負けっぱなし
こんにちは! あまはる です!
この物語を手に取っていただきありがとうございます!
本作は史実を元にしたフィクションです。
実在人物を題材にしていますが、人物描写・会話・逸話などに独自解釈と創作を多く含みます。
生暖かい目で見てくださいm(__)m
「……これが、宗茂様の奥方様?」
その一言は、翌朝までに柳河城内を一周していた。
「綾様が、奥方様を小姓とお間違えになったそうだ」
「無理もない。肩に布団を担いでおられたとか」
「男を二人、片手ずつで締め上げていたとも聞いたぞ」
「いや、三人だったらしい」
話は広がるたびに、少しずつ大きくなっていく。
「三人じゃない。二人」
廊下の角から顔を出した誾千代が言うと、噂をしていた小者たちは飛び上がった。
「お、奥方様!」
「申し訳ございません!」
「別にいいけど」
誾千代は、少し不満そうに答えた。
「間違えるなら、そこじゃないでしょ。三人じゃなくて二人」
「姫様!」
後ろから追いついたたまが、頭を抱えた。
「問題は人数ではございません!」
「じゃあ、どこ?」
「全部です!」
小者たちは、二人が言い合っている間にそそくさと逃げていった。
誾千代は、その背を見送りながら頬を膨らませる。
小姓に間違えられること自体は、今に始まったことではない。
動きやすいし、余計な裾を踏むこともない。
馬にも乗りやすいし、荷物を運ぶにも邪魔にならない。
誾千代は今の姿を気に入っている。
だから、そこを言われたことが腹立たしいわけではない。
腹が立つのは――あの顔だ。
昨日の綾の、目を見開いた顔。
これが。
宗茂様の。
奥方様。
一言ずつ区切って思い返すと、じわじわ腹が立ってくる。
「見下した」
「見下しましたね」
たまも険しい顔で頷いた。
「絶対、見下した」
「間違いございません」
主従の心は、完璧に一つになっていた。
もっとも。
綾本人は、朝一番に謝りに来た。
「昨日は、たいへん失礼いたしました」
広間へ入った綾は、誾千代の前へ両手をつき、深く頭を下げた。
今日の小袖は淡い若草色。
長い髪もきちんと結われ、昨日あれだけの長旅をしてきたとは思えないほど整っている。
「まさか奥方様ご自身が、皆の荷を運んでおられるとは思わず――」
「いいよ」
誾千代は答えた。
「私も、あの格好だったし」
「寛大なお言葉、痛み入ります」
綾がもう一度、美しく頭を下げる。
非の打ちどころがない。
これほど素直に謝られては、怒り続ける方が狭量に見えてしまう。
誾千代が何となく居心地悪くしていると、綾の後ろに控えていた付き人の女が、そっと口元を緩めた。
「綾様がお間違えになるのも、無理からぬことでございます」
たまの眉が動いた。
「どういう意味でございましょう」
「奥方様ともなれば、お召し物にもお立場が表れるもの。まさか、あのように見事な小姓姿でおられるとは」
丁寧な言葉だった。
声も柔らかい。
だが、言いたいことは明らかである。
「姫様のお召し物は、姫様ご自身がお選びになったものです」
たまも笑顔で答えた。
「まあ。では、奥方様ご自身がお好みで?」
「左様でございます」
「それならば、たま殿のお支度が行き届かぬわけではないのですね。少し安心いたしました」
たまのこめかみが、ぴくりと動いた。
綾が静かに振り返る。
「おやめなさい」
「申し訳ございません。心配のあまり、つい」
付き人は頭を下げた。
その角度まで美しい。
そして、どことなく勝ち誇って見える。
綾は困ったように付き人を見たあと、誾千代へ向き直った。
「それでは、失礼いたします」
「うん」
綾がもう一度頭を下げ、付き人とともに部屋を出ていく。
襖が閉まった。
しばらく、誾千代は黙っていた。
「……たま」
「はい」
「できるよね」
「何がでございますか?」
「私だって、必要な時には奥方らしく振る舞える」
誾千代は、綾たちが出ていった襖を見る。
「たまのせいにされるのは嫌」
たまが目を見開いた。
すぐに、その顔が引き締まる。
「教えて、たま」
「喜んで」
返事が早かった。
しかも、見る間に目が輝き始める。
「何から始めましょう」
「まずは、お召し物から整えましょう」
その日の午前。
誾千代は、久しぶりに小姓姿を脱ぐことになった。
◇
「苦しい」
「少し緩めますか」
「ううん。大丈夫。でも、久しぶりに着ると窮屈だね」
「以前は毎日のようにお召しになっていたではございませんか」
「今は小姓姿の方が楽だって分かったの」
「姫様……」
部屋の中央で、誾千代は久しぶりに華やかな小袖をまとっていた。
たまが選んだのは、深い紅に細い金糸の模様が入ったものだった。
こうして装えば、昔と何も変わらない。
元より誾千代は顔立ちが整っている。
伸び始めた黒髪をきちんと整え、小袖をまとえば、どこから見ても立花家の奥方だった。
――黙って立っていれば。
「やっぱり袖、邪魔」
「引っ張らないでくださいませ」
「裾も気になる」
「昔はそのまま歩いておられたでしょう」
「昔はこれで走ろうと思わなかったから」
「今も走らないでくださいませ」
「これで馬は?」
「お乗りにならないでください」
誾千代は不満そうに袖をつまんだ。
着たことがないわけではない。
むしろ、以前ならこれが当たり前だった。
けれど一度、小姓姿の身軽さを覚えてしまうと、袖も裾もひどく邪魔に感じる。
「まずは、ご挨拶です」
たまが向かいへ座った。
「奥方様として、お客人を迎えるつもりで頭をお下げください」
「うん」
誾千代は背筋を伸ばす。
両手をつき。
静かに頭を下げた。
「ようお越しくださいました」
「姫様」
「何?」
「戦を始めるお顔になっております」
「そんな顔してる?」
「しております」
誾千代は口元から力を抜いてみた。
たまが少し黙る。
「今度は、何か企んでおられるように見えます」
「どうしたらいいの?」
たまは考えた。
そして、ぽんと手を打つ。
「旦那様がお戻りになった時を思い浮かべてください」
「旦那様を?」
「はい」
宗茂が部屋へ入ってくるところを思い浮かべる。
静かな足取り。
落ち着いた声。
目が合えば、ほんの少し笑う。
誾千代の目元が、自然に柔らかくなった。
「はい。今のお顔です」
「え?」
「そのお顔でございます」
たまは満足そうに頷いた。
挨拶だけで、かなりの時間を使った。
次は琴だった。
誾千代は琴の前へ座り、たまに教えられたとおり弦へ指を置く。
「優しく。滑らせるように」
「分かった」
弦を弾く。
べんっ。
鈍い音がした。
「強すぎます」
「え?」
「腕ではなく、指先だけをお使いください」
「指先だけ……」
今度は慎重に弾いた。
かすっ。
ほとんど音が出ない。
「今度は弱すぎます」
「難しい…」
「ちょうど良いところを見つけるのがお稽古です」
誾千代は眉間へ皺を寄せた。
槍なら、どこで力を込めればいいか分かる。
馬なら、手綱を引く強さも身体が覚えている。
弓だって、引きすぎれば分かる。
だが琴は違う。
少し力を入れれば怒鳴り、抜けば黙り込む。
ずいぶん気難しい相手だった。
「もう一度」
誾千代が弦を弾く。
今度は、短いながらも澄んだ音が鳴った。
「あ」
「今です」
「今の?」
「はい。今の音です」
誾千代の顔が明るくなる。
同じ感覚を確かめようと、もう一度弦へ指を掛けた。
びぃんっ。
甲高い音が響いた。
次の瞬間。
ぷつん。
「…………」
「…………」
窓の外から、驚いた鳥が飛び立つ羽音がした。
たまは無言で、切れた弦を摘まみ上げる。
「古くなっていたようです」
誾千代は切れた弦を茫然と見つめた。
「次は花を活けてみましょう」
たまは切れた弦をまとめ、琴から離れた。
◇
少し休んだ後。
今度は、花を生けることになった。
たまが用意した枝と花を前に、誾千代は鋏を握る。
「全体の姿を思い浮かべて、余分な枝だけを落とします」
「余分な枝……」
誾千代は、すぐには鋏を入れなかった。
左へ長く伸びた枝。
その重みで、花全体がわずかに傾いている。
反対側には、細い枝が重なるように伸びていた。
しばらく眺める。
「ここと、ここだね」
ぱちん。
ぱちん。
迷いなく鋏を入れた。
「姫様」
「何?」
「少々、落としすぎです」
「でも、左へ傾いていたでしょう」
「そこは合っております。ですが、枝を根元から落とさずとも、少し短くするだけでよかったのです」
「そうなんだ」
「お稽古ですから、一つずつ学んでいかれるとよろしいかと」
器に残ったのは、一本の枝と一輪の花。
最初より形は整った。
ただ。
何となく寂しい。
誾千代は左右から眺めた。
「風がよく通りそう」
「少々、通りすぎでございます」
香では、二つの香りを聞き分けることになった。
誾千代は香炉へ順に顔を近づけ、目を閉じる。
「こちらはいかがですか」
「甘い香りがする」
「はい」
「その奥に……雨に濡れた木みたいな匂い」
たまが少し驚いた。
「よくお分かりです」
「寺でも嗅いだことがある」
「その言葉は必要ありません」
「なんで?」
「風情が遠のきます」
次の香へ移る。
「こちらは?」
「最初のものより鋭い」
誾千代は、もう一度確かめた。
「少し焦げた匂いもする」
「はい」
「火をつけたばかりの火縄に似てる」
「姫様、言い方!」
「匂いは分かるよ。ただ、綺麗な言葉にするのが難しい」
「そこは、少しずつ覚えてまいりましょう」
誾千代は頷いた。
「次は礼法?」
「その前に休憩でございます」
「休憩いらないよ?」
「姫様はおできになっても、私が休みたいのでございます」
たまは朝から着付けをし、挨拶を教え、切れた琴の弦を始末し、切り落とされた枝を片づけ、香まで用意している。
よく見れば、少し疲れていた。
「……分かった」
「ありがとうございます」
そこへ。
「失礼いたします」
綾がやってきた。
「午後のお集まりについて、ご相談が――」
部屋へ入ったところで、綾の言葉が止まった。
その目が、ほんの一瞬だけ見開かれる。
深い紅の小袖に、細くきらめく金糸。
短い黒髪も丁寧に整えられ、白い肌によく映えている。
昨日、肩に布団を担いで城内を歩き回っていた少女と、同じ人物とは思えなかった。
黙って座っている誾千代は、思わず目を奪われるほど美しい。
「……綾?」
呼ばれて、綾は我に返った。
「失礼いたしました」
すぐにいつもの柔らかな笑みへ戻る。
「とてもよくお似合いでしたので、つい」
誾千代は少しだけ照れたように、自分の袖を見る。
「そう?」
「はい。たいへんお美しゅうございます」
そこまで言ってから、綾は部屋の中へ目を向けた。
切れた琴の弦。
短くなった枝。
二つの香炉。
たまの前には、何度も書き直された覚え書き。
「お稽古中でございましたか」
「今は休憩中だから大丈夫」
誾千代が答える。
綾は琴へ目を向けた。
「触れてもよろしいでしょうか」
「うん」
綾は琴の前へ座った。
切れていない弦へ、そっと指を添える。
三つの音が、さらさらと水のように流れた。
続けて指が動く。
短い調べが部屋を満たした。
「…………」
誾千代は黙った。
先ほどまで自分と争っていた琴とは思えない。
綾の指は迷わない。
琴も、最初からそう鳴るものだったかのように素直に応えている。
綾は数音鳴らしただけで手を止めた。
今度は、床へ散った枝へ目を向ける。
切り落とされた細い枝を二本拾い、残った一輪の隣へ添えた。
さらに短い枝を一本加え、花の向きをほんの少し変える。
それだけだった。
誾千代が切りすぎて寂しくなった器の中に、奥行きが生まれた。
初めからこの形にするつもりで切ったようにさえ見える。
誾千代は、また何も言えなかった。
最後に綾は、二つの香へ順に近づいた。
目を閉じる。
しばらく香りを聞く。
「こちらは、柔らかな甘さの奥に、雨を含んだ木の香りがいたします」
誾千代の眉がぴくりと動く。
ほぼ同じことを言った。
言ったはずなのに。
何かが違う。
「もう一つは、少し鋭く……夜の静けさに似合いそうですね」
火縄とは言わなかった。
綾は香炉を元へ戻した。
それから、何事もなかったように居住まいを正す。
「それでは、午後のお集まりについてご相談してもよろしいでしょうか」
「……うん」
琴。
花。
香。
誾千代が朝から苦労してきたものを、綾は一度も迷わず扱ってみせた。
しかも。
得意そうな顔さえしない。
袖の下で、誾千代の手がぎゅっと握られた。
悔しい。
ものすごく悔しい。
けれど。
どこにも文句をつけられない。
完敗だった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
更新は21時です( ᴗ ᴗ)⁾⁾
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