第4節 灰髪と光
業務開始の看板をぶら下げてからしばらく経った。
「ミレイちゃん、こっちもお願い」
「はーい、ただいま!」
押し寄せる冒険者たちの依頼状を受け取り、精査し、受理していく。
些細なことで揉め始める血気盛んな奴らの仲裁に走り、混んでいるからと素材査定の依頼までしてくる迷惑客を断り、この忙しいのにナンパなんてしてくる輩を足蹴にする。
やっと一息つけるタイミングを見つけ、ミレイはカウンターに体を突っ伏した。
普段はシワになるからあまり着崩したりはしないが、半ば自棄になって、胸元の紐を緩める。
ギルドの仕事は給金が良かった。それだけに、仕事は多忙を極めることがよくあった。今日は特に顕著だ。
『看板娘なんだから、当然でしょう』
中年の女上司は、動き回る私に労いの言葉をかけるでもなくそう言った。そしてさっさと煙草を吸いに出ていく。ずっとギルドで働いてるとかで、みんなそれを咎めたりはしない。
ああいう女にだけはなりたくないと思った。
ミレイは上目遣いで天井を見上げ、故郷ののどかな風景を思い出す。
元々、ルールエは穀倉地帯として有名だった。戦役が落ち着いた頃に領主が変わり、農民に重税を課すことなく戦費を賄った手腕は今も語り草だ。
その税を賄っていたのがこの地の農作物だ。
農村出身者にとってこの街で働けることは名誉なことだったし、麦畑で育ってきたという自負は、なんとなく鼻の高い思いがした。
「——登録を、したいのですが」
突然声をかけられ、咄嗟に身を起こす。突然も何もここはギルドの受付なのだから、突然というより当然だ。
今日だけで何人捌いたか分からない。ルールエを訪れる冒険者は日に日に増えていた。
正面に目を向けたが、声の主は姿を現さなかった。「あれ?」と周囲を見渡す。すると、机の下からひょっこり顔の半分だけ出した、必死に背伸びをする子どもが顔を覗かせた。
一瞬戸惑った後、すぐに姿勢を正して笑顔で応える。
「あらこんにちは、かわいいぼうやね。仕事の斡旋なら向かいの建物よ」
彼くらいの年齢でも、ルールエでは働く自由がある。誰が金を稼いだって、ここでは誰も文句を言わない。
優しく諭す私に、彼は淡泊な返事をしてきた。
「いえ、そうではなく、冒険者の登録をお願いします」
言うがはやいか、男の子は羊皮紙を広げ始める。
「……え、 冒険者の登録?」
「はい。取り急ぎ、割のいい仕事を探してるのですが……」
「ちょ、ちょっと待って!」
慌てた私は、じっと彼を見下ろす。
濁ったような灰色の髪の毛に、ぼろぼろの擦り切れた衣服。野盗に育てられましたと言われても信じてしまいそうな、身なりの悪い男の子だった。
「本当に、冒険者志望なの?」
こくりと頷く彼。周囲の気配を探るが、他の冒険者がこの子を待っている様子はなかった。
ミレイは手渡された羊皮紙を広げる。
そこに記された彼の素性はいたって簡素なもので、郊外にある小さな村の教会から来たということが記されていたのみ。
巡礼者には見えないから、みなし子なのだろう。
「……登録証を渡すから、少し待っててね」
私はそう言って、奥の事務所に引っ込んだ。
あんな格好で魔物なんかに遭遇したらすぐに殺されてしまうだろう。薬草摘みとか、そういうのから始めさせないと。
私がドアを開けると、煙を燻らせる大きな三段腹の上司が、不機嫌そうに息を吐き出した。
「新規の冒険者? はぁ……忙しいのに面倒ね」
条件反射で顔を引き攣らせる私は、「いや、あんたは忙しくないでしょ」と心の中で毒づく。
「説明なんてさっさと終わらせて、早く次の仕事に取りかかりなさい」
不愛想な言い方をして、鼻から蒸気のように煙を出した。
私はやめておけばいいのに、他の人みたいにこのお局を黙認させるのが我慢ならなかった。
「あの、交代の人はまだですか」
昼は目前で、採光にこだわった造りのホールは日向のように明るい。それに比べ、改築されなかった事務室は日陰のような暗さだ。要因は他にもあるように私は思うけど。
恐る恐る訊いた私に、そんなことも知らないの、とでも言いたそうに上司はは眉を上げる。
「昨日は魔物の襲撃があったでしょ? 後片付けで出払ってるわよ、見て分からないかしら。はぁ、これだから若いだけの娘は……」
つい、後ろ手の羊皮紙を握りつぶしそうになった。
……落ち着いて。落ち着くのよミレイ。
これは神の与えた試練。豪農の出自だからって偉ぶってるこの肥肉の塊をぶっ飛ばしても、私がただ職を失うだけ。だから落ち着くのよ、ミレイ。
ここ数年で上手くなった愛想笑いを残して、速やかに撤退。
今夜は友人を誘って飲みにでも行こう。そして数十回はあの女の哀れな末路を想像してやる。
ため息を吐き出しながら受付に戻ってみると、男の子の姿はなくなっていた。はて、私にだけ見えた妖精だったのか。
いやいや、そんなはずはない。
ギルドの依頼状は朝一で掲示板に打ちつける。高額報酬はもちろん、人気のある依頼は冒険者間で取り合い必至だ。
そのいざこざを取り待つのもギルド員の仕事だったが、昼前になると人の波はざあっと引いてしまう。
私が男の子の姿を探していると、
「おい! ふざけてんじゃねえぞ。今すぐ、出てくんだよ!」
大声にみんなの注目が集まる。
がなった冒険者が件の少年の胸ぐらに掴みかかっていた。眉間に皺を寄せ、毛皮の腰巻を身に付けた男。名前はダモン。
ガラの悪い冒険者連中のリーダー格で、品性がない。等級の低い冒険者を脅したり、とにかく低俗な輩だった。恐喝して金を巻き上げたという報告も受けたことがある。
「ちょっと、ダモンさん!」
私はいつものように声を上げた。
ビクリと肩を動かしたダモンは、拍子抜けにも、すぐに手を放して怯えた目を向けてきた。声を上げない雛鳥のように、口を開閉させ、額から大きな汗を垂らしている。
え、私、そんなびっくりするような声だったかな。
一瞬、気恥ずかしくなって口に手を添えると、影になった男の子と目が合った。
黒い虹彩に、星空のような輝きと見える。ダモンが驚いていたのは、彼がこんな綺麗な瞳をしていたからだろうか。
「こんな小さな子いじめて何が楽しいの!」
「いや、これは違うんだよミレイちゃん」
「いいからどきなさい!」
事務所から取ってきた鉄製のプレートを男の子に押し付ける。冒険者見習いを示すもので、一応これで冒険者登録の手続きは完了。
代わりに、彼が持っていた依頼状を受け取った。
「依頼状、承ったから、もう行っておいで」
気を利かせた私がそう言うと、彼は状況を察したのかお辞儀もそこそこにそそくさとギルドを立ち去った。
なんというか、不思議な雰囲気の男の子だった。
「ミレイちゃん。ほら、あいつだよ、前に俺が言ってた——」
やっと威勢を取り戻したダモンが声を荒げる。だが、私はその戯言に耳を傾けなかった。
この男の吐く言葉に真実はない。それは数年前から分かりきっていることだった。
「昼間っから遊んでないで、依頼の一つでもこなしてきなさい!」
一喝して不届き者を叩き出す。周りから賞賛の声を受けたが、私は再三ついたため息をもう一度出して受付に戻った。
今日はなんだか、色々重なって消耗した。
酒場も兼ねたホールでは、騒がしい一団が乾杯の音頭を上げている。楽器を鳴らす吟遊詩人が音を奏で、陽気さが推進力を得る。朝と比べて少なくなったとはいえ、十二分な騒がしさだった。
私が男の子の持っていた依頼を広げると、フロアに緩い風が吹いた。
これを処理し終わったらまたあの上司のところにいかなくてはならない。憂鬱だ。
巻いた髪の毛が揺れる。
「え?」と予期せぬ状況に声が出た。
ぼろぼろのあの男の子は、遠い郊外の村から来ていたはずだ。
『割のいい仕事を探してるのですが……』
だから到着したのも、つい最近のはず。
手にした依頼状には、誰も手に取らなかった難度の高い"魔物退治"の要求が記されていた。
あの子、死ぬ、つもり……?
カウンターから飛び出して、
「どこ! どこ行った!?」
ギルドの外であの小さな背中を探した。正面大通り。左右の通り。露店の軒下。
しかし、彼の姿を視界に入れることはできなかった。




