第4話 消えた荷車と三日月の印 ①
その依頼は、最初から少しだけ変だった。
なくなったものは、荷車一台と、積まれていた乾物と、荷車を引いていた六本脚の荷車獣。見つかったものは、御者と、その怪我。
「盗賊に襲われた、か」
ルカは依頼票をもう一度読み直した。
「それだけなら普通じゃない?」
「普通か?」
「依頼としては」
「盗賊に襲われるのが?」
「そこじゃない」
「分かってる」
たぶん、半分くらいは。
ボルは依頼票ではなく、受付の奥に座っている男を見ていた。
三十代の後半くらいだろうか。椅子へ浅く腰掛けて、少し前屈みになっている。御者用の帽子は膝の上。左の膝に布が巻かれていて、右の肘にも擦り傷がある。袖と裾には泥がついていた。大怪我ではなさそうだが、机に置いた水椀を何度も見下ろしている。
「御者のネドさんです」
受付係が紹介した。
「北街道で荷を運んでいる途中、襲われたそうです」
「依頼主は?」
「荷を預けていた乾物商の方です」
離れたところに、中年の男が立っていた。生成りのシャツに、くすんだ緑灰色のベスト。作業用の前掛け。短い顎髭。手には使い込まれた帳簿がある。
大きな商会の主人というより、店先にも倉庫にも自分で立つ人に見えた。扱っているのは塩、乾燥豆、干し果物、薬草。港町の暮らしに要る、ごく普通の品々だ。
乾物商は荷の説明をしている間も、何度かネドの方を気にしていた。
「荷だけでも回収できるなら頼みたいそうです」
ルカは依頼票を下まで読む。報酬。危険事項。達成条件。最近は、フィオに言われる前に読むようになった。
「盗賊、まだいる可能性ある?」
「あります。人影を見つけても追わないこと。戦闘になりそうなら撤退してください」
「分かった」
返事をしてから、ルカは横のフィオを見る。
「今、最後まで読んだ」
「偉い偉い」
「雑」
「褒めたじゃん」
「もっと心込めて」
「そこ要求する?」
ボルが先にネドの方へ歩き出していた。
「あ、待てよ」
「森から三人……いや、四人だったか」
ネドは水椀を両手で持っていた。指先が少し震えている。
「武器は?」
フィオが聞く。
「暗くて、よく……」
ルカは一瞬だけ窓の外を見た。朝の光が差し込んでいる。事件が起きたのは昨日の昼だと聞いた。
「昼だったんだろ?」
ネドの返事が止まった。
本当に一瞬だった。露骨に目を逸らしたわけでも、笑って誤魔化したわけでもない。ただ、それまでより少しだけ答えが遅れた。
「木が多くて……見えづらかったんだ」
「そっか」
ルカはそれ以上追わなかった。ただ、頭の中には残した。向かいのフィオも、中身より答えるまでの速さを見ている。
「荷車は?」
「横転した」
「どの辺?」
「北街道の……森へ入る少し手前」
「荷車獣は?」
「分からない。逃げる時には見えなかった」
ネドは膝へ視線を落とした。
「獣の声はした」
「盗賊じゃなくて?」
「何か……鳴いてた」
「荷車獣じゃなくて?」
「違う」
今度は早かった。ほとんど間がない。
「他にも何かいた?」
「……分からない」
また少し遅い。
分からない、が多い。ただ、それだけで嘘だとは決められない。襲われて逃げたなら、混乱していてもおかしくない。
ボルは話より身体を見ていた。左膝の擦り傷。右肘。左の掌の擦れ。袖口の泥。靴の横についた草。傷は新しいし、泥もまだ乾ききっていない。少なくとも、転んだことまでは作り話に見えなかった。
だから余計にややこしい。全部が嘘なら、もっと簡単だった。
何かを隠している人間というより、何かを言わないようにしている人間に見える。本当に逃げた。でも、何から逃げたのか。
「荷はうちのものだが」
乾物商が積荷一覧を差し出した。
「荷車はネドがいつも使ってるものだ」
ボルが受け取る。塩袋。乾燥豆。干し果物。薬草。麻布。
「……積荷の重さは?」
「軸が折れる量じゃない。いつも似たような量を運ばせてる」
「じゃあ、盗賊に壊された?」
「そう聞いてる」
乾物商がネドを見た。ネドは水椀から目を上げなかった。
北街道は、港町から北へ伸びる生活路だった。荷車二台がどうにかすれ違える幅があって、路肩には低木と草が続く。森へ近づくほど土は柔らかくなり、轍も足跡も残りやすい。
フィオが少しだけ上へ飛んだ。
「どう?」
「道は一本」
「盗賊いた?」
「まだ見えない」
「痕跡は?」
「上から分かるわけないでしょ」
「いや、何となく」
「何となくで飛ばせないで」
その横で、ボルはずっと地面を見ていた。一台分の轍が最初はまっすぐ続いて、しばらく行ったところで急に大きく蛇行している。
「……ここ」
「何?」
「急に曲がってる」
「追われたとか?」
ボルは轍の脇へしゃがんだ。痕跡が二つに分かれている。
一つは人の靴跡。荷車から離れて、港町の方へ戻っている。もう一つは六本脚。路肩を外れて、低木の方へ。
「……二つ」
「ネドと荷車獣、別々に逃げてる?」
「多分」
「盗賊は?」
ボルはもう一度地面を探した。草は大きく踏まれていない。路肩も荒れていない。蹄の跡もない。何人分もの足跡もない。刃物を引きずった跡も、争ったような乱れも。
「……ない」
「盗賊四人なら、もっと何か残るよな」
「残ると思う」
「じゃあ盗賊、どこ行った?」
「それを見に来たんでしょ」
フィオも、もう一度道を見た。何もない。その何もなさの方が目立っていた。
横転した荷車は、そこから少し先で見つかった。
四輪の、ありふれた荷車だった。右側へ倒れて、右後輪が外れている。車輪は車体から離れたところに転がっていた。折れた車軸が土の上へ突き出して、積荷が道へ散らばっている。
近づいてすぐ、ルカが首を傾げた。
「……盗られてない」
塩袋、ある。乾燥豆も、麻布も、薬草も。干し果物は少しこぼれているが、大半は残っている。
「盗賊って荷物取るよね?」
「普通は」
「じゃあ何しに来たの」
「ネド襲うだけ?」
「効率悪」
「盗賊に効率求めるなよ」
「でも盗賊だって、何か欲しいから襲うでしょ」
「まあ……そうだな」
ボルは折れた車軸の前にしゃがんでいた。
木の破断面は平らではない。下側から長く裂けて、上側だけが押し潰されている。横から殴った跡はない。刃物の切り傷もない。壊されたというより、耐えきれなくなった形だった。
「……重さ」
「え?」
ボルが破断面を指した。
「……下から裂けてる。上、潰れてる」
フィオが隣にしゃがんで、しばらく見た。
「ああ。上からずっと荷重がかかって、最後に下側が引っ張られて割れた」
「……うん」
ボルは破断面の端を指でなぞった。
「……ここ、古い」
「どういうこと」
「前から傷んでた。色が違う」
フィオが顔を寄せる。
「じゃあ、今日のが最後の一押し」
「……そうだ」
「でも、この積み方で折れる軸じゃないんだろ?」
三人の視線が、荷物ではなく荷車そのものへ戻った。
「つまり、他にも何か載ってた」




