存在しないもの
遠くで神々の歓声が聞こえる。
「バルドルが戻った!」
ロキは横になったまま
ゆっくりと目を開けた。
さっきまでの傷は跡形もなく消えており、
城内に戻っていた。
ヴェトルも起き上がり、二人はお互いを見る。
それが“癒えた”のではないことを、彼らだけが知っていた。
ロキが言った。
「…… “戻った” のか?」
死んだはずの神々も
人も石も木も、世界の全てが
バルドルの前で泣いていた。
「……そうみたいだな」
ヴェトルは遠くの神々を見た。
神々は二人を見たが、
変わらず歓喜していた。
――誰も覚えていない。
歓声の中で、ロキはそれを悟った。
しばらく沈黙の後
2人は立ち上がり、顔を見合わせると
それぞれの目的のために去っていった。
ヴェトルはあの巫女の元へ向かった。
霧に覆われた森の奥深く。
ヴェトルが歩いていると
カラスが木の枝に止まり、用心深くこちらを見ていた。
遠くで狼の遠吠えが響く。
苔生した石の前で
巫女が杖をついて座っていた。
ヴェトルが近づくと、
巫女が言う。
「……お前は、世界の終わりを見た目をしている」
ヴェトルは答えた。
「未来を聞きに来た」
巫女は目を閉じ、
杖を地に突いた。
森が静まり返る。
しばらくして、巫女は呟いた。
「……見えない」
ヴェトルはそれを聞くと、
何も言わず足早に森を去っていった。
一方、ロキは
フェンリルの拘束された島へと向かった。
ロキが近づくと
フェンリルは穏やかに見ていた。
「……暴れるなよ」
フェンリルは静かに鼻を鳴らす。
ロキはフェンリルの口にある剣をゆっくりと外した。
フェンリルは静かにロキに顔を寄せた。
「……戻ったな」
フェンリルが言うと
お前もか……ロキは思った。
背後から足音がした。
ロキは振り返らずに足音の主に聞いた。
「巫女は何といった?」
「未来が見えないと」
「そうか」
フェンリルは牙で鎖を外し、
自身の唾液で出来た川の近くへ投げた。
鎖は大きく弧を描いて広がり、
川のほとりにほどけ落ちていった。
すると、風が止まり、
音が止んだ。
グレイプニルが落ちたそこには
存在しないものの世界が広がり始めた。
ロキはその世界を眺めた。
そこでは、
巨大な足の猫が川の水を飲み、
髭の生えた女が畑を耕している。
遠くに見える山々には
ぐるりと大きな根が張っていた。
フェンリルは静かに歩き出した。
ロキは言った。
「退屈しなくて済みそうだな」
「お前にお似合いだぞ」
ヴェトルは静かに答えると
ロキはヴェトルを肘で小突いた。
End.
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