫様を押したところを、見ていた者がおります」
誾千代が綾を見る。
綾は青ざめていた。
唇が震えている。
「……私が」
かすれた声が落ちた。
「私が、押しました」
十時の顔が変わった。
「こいつを城へ連れてけ!」
「十時殿――」
「牢に放り込んどけ! 今は殿が先だ!」
「はっ!」
兵たちが綾の腕を取る。
綾は抵抗しなかった。
誾千代は、もう見ていなかった。
「旦那様を探して」
「はい!」
また走り出した。
◇
その頃。
宗茂は、濁流の中にいた。
上下も分からない。
水面へ出たと思った瞬間、また水の底へ引き込まれる。
息ができない。
ようやく顔が出た。
息を吸う。
次の瞬間。
流木が脇腹へぶつかった。
「――っ!」
身体が折れた。
水を飲む。
また沈む。
重い。
水を吸った着物が、腕と足へまとわりつく。
宗茂は帯へ手をかけた。
脱ぐ。
生きるために、重いものを捨てる。
上衣を脱ぎ、小袖を引きはがす。
刀も脇差も、いつの間にか腰から消えていた。
水面へ顔を出す。
息を吸う。
腕を動かす。
もう片方の肩に、激痛が走った。
それでも、水を掻いた。
誾千代を岸へ上げた。
届いたはずだ。
十時もいた。
なら。
あとは、自分が生きればいい。
宗茂は流れの中で、動く方の腕を伸ばした。
どれほど流されたのか。
やがて、水の勢いがわずかに緩んだ。
足先に、泥が触れる。
宗茂は足を伸ばした。
届かない。
もう一度。
今度は、ついた。
流されながら手を伸ばす。
指先が葦に触れた。
掴む。
一度、滑った。
もう一度掴む。
膝が泥についた。
宗茂は這うようにして、水から上がった。
そこで、力が尽きた。
泥の上へ倒れ込む。
もう、身体は動かなかった。
それでも。
生きていた。
◇
その日の捜索は、日が暮れても続いた。
舟が出た。
松明が水路沿いに並んだ。
百姓たちも加わり、流木の溜まった場所や、田へ流れ込んだ水の先まで探した。
それでも、宗茂は見つからなかった。
夜が明ける。
誾千代は、また城門へ向かっていた。
「姫様」
薦野に呼び止められた。
「何?」
「どちらへ」
「探しに行く」
「なりません」
誾千代が振り返った。
「なんで」
「捜索は十時殿と小野殿に任せます」
「私も探せる」
「存じております」
「じゃあ行く」
「姫様」
薦野は動かなかった。
その手には、何枚もの書付がある。
「今の柳河の城主は、姫様です」
誾千代が止まった。
「……私?」
「はい」
「でも、旦那様が――」
「殿はおられません」
誾千代の顔が強張った。
「――今、この城には」
薦野は言い直した。
「だからこそ、姫様にいていただかなければ困ります」
誾千代は黙った。
「水が引いたとはいえ、家へ戻れぬ者がおります。食糧を回さねばならぬ村もある。道も堤も壊れております」
薦野が書付を持ち上げた。
「殿を探す者はおります」
そして、誾千代を見る。
「ですが、殿が守った柳河を守る者も必要です」
誾千代は、城門の向こうを見た。
行きたかった。
今すぐ走っていって、自分の目で探したかった。
水路も。
田も。
その先も。
けれど、背後には城がある。
昨日まで宗茂が守っていた柳河がある。
「……分かった」
誾千代は城門に背を向けた。
「薦野」
「はい」
「私、分からないこといっぱいある」
「……はい」
「教えて」
薦野が、一瞬だけ目を見開いた。
しばらく誾千代を見ていたが、やがて深く頭を下げた。
「承知しました」
誾千代の前に、書付が積まれた。
浸水した家。
崩れた道。
足りない米。
避難したままの者たち。
誾千代は一つずつ聞いた。
分からないところで止まる。
「薦野」
「はい」
「これ、どういう意味?」
薦野が説明する。
「じゃあ、こっちは?」
「こちらは――」
聞く。
考える。
決める。
それでも時折、廊下から足音が聞こえると顔が上がった。
十時か。
小野か。
何か知らせが来たのか。
だが、そのたびに違った。
日が傾く頃。
ようやく十時が戻った。
泥だらけだった。
誾千代は立ち上がる。
「どうだった?」
十時は首を横へ振った。
「……見つかりませぬ」
「どこまで探した?」
「下流まで。舟も出しております」
「もっと先まで探して」
「はい」
「河口も。その先も」
「分かりました」
十時は何も言わず、また城を出ていった。
誾千代は、その背中を見送った。
◇
夜。
城門は開いたままだった。
「閉めないで」
誾千代が言った。
「旦那様が帰ってくる」
「はっ」
「松明も消さないで」
門前に、火が灯る。
一つ。
また一つ。
遠くからでも、ここが柳河だと分かるように。
誾千代はしばらく、その火を見ていた。
やがて城へ戻る。
部屋には、まだ書付が残っていた。
一枚を手に取る。
たまが入ってきた。
「姫様」
「何?」
たまは何も言わず、膳を置いた。
握り飯と、温かい汁だった。
「食べてください」
「……あとで」
誾千代は書付から目を離さない。
「これだけ終わったら」
たまは何も言わなかった。
これだけ、と言って休まないことは知っている。
そっと膳を誾千代の手の届くところへ寄せた。
「冷める前に召し上がってくださいね」
「うん」
たまは静かに部屋を出ていった。
誾千代は筆を持った。
宗茂がいない。
だから今は、自分が柳河を守る。
宗茂が帰ってくるまで。
◇
少し前
柳河城下の外れ。
田畑の広がる葦原で――
夕暮れの中、二人の百姓が田の様子を見て回っていた。
「おい」
「なんだ?」
「あそこ」
泥の中に、人が倒れていた。
二人が近づく。
髪はほどけている。
全身、泥まみれ。
身につけているのは、褌一つ。
刀もない。
脇差もない。
家紋どころか、身元を示すものは何一つなかった。
一人が棒を構える。
「……落ち武者か?」
もう一人が男を眺めた。
「落ち武者なら、せめて着物くらい着とるだろ」
「盗られたのかもしれん」
「生きとるのか?」
年嵩の百姓がしゃがみ込み、男の鼻先へ手を当てた。
しばらくして。
「……生きとる」
「どうする」
「運ぶぞ」
「正体も分からんぞ」
「正体を聞くのは、生き返ってからでよか」
男は戸板へ乗せられた。
誰も。
その半裸の落ち武者が――
柳河中が探している立花宗茂だとは、夢にも思わなかった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
更新は21時です( ᴗ ᴗ)⁾⁾




