表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/12

第2話 お前が死ねばよかったのに

 ドアをノックする。背筋を伸ばして、返事を待つ。

「入れ」

「失礼します」

 ローズウッドのデスクに、窓の光が赤く滲んでいる。

「ハル、今日が出立だったか」

 「はい、父上。本日アッシュクラウン平原へ向かいます」

 父が眼鏡を外す。光を宿した強いまなざしを向ける。

「アッシュクラウン平原を制すれば、我が国の勝利は間違いないものになるだろう。すべてはお前の指揮にかかっている。任せたぞ、ハル」

「父上に良きご報告ができるよう、全力を尽くします」

 目尻にしわが寄り、鋭い眼光が柔らかくなる。

「頼もしくなったな、ハル。お前は小さい頃から体が細く、騎士にはなれないと思っていた。一人図書館で本を読んでばかりで、将来はどうなるかと心配していたが、レグルスの右腕となれるまでになったな。お前もそう思わぬか。」

 父は隣に立つ男へ目を向ける。白髪交じりの髪と丸い眼鏡。穏やかに笑っているが、その目だけは一歩引いた場所にあった。

「ええ、殿下がヴォルガ殿の顔を怖がって、泣きながら剣術の稽古をしておられたのを、昨日のことのように覚えております。殿下のご立派な姿を、王妃殿下がご覧になられたら、どんなに喜ばれたことでしょう」

 ハルは下を向く。耳が赤い。

「やめてください、ベルム殿。子供の頃の話を出すのはずるいですよ」

 ベルムの手で隠した口元から、笑いが漏れる。

「これは失礼いたしました。ハル王子殿下、ご武運をお祈りしております」

 右手を左胸に当て、一礼する。

 青いマントを翻し、部屋を出た。


 

 風に煽られ、入り口の布が、緩くなびいている。兵士たちの小さな笑い声に混ざって、鎧のぶつかる乾いた音が、風に乗ってテントの中に入ってくる。

「今夜は冷えますな」

 体をかがめながら、熊のような男がテントに入ってくる。

「兵の様子はどうだ」

「相変わらず賑やかですよ。ちょっと浮かれすぎにも見えますがね」

 隣の椅子に腰を下ろす。ミシミシと軋む。ハルは思わず椅子の足に視線をやる。

「殿下は明日も前線へ出られるのですか」

「当然だ。指揮官が前に出ずしてどうする」

「……そうですか。」

 男の視線は下を向いたままだ。

「ヴォルガ、お前は私が前線に出ることは反対なのか」

「いえ。殿下が出られるなら、私は盾となるだけです。」

 外の焚火の爆ぜる音が聞こえる。


 「ハル王子殿下、王城より至急の伝令が来ております」

 「すぐに通せ」

 伝令は肩で息をしている。こわばった顔で、言葉が出ない。

「申せ」

 伝令が喉に閊えた何かを飲み込むように、喉仏を上下させる。

「申し上げます。レグルス王子殿下がご逝去なされました。つきましては、ハル王子殿下は至急王城へお戻りください。騎士団長ヴォルガ殿は、兵を取りまとめ帰還するようにとのことです」

 ハルは動かない。音が遠くに沈んでいく。言葉の意味だけが、遅れて残る。

「殿下……殿下……」

 隣から掛けられた声で我に返る。

「殿下、すぐに王城へ」

 ハルの視線が落ちる。椅子の手すりを握る手が震えている。

「ハル王子殿下、馬の用意ができました」

 ヴォルガの節くれだった手に、ハルの二の腕が強引に引き上げられる。

「しっかりしろ、ハル王子」

 ハルは自分の足で立つ。ヴォルガの大きな手が背中を押した。

 

 礼拝堂の扉にかけた手が止まる。下を向いた目は閉じられ、何も映そうとしない。解け落ちた一房の髪が、頬に触れる。大きく息を吸い、手に力を入れる。

 扉を開けた先に、騎士団員が静かに立っている。正面のステンドグラスから落ちる光の中心に、黒曜の棺が横たわっている。

 兄は眠っているようだった。白い頬に一本の赤い線が走っている。震える指先で、そっと傷を撫でる。肌の冷たさが指先に触れた瞬間、ハルの口から嗚咽があふれ出す。崩れた体が、棺の淵にしがみつく。すすり泣く音が広がっていく。

 

「兄上に何があった」

 下を向いたまま話す。

「申し訳ありません……申し訳ありません……」

 従者が一人、叫ぶような声を上げ、泣き崩れる。

「落馬されたのです。私がお止めしていれば、こんなことには……」

「落馬……兄上が……?」

 従者の背に手を当てていた男が口を開く。

「狩猟に出て……。その……陛下と口論に……。」

「口論?」

「自分も国のために戦いたい、と……何度も……そのまま馬を駆って……」

 ハルは、泣き崩れている従者の前に膝をつく。肩に手を置く。

「兄上の死は、お前のせいではない。」

 従者の悲痛な叫び声を背に、礼拝堂を出た。


 父の執務室に近づくと、獣の咆哮のような声が聞こえる。何かが割れたような音が続く。階段を上がる足が速くなる。ノックもせず扉を開ける。

「父上」

 部屋は荒れていた。足元に紙が散らばっている。踏みつけかけて足が止まる。顔を上げると、椅子は離れた場所に転がっている。部屋の中央には髪を振り乱し、叫び声をあげている父の姿があった。机の上を薙ぎ払い、固く握られた拳を、机に打ち付けている。右手には一筋の赤い線が見える。

 「父上、お怪我を……」

 駆け寄り、横から抱きすくめるように腕を抑える。体の大きい父の力は、衰えておらず、押さえた手は簡単に弾かれる。視界の片隅に、ゆっくり立ち上がる宰相の姿が映る。腰をさすっている。

「大丈夫ですか」

「ええ、それより陛下を……」

 二人がかりで暴れる腕を押さえ、机から引き離す。押さえていた腕の力が抜ける。ハルが顔を上げると、父がこちらをじっと見ていた。その目からは、何も伝わってこない。ハルの呼びかけが届く前に、父の口から言葉がこぼれる。

「何でお前がここにいる」

 ハルは、言われたことの意味が分からず、小さく首を傾げる。

「何でお前がここにいる。何でレグルスじゃない」

 父の顔から眼を背けることができず、見続けるしかなかった。絞り出すような低い声が、耳の奥に貼りつく。

「どうしてレグルスなんだ……何で……お前が死ねばよかったのに……」

 耳を通る言葉が、ばらばらにほどけていく。

「陛下」

 ベルムの鋭い声に、父の体が小さく跳ねた。さまよう父の目がハルの顔を捉える。その目は大きく見開かれ、みるみる涙が溢れる。悲痛な叫びと共に泣き崩れる。

 ハルは、ただ立ち尽くしていた。父の叫びは、もう届いていなかった。

 





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ