第5節 ガノアと星
「聞きたいんだけど、あれってほんとにあんたの魔法だったの?」
問われた男は、ジョッキを持ったまま口元を拭う。
泡の消えた液体が食器の縁を伝った。
「当たり前だろ、何を今さら」
「雷の魔法なんか使えたっけ」
「はあ?」
空になったジョッキを机の上に置くと、男は赤くなった鼻を鳴らす。
「あれは炎の魔法が成功したんだよ。身を焦がすようなあの熱を感じなかったか?」
向かいに座った女は不満げに身を乗り出した。
「何言ってんの、炎の魔法であんな眩しい稲光りが起こるわけないじゃない」
肘をついて、怯む男に指摘を続ける。
「だいたいね、炎なら焼け跡が残ってるのが普通なの。そんな痕跡、どこにもなかった」
男は言葉に詰まり、とりなすようにジョッキの持ち手に手をかける。
「そ、そうだったか? ……いや、俺は風の魔法を使ったんだ。そう、風だ!」
食べかけの料理が冷めて、風味を失う。
女は眉間に皺を寄せ、くしゃりと前髪を掴んだ。
「もう、言ってることが滅茶苦茶ね……たまたま雷が落ちただけか」
やれやれと頭を振る動作に、男はムキになって叫んだ。
「たまたまじゃねえよ! 俺が魔法を唱えたから魔物が消え去った、それが事実だ。それ以外はありえねぇ。あの魔法は絶対、俺のものだった!」
女は何も言わず肩を竦めた。酒場の冒険者たちも酔いが回り、徒に彼を讃え始める。
「そうだぜ姉ちゃん! 細かいことは気にすんなよ。魔物はいなくなった。そして美味い酒が飲める。それでいいじゃねえか! がはは!!」
彼は気が大きくなったのか、立ち上がって腕を振る。見栄を張る。
「はぁ、頭痛くなってきた……ギルドはこのこと知ってるのかな」
流し見た窓の外から、遠い星空が見えた。
◇◇◆◇◇
「こっちですガノア様!」
市街地の北側。怪しい男を見たという通報を受け、憲兵とともに駆けつけた。
建物の隙間から、背の高い時計塔の先端が見える。
「あそこ、誰か倒れてます!」
細い通路には、壊れた木樽の破片が散乱していた。地面にのびた男は、胸を上下に動かしている。
「息はあるようですが、この男が?」
「間違いない。手配犯だ」
ガノアは腕を組む。松明の炎に、男の顔が照らしだされた。
「仲間割れでしょうか。まったく、北側は物騒でいけませんね。ガノア様がせっかく時計塔を建ててくださったというのに」
犯罪は貧困の中から生まれる。そう教わったガノアは、治安のよくない北側を憂い、父に何も告げず勝手に時計塔の建設を指示した。
貧しい者に労働させ、賃金を与えれば、貧困に喘ぐものは少なくなる。ルールエの治安はよくなると考えたのだ。
「……男の金品は盗まれていない。仲間割れにしたって、口封じに殺さないのは不自然だ」
ガノアは現状証拠で憲兵の憶測を棄却する。
「う……」
目が覚めたのか、手配犯の男が呻き声を上げた。
「ガノア様、こいつは”ダスガスト”のメンバーで間違いないようですね」
ガノアは頷く。
時計塔が完成した後も犯罪は減らなかった。
金を得た貧しき者のやることといったら、愚かにも目先の利益ばかり追い求める浅知恵ばかりだった。
多少の金を持たせたところで人は変わらない。これは教訓だと、ガノアは思った。
そして、彼らを唆していた暗躍する悪党どもの存在を嗅ぎつけることができた。
「恐喝、強盗、殺人、誘拐。起こした事件を挙げればきりがないって噂のあのダスガストが、まだこんなところに……」
憲兵の言葉には嫌悪感が滲み出ていた。
彼らの名が轟いたのは数年前。
討伐に名乗り出た騎士出身の貴族があっけなく討ち死にしたことも、国が恐れる由縁となった。
「三年前にガノア様がダスガストのボスを捕えて、組織は散り散りになったと聞きましたが」
憲兵は長槍を身に寄せる。
「終わってなかったのだろう」
「そんな」
——私、お兄様のようになりたい。
クィーラがそんなことを言い始めたのは、あの時からだろうか。
彼女は何もわかっていない。冒険譚のような甘い世界しか知らないのだ。
男は体を震わせて、呂律の回らない口を動かす。
「ぅあ、頭が……いてえ」
一見したところ、外傷はなさそうだ。
だが、どこか奇妙な引っかかりがガノアの感覚を逆撫でしていた。
「頭がいてえんだよぉ……」
憲兵は槍を構えて声を潜めた。
「酔ってるんでしょうか。応援はどうします。仲間が近くにいるのかも……」
ガノアはすぐに否定した。
「大丈夫だ。人の気配はない。ここは元々スラムが近いから——」
はっとして顔を背ける。
日はとっくに落ちて、夕闇に沈んだ街並みが色を落とす。春先にしては冷たい空気が流れていた。
視線を感じて振り返ったが、その正体を掴むことができなかった。それとも、単なる気のせいだったのかもしれない。
鋭くなりすぎた感覚を鞘に納め、平静を装って憲兵に尋ねる。
「……ところで、通報というのは誰から受けた」
憲兵は言いにくそうに答えた。
「私も又聞きですので詳細は知りません。子ども……だったと聞いています」
ガノアは首を傾げる。
「子ども? スラム出身か?」
「いえ、そこまでは」
「この辺りをうろつくような子どもがいると思うか」
「そう言われると、考えにくいですね」
妙なことが積み上がって、何一つ解決されない。
ガノアは苦々しい顔で、当て推量を開陳した。
「その子どもがこの男を昏倒させた」
「ま、まさか」
「他にどんな辻褄を合わせる」
憲兵は露骨に言い淀んだ。今のままでは、どのみち答えを出せなかった。
「——いてぇ……助けてくれぇ。助けてくれよぉ」
次第に意識を取り戻してきたのか、手配犯の男ははっきりと言葉を喋るようになった。
この男には、聞きたいことが山ほどある。
「黙れ。聞かれたことだけ答えろ」
ガノアは冷たく吐き捨てたが、男は懇願するように首を振った。
「お願いだ……俺はダスガストから足を洗ったんだ。ボスが捕まって、俺の希望は潰えた。何も望むものはない、何も願うものはない。そうやって、生きてきた……はずだった」
足元で詰まったような息を吐き出す。絶え絶えになりながらも、男は口を動かすのを止めない。
「だけど、星の使徒がいたんだ。俺にもまだやりたいことや叶えたいことが山のようにあるんだ。ひひ……だから、この街に戻ってきて、よかった……」
とろんとした目元が急に横を向いた。ガノアは不気味な寒気を感じ、息を止める。
「星の使徒だと……?」
男はゆっくりとある方向を指さした。
「力を、くれ……ッ!!」
その瞬間、彼の全身を光が包んだ。
激しい閃光が熱を発し、轟音とともに破裂する。肉体が炎となって隣家を巻き込んだ。
一瞬の出来事に、憲兵は腰を抜かし地面に腰を落とした。
炭化した体の一部が横たわり、焦げた肉片が嫌な臭いを放った。
ガノアを中心に淡い色の球体が浮かぶ。何故かそこだけ、衝撃を受けずに傷ひとつついていなかった。
「ば……爆発した……」
ガノアの傍で力なく声を上げた憲兵。
路地の壁は衝撃で破壊され、周囲には煤がついていた。
ガノアは構えた盾から慎重に前を見据る。
「あ、あれを!」
憲兵が気がついたのと同時に、道の先に小さな影が見えた。
揺らぎのようなふとした僅かな間に、その影は消えてしまう。
「誰だ!」
曲がり角まで走ったガノアは、人影を追う。
影は応えず、入り組んだ細い路地のどこかに紛れ込む。
角を曲がったガノアには、すでに足取りを追うことはできなくなっていた。
舌打ち混じりに渋面をつくると、ガノアは呟く。
「ダスガストと、星の使徒……」




