第22話 首輪
長い沈黙が流れる。公爵は、ハルをまっすぐに見つめたまま口を開く。その表情は硬い。
「……承知いたしました。倉庫の食料は、すべて放出いたします。流通も正常に戻しましょう……このご恩は忘れません」
ハルが顔を上げる。鋭さと冷たさを持った目で、公爵を見る。
「勘違いするな。私はお前を許したわけではない。国のために残すだけだ」
公爵が息を呑む。視線が初めて逸れる。
「それでは、私は何を差し出せばよろしいのですか」
「エルアールとの交易権をお前に委任する」
レヴィアスの息が止まる。その手に持った紙の束が落ちる。公爵の顔からも、一瞬だけ表情が消える。
「……私にですか」
「ああ」
「陛下は、私を裁くどころか、新たな利権をお与えになると?」
「違う。褒美ではない。お前の領地には、職を失った者がいる。流通を知る者もいる。その者たちを使え」
ハルの視線は公爵を捉えたまま離さない。一段低い声が続く。
「生き残りたいなら、死ぬ気で成功させろ」
レヴィアスは動けずにいる。足元には紙が散らばっている。
公爵は、しばらくハルを見つめていた。やがて、小さな笑いが漏れる。
「……なるほど。首輪ですか」
「そうだな」
「失敗したら?」
「その時はお前を切る」
公爵の喉が、わずかに動く。ハルは机の上の帳簿に視線を向ける。
「お前の罪は消えない。そして、今後もお前のことを見続ける」
「……承知いたしました」
公爵はゆっくりと立ち上がる。その動きに来た時の鷹揚さはない。深く頭を下げる。
「必ず、交易路を形にして見せましょう」
公爵は静かに向きを変え、扉に向かう。
「公爵」
公爵の足が止まる。
「私はお前を許してはいない」
「……心得ております」
公爵は自分で扉を開く。後ろを振り返ることなく執務室を出ていった。
扉が閉まると、部屋には重い静けさだけが残った。レヴィアスはしばらく立ち尽くしていた。やがて、しゃがんで散らばった紙を集め始めるが、じきに手が止まる。
「……陛下」
掠れた声が絞り出される。
「これで、よろしかったのですか」
ハルは、背もたれに身を預けて目を閉じる。大きく息を吐き出した。
「分からない……だが、今はこれしかない」
レヴィアスは、黙って手を動かし始めた。
執務室を出ると、階段を上がり静かなサロンを抜ける。扉を開けると、柔らかな明かりが灯った温室があった。中に入ると、湿った空気に花の甘い香りが混ざっている。ハルは椅子に腰を下ろした。
温室の天井越しに、青白い月が見える。目を閉じたまま動かない。
上から柔らかな声が降ってきた。
「こちらにいらしたのですね」
ハルが目を開けると、入り口にイリシアが立っていた。その手には、トレーに乗った湯気の立つカップが2つある。
「……ああ」
「お茶を淹れすぎてしまいました」
ハルの前にカップが差し出される。そのまま、向かいの椅子に静かに腰を下ろす。ハルは、カップを取り、縁にある青い模様を指先で撫でる。指先に温かさが伝わる。一口お茶を口に含み、ゆっくりと飲み込む。静かにカップを置き、月を見上げる。そのまま呟く。
「……私は、良い王ではないのかもしれない」
イリシアの視線が一瞬こちらに向けられる。間が開いて、イリシアが答える。
「そうかもしれませんね」
ハルが、イリシアを見る。その顔は穏やかなままだった。
「ですが、今ここにいるのは国王ではありません」
イリシアがこちらを向く。
「ハル様でしょう」
温室の中を、静かな風が抜けていく。葉擦れの音が聞こえる。ハルは、手元のカップを見る。
二人が、静かにお茶を飲む音が重なっていった。




