第4話 消えた荷車と三日月の印 ②
ルカとフィオが残っていた荷物をどける。空になった荷台を、ボルが外から見た。
外から見た荷台の深さと、内側の床の高さが合わない。膝より上くらいある外寸に対して、内側は明らかに浅い。
「……床」
「何?」
「厚い」
ルカも荷台を覗き込む。
「元から?」
ボルは首を振って、床板を指でなぞった。三、四枚だけ色の違う板がある。打たれている釘も違う。古い板の釘は錆びているのに、そこだけ錆がほとんどない。補修にしては範囲が広かった。
「……新しい」
「外せる?」
「……多分」
すぐには外さなかった。三人とも、一度だけ荷台の高さを見る。
「人が入るには狭いな」
「横になっても、まともに身体起こせない」
「荷物なら普通に上へ積めばいい」
「じゃあ」
ルカが言いかけて、止まる。隠す必要があるもの。普通の荷物ではない。
「……動くもの?」
フィオも同じところまで辿り着いたらしい。
床板の端に、小さな鉄の留め金が左右に一つずつあった。ボルが一つずつ外す。新しい板を持ち上げる。
下に、荷台の幅いっぱいの低い空洞があった。
「……狭」
人なら横になっても身動きが取りづらい。荷物なら、わざわざこんな蓋まで作る必要がない。側面には細い換気用の隙間が空けてあった。
底には乾いた草が敷かれていた。内側の板に、同じ高さの細かな傷が何本も並んでいる。外へ出ようとして、出られなかったような。
「これ」
フィオが隙間から何かをつまみ上げた。くすんだ灰茶色の毛。淡くて、柔らかい。
ボルはその横を見る。小さな爪痕が、何度も擦った跡になっていた。
「……生き物」
「いたみたいね」
ボルが外した留め金を、手のひらの上で裏返した。
泥と摩耗。平たい面。そこに刻まれていたのは、三日月だった。
三人とも止まった。
「……見たことある」
「ある」
最初の依頼。森。母獣の脚へ食い込んでいた捕獲罠。そこに刻まれていた印。
ボルは刻印を指先でなぞった。完全に同じ部品ではない。ただ、どれにも同じ三日月が入っていた。
「偶然?」
「分からない。三日月の印自体は、別のところでも使われてるかもしれない」
「でも」
「でも、気になる」
フィオはそれで止めた。今分かることだけ。二重床。毛。爪痕。三日月の印。
床板と側壁の間の隙間に、紙の角が挟まっているのが見えた。フィオが指で引き抜く。
泥で汚れた、縦長の荷札だった。左上が欠けて、右の中ほどに縦皺があって、左下が折れている。
濡れた紙が二つ折りのまま貼りついていた。
「荷札?」
ルカが手を出した。
「開かないで」
「なんで」
「今やると破れる」
ボルが覗き込んだ。
「乾かす」
「どれくらい」
「半日」
フィオは荷札を布へ挟んで、二枚の板で挟み直した。
「ネドが言ってた獣の声、これか?」
ルカが空洞を見下ろす。
「まだ分からない。でも、ここに何かいたのは確か」
ボルは荷車の外へ回った。二重床のある側の地面に、小さな四足の足跡がある。森の方へ向かっていた。
「……逃げた」
「どっち?」
「森」
「行く?」
「荷車獣も探す」
「両方」
「……うん」
先に見つかったのは荷車獣だった。街道脇の茂みで、綱が低木と木の幹へ絡まって、六本脚の成獣がその場から動けなくなっている。
「いた!」
「よかった」
擦り傷はある。脚は動く。大きな怪我はなさそうだった。ボルがゆっくり近づいて、絡まった綱を一つずつ外していく。
「町まで歩けそう?」
「……大丈夫」
残るのは、もう一つの足跡だった。さらに森の奥へ続いている。
しばらく追うと、フィオが先に止まった。
「いる」
低木の向こうに、小さな獣がいた。
膝より少し高いくらいの四足。長い耳。背中を、薄く半透明の皮膜が覆っている。毛はくすんだ灰茶色で、さっき二重床で拾ったものと同じだった。
こちらに気づいた瞬間、身体を大きく膨らませた。背の皮膜が張って、丸くなる。
「……何あれ」
「知らない」
ボルは脚を見た。後脚にちぎれかけた革紐が巻きついている。逃げる間に何度も引かれたらしく、毛の奥まで擦れていた。先端に鉄の金具がついている。紐の反対側が、低木の根に引っかかっていた。
「捕まってた?」
あとで、風袋獣と呼ばれる生き物だと知る。この時は名前すら知らなかった。
それでも、拘束されて、二重床へ入れられて、荷車が横転した時に逃げた。少なくともそこまでは想像できた。
「外す?」
「……うん」
「囲まない。逃げ道空ける」
「了解」
ルカが一歩下がる。ボルは正面から行かず、斜めから低く近づいた。
獣の身体がさらに膨らむ。逃げたいのに、革紐が根に引っかかっていて逃げられない。
ボルがゆっくり手を伸ばして、金具を外した。
次の瞬間、獣が跳ねた。そのまま森へ駆け込む。
「待っ――」
ルカが言いかけて、止めた。
獣は一度も振り返らず、木々の奥へ消えていった。
「……行った」
「そりゃ行くでしょ」
「懐くかと思った」
「何で」
「助けたし」
「野生動物にその制度ないから」
「一回くらい振り返ってもよくない?」
「見返り求めるの早すぎ」
ボルは地面へ落ちた革紐を拾った。一メートル近くある、なめした革。片端は強く引かれて裂けている。先端の金具を裏返す。
「……同じ」
二人も覗き込む。三日月。
罠の金具。二重床の留め金。この革紐。どれも同じ部品ではない。ただ、同じ印が入っている。
偶然で片づけるには、少しずつ多すぎた。
荷車のところへ戻った。
積荷は多い。荷車は動かせない。車軸も直せそうにない。
「どうする?」
「持てる分だけ持つ」
「……獣は帰す」
「荷は?」
「濡れるの困る」
「じゃあ防水する」
フィオが防水布を広げた。三人で残りの積荷をまとめて、布を掛けて、縄で固定する。
外れた車輪は無理に戻さない。折れた車軸も触らない。地図へ位置を記録して、ギルドの回収札を荷台に結びつけた。
「冒険者って、荷車修理までやる仕事じゃないんだな」
ルカが縄を締めながら言った。
「当たり前でしょ」
「直せそうなら直すのかと思ってた」
「直せないもの直したら事故る」
「言われれば分かる」
「言われる前に分かって」
「最近要求高くない?」
「成長してるなら合わせてるだけ」
「俺、成長してる?」
「一ミリずつ」
「まだ一ミリか」
証拠は別に包んだ。車軸の破片は厚手の布で、破断面を潰さないように。留め金は小布に包んで結ぶ。革紐は巻きすぎないように丸めて。それから、板に挟んだ荷札。
三人は荷車獣を連れて、町へ戻った。
ギルドへ戻ると、乾物商はまずネドを見て、それから入口の向こうにいる荷車獣へ目を移した。
「獣も?」
「無事です。擦り傷だけ。歩けます」
乾物商の肩から少し力が抜けた。
「そうか」
そこでようやく、三人が持ち帰った荷へ視線を落とす。
「残りは?」
「現場です。防水してあります。位置も記録しました」
「荷車は?」
「動かしてません」
「……軸、折れてた」
乾物商は少し顔をしかめた。修理代、回収の人手、損失。それを一瞬で勘定したような顔だった。
「十分だ」
短く言った。
「残りは明日、人を出す」
「依頼は?」
「達成でいい」
乾物商が先に答えた。受付係が帳簿へ印を押す。
これで仕事は終わりの、はずだった。




