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『西国最強の夫婦まかり通る! 〜旦那様は今日も素敵です〜』  作者: 平子 天陽


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旦那様と握り飯

こんにちは! あまはる です!

この物語を手に取っていただきありがとうございます。

※本作は史実を元にしたフィクションです。

 実在人物を題材にしていますが、人物描写・会話・逸話などに独自解釈と創作を

 多く含みます。

更新は毎日21:00ごろになります!

 祝言が終わって、数日。

 立花山城には穏やかな時間が流れていた。

 ――少なくとも、周囲から見れば。


「姫様」


「なに」


「いい加減、慣れてください」


 たまは真顔だった。


 誾千代(ぎんちよ)はむっとする。


「慣れてる」


「どこがですか」


「ちゃんと話してる」


「昨日、宗茂様に話しかけられて固まりました」


「……」


「一昨日は顔を見ただけで逃げました」


「……」


「祝言の日には倒れました」


「最後は忘れて」


 誾千代は顔を覆った。

 思い出したくない。

 本当に思い出したくない。


 あの日。

 広間中に笑われた。

 家臣たちは今でも時々思い出したように笑う。

 家臣の十時(とどき)など、思い出すたびに笑っている気がする。

 非常に腹立たしい。


「姫様」


「なに」


「宗茂様は優しい方です」


「知ってる」


「怖くありません」


「知ってる」


「でしたら――」


 その時だった。


 廊下の向こうから足音が聞こえた。

 静かな足取り。

 無駄のない歩き方。

 聞き慣れ始めた足音。


 誾千代の身体がぴたりと止まる。


「姫様」


「わかってる」


 わかっていた。

 もう分かる。

 足音の主くらい。


 立花宗茂だった。

 宗茂は二人に気付くと、軽く会釈した。


「誾千代殿」


 呼ばれた。

 心臓が跳ねる。


(大丈夫)


 誾千代は拳を握った。

 領民たちの前でも。

 家臣たちの前でも。

 平気で話せる。


 なのに。

 宗茂を前にすると心臓だけが裏切る。


「お、おはよう」


 言えた。

 たまが目を見開く。


 宗茂は少しだけ目を細めた。


「おはようございます」


 静かな返事だった。

 ただそれだけ。


 だが。


(言えた!)


 誾千代は心の中で拳を突き上げた。

 今日は言えた。

 逃げなかった。

 固まらなかった。

 大進歩である。


 たまは思った。


(普通のことなのですが……)


 だが口には出さない。

 成長は成長だった。


 宗茂はそのまま通り過ぎようとして。

 ふと足を止めた。


「そういえば」


「な、なに?」


「先日の祝言で倒れられた時、体調を崩されたのかと心配しました」


 誾千代の顔が真っ赤になる。

 たまが天を仰いだ。

 本人に言うのか。


 宗茂に悪気はない。

 本当にない。


「ち、違う!」


「違う?」


「違う!」


 宗茂は少し不思議そうだった。


「それなら良かった」


 そして。

 ほんの少しだけ笑う。


「安心しました」


 その笑顔に。

 誾千代の心臓が危うく止まりかける。


 だが。

 今回は倒れなかった。

 立っている。

 ちゃんと立っている。

 たまは少し感動した。


 宗茂が去っていく。


 誾千代はその背中を見送った。

 姿が見えなくなってから。

 ようやく息を吐く。


「姫様」


「なに」


「本日は倒れませんでしたね」


「だからもうその話やめて」


 たまがくすりと笑った。


 ◇


 立花山城の朝は早い。


 東の空が白み始める頃には、すでに城は目を覚ましている。

 炊事場では薪がくべられ。

 見張りの兵が交代し。

 山鳥の鳴き声が木々の間に響く。

 山そのものが城である立花山城は、朝になると風の音がよく聞こえた。


 谷を渡る風。

 揺れる木々。

 遠くには博多湾が霞んで見える。

 空気はまだ少し冷たかった。

 その鍛錬場にも、朝の光が差し込んでいる。


 乾いた音が響いた。

 ひゅう、と木刀が風を切る。


 立花宗茂だった。


 額には薄く汗が浮かんでいる。

 だが呼吸は乱れていない。


 木刀を構える。

 一歩踏み込む。

 振る。

 戻す。


 ただそれだけを繰り返している。

 派手な技はない。

 それでも目を引く。

 一つ一つの動きに無駄がなかった。

 木刀が振られるたび、空気が鋭く裂ける。

 長年積み上げてきた鍛錬が、その一振りに現れていた。


 宗茂は足を止めない。


 強い者ほど鍛える。

 宗茂を知る者は皆そう言った。

 立花家へ来たばかりの若武者は、すでに誰よりも早く起き、誰よりも静かに鍛錬を積んでいた。


 通りかかった誾千代の耳がぴくりと動く。


 乾いた音。


 風を切る音。


 何気なく鍛錬場へ目を向ける。


「あ」


 宗茂だった。

 朝日に照らされた横顔。

 木刀を振るたび、銀ではない黒髪がわずかに揺れる。


「姫様」


「しーっ」


「なぜ隠れるのです」


「なんとなく」


 自分でも分からない。


 ただ正面から見るのは少し恥ずかしかった。


 宗茂は気付いていない。


 いや。


 気付いているかもしれない。


 だが振り返らない。


 ただ黙々と木刀を振り続ける。


 気付けばかなり時間が経っていた。


「……お腹空かないのかな」


「はい?」


「朝からずっとやってる」


 誾千代は腕を組む。


 考える。


 そして。


「握り飯作る」


「はい?」


 ◇


 かまど場は騒然となった。


「姫様が?」


「握り飯を?」


「作る」


 誾千代は真剣だった。

 料理番たちが顔を見合わせる。

 たまは額を押さえた。


「握ればいいんだよね」


「はい」


 誾千代は飯を手に取る。


 炊きたてだった。

 温かい。

 湯気が立つ。


 そして。


 ぎゅっ。


 ぼろっ。


「崩れた」


「力が強すぎます」


「そうかなぁ?」


 誾千代は首を傾げた。


 料理番たちは黙る。

 槍を持たせれば男顔負けの姫である。

 握り飯との相性はあまり良くなかった。


「もう少し優しく」


「優しく……」


 誾千代は真剣な顔になる。


 再挑戦。


 ぎゅうううううっ。


「姫様」


「なに」


「優しくです」


「十分優しくしてる!」


 誾千代にとってはヒヨコを掌に乗せるくらい優しくしているつもりだった。


「もっとです!」


 たまが真顔で言う。


 料理番たちが肩を震わせる。


「いま、笑った?」


「いいえ」


「笑ったよね?」


「気のせいです」


 数度の失敗の末。

 ようやく握り飯らしいものが完成した。

 少し歪だ。

 大きさも揃っていない。

 だが確かに握り飯だった。


「できた!」


 誾千代が満足そうに頷く。


 その様子を見て。

 料理番の一人がしみじみ呟いた。


「姫様が殿方のために握り飯を……」


 誾千代の手が止まる。


 殿方。

 違う。


 ――旦那様だ。


 そう思った瞬間。

 妙に顔が熱くなった。


「姫様?」


「な、なに」


「顔が赤いですが」


「赤くない!」


 だが耳まで赤い。

 たまは見て見ぬふりをした。


 誾千代は完成した握り飯を見る。

 少し歪だ。

 でも悪くない。

 そう思う。


(旦那様、食べてくれるかな)


 その考えが浮かんだ瞬間。

 また顔が熱くなった。


「よし!」


 誾千代は勢いよく立ち上がった。


「持っていく!」


 そのまま盆を抱える。


「姫様!」


「走らないでください!」


 たまの悲鳴が響く。

 だが誾千代は止まらない。

 握り飯を落とさないように抱えながら。

 鍛錬場へ向かって駆け出した。


 その顔は。


 どこか嬉しそうだった。

 鍛錬場へ着いた頃には。


 宗茂はちょうど木刀を納めていた。

 額には薄く汗が浮いている。

 だが息は乱れていない。


 誾千代は思わず足を止めた。

 やっぱり格好いい。

 そう思ってしまった自分に気付き、慌てて首を振る。


「姫様?」


 後ろのたまが不思議そうに首を傾げる。


「なんでもない!」


 勢いよく答える。

 そして。


「旦那様!」


 思わず呼んだ。

 宗茂が振り返る。


「誾千代殿」


 優しい声だった。

 さっきまでの勢いが急になくなる。

 心臓がうるさい。

 だがここまで来て逃げるわけにもいかない。


「その……」


 誾千代は盆を差し出した。


「お腹空いてるかなって思って」


 宗茂の視線が盆へ落ちる。

 並んでいるのは握り飯だった。


 形は歪だ。

 大きさも揃っていない。

 どう見ても料理人の仕事ではない。


「これは?」


「握り飯」


「誾千代殿が?」


「うん」


 言った瞬間。

 また顔が熱くなった。


 宗茂は少しだけ目を見開く。

 そして静かに頭を下げた。


「ありがとうございます」


 その仕草が妙に丁寧で。

 誾千代は余計に落ち着かなくなる。


「べ、別に大したことじゃない」


「そうでしょうか」


 宗茂は小さく笑った。


「私は嬉しいですが」


 心臓が跳ねた。

 たまが遠い目になる。

 もう何も言うまいと思った。


 宗茂は握り飯を一つ手に取る。


 誾千代の喉がごくりと鳴った。

 大丈夫だろうか。

 塩は足りているだろうか。

 握りすぎて石みたいになっていないだろうか。

 いや、一個は本当に硬かった。

 あれは捨てた。

 たぶん大丈夫。

 たぶん。


 宗茂が一口食べる。

 誾千代は無意識に拳を握った。


 しばらくして。

 宗茂が頷く。


「美味しいです」


「ほんと?」


 思わず身を乗り出した。


「はい」


 迷いのない返事だった。


「とても」


 誾千代はぱちぱちと瞬きをする。


 なんだろう。

 嬉しい。

 思った以上に嬉しい。

 武芸で褒められた時とも違う。


 胸の奥がふわりと温かくなる。


「そっか」


 自然と笑みが零れた。


 宗茂も穏やかに笑う。


 秋の風が鍛錬場を吹き抜けた。


 しばらく二人とも何も言わない。

 不思議と気まずくはなかった。


 やがて。

 誾千代がぽつりと言う。


「また作ってもいい?」


 言ってから固まった。

 宗茂も少しだけ目を瞬く。


 そして。


「楽しみにしております」


 静かにそう答えた。

 誾千代の顔が一気に赤くなる。


 宗茂はそんな誾千代を見て、少しだけ笑う。

 たまはそっと空を見上げた。


(進歩しております……)


 立花家の未来は、案外明るいのかもしれなかった。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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