第9話 境界
謁見室から戻ったハルは、机に積まれた書類の山を見てため息をつく。背もたれに寄りかかり、天井を仰ぐ。窓に視線を向けると、夕焼けの名残がある空と月が見える。小さく息を吐き出し、書類の山に手を伸ばす。紙をめくる音とペンが走る音だけが聞こえる。
ふと、視線を上げると書類の山は3分の1程になっていた。ペンを置いて首を回し、立ちあがる。隣の部屋からは、レヴィアスの動く音がする。
最上階に繋がる扉を開ける。バルコニーへ続く窓が開いているのが目に入る。ゆっくりと窓に近づいていく。温室の中でイリシアが花の手入れをしている姿があった。ハルの視線は、そのまま動かない。
イリシアが、温室から出てきたところで立ち止まる。
「陛下、お戻りでしたか。気が付きませんでしたわ」
「……ああ」
イリシアは、そのままフロアの奥に入っていく。遠くから水の流れる音がする。ハルの目は、誰もいない温室を見ている。
「陛下、そんなところでどうされましたか」
後ろから声をかけられて、ハルの体が小さく跳ねた。後ろを振り返ると、イリシアの手には、ティーカップを2つ乗せたトレーがあった。イリシアは、ハルの横をすり抜け温室へ向かう。ハルは、それを目で追いかける。温室の入り口でイリシアが振り返る。
「陛下、こちらへお越しくださいませ」
イリシアは、そのまま温室へ入っていく。ハルはゆっくりとした足取りで温室へ向かう。
以前と同じ椅子に腰かける。青い模様の入ったティーカップに視線が止まる。指先が、わずかに縁をなぞる。カップに指をかけ、お茶を口に含む。ゆっくりと喉が動く。
お茶を飲み干し、カップを置く。ハルは温室の中を見回す。棚に白や紫の花がある。その下の段には葉っぱだけの鉢が並んでいる。イリシアに視線を送ると、ゆったりとした仕草でお茶を飲んでいる。
ハルは立ち上がり、出口に一歩踏み出す。
「……うまかった」
そのまま振り返らずに温室を出た。
薄暗い地下道に、足音だけが響いている。冷えた空気が、肌をなぞる。石に囲まれた空間で、ランタンの明りが揺れている。ハルは俯き、拳を握っている。前を歩く騎士団員との距離が開いている。
廊下の角を曲がった先に、鉄の扉が現れる。団員がドアを叩く。内側から扉が開き、重い音が通路に響く。部屋の奥にだけランタンの火が揺れている。薄暗い部屋に足を踏み入れると、湿った空気がまとわりつく。土とカビの匂いが混ざって鼻につく。鉄格子の向こう側には、鎖でつながれた男が、床に座っていた。
中にいた団員が耳打ちをする。
「何も話しません」
ハルはうなづき、一歩前に出る。男の顔は、まっすぐにこちらを見ている。その目は光を失っていないのに、何の表情も見えなかった。
「お前の雇い主は誰だ」
人の息遣いだけが聞こえる。男の表情には何の変化もない。ハルの目が細くなる。声が一段低くなる。
「お前は、王を狙い、国の宝を奪って……それでも、口を割らぬか」
男の目が見開かれ、口が歪む。片方の口角が上がる。
「国の宝?……戦で奪ったものを並べて、何が国だ。……同じだ」
隣に立つ団員へ、抑揚のない低い声で告げる。
「……もういい……任せる」




