雷神
こんにちは! あまはる です!
この物語を手に取っていただきありがとうございます。
※本作は史実を元にしたフィクションです。
実在人物を題材にしていますが、人物描写・会話・逸話などに独自解釈と創作を多く含みます。
心にゆとりを持ってお読みください(^^)
更新は21:00になります!
筑後の空は、重く曇っていた。
高良山。
立花家の陣には、湿った薬草の匂いが満ちている。
本来ならば、ここは戦のための陣だ。
兵が動き、
槍が並び、
軍旗が風を裂く場所。
だが今、この陣で最も張り詰めているのは――静けさだった。
◇
「……熱が下がりません」
薬師が額の汗を拭う。
部屋の空気は重い。
床に伏しているのは、立花道雪。
“雷神”と恐れられた男だった。
かつて戦場を駆けた巨躯は痩せ、
肩も落ちている。
それでも。
閉じた目ひとつで、場を支配する気配だけは消えていなかった。
その横には、高橋紹運。
背筋を伸ばしたまま静かに座る姿は、戦場より茶席のほうが似合いそうなほど整っている。
三十九という年齢は、武将としてはまだ若い。
黒髪には白いものも少なく、端正な顔立ちには穏やかな知性が滲んでいた。
決して折れない男が、いま心配そうな顔で道雪を見ている。
「薬は?」
紹運が穏やかに問う。
「できる限りは……」
「効きませんか」
静かな返答だった。
部屋の空気が沈む。
◇
部屋の隅では、誾千代が唇を噛んでいた。
白い指先が、ぎゅっと着物を握っている。
大きな目が揺れている。
信じたくなかった。
あの父が。
あの道雪が。
弱っている。
それがまだ現実に見えない。
「……父上」
小さく呼ぶ。
返事はない。
代わりに、道雪の肩がわずかに動いた。
苦しそうな呼吸。
誾千代の胸が締めつけられる。
そんな中で、宗茂は静かだった。
部屋の隅に立ち、
じっと道雪を見ている。
黒の小袖姿。
長身。
無駄のない体。
涼しげな目元はいつも通り落ち着いていた。
だが、小野鎮幸だけは気づいていた。
宗茂は、ずっと拳を握っている。
「……宗茂様」
小野が小さく呼ぶ。
宗茂は答えない。
ただ視線だけが、道雪から離れなかった。
その時だった。
「なんだ」
低い声が響く。
誾千代が顔を上げる。
道雪だった。
「辛気臭ぇ顔しおって」
掠れている。
それでも声には力があった。
「父上!」
誾千代が駆け寄る。
道雪はゆっくり娘を見る。
「騒がしい娘だ」
「だ、だって……!」
「戦場でそんな顔するな」
誾千代が言葉を詰まらせる。
道雪は、小さく笑った。
「敵が喜ぶ」
それは、いつもの道雪だった。
誾千代の目に涙が浮かぶ。
「泣くな」
「泣いてない!」
「泣いとる」
即答だった。
紹運が、ふっと笑う。
「相変わらずですなぁ」
「お前もだ」
道雪が紹運を見る。
「紹運」
「はい」
「島津は止まらん」
部屋の空気が変わった。
戦の話になった瞬間。
病人の目ではなくなる。
そこにいるのは、“雷神”だった。
「分かっています」
紹運が静かに頷く。
「北へ来る」
「ええ」
「立花山も狙う」
「でしょうな」
短い会話。
だが重い。
道雪は、ゆっくり宗茂へ視線を向けた。
「宗茂」
「はい」
「お前は、どう見る」
一瞬。
宗茂が目を伏せる。
「……止まりません」
低く落ち着いた声だった。
「勢いがある」
「勝っている軍は、止まりにくい」
道雪は少しだけ笑った。
「見えてるな」
宗茂は何も言わない。
その答えだけで十分だった。
紹運が静かに宗茂を見る。
「……前より良い目つきになった」
視線の先には宗茂。
その視線は、父親のものだった。
道雪が鼻を鳴らす。
「まだ青い」
「未熟ではあります。ですが、宗茂は背負って立つ男です」
紹運の声は穏やかだった。
だが断言でもあった。
宗茂の目がわずかに揺れる。
誾千代は、その横顔を見た。
宗茂は感情をあまり出さない。
けれど今だけは、
ほんの少し困ったように笑っていた。
「なら、お前が支えろ」
道雪が言う。
部屋が静まり返る。
「立花を」
一言ごとに重みがあった。
「お前が守れ」
宗茂は深く頭を下げた。
「……はい」
短い返答。
だが迷いはなかった。
誾千代は、その姿を見つめる。
静かで。
真面目で。
誰より前を見ている男だった。
◇
風が吹く。
陣幕が揺れる。
外では兵たちが動いていた。
戦は終わっていない。
終わる気配もない。
だからこそ。
この部屋の静けさが苦しかった。
道雪は、ゆっくり空を見る。
「雷は……落ちたか」
ぽつり。
誰も言葉を返せない。
道雪は、小さく息を吐いた。
「悪くねぇ人生だった」
「父上……!」
誾千代の声が震える。
道雪は最後に宗茂を見る。
「誾千代を泣かすな」
一瞬。
宗茂の目が揺れる。
そして珍しく、ほんの少し笑った。
「……努力します」
それが精一杯だった。
誾千代が思わず涙目で睨む。
「そこは“任せてください”でしょ!」
「努力はする」
紹運が吹き出し、
「はっ……真面目か」
道雪も掠れた声で笑った。
◇
静寂が落ちる。
風だけが陣を揺らしていた。
誾千代は、その場で動けなかった。
道雪の枕元に置かれていた刀へ、視線が落ちる。
古びた鞘。
だが、ただの刀ではない。
立花家に伝わる一振り。
かつて雷を断ったと伝えられる刃。
――雷切。
「宗茂」
掠れた声が、もう一度響いた。
宗茂が顔を上げる。
道雪はわずかに顎で刀を示した。
「それ、持っていけ」
誾千代が息を飲む。
「父上、それは……!」
「いい」
道雪は短く切った。
「俺にはもう重い」
一拍。
「立花の刃は、立花の奴が持てばいい」
宗茂は動かなかった。
ただ、その言葉を受け止めていた。
やがて、ゆっくり前へ出る。
両手で雷切を取る。
宗茂の長い指が、静かに鞘を握った。
刀が、その腰へ収まる。
その瞬間。
外で雷にも似た風が鳴った。
陣幕が大きく揺れる。
道雪が小さく笑う。
「……似合うじゃねぇか」
それが最後の言葉だった。
◇
静寂。
風だけが、陣を揺らしている。
誾千代は宗茂を見る。
雷切を帯びたその姿は、
不思議なくらい様になっていた。
静かな横顔。
黒髪。
鋭く整った目元。
雷神の刃を継いだ男。
その姿を見た瞬間。
誾千代の胸が、少しだけ熱くなる。
雷神は、いなくなった。
でも。
雷は終わったわけじゃない。
その刃は今――
新しい主の腰にあった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
雷神ー
立花道雪の最期でした。




