第5話 綺麗事
剣のぶつかり合う音が、怒号に重なる。血と汗の臭いが充満している。足元で馬が躓く。ハルは、馬上から迫る敵をロングソードで斬り払う。次の瞬間、何かが馬にぶつかる。馬が大きくよろめく。視線を落とすと、味方の兵士が倒れこんでいた。苦痛で歪んだ顔から、血の気が引いていく。
「助けて」
ハッと目を開ける。見慣れた天井が見える。ベッドから体を起こす。脇の下に冷えた汗が張り付いている。両手で顔を擦る。
「……また、これか……」
ベッドサイドの水差しから、水をグラスに注ぐ。手元が定まらず、テーブルに数滴零れる。水を一気に流し込む。口角から一筋、水が垂れる。袖口で拭いながら、ベッドを出る。ランプを片手に執務室へ向かう。
本棚から、紐で綴られた羊皮紙の束を引っ張り出す。端が擦り切れている。指が引っかかったところを開き、並んだ名前を指でなぞる。インクの盛り上がりに手が止まる。
「……すまない」
会議室のざわめきが途切れる。上座に座るハルへ一斉に視線が向けられる。
「今なんとおっしゃいましたか」
「エルアール国と和平条約を結ぶ、と言った」
「なぜです?エルアール国への勝利は目前でしょう」
手前に座る公爵が、射るような目を向ける。ハルは机の上で手を組んだまま答える。耳の奥に、あの声が残っている。
「これ以上、国の宝を失いたくない」
「……それは……またずいぶんと……綺麗事ですな」
公爵は、冷たい表情でせせら笑う。
「得るものもあるはずだ。我がルナティア王国は、過去にエルアール国と交易を結んでいた時代があった。その頃の文献が残っている」
「机上の空論ですな。陛下は、まだ政治に慣れてらっしゃらない。誰か導き手を近くに置くことをお勧めしますよ」
「それなら、もう決めてある。宰相にはレヴィアス・モルダー・エリオットを任命する」
肌を刺す冷気を帯びた視線が、レヴィアスに注がれる。
ハルの組んだ手の指先が白くなる。
「ああ……レヴィアス殿は、陛下の世話係でしたな」
その声に紛れて、誰かが吐き捨てた。
「お気に入りか」




