第十話 星夜の祝福と、永遠の誓い
あの大騒動から2日後。
歪んだ悪意が完全に掃討された王宮のグランドホールは、真の祝福に包まれた仕切り直しの婚約発表パーティーを迎えていた。
前回のような刺々しい緊張感は、どこにもない。
ホールの中央には、エルネとアルディスがふたりで採集し、見事に事件を解決へと導いた奇跡の花、星紡ぎの月見草がある。
今度こそ特製のケースの中にあった。
美しい光を放ち、訪れる人々を温かく出迎えている。
ホールへ繋がる重厚な大扉の前。
豪華絢爛な装飾が施された待合室で、エルネは何度も深く深呼吸を繰り返していた。
「ふぅ……はぁ……っ」
胸に手を当てても、早鐘のように打ち打つ鼓動は一向に静まり返ってくれない。
鏡に映る自分の姿を見る。
王妃エレノア様が自ら仕立屋を呼び寄せ、丹精込めて作り上げられたドレスは、結婚式らしく白をベースとした深い青と星屑のような銀の刺繍が施された至高の一着。
薬草収集家として森の土に塗れて過ごしていた日々を思えば、まるで魔法にかけられたかのような美しさだった。
「……大丈夫、落ち着いてエルネ。失敗したら大変だわ……立ち振る舞い、歩幅、お辞儀の角度……」
「そんなにガチガチに緊張しなくてもいいんだよ、エルネ」
「ひゃいっ!?」
背後からぬくもりを纏ったしなやかな腕が伸び、エルネの腰をすっぽりと包み込んだ。
耳元に寄せられた甘く低い声。
振り返る間もなく、頬に優しく冷ややかな唇が落とされる。
「ア、アルディス様……っ! 急に抱きつかないでください! お化粧、あ、侍女さんが……!」
「誰もいやしないさ。今は二人きりだ」
アルディスは可笑しそうに目を細めると、エルネの腰を引き寄せ、正面から抱きしめ直した。
黒と銀を基調とした最高級の公爵礼服に身を包んだアルディスは、まるで物語から抜け出してきた王子様そのものだ。
だが、その青色の瞳に揺れているのは、冷徹な最強の騎士団長としての顔ではなく、エルネにしか絶対に見せない甘く深い情愛だった。
「……顔色が少し赤いね。熱でもあるのかい? もし辛いなら式など今すぐ取りやめて、君を抱きかかえて森の離れへ連れ去ってもいいのだが」
「もうっ! 極端なんですから……っ! 熱じゃなくて、緊張と……アルディス様が距離を詰めすぎるせいです!」
「そうかい? 俺はもっと近づきたいのだが」
クスクスと愉しそうに笑いながら、アルディスはエルネの白く細い指先をすくい上げ、ひとつひとつ愛おしそうに口づけを落としていく。
最後には、左手の薬指に輝く指輪へと唇を寄せた。
「あの事件のあと、新たに二人で摘んだ『星紡ぎの月見草』を集めて練り込んだ特製の魔石だ。私と同じ空の青色の魔石。……婚約の指輪は私と君の瞳と同じ。世界で一番美しい藍色をしているが、この指輪はこれからはずっと私のものだ」
エルネがずっと自分のものであると直接言うよりも恥ずかしい言い回しだった。
エルネは真っ赤になった顔で、深呼吸をしてから答えた。
「……はい。本当に……吸い込まれそうなほど綺麗です」
指輪に嵌め込まれた魔石が、エルネの胸の鼓動に応えるように優しく瞬いている。
「君がずっとつけてくれていた指輪を私も持っていると思うと、いつでも一緒にいる気持ちから温かくなるよ」
アルディスは初めから婚約式の際には新しい指輪を作り、先に渡したものと交換する計画だったようだ。
エルネが身につけていた、ことが彼にとっては最高の品になるポイントだった。
「君の鑑定眼は世界中のどんな宝玉も見抜くだろうが、この指輪だけは、俺の愛の深さを測るために着けていてほしい。……準備はいいかい、俺の可愛いお姫様」
「ふふ、アルディス様がお隣にいれば……どこへでも行けます」
頬を真っ赤に染めながらも、エルネはしっかりとアルディスの手を握り返した。
ファンファーレの高鳴りとともに、重厚な大扉がゆっくりと左右へ開け放たれた。
眩いばかりの光と、会場を埋め尽くす万雷の拍手が二人を包み込む。
前回の事件の緊張感は雲散霧消し、そこにあったのは真の祝福と多幸感だった。
満開の魔法の花々が天井から舞い散り、中央の展示台では、ふたりのお守りである『星紡ぎの月見草』が幻想的なサファイアブルーの光粒を大気中に撒き散らしている。
壇上へと進む二人を待っていたのは、国王陛下と王妃エレノア様、そしてセシリア王女であった。
「……二人とも、よくぞ参った」
国王陛下が重厚な声を響かせ、会場全体へ向けて朗々と語りかけ始めた。
「皆のもの、静粛に! 本日は我が国が誇る最強の騎士アルディス・ヴァルボートと、稀代の超絶鑑定眼を持ち、誠実なる心で国を救ったエルネ・ミルフィの正式な婚約を祝う良き日である!」
歓声が再び沸き起こる。国王陛下は温かな眼差しで二人を見つめ直した。
「先日の薬学院を巡る一連の事件……それは我が国に長年潜んでいた病根であり、膿であった。エルネ、お前の真実を見抜く強き心と知識がなければ、我が国は今頃崩壊の道を辿っていたであろう。この事件を機に腐敗した旧勢力は一掃され、冒険者ギルドや市井の調合師たちとの強力な連携体制が新たに確立された。……国を代表し、心より感謝する」
「陛下……勿体無きお言葉です」
エルネが深々と礼を執ると、隣の王妃エレノアが優しく微笑んだ。
「立ち振る舞いも完璧ですわ、エルネ。お前はもう、誰もが認める誇り高き公爵夫人……いいえ、この国の宝です。アルディスと共に、幸せになりなさい」
「王妃様……! はいっ!」
セシリアもまた、嬉しそうに扇子を鳴らしながらウインクを送ってきた。
「ふふ、これでやっと心置きなくお祝いできますわね! エルネ、アルディス様を猛獣使いのように扱えるのは世界であなただけですのよ? 末永くお幸せに!」
国王夫妻からの祝辞が終わり、会場の祝福が最高潮に達したその時。
「さあ、アルディス。正式に婚約者となった愛しき乙女に、永遠の誓いを」
国王の言葉を受けたアルディスは、一歩前へ踏み出出した。
「アルディス様……?」
次の瞬間——。
「きゃっ!?」
エルネの視界がふわりと浮き上がった。
アルディスが何の躊躇もなく、エルネの膝裏と背中に手を回し、軽々と『お姫様抱っこ』で抱え上げたのだ。
「あ、アルディス様!? み、皆様が見ていらっしゃいます……ッ!」
「知っているさ。だからこそ、見せつけるんだ」
会場中からワーッという歓声と、セシリアの楽しげな悲鳴、そしてガイゼルやシリルたちの温かい苦笑いが巻き起こる。
アルディスは腕の中のエルネを愛おしそうに見つめ、青色の瞳を濡らした。
「森で命を救われたあの日から、俺の魂は君のものだ。……公爵としての権力も、この氷の魔力も、俺の命のすべてを懸けて君を守り、愛し抜くと誓う」
「アルディス様……」
エルネの目から、ぽろぽろと溢れ出す幸せの嬉し涙。
かつて森で一人きり、ギルドで駆け回り、怯えていた少女はもうどこにもいない。
今、世界で一番愛してくれる人の腕の中にいるのだ。
「私も……誓います。どんな時もアルディス様の手を離さず、あなたの隣で……ずっとずっと、生きていきます!」
指輪の藍色の魔石が、ふたりの誓いに応えるように眩いばかりの光を放つ。
アルディスは優しく微笑むと、抱え上げたエルネの身体を引き寄せ、愛を込めて深く唇を重ねた。
誓いの口づけ。
舞い散る祝福の花びらと、降り注ぐ拍手の中で、二人の唇はゆっくりと、名残惜しそうに離れていく。
「愛しているよ、エルネ」
「私も……心から愛しています、アルディス様」
重なる視線、つないだ手の温もり。
数々の困難を乗り越えた二人の前には、どんな氷も溶かしてしまうほどに温かく、どこまでも輝かしい幸せな未来が広がっていたのだった。
◇◇◇
「ふふ、今夜は本当に素晴らしいパーティーになりましたわね!」
華やかなドレスを纏ったセシリアが、笑いかけてくる。
その隣には、事件の功労者である騎士団副団長ギルバートと、王宮魔導師団長シリルも穏やかな表情で佇んでいた。
夜のパーティの時間には、それぞれが昼よりも艶やかな衣装を身に纏っていた。
「本当に……セシリア様や皆様のおかげです」
エルネは胸の前で手を組み、感極まったように微笑んだ。
今夜のエルネが身に纏っているのは、アルディスが自ら選んだ、空色の青いふんわりとしたドレス。夜空の深い青と星屑のような花模様の銀の刺繍がたっぷり施された最高のドレスだ。
アルディスとエルネの瞳の色を混ぜ合わせたような独占欲を現すかのようなデザインとなっている。
エプロン姿の薬草収集家だった頃からは想像もつかないほど高貴で、けれどその瞳には変わらない誠実な輝きが宿っている。
「……とても綺麗だ、エルネ」
背後からそっと腰を抱き寄せてきたのは、黒と銀、藍色の装飾の礼服に身を包んだアルディスだった。
極寒の魔力を完全に抑え込み、その金色の瞳には甘い情愛だけが満ちている。
「アルディス様……! もう、大勢の皆様が見ていらっしゃいますよ」
「構わないさ。君が俺の伴侶であり、世界で一番愛しい存在だと、今度こそこの国の全員に示したいんだ」
照れて顔を赤らめるエルネを愛おしそうに見つめ、アルディスはそっとエルネの指先にキスを落とした。
「今からこれでは結婚式ではどうなるのやら……」
ギルバートが少し不安の声を漏らした。
会場からは温かな拍手と歓声が沸き起こり、祝福のムードは最高潮に達しようとしていた。
——その時であった。
「まあ、大袈裟なことですこと。たかが一国の公爵様と平民の婚約で、これほどのどんちゃん騒ぎなんて」
「そうだね。まるで田舎のお祭りみたいだ」
静かな宴の空気を打ち破るように、鈴の転がるような、けれどどこか冷ややかで軽薄なふたつの声がホールへ響き渡った。
ホール入口のレッドカーペットを踏みしめて歩いてくるのは、艶のある薄紫色の髪と透き通るような翡翠色の瞳を持つ、瓜二つの幼い少年少女だった。
褐色の肌にしっかりした眉やまつ毛が、この国とは違う異国の雰囲気を醸し出していた。
豪奢な異国の礼服に身を包み、優雅な足取りで進んでくる二人組。
その背後からは、並の人間では気圧されてしまうほどの、異様で濃密な「魔力」が不穏に揺らめいていた。
「な……ッ、あの方々は……!?」
ギルバートが瞬時に身構え、剣の柄に手をかける。
シリルもまた眼鏡の奥の瞳を鋭く細めた。
「間違いありません……軍事強国である海洋王国アトランティクスの皇族……『双子神子』と称される、レオン殿下とルチア殿下です」
会場の貴族たちがざわめき立つ。
事前の出席リストには存在しなかった、完全なる招かれざる客の突然の来訪であった。
「初めまして、レグラリア国の皆様」
妹のルチアが、優雅にドレスの裾を持ち上げて不敵に微笑む。
「祝辞を述べにきてあげましたのよ? なんでも、薬草採集しか脳がない平民の娘が、我が国でも噂の『氷の公爵』を惑わしたとお聞きしましたものですから」
「ボクたち、気になっちゃってさ」
弟のレオンがクスクスと不気味に笑いながら、エルネを品定めるような視線で見つめる。
「どんなにすごい知識を持ってるのかと思ったら……なんだ、ただのどこにでもいるような女の子じゃないか。ねえ、そこのお姉さん。ボクたちの国に来て、秘密の魔導植物でも育ててみる? 拒否権はないけどね」
無礼極まりない言葉と、隠そうともしない強大な威圧感。
せっかくの祝福の場を冷や水で濡らされたアルディスの瞳に、一瞬にして猛烈な氷結の殺気が宿りかけた——その時。
「ありがとうございます。アトランティクスの双子の殿下方」
エルネがそっとアルディスの前に立ち、凛とした微笑みをたたえて一歩踏み出した。
「お言葉ですが、私の知識は他者を慈しみ、傷ついた人を癒やすためのものに使いたい。力で誰かを脅かすためのものではありません。……それに、私はアルディス様と共にこの国で生きていくと誓いました。どれほど強い権力でお誘いいただいても、お断りいたします」
まっすぐで、一切の揺らぎがない藍色の瞳。
『超絶鑑定眼』を持つエルネは、双子が身に纏う圧倒的な魔力の奥に潜む「歪み」と「孤独」を一瞬で見抜き、恐れることなく堂々と立ち向かったのだ。
「……へえ?」
せせら笑っていた双子の表情がピタリと止まり、瞳に興味と驚愕の色が走る。
「ボクたちの圧を受けて、顔色一つ変えないなんて……」
「面白にい方ですわね……ただの平民ではないようですわ」
二人は不敵な笑みを深め、去り際にエルネに向かって小さく手を振った。
「覚えておきますわ、エルネ様。近いうちに……またお会いすることになりそうですもの」
「バイバイ、お姉さん。次会う時は、もっと楽しいお遊戯をしようね」
双子が去ったあとも、会場には新たな波乱の予感が静かにくすぶっていた。
「……エルネ」
「大丈夫です、アルディス様」
アルディスが愛おしそうにエルネの手を握りしめると、エルネは力強く微笑み返した。
「どんな困難や新たな敵が立ち塞がろうと……ふたりで乗り越えていきましょう!」
『星紡ぎの月見草』のサファイアブルーの光が、二人の深まる絆と、これから始まる新たな冒険の予感を祝福するように、どこまでも優しく輝いていたのだった。




