02
(注目されすぎないようにしなくちゃ。隙を見て消えるんだから)
大聖堂でのヒールで注目されてしまったのは、良くなかった。これからはそうならないようにと、改めて心に誓う。
――なのにわたしの人生は、どうしてこうも上手くいかないんだろう。
王都の西側にぽっかりと口を開けた、巨大な地下遺構――カタコンベ。
はるか昔は神聖な埋葬の場だった。だが歴史の中で異教徒たちの潜伏場所となり、現在では魔物の巣窟となっているその場所に、わたしは聖女として同行していた。第一王子ルカ殿下と、その婚約者の筆頭候補であるシャルロット様も参加している。
今回の任務は、定期的なグール討伐と結界の確認。向かうのは重装備の聖騎士たちが数十名、それに回復と浄化を担う聖女が十数名。熟練の騎士たちにとって、これほどの大所帯であれば、本来はピクニックのような難易度の任務のはずだった。
「――っ、第一師団が崩れたぞ! ひ、引け!」
第一師団が崩れた――その報告は、現場にいた全員の思考を停止させるのに十分だった。
そもそもこの任務は定期任務であり、強力な魔物が生まれる前に芽を摘むためのもの。ルカ殿下やシャルロット様が参加しているのも、ここが絶対に負けるはずのない戦場のはずだったからだ。
先行していた第一師団は想定外の魔物の大群に遭遇し、わたしたちが待機していた第二師団の守備範囲まで、無数のグールを引き連れて逃げ込んできた。
通路を埋め尽くすようにあふれ出してきたグールの群れは、明らかに異常だった。湿った風とともに漂ってきたのは、肉が焼け、鼻を突くような死臭。
「早く、怪我人にヒールを!」
シャルロット様の悲鳴のような指示が飛ぶ。彼女を含めた聖女たちが一斉にヒールを唱えると、回廊の暗がりに柔らかな祈りの光が広がった。だが、その光では間に合わないくらいの勢いだった。
前線が削られていく。闇の奥から、ずるりと腐肉の塊が這い出してくる。濁った目でこちらの聖衣を捉えたグールたちは、格好の餌食を見つけたと言わんばかりに、喉を鳴らした。
「殿下をお守りしろ!」
聖騎士たちが必死に盾を構えるが、グールの執拗な爪に削り取られていく。
負傷者が次々と増え、悲鳴と血の匂いが回廊を支配していく。シャルロット様の顔は青ざめ、その白皙の指先は小刻みに震えていた。
(……やるしかない。これ以上、被害を広げるわけにはいかない)
わたしは、震える聖女たちの集団から、音もなく一歩前へ出た。
「聖女殿、あぶない――」
「わたしなら、大丈夫です」
聖騎士の制止を背中で聞き流し、わたしは手にした質素な木製の錫杖を、古い石畳にドン、と突き立てた。その瞬間、わたしの周囲の空気が、パチリと爆ぜる。
『ターン・アンデッド』
圧倒的で、暴力的ですらある白銀の奔流が、わたしの足元から噴き出した。過剰すぎるほどの生命力の強制注入。空間を押し潰すような輝きに、聖騎士たちがうめき声を上げ、腕で顔を覆う。
回廊を埋め尽くしていたグールたちは、その光に触れた瞬間に、塵の一片すら残さず、この世から蒸発した。
さっきまで地獄のようだった回廊は、不自然なほどの静寂に包まれていた。残ったのは、清涼な空気の匂いと、唖然として言葉を失った聖騎士と聖女たちの姿だけ。
「……あ」
やってしまった。完全に出しすぎた。これでは、普通の聖女の枠を逸脱している。
冷や汗が背中を伝う。慌てて錫杖を引き戻し、わたしは何食わぬ顔で自分の位置に戻っていった。
「ニーナさん……今のは、一体、何……?」
シャルロット様が、まるで怪物でも見るような目でわたしを凝視している。その隣には、見開いた瞳でわたしを射抜くように見つめているルカ殿下。
「……ヒールの応用です。アンデッドはもともと、生命力には弱いですから……」
わたしは努めて平淡な声で言った。
「それより、結界が無事かどうか、確認してきます」
わたしは逃げるように、急いで目的地へ向かう。
背中に突き刺さる視線。わたしは喉の奥がカラカラに乾いていた。
♰ ♰ ♰
地上へと続く階段を上りきると、みずみずしい草花の香りが、死臭の染みついた鼻腔を優しく洗い流してくれた。
聖騎士たちが安堵のため息をついている。わたしはできるだけ気配を消して溶け込むように集団に入ると、使い古した錫杖を杖代わりにして、ひっそりと歩いていた。
なのに、隊列の端を歩いていたわたしの前に、まばゆいばかりの金髪が立ちはだかった。
「怪我はないかい? ニーナ嬢」
その声は、驚くほど穏やかで、蜂蜜のように甘く響いた。
顔を上げると、そこにはルカ殿下が立っていた。琥珀色の瞳には、戦いの高揚も、わたしへの疑念もなく、優しい光だけが宿っている。
「……はい」
「それは良かった」
漂うのは、非の打ち所のない、完璧な王子様のオーラ。
「先ほどのきみの力、本当に素晴らしかった。あれほど純粋で強力な浄化は、見たことがない」
「……いえ、あれは、偶然が重なっただけで」
「謙遜することはないよ。きみにはこの国が求める、筆頭聖女としての資質がある」
わたしはぎょっとする。思わず小さく首を横に振った。
ルカ殿下の瞳には、一片の曇りもない、正義と使命感が宿っていた。彼はわたしを心から信頼しているかのように、優しくほほえんだ。
「その強大な力は、きっとこの国を、そして民を救うために神から授かったものだ」
その言葉を聞いた瞬間、わたしの心に冷たい拒絶が走った。
(――いやだ)
国のために。神のために。みんなのために。
(そんなことわたしにはできない。わたしはわたしのために生きたい)
正直な気持ちをぶちまけてしまえば、きっとルカ殿下はひどく失望し、理解不能なものを見る目でわたしを見るだろう。
失望されるのは一向に構わないのだけれど、周囲には疲労困憊の聖騎士たちが大勢いる。ここで本心を発言するのは控えた方が良いだろうと判断し、わたしはぐっと言葉を飲み込み、口をつぐんだ。
ルカ殿下は、何も答えず視線を落としたわたしを少し不思議そうに、けれど変わらず優しいまなざしで見つめていたけれど、やがて聖騎士に声をかけられると、もう一度にこりとほほえんで隊列へと戻っていった。
残されたわたしは、小さく息をはいた。
(早く逃げたい……)
わたしは重い足取りで、大聖堂に戻るしかなかった。




