島津軍、北上開始
こんにちは! あまはる です!
この物語を手に取っていただきありがとうございます。
※本作は史実を元にしたフィクションです。
実在人物を題材にしていますが、人物描写・会話・逸話などに独自解釈と創作を多く含みます。
心にゆとりを持ってお読みください(^^)
更新は21:00になります
島津が、北へ伸びていた。
龍造寺を失った九州は、目に見えて形を変え始めている。
肥後が揺れる。
落ちた城の名が、次々と報として届いていた。
その流れを食い止めるため、大友方も兵を動かす。
南関峠。
肥後へ通じる要所。
そこへ向け、立花勢もまた進軍していた。
昨夜の雨が、山を黒く濡らしている。
踏みしめるたび、ぬかるみが草履を飲み込んだ。
風はない。
葉も動かない。
湿った空気だけが、山の奥へ沈んでいる。
そこはまだ戦場ではなく、ただの山だった。
その中腹に、立花勢は布陣している。
雨空の下。
金箔押の桃形兜だけが、鈍く光っていた。
後立には、裾黒の幟。
金箔押の桃形兜が、雨上がりの薄陽を鈍く返している。
その後ろでは、
裾黒の細長い幟が揺れていた。
山道に並ぶそれらは、
まるで一つの生き物のように統一されて見える。
それだけで、軍は強く見えた。
兵たちは必要以上に喋らない。
槍を握る音。
鎧の擦れる音。
湿った土を踏む音。
それだけが静かに響いている。
「手ぇ震えてるぞ」
十時連貞が、近くの若い足軽の背を叩いた。
「は、はい……!」
声が裏返る。
まだ幼さの残る顔だった。
「安心しろ。最初は全員震える!」
「十時殿もですか?」
「毎回震える!」
「えっ」
「だから楽しいんだろうが!!」
意味が分からない。
若い足軽が余計に青ざめた。
「怖がらせないでください」
薦野増時が横から口を挟む。
「今逃げられたら補充が面倒なんですよ」
「そこかよ」
「そこです」
薦野は真顔だった。
その後ろでは、小野鎮幸が静かに周囲を見渡している。
兵の並び。
山道の幅。
弓隊の位置。
火縄隊の間隔。
全てを確認しながら、宗茂の隣へ立った。
「正面から来ますね」
「山道が細い。横には広がれん」
宗茂は短く答える。
それだけで、小野は全てを理解した。
ならば、この地形は立花側に有利。
敵は押し上がるしかない。
立花宗茂は、その中央に立っていた。
栗色革で包まれた具足。
無駄な装飾は少ない。
だが、要所に入る朱と金が、
逆にその姿を際立たせている。
腰には長光。
濡れた鞘が、静かに雨を弾いていた。
兵たちの金箔押桃形兜が横へ連なる中、
宗茂の兜だけは一段高く見える。
深く下がる日根野しころ。
その上に掲げられた大きな月輪。
雨雲の薄明かりを受け、
金の輪だけが静かに浮かんでいた。
誰が見ても分かる。
――あれが、立花の大将だった。
一方で。
「かっこいい……」
誾千代は目を輝かせていた。
渡された小姓装束は、立花勢と同じ色だった。
軽装の胴には宗茂と同じ意匠の輪貫。
完全に戦場仕様である。
「おそろいだ!」
誾千代のテンションは上がりまくっていた。
初めて見る本格的な戦。
並ぶ槍。
積まれた矢束。
火縄銃の火蓋。
鎧の匂い。
湿った火薬の匂い。
全部が新鮮だった。
「前へ出るな」
宗茂が言う。
「分かってる!」
分かっている顔ではなかった。
今にも走り出しそうである。
宗茂は一瞬だけ黙る。
そして、足元へ視線を落とした。
雨で湿った土。
そこへ手を伸ばし、
ぬかるんだ泥を指先につける。
「……?」
誾千代が首を傾げた次の瞬間。
宗茂の手が、その頬へ伸びた。
「わっ」
ぺたり。
冷たい泥が、頬へ塗られる。
誾千代が固まった。
「な、なにするの!?」
「顔を汚しておけ」
宗茂は淡々と言う。
「お前の顔は綺麗すぎる。
戦場じゃ目立つ」
「…………」
誾千代は瞬きを繰り返した。
しばらく止まる。
完全に予想外だった。
だが宗茂は気にした様子もない。
「お前は埋もれるくらいで丁度いい」
そう言って前へ視線を戻す。
誾千代は自分の頬を触った。
泥がついている。
冷たい。
なのに。
なぜか顔が熱かった。
その時だった。
山の下。
木々の隙間が、わずかに揺れた。
まだ姿は見えない。
だが確実に“何か”が上がってきている。
空気が変わった。
「……来る」
宗茂の低い声。
それだけで、場が静まり返る。
「弓、構え」
前列が動く。
弓が引かれる。
弦が軋む。
誰も喋らない。
山が息を止めたようだった。
「――放て」
一斉に矢が走る。
空気を裂く音。
直後、山の下から悲鳴が上がった。
数人が倒れる。
だが止まらない。
黒い影が、そのまま山を上がってくる。
「槍!」
宗茂の声。
前列が一斉に前へ出た。
槍が並ぶ。
細い山道を塞ぐように、壁が立つ。
「押せぇぇ!!」
十時の怒声が山へ響いた。
誰より前にいる。
巨大な槍を振り回しながら、真正面から押し返していた。
「下がるな! 落ちたら谷底だぞ!!」
豪快に笑っている。
戦場なのに、妙に楽しそうだった。
「十時殿がまた前に出すぎです」
小野が静かに言う。
「いつものことだ」
宗茂は視線を動かさない。
黒い影が槍へぶつかった。
金属音。
押し合う音。
土が崩れる音。
湿った山道が削れていく。
だが、立花勢は崩れない。
槍が並び続ける。
押されても、押し返す。
陣形が崩れない。
「矢の残数、あと三束!」
後方から薦野の声が飛ぶ。
「無駄撃ちするな! 次の補充まだ来てないぞ!」
「薦野殿! 火縄隊の火薬が湿って――」
「だから昨日から言ってたでしょうが!!」
半分怒鳴りながら走っていく。
誰より忙しそうだった。
一方で誾千代は、その全てを見ていた。
槍がぶつかる音。
兵の叫び。
倒れる人影。
血の匂い。
これは本当に、人が死ぬ場所なのだと分かる。
なのに。
胸の奥では、まだ少しだけ高揚も残っていた。
それが、自分でも分からない。
「……すごい」
思わず漏れる。
恐ろしい。
けれど、目を逸らせなかった。
その時だった。
「右へ寄せろ」
宗茂が突然言う。
小野が目を向ける。
「理由を伺っても?」
「左の地面が緩い」
次の瞬間。
ずるり、と山肌が崩れた。
ぬかるんだ土が流れ落ちる。
「……なるほど」
小野が静かに頷く。
宗茂は最初から見えていた。
敵の動きも。
山の状態も。
全部。
やがて。
山の下の圧が、少しずつ弱まっていく。
「……引くか」
小野が呟く。
黒い影が下がり始めていた。
撤退。
だが、敗走ではない。
最後尾が残る。
退きながらも列を保ち、追撃を防いでいる。
妙に整っていた。
宗茂は、その動きを見ていた。
崩れた兵ではない。
崩れないまま退く“形”を。
「……見事だな」
小さく呟く。
敵を見ている目だった。
やがて、影は山の下へ消えていく。
静寂だけが残った。
湿った土の匂い。
荒い息。
折れた矢。
戦は終わっていた。
「……引いたな」
誰かが呟く。
宗茂は、まだ山の下を見ていた。
逃げたのではない。
整えたまま退いた。
その事実を考えていた。
その時だった。
「……え?」
ぽつりと声が落ちる。
誾千代だった。
「私の出番は?」
山の静けさの中、その声だけが妙に響いた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
いよいよ出番かな?( ܸ ⩌⩊⩌ ܸ )




