第八話 毒薬の真相と進化する魔物
「なぜ、ユリア様は星紡ぎの月見草を、このような恐ろしい場所へと持ち込んだんでしょう……」
重々しい鉄扉の前で、エルネが不穏な魔力に眉をひそめたその時だった。
ガシャンッ!!
背後の通路から突如として重厚な鉄格子が降り注ぎ、通路を完全に遮断した。
同時に、扉の隙間からドロリとした紫色の毒煙が噴出し始める。
「ハッハッハ! 愚かな平民め! アルディス卿を巻き込もうと、この『劇毒・腐食胞子』の前には無力……」
壁の伝声管から響くのは、薬学院院長マルクス・マルシュの醜い高笑いだった。
「罠か……!」
即座に剣を抜き、アルディスはエルネを背中に庇う。
そして背中合わせにアルディスの右腕である騎士団副団長補佐ギルバートがいた。
かつて森でアルディスが魔力の暴走と衰弱で生死をさまよった際、必死で彼を支え、エルネの奇跡のような鑑定眼と手当てを一番近くで目撃した男である。
「ギル、下がるな。エルネの指示を聞け」
「ハッ! 了解です!」
ギルバートは一切の迷いなく頷いた。
彼にとってエルネは、最愛の上官を救ってくれた「命の恩人」であり、誰よりも信頼する最高の薬草収集家なのだ。
「エルネ様、ご指示を!」
「はいっ! ギルバート様、アルディス様! 左の壁の噴射口を狙って! アルディス様! あそこに氷結魔力を!」
「わかった」
「承知……ッ!」
エルネの鑑定眼が捉えた弱点へ、アルディスの氷の魔導とギルバートの鋭い斬撃が同時に叩き込まれる。
パキィィィンッ!!
一瞬にして噴射機構ごと毒煙が凍りつき、木っ端微塵に砕け散った。
同時に室内の壁が壊れ始める。
「な、なんだと!?」
その姿があらわになったマルクスが慌てて動き始める。
「噴出は止まりましたが、この煙できるだけ吸わないでください!」
「くっ。こうなれば侵入者用の非常装置を……」
マルクスは何やら大きな魔法陣を起動した。
そこから現れたのは巨大な岩のゴーレム。
マルクスは魔力が切れたのか膝をつくが、高笑いが止まらない。
まるで気が狂ったようだ。
「こんな場所にだしたらまずいのでは?」
ギルバートが冷静に言うが、マルクスの高笑いにかき消される。
エルネはあたりを見回し、魔力の供給源を探す。
「見つけました! 核は右膝の関節内部に隠された『偽装魔導核』です!」
「俺がいきます! 」
ギルバートが疾風のごとく踏み込み、寸分の狂いもなくゴーレムの右膝を叩き割る。
巨体が轟音を立てて崩れ落ちた。
「馬鹿な……! 我が薬学院の防衛システムが、一瞬で……!?」
狼狽するマルクスを無視し、ギルバートは頼もしく胸を張った。
「さすがエルネ様だ! 隊長の脳筋な氷漬け魔法攻撃より、何倍も効率的な指示で助かります!」
「……ギルバート、後でみっちりシゴいてやるから覚えておけ」
「滅相もございません、隊長!」
ゴーレムの崩壊を誘発され、壁が一斉に崩れる。
マルクスの姿は瓦礫の向こうへ消えた。
「先を急ぎましょう!」
究極の信頼関係で結ばれた三人は、冷徹な足取りで地下の最深部へと踏み込んでいった。
◇◇◇
一方、地上で開宴した国営婚約発表パーティーのグランドホール。
絢爛豪華な会場、前日の夜である今日は最終チェックと、事件を警戒した警備でいっぱいだった。
その中央の壇上に突如現れたユリアが、狂気に満ちた笑みを浮かべて小瓶を掲げていた。
「皆様! 本日、我が王立薬学院が誇る至高の奇跡『万能霊薬』をお見せいたしましょう! 一口飲めばあらゆる疲労は吹き飛び、底なしの魔力が全身を満たしますわ!」
操られユリアの手先となった下級調合師たちが、試飲用の小瓶を手に近づいていく。
(……来ましたわね。地下のことはアルディス様やエルネ、騎士団に任せて……ここは何としてもわたくしが食い止めますわ!)
会場の壁際でセシリアの瞳が、鋭く光った。
「お待ちあそばせ!!」
セシリアは凛とした高らかな声を響かせ、堂々と会場の中央へと歩み出た。
「セ、セシリア殿下……!? 何ですの!?」
「あらユリア。王室への献上品と言う割には、ずいぶんと怪しげな濁りがあるのではなくて? そのような代物を大切な客人に勧めるなんて、無礼にも程がありますわ」
「なっ……! 濁りなどありませんわ! 最高峰の調合技術による光です!」
「ならば……わたくしと、この会場の皆様の前で、まずあなたがその小瓶を丸ごと一本飲み干して見せなさいな!」
セシリアの見事な煽りに、会場の貴族たちからと賛同の声が一斉に上がる。
「そうだ!」
「まずは製作者が飲むべきだ!」
「う……くっ……! わ、わたくしは後でアルディス様と一緒に……!」
自ら飲むことを激しく躊躇し、顔を青くするユリア。
セシリアは不敵に口角を上げ、見事な立ち回りで会場の時間を稼ぎ続けていた。
◇◇◇
地下の最も湿った冷気が立ち込める最奥。
「……あそこです!」
瓦礫をかき分けて進み、奥にあった特別そうな装飾の部屋。
エルネが指さした台座の上。
そこには、盗まれた二人のお守り『星紡ぎの月見草』が囚われていた。
しかし、その隣に置かれた巨大なガラスカプセルを目にした瞬間、エルネの顔からすーっと血の気が引いていった。
「な……なに……これ……!?」
カプセルの内部で、ドロリとした黒い脈動を繰り返すグロテスクな大輪の花。
無数の棘を撒き散らし、周囲の大気から魔力を無差別に吸い尽くす凶悪な波動を放っている。
「エルネ……? どうしたんだい?」
「ア……アルディス様、ギルバート様……大変です……!」
エルネの指先が激しく震えていた。
「ユリア様たちが作っていた『万能霊薬』の正体は……一時的に魔力を劇的に増幅させたあと、飲む者の生命力と魔力を極限まで吸い尽くして廃人にする……古代の禁忌植物『死蝕の黒蓮』です……!」
そしてその恐ろしい毒薬と同化させ、新たな毒とするために、二人が愛を誓い合った『星紡ぎの月見草』の純粋な魔力が搾取されようとしていたのだ。
「……なるほど。俺たちの大切な誓いを踏みにじるだけでなく、我が国にそんな毒を撒き散らそうとしていたわけか」
「許せませんね……。あの時、エルネ様が命を救ってくださらなければ、隊長も我々騎士団も今ここにはいなかった。そのエルネ様との誓いを踏みにじるなど……!」
ギルバートが怒りに目を見張り、アルディスの金色の瞳からは氷原の奥底のような絶対的な殺気が解き放たれた。
地下室全体の温度が急激に下がり、あたりが真っ白な霜で覆われていく。
「ギルバート、月見草の回収を補佐しろ。……このネズミどもの巣窟ごと、灰も残さず消し去る」
「ハッ!」
エルネ、ギルバートの二人は独の装置の解体を進める。
アルディスは怒りを発散させるように、そこら中に魔力をぶつけ氷を放つ。
「凍てつけ『絶対零度』」
辺りが真っ白になるころには、毒の装置は終わり、遮られていた騎士団の面々も合流した。
一行は決戦の待つ、地上のパーティー会場へと駆け上がるのだった。
◇◇◇
絢爛たるシャンデリアの輝きが、グランドホールの重厚な大理石の床に幾重もの光輪を描き出していた。
天井高く掲げられた王国と王家の紋章旗。
甲冑に身を包んだ近衛騎士たちが織りなす空間は、戦前の栄華の象徴そのものだった。
しかし、その空気の底底に漂っているのは、今にも爆発しそうなほどの歪な緊張感であった。
「平民のエルネこそが! 我が王立薬学院の誇る『万能霊薬』の秘伝レシピを盗み出し、あろうことか、この場において猛毒の危険植物を混入させようとした大罪人でございます!」
直後、静まり返っていた会場に、波紋のようなざわめきが広がった。
「な……なんですと!?」
「薬学院の秘伝レシピを盗んだ……?」
「まさか、あの平民の女が……?」
周囲を固めていた警備の騎士たちや、招かれていた高ランクの冒険者たちの間にも、動揺の色が走った。
「そこまで!」
アルディスが作った氷の馬に乗って、エルネと二人会場に着いた。
かつて——エルネが森で静かに暮らしていた頃、無実の罪を着せられたあの忌まわしい冤罪劇。その記憶が、その場にいた一部の者たちの脳裏に悪夢のように蘇っていた。
「アルディス様! 大変なことになっていますわ」
セシリアが二人の到着に安堵したのもつかの間。
皆、エルネの抱えている怪しげな装置に視線を向けた。
「ご覧なさい! その女の手にある魔導ケースを! そこに囚われているのは、王室への献上品から盗み出された至高の触媒……そして、その陰で仕込まれた毒草の魔力残渣です! その女は、自らの地位を固めるために薬学院の成果を横取りし、さらに式典を混乱に陥れようとしたのですわ!」
嘘に嘘を重ね、圧倒的な声量で押し切ろうとするユリア。
「……いいえ。それは違います、ユリア様」
透き通るような、しかし確かな芯のある声がホールに響いた。
エルネは一歩、前へ踏み出した。その瞳は透き通るような強い意志の光を宿している。
「私が盗んだのではありません。この『星紡ぎの月見草』は、私とアルディス様が共に摘み取り、二人の愛を誓い合った大切な品です。それを展示台から不正に持ち去り、地下危険素材倉庫へと隠したのは……ユリア様、あなたとマルクス院長ではありませんか?」
「なっ……! 妄言を! 平民の分際で、この私に口答えをするのですか!?」
ユリアの顔が屈辱で真っ赤に染まる。
「ユリア様。あなたが掲げているその『万能霊薬』……それこそが、飲んだ者の魔力と生命力を搾取する古代の禁忌植物『死蝕の黒蓮』から作られた劇毒です。私を罪人に仕立て上げることで、その真実から目を逸らさせようとしているのではありませんか?」
エルネの眼光は、真実を見抜く鑑定士としての鋭利な光を放っていた。
「な……なにをバカなことを! 往生際の悪い……!」
ユリアがヒステリックに叫び、下級調合士たちにエルネを捕らえさせようとした。
その時。
ゴオオッ……!
空間の温度が一瞬で氷点下まで叩き落とされた。
大理石の床に薄い氷の膜が走り、シャンデリアの眩い光さえもが極寒の魔圧に押し潰されて鈍く濁った気もする。
「ひっ……!?」
重厚な足音を響かせ、一歩、前へと踏み出したのは氷の如き美貌に、完全なる殺気を宿したアルディスであった。
「……エルネを、これ以上愚弄するか」
「ア……アルディス様……!?」
ユリアの膝がガクガクと震え出した。
「……愚か者が。貴様らの浅薄な企みなど、最初からすべてお見通しだ」
アルディスが静かに手をかざすと、その会場から、一人の女が滑り込むように姿を現した。
「——お言づて通り、すべての裏付けが取れましたよ、アルディス」
眼鏡の奥の瞳を冷ややかに光らせたのは、ギルド連合代表のシリルであった。
その手には分厚い裏帳簿が握られている。
「あなたはギルドの…… なぜあなたが……!?」
「マルクス院長、並びにユリア殿」
シリルは朗々とした声で書類を開いた。
「貴方がたが提示した『万能霊薬』の構成成分……魔導師団の精密解析、およびエルネ殿の事前の鑑定結果と完全に一致しました。主成分は『死蝕の黒蓮』。魅了の魔物の幻惑の効果、濃度にもよりますが服用後数時間で全身の魔導回路を破滅させる劇毒です。さらについ先ほどギルバート副団長率いる騎士団が押収したこの裏帳簿には、購入履歴と不正金銭授受の記録が克明に残されています」
「な……ッ! なぜそれを……!?」
「いい加減にしなさませ、見苦しい!」
その怒号を切り裂くように、扇子を優雅に揺らしながら歩みを進めてきたセシリア王女。
背後には押収された大量の小瓶を抱えた騎士たちが従っている。
「ユリア。あなたが会場内で配らせようとしていた試飲品……わたくしの手で、すでにすべて押収させていただきましたわ」
セシリアが手にしていた小瓶を床へ投げつけると、激しい音を立てて割れたガラスから不気味な紫色の液体が広がり、大理石の床から怪しげな煙を上げた。
「ひぃっ……!?」
「ご覧なさい! これがあなたの言う奇跡の正体ですわ! 動かぬ証拠は、ここに揃っております!」
シリルの論理的な看破、エルネの鑑定、アルディスの武力、そしてセシリアの現場押収。
逃げ場を完全に断たれたユリアとマルクスは、その場にガタガタと震え崩れ落ちた。
「終わりだ、ユリア・マロンシュ! 即刻拘束する!」
アルディスが手枷を手に一歩踏み込んだ、その時だった。
「……嫌。嫌よ……ッ!! こんな平民の女に……私たちが負けるはずがないわぁぁぁッ!!」
狂気に取り憑かれたユリアは、懐から何かの瓶を取り出し、自らの口へと一気に煽り注いだ。
「なに!?」
その場にいた全員が身構える。
エルネの鑑定眼でも、一瞬の出来事に鑑定が間に合わなかった。
ゴクッ……ゴクッ……ッ!!
液体を飲み干したユリアの体がしなり、皮膚の下で黒い脈動が蠢き始める。
(……待って! あの紫黒色の魔導光……死蝕の黒蓮じゃない……!?)
エルネの鑑定眼が、ユリアの体内で急速に反応を起こす未知の魔力成分を捉え、息を呑んだ。
(あの霊薬の隠し味……依存性と服従性を高めるために、『魅惑の妖花・サキュバス・ロータス』の魔物の血液が混ぜ込まれている……! 暴走した魔力が、ユリア様を肉体化させようとしているんだわ!)
ガアアアアアアアアアアアッ!!
ユリアの喉から破裂したのは、人間の域を超えた禍々しい咆哮だった。
背中から黒い触手が幾本も噴き出すと同時に、彼女の足元の床がドロリと黒く溶け落ちた。
そこから湧き出したのは、甘美で妖しい桃色の霧と、無数の棘と美しい女性の顔を持つ禍々しい異形の魔物たちであった!
「サキュバス・ロータス……!? 霊薬の魔力を喰らって、ホール内に発生したというのか!?」
ギルバートが叫んだ瞬間、魔物たちが放つ妖しい桃色の胞子がホール全体に爆発的に拡散した。
「あぁ……なんて美しい……」
「ユリア様……貴女について行きます……」
甘い香りを吸い込んだ近衛騎士たちが、次々と虚ろな目を浮かべ、剣を捨てユリアを庇うように立ち塞がり始めた。魅了の力によって、正気を奪われたのだ!
「くっ! 魅了の粉末か! 息を吸うな、全員呼吸を止めろ!」
ギルバートが叱咤するが、操られた騎士たちが味方同士で切りかかり合い、会場は一瞬にして地獄絵図の混乱へと陥った。
「死ね……エルネぇぇぇッ!!」
魅了された兵たちを盾にしながら、魔物と化したユリアが幾重もの黒い触手を振り上げ、真っ直ぐエルネへと襲いかかる!




