第三話 思わぬ保護者と王女の威厳
すり鉢状の円形講堂に響き渡ったのは、ユリア・マロンシュの甲高いくすくす笑いと、エルネに対する容赦のない侮辱の言葉であった。
「はじめまして、野蛮で泥臭い平民のインチキ鑑定士さん。……アルディス様にすり寄る厚顔無恥な泥棒猫には、我が王立薬学院の本物の権威というものがどれほど恐ろしいか、今ここでたっぷりと教えて差し上げますわ!」
ユリアは勝利を確信した笑みを浮かべ、扇子の隙間から冷ややかな瞳でエルネを見下ろしていた。客席に並ぶ高慢な学者たちもまた、平民の少女が言い返せずにうろたえる姿を期待して、楽しげに喉を鳴らしている。
たしかに、エルネは驚いていた。
だが、それは恐怖や狼狽からではない。
目の前に立つ令嬢の、あまりにも露骨で直球すぎる敵意に圧倒されていただけだ。
(……泥棒猫? インチキ? 私、まだそんな風に見られているんだ……)
胸の奥がキュッと小さく痛んだ。
けれど、エルネは一歩も引かなかった。
ぎゅっと拳を握りしめ、泥と薬草の匂いに塗れて過ごしてきた自分の手を見つめる。
この手で摘んできた無数の薬草たち、そしてそれによって救われてきた人々、何より「君の知識は素晴らしい」と微笑んでくれたアルディスの顔が脳裏をよぎる。
——負けたくない。私の鑑定を、私が愛してきた素材たちを、こんな人たちの言い分で傷つけさせたりしない。
エルネが唇を噛み締め、真っ直ぐにユリアを見据え返そうとした、まさにその時であった。
「——随分と大きな口を叩きますのね、ユリア・マロンシュ」
澄み切った、けれど氷のように冷ややかな少女の声が、講堂の重苦しい空気を一瞬で切り裂いた。
「え……?」
ユリアの表情が凍りつく。
エルネもまた驚いて振り返った。
エルネのすぐ後ろ、影のように静かに控えていた人物。
アルディスが寄越した付添人のフード付きマントが、優雅な手つきでバサリと払われた。
そこに姿を現したのは、眩しいほどの金髪をなびかせ、気高く背筋を伸ばした10歳ほどの少女であった。
幼さを残しながらも、纏うオーラは完璧な支配者のそれだ。
「セ、セシリア殿下……!?」
講堂のあちこちから、悲鳴に近いどよめきが上がった。
特等席で高みの見物を決め込んでいた院長のマルクスも、思わずガタリと椅子を鳴らして立ち上がる。
「な、なぜ第一王女殿下がこのような場所に……!?」
セシリア・ディル・レグラリア。
この国の最高峰たる王族の少女は、優雅に腕を組むと、ゆっくりとした足取りでエルネの隣へと並び立った。
そして、開いた扇子で口元を隠しながら、ユリアへ向けて極上の蔑みの視線を投げかけた。
「アルディス様から直々にお願いされましたのよ。『大切な婚約者の付添人を頼めるのは、信頼できる君しかいない』とね。……まさか、王立薬学院の者がわたくしの目の前で、わたくしの『最高の相棒』をインチキ呼ばわりするとは思ってもみませんでしたけれど?」
「あ、相棒……!?」
ユリアの顔から一瞬で血の気が引いた。
セシリアの言葉に、講堂の学者たちもざわめきを隠せない。
「セ、セシリア様! 騙されておられます! そのような平民の女、ただのペテン師で……!」
「黙りなさい、ユリア」
セシリアの一言が、講堂全体を完全な静寂へと突き落とした。
セシリアはふんと鼻を鳴らすと、高飛車に胸を張ってみせる。
「エルネの鑑定能力は、このわたくしが身をもって保証しておりますわ。先日も王宮の宝物庫を狙った不埒な窃盗団を、エルネの知識とわたくしの機転で見事に返り討ちにしたばかりですのよ? そのエルネを疑うということは、わたくしの目をも疑うということですの? マルクス院長」
「ひっ……! 滅相もございません、殿下!」
マルクスは額に冷や汗をかきながら、深く頭を下げた。王族を敵に回すことの愚かさは、権力に固執する彼だからこそ痛いほど理解していた。
「さあ、何をぼんやりしていますの? 『再評価試験』とやらをさっさと始めなさいな。エルネの最高の鑑定眼が本物かどうか、その安っぽい目玉でしかと確かめるといいわ!」
セシリアの完璧な口上と威圧感により、一瞬にして主導権は逆転した。
エルネは隣で誇らしげに胸を張るセシリアを見つめ、胸の奥が温かい感謝でいっぱいになった。
(セシリア様……! 助けに来てくれたんだ……!)
セシリアはチラリとエルネに視線を向けると、小さくニッと不敵に微笑んで見せた。
『あとは任せましたわよ、相棒』
と言いたげなその瞳に、エルネは力強く頷き返した。
「くっ……ええい、試験を始める! 実技台へ素材を運べ!」
マルクスは忌々しそうに顔を歪めながら、部下の学者たちに指示を出した。
セシリアが脇の観覧席へ優雅に腰を下ろすと、実験台の上へ厳重に施錠された三つの金枠のガラスケースが運ばれてきた。
ユリアはセシリアの存在に動揺しつつも、すぐに思い直したように歪んだ笑みを戻した。
(ふん、王女殿下を味方につけていようと関係ありませんわ。この試験で扱う素材は、我が薬学院が誇る最上級の難解素材……平民の生半可な知識で看破できるはずがありませんもの!)
ユリアは扇子をシャッと開くと、第一調合法術師としての気位を前面に出して言い放った。
「では、試験の説明をいたしますわ、エルネさん。ここにある三つの素材は、我が王立薬学院が莫大な金と歳月をかけて採取・保管している、非常に希少価値の高い『S級魔導薬草』です」
ガラスケースの蓋が開けられる。
一つ目は、七色に怪しく輝く長い茎を持った『七彩の花』。
二つ目は、白銀の粉を散らしたように結晶化している『銀嶺の冬胞子』。
三つ目は、かすかに黒い煙を漂わせている重厚な『黒翡翠の根』。
どれも一目見ただけで、常識的な薬草とは一線を画す圧倒的な存在感を放っていた。
「おお……あれは伝説の……」
「滅多にお目にかかれない至高の素材だ」
客席の学者たちからも感嘆の声が漏れる。
「ルールは単純ですの」
ユリアは勝ち誇った笑みを浮かべ、エルネを指さした。
「これら三つの素材の正式名称、効能、そして現在の市場評価価値を正確に鑑定しなさい。ひとつでも間違えれば……あなたの鑑定能力は偽装とみなし、即座にギルドからの資格剥奪、ならびに王宮への立ち入り禁止を言い渡しますわ!」
あまりにも理不尽で一方的な条件。
しかし、エルネは腹を括っていた。
深く息を吸い込み、実験台へと一歩近づく。
(大丈夫……落ち着いて、エルネ。素材を見るんじゃない。素材が教えてくれる『声』を聞くの……)
エルネが全神経を集中させた瞬間、彼女の鑑定眼が発動した。
瞳の奥に静かな藍色の光が宿る。
世界から雑音が消え去り、視界にあるすべての物質が、魔力の流れと密度の情報へと分解されていく。
真っ先に目に入ったのは、七色に輝く『七彩の花』だった。
(あ……これは……)
エルネの脳内に、溢れんばかりの情報が直接流れ込んでくる。
一般的な鑑定士なら「美しい七色の魔力を宿した奇跡の花」と評価するだろう。文献にもそう記されているはずだ。
だが、エルネの目には違った真実が見えていた。
(花弁の根元に、変質した不純物の魔力が溜まってる。これ……七色に光っているんじゃなくて、外部から無理やり属性魔力を注ぎ込まれて、細胞が壊れかけて発光しているだけだわ! 茎の導管も完全に詰まってる……)
続いて、二つ目の『銀嶺の冬胞子』に視線を移す。
(表面の銀色の結晶……一見すると純度の高い氷魔力に見えるようにしてある。けれど、これは『乾燥不足』によるカビと結晶化の混ざったもの。内部の胞子は完全に死滅していて、むしろ強いアレルギーを引き起こす毒素に変質してる……!)
最後に、三つ目の『黒翡翠の根』。
(これは……本来は素晴らしい滋養強壮の素材。だけど、保管されている箱の防魔陣が狂ってる。黒い煙は魔力が漏れ出している証拠。あと数日でただの枯れ木になっちゃう……)
わずか数十秒。
エルネは三つの素材の「裏の真実」をすべて読み切っていた。
そして、彼女の胸の中に湧き上がってきたのは、嫌がらせに対する怒りではなかった。
素材を愛する者としての、激しい憤りであった。
(酷い……! こんなに貴重で素晴らしい薬草たちを、展示品にして放置して……適当な管理のせいで台無しにするなんて……!)
「どういたしましたの、エルネさん?」
黙り込むエルネを見て、ユリアは完全に勝利を確信したようにくすくすと笑った。
「あまりの高級素材を前にして、言葉も出ませんかしら? 平民のあなたには、名前すら聞いたことがないのも無理はありませんわね。素直に『分かりません』と頭を下げて泣き叫べば、少しは手加減してあげても……」
「——ユリア様」
エルネが静かに顔を上げた。
その瞳に宿る真剣な光に、ユリアは一瞬だけ言葉を詰まらせた。
「鑑定結果をお伝えします」
エルネはハッキリとした、通りやすい声で講堂全体に響き渡るように告げた。
「一つ目の『七彩の花』。正式名称は『虹絹草』ですが……これは鑑賞価値も薬用価値もありません。無知な調合師が無理やり異属性の魔力を注入したせいで、細胞が壊死を起こし、末期的な発光現象を起こしているだけです。調合に使えば一発で失敗し、爆発を引き起こします。これは意図的に作られた偽物ですね」
「な……ッ!?」
ユリアの顔が引きつった。
客席の学者たちが「何だと!?」とざわめき始める。
エルネの追撃は止まらない。二つ目のケースを指さす。
「二つ目の『銀嶺の冬胞子』に見せかけた、やはり偽物ですね。銀領の葉は本物ですが、冬胞子ではない。表面の美しい銀粉は、不適切な湿度管理によって繁殖した『変異カビ』と魔力の結晶化が混ざり合った毒性物質です。内部の有効成分は完全に死んでおり、これを飲めば激しい嘔吐と肌の爛れを引き起こします。これも図鑑」
「な、何をいい加減なことを……っ!」
「そして三つ目の『黒翡翠の根』!」
エルネは三つ目のケースを強い目で見つめた。
「本来なら素晴らしい薬草ですが、このケースの防魔陣のルーン文字が欠けています! そのせいで大切な魔力が外部へ漏れ出し、すでに幾ばくの価値もありません! 薬効は本来の二割以下まで落ち込んでいます!」
静寂。
講堂内が、まるで時が止まったかのように静まり返った。
「つ、つまり……」
エルネは悲しそうに、けれど毅然と言い放った。
「これら三つの素材はすべて、保管方法が劣悪で毒性が溜まっているか、死んでいる素材です。王立薬学院がいくらの値を付けようと……素材としての本当の評価価値は、ゼロです! 本来の価格で販売したとするなら被害が出て大問題になることでしょう」
「ば、馬鹿な言い掛かりを垂れ流すなあああッ!!」
マルクスが血相を変えて叫んだ。
「これらは我が薬学院が最高級の金庫で管理してきた至高の品だぞ! 貴様のような素人が、当てずっぽうで難癖をつけるんじゃない!」
「当てずっぽうではありません!」
エルネは実験台の上に置かれていた細身のピンセットを手に取ると、迷いのない手つきで『七彩の花』の茎の根本を小さく割いた。
「嫌ッ!? 何を触っていますの、この無礼者が!」
叫ぶユリアを無視し、エルネは割れ目を講堂全体に見えるように掲げた。
「ご覧ください! 茎の内部が真っ黒に変色し、ドロドロに溶けています! これが『細胞の壊死』の証拠です! 試してみますか? この茎の汁を一滴、そちらの防魔液に垂らせば、すぐに変質して黒く濁ります!」
「なっ……!?」
マルクスが目を見開いた。学者たちの数人が慌てて前へ乗り出し、割かれた茎の断面を凝視する。
「ほ、本当だ……内部が腐敗している!?」
「バカな、外見はあれほど美しく光っていたのに……!」
「待て、あの『銀嶺の冬胞子』の表面の光沢……言われてみれば、カビ特有の変則的な魔力波形に似ているぞ!?」
学者たちの間で、一気に動揺と驚愕が広がっていく。
知識のプロである彼らだからこそ、エルネが指摘した「現象」と「根拠」を確かめたくて仕方がない。
そして卑しくも立場や地位を求めるものにとって、今回のできことを大事にして騒ぎ立てたいものもいる。
黙ってはいるが、実力のある学者にとってはエルネの発言がどれほど正確で完璧であるかが一瞬で理解できてしまう。
この試験を見守っていた人々の動きは様々だった。
「そんな……そんなはずが……! わたくしが毎日チェックしていた素材ですのよ!?」
ユリアが蒼白な顔で後ずさる。
エルネはユリアを真っ直ぐに見つめ、悲しそうに首を横に振った。
「見た目の華やかさや、文献の知識だけに囚われているから、素材の悲鳴に気づけないんです。……どれほど高価な箱に入れても、愛を持って正しく管理してあげなきゃ、薬草は死んでしまいます」
ユリアは自分の発言によって過失を明らかにしてしまった。
その言葉は、権威と格付けだけに固執してきた王立薬学院の学者たちにとって、どんな刃よりも深く突き刺さる一撃であった。
講堂全体がエルネの鑑定癌の真価にざわつき出した。
完璧な完全勝利。
だが、ここで終わらせないのが最高の相棒であった。
観覧席から優雅に立ち上がったセシリアが、パチンと派手に扇子を鳴らした。
「おお……見事ですわ、エルネ! さすがはわたくしの認めた最高の鑑定士!」
セシリアは悠然とした足取りで壇上へ降りてくると、腰を抜かしかけているマルクスとユリアを見下ろし、不敵な笑みを浮かべた。
「ふふふ……聞きまして? マルクス院長、それにユリア。最高級の『S級素材』とやらが、実はただの『毒性を持ったゴミ』だったなんて……恥ずかしくて開いた口が塞がりませんわね?」
「ぐ……ぐぬぬ……っ!」
「王宮の貴重な予算を注ぎ込んで、毒草を大大切に金庫で飾っていたなんて知られたら……父様、国王陛下は一体どんなお顔をされるかしら? 『王立薬学院の予算を半減して、すべてエルネのギルドへ回せ』とおっしゃるかもしれませんわねぇ?」
「ひ、ひぃぃっ!?」
セシリアの容赦のない王族のハッタリ、半分本気のようだが、マルクスは顔を青から白へとコロコロと変え、心臓を押さえて卒倒しかけた。
「それとも、何か言い訳はあって? 自分の管理不足を認めて、エルネに謝罪なさるかしら?」
「くっ……うぅ……っ!」
ユリアは屈辱のあまり唇を血が出るほど噛み締め、拳を強く握りしめて震えていた。
プライドを完璧に打ち砕かれ、大勢の部下たちの前で平民の少女に敗北したのだ。
その屈辱は、彼女の正気を狂わせるのに十分なものであった。
「……本日の再評価試験は、エルネは合格、むしろあなたは不合格ということで終わりにいたしますわね。文句はありませんわね?」
セシリアが念を押すと、マルクスは蚊の泣くような声で「は、はい……」と答えるのが精一杯だった。
「行きましょう、エルネ。こんなカビ臭い場所、長居するものではありませんわ」
「あ、はい! セシリア様!」
エルネはセシリアに促され、胸を張って講堂の出口へと歩き出した。
立ち去る二人の背中を、学者たちはもはや誰も引き留めることはできず、ただただ畏怖の目で見送るばかりであった。
——しかし。
背後から注がれる視線の中に、ふたつ。
尋常ではない「殺意」と「怨念」を孕んだ視線が存在していた。
振り返らなくてもわかるほどの、ドロドロとした暗い情念。
マルクスとユリアは、遠ざかっていくエルネとセシリアの背中を、血走った目で睨みつけていた。
顔を激しい怒りと屈辱で歪ませ、爪が手に食い込むほど握りしめている。
(許さない……許さないわよ、平民の泥棒猫……っ!)
ユリアの心の中で、ど黒い憎悪の炎が燃え上がっていた。
(わたくしのプライドを……薬学院の権威をここまで踏みにじってタダで済むと思うな……! 国営婚約発表パーティー……そこで、お前を地獄の底へ突き落としてやる……!)
二人の胸中で蠢く陰険な企みが、次なる大騒動の引き金となろうとしていることを、晴れやかな顔で薬学院を後にするエルネたちは、まだ知る由もなかった——。




