第3節 ヴァスと魔法使い
路地を抜けた先にある、さびれた地下水路。
錫杖を握った私は、前を歩くヴァスに尋ねる。
「星の秘密を教えるってどういう意味ですか」
「そのままの意味さ」
ヴァスは含み笑いして、話を続けた。
「君が星に選ばれたのは偶然なんかじゃないってことだよ。それは君の目を見ればわかる。強さを宿した瞳だ。どんな逆境をもものともしない、力を渇望する特別な意志を感じる」
言葉だけ聞けば立派に思える。だが、そんな口八丁が信じられるほど私は幼くなかった。
怪訝そうな目で見ていると、ヴァスは背中を壁につけて振り返った。
「お嬢さん、本当は冒険者になりたいんじゃないかい?」
思わず力が入って、錫杖の先端で金属の輪が音を立てる。
ハエでも払うようにヴァスは手を振った。
「いやいや、事情は深く知らないよ。さっき冒険者という言葉に君は強く反応した。だからひょっとしたらって思っただけさ」
水路の入り口から差し込んだ日光が水面に反射する。壁や天井に光が散り、幻想的に波を映した。
私は立ち止まったまま、述べるべき言葉を探していた。
ヴァスは私のことをどこまで知っているのだろう。そして、何が目的なのか。
「冒険者だったというのは、嘘ですよね」
ようやく言った私の言葉に、彼は鼻白んだ。
「どうしてそう思ったんだい」
「目を見れば分かります」
彼は吹き出した。
「なるほどねぇ」
別に隠すほどのことでもなかったのか、彼は降参のポーズで両腕を上げた。
「信用ならないっていうなら、事実だけを伝えよう。君は星に選ばれた。それは君にしかできない、果たすべき使命があるからだ」
人々を救わなければならないと思ったのは、兄のようになりたかったわけではない。月が私を導いて、この力を与えてくれたからだ。
足元に広がる水紋。何人かの靴音が近づいてくる。
私は錫杖を握る手をさらに強めた。
「おい、こっちだ!」
「見つけたぞ!」
水路の奥、暗がりから数人の男たちが出てきた。手には鋭い刃が握られている。
「まったく、無粋な連中だね」
ヴァスは肩を竦める。
私はてっきり、ヴァスがこの怪しい集団を私にさし向けたのだとばかり思っていた。
だが彼らはヴァスに用があるらしい。
「よくもぬけぬけとここに戻ってこられたな」
「うん、みんな。来てくれて嬉しいよ。でも僕は今取り込んでてね。また今度にしてもらってもいいかい」
「なに抜かしてやがんだ!」
「ここでお前は死ぬんだよ!」
鬼気迫る言葉が反響する中、ヴァスは呆れたように言った。
「おいおい、物騒な真似はよしてくれ。今の僕には心強い用心棒だってついてるんだぜ」
低く笑うと、くい、と親指で私をさした。
え、待って。
私は両手を出して必死に弁明する。
「か、関係ありません!」
だが、男たちの耳には届いていないようだった。
「お前も落ちるところまで落ちたなヴァス」
「そんなガキに助けてもらわないと何もできないなんてよ」
怪しい集団の最後尾で、一人が杖を振るう。
「もう逃がさねぇ」
左右のレンガがぼろぼろと崩れ、私の背後で新たな壁を築き上げ始めた。
魔法だ。土を操る、魔法。
ヴァスは揺らぐ視線を私に送った。
「お嬢さん、すまないが手を貸してくれないか」
酒の飲み過ぎで足元が覚束ないのだろうか、ヴァスは壁から体を引き剥がそうともしなかった。
だが、小馬鹿にした態度から一変、ヴァスは鋭く言った。
「その力が本物かどうか知りたい。信用できなければ、このあと僕を尋問すればいい」
水面をばしゃばしゃと波打たせ、ごろつきたちが走り出す。
入口から伸びていた光の筋が閉じ、同時に、私は覚悟を決めた。右手で振るった錫杖の先端が、静かに鳴る。
——仕方ない。
「げぇッ!」
男の悲鳴と、手放した短刀が壁に跳ね返る音が反響した。男は水に倒れ込んだ。
「な、なんだ! 何が起きた!」
答えない男の代わりに、私が返事する。
「今日は少し腹が立っていますので」
もう一度、暗闇の中を錫杖が鳴る。見えない力が水を弾き、一直線に駆け抜けた。
「グェッ!」
体を吹き飛ばされた一人が、壁に激突し床にのびる。
「……傷痕が残っても、自業自得です」
三人目、四人目と、次々に男たちをはねのける。湿った空気に響く断末魔を聞きながら、奥にいた魔法使いに目を向けた。
「嘘だろ、なんだこれは!」
「武装を解除してください。これ以上の戦闘は無駄です」
体から腕へ。腕から指先へ。そして杖を経由して、魔力は魔法となる。
「ふざけんじゃねぇ! 目にもの見せてやる!」
魔法使いの男が声を飛ばすと、壁を形成していたレンガが、ばらばらと形を失った。寄り集まって練り合わせ、今度は岩石の塊を成形する。落下した衝撃で、足元に振動が這った。
「これでどうだ! 潰れろッ!」
転がり始めたその岩石は、水路一杯に広がっていく。水を押しのけ、天井を抉り、空間を埋め尽くした。
私は息を吐き出して、再び魔力を操った。
あの日、私は変わった。何者でもない自分が、何者かになるために。
そよいだ風が耳元を通り過ぎ、前方に集まった。迫る岩の目の前で、見えない刃が研ぎ澄まされていく。
「……御手を煩わせることをお許しください。触れられぬ刃をお貸しください。鳴りて寄り来て、裁きをお示しください――風罰」
握りしめた錫杖の先から、横薙ぎの風が放たれる。圧縮された空気に押し出され、水路に雄々しい叫びが上がった。
風の刃と転がる岩石がぶつかり合って、弾け飛ぶ水の粒。
瞬間、押し固められたレンガが砕け散り、辺りに突き刺さった。強い風が男を薙ぎ払い、手に持っていた杖を切断する。
バターのように滑らかな断面を覗かせた岩が、勢いを殺し足元に四散した。
「ひっ、何なんだお前は!」
男を見下ろした私の隣で、ヴァスがくぐもった笑いを出す。
「おあつらえ向きだよね。『星の使徒』とでも呼ぼうか。君らの悪事を誅するために、僕はここに戻ってきた。そしてこのお嬢さんこそ、星の代行者なのさ」
十年前のあの日、私は絶大な力を得た。
兄は私を褒めてくれた。
『クィーラ、すごいじゃないか』
もう泣いてばかりの、子どもじゃないんだ。
「残念だったね君たち。今度はもっと骨のある奴を連れてくるといい」
気安く言ったヴァスは足取り軽やかに男に近づいていく。
危ない、と私は思った。男はまだ杖を折っただけで、完全に魔法が使えなくなったわけではない。
ヴァスは落ちていた短刀を拾い上げ――一刹那の出来事だった――倒れ込んでいた男の喉笛に突き刺した。
「な、なにをッ!?」
私の悲鳴も聞かず、男の両腕はぺたりと地に落ちる。どろっとした血液が広がり、水路を伝った。
「お嬢さん」
心臓が跳ねた。喉の奥が、締め上げられたかのように熱くなる。
う、うそ……殺したの……?
ヴァスは言った。
「彼らは人殺しや誘拐を生業としている極悪人だ。さっきの言動で分かっただろう」
声を失う。
脇の下から嫌な汗が噴き出して、怖くて、恐ろしくて、膝に力が入らなかった。
動かなくなった体の傍で、ヴァスは立ち上がった。
「種明かしすると、僕は彼らの仲間だった。だけど今は違う。星の力を感じて、僕は心を入れ替えた」
——君は諦めるのかい、とヴァスは訊く。
出入り口を塞いでいたレンガが崩れ、風と共に血の匂いがした。
「その力を得てなお、大義のために戦おうとは思わないのかい?」
気が付けば、肩を抱く自分の体が氷のように固く、冷めきっていた。かちかちと音を出す錫杖が心許なく揺れる。
「君だってルールエに住んでるなら知ってるはずだ。この街が大きくなればなるほど、憲兵たちの手は回らなくなる。街の外からは魔物が現れ、冒険者はその対処に手一杯。じゃあ一体、誰がルールエを守るんだい?」
彼は私に尋ねているようで、その実、答えを欲してはいなかった。
「ルールエを守ることができるのは、君しかいないのさ」
ヴァスの告げる言葉が、延々と頭に木霊していった。
私は、人を守るために、人殺しの、手伝いを。
兄が私を手放しで褒めたあの日。あれはとても嬉しかった。
あの時の喜びを、ずっと抱きしめていたかった。
◆◆◇◆◆
崩れたレンガの壁から少女が出て、しばらく経った。
男は水路に倒れた仲間を水たまりから引き上げ、偽物の血で張り付いた服をつまみ上げる。
「……うまく騙せたみたいですけど、あの娘が憲兵にチクったりしたらどうするんです」
飲み干した酒瓶を床に置き、壁に背中をつけたヴァスは興味なさげに返事した。
「心配いらないさ。こんなことに巻き込まれたと知ったら、憲兵は彼女をすぐにルールエから連れ出すはずだよ。あの子はこの街に執着してる。頼まれたって、憲兵に縋ったりはしないよ」
男は半分も事情をのみこめないまま、しどろもどろに頷いた。
「そう、ですか」
自慢の魔法は通用せず、杖まで折られてしまった。そんな男を、ヴァスは鼻で笑った。
「驚いたかい。あのお嬢さん、魔法の腕だけならそこらの冒険者を遥かに凌駕してるよ」
ヴァスはふらふらの足で器用に体を回す。まるで踊るように暗い天井を見上げた。
「あの子は破壊者だよ。この街、この国――いやこの星さえ滅ぼす天災そのものだ。ルールエはその最初の一歩目。楽しみだなぁ。彼女がどうやってこの街をめちゃくちゃにしてしまうのか」
男はぞくりと肩を震わせた。ヴァスと視線が合った。
「でも君も、もっと力があれば彼女を超えられるはずだ」
心のどこかが、危険だ、と警鐘を鳴らしていた。
「よしてくださいよ、ボス」
男はやんわりと愛想笑いする。
ボスはいつもそうだった。楽しそうに、笑うように、どんな人間も不幸にする。目的のためならば、どんな手段も選ばない。
「素直になりなよ。君だって負けて悔しいと思ったろう?」
誰にも到達できない孤高の美学に酔いしれ、そのくせ誰にでも叶えられるような陳腐な夢を描く。
「悔しいのなら、君にも力を授けよう。……願いはきっと叶うはずさ」
いつから作られていたのか分からない、さびれた地下水路の奥。
ヴァスの笑い声が響き渡った。




