12. 第7章 家族の絆と策略の果て-2
ネイトらはクライヴからの情報を基に、ロックミア共和国の権力者の家族たちにピースキーパーを順次送付し始めた。
そして、その中にはモーリス元帥とその家族も含まれていた。
モーリス元帥の邸宅では、末の孫娘がピースキーパーを手に大喜びしていた。
金髪碧眼の少女は、両親をイメージした衣装を着た兎のぬいぐるみを大事そうに抱きしめている。
スナップボタンでぬいぐるみと接着可能なフレームは、家族の肖像画が収められテーブルに置かれていた。
後でぬいぐるみと合わせて部屋に飾るつもりだろう。
「お祖父様!このぬいぐるみ、すごく可愛いわ!」
少女はピースキーパーを抱えながら、踊るようにクルクルと回る。
特注のベアトリスが届かないと、泣き腫らしていた姿が嘘のようだった。
「ハハッ、気に入ったか! それは何よりだ」
モーリス元帥は孫娘の笑顔に顔を綻ばせ、熊のような体格が揺れた。
日頃の厳つさが嘘のようだ。
隣に立つ妻の目は若干冷ややかだが、浮かれているせいで彼は全く気がついていない。
彼の手元にも愛娘と孫娘を模したピースキーパーがあり、後ほど執務室の机に飾ろうと考えていた。
そうすれば、2人が常に側にいるように感じられるだろう。
同封されていた説明書によると、小物の特注も受けているらしい。
愛娘と孫娘に以前送った髪飾りのことを思い出し、ピースキーパー用の小物として、同じものを作らせてもいいだろうと彼はほくそ笑んでた。
だが、幸せな時間は長続きしなかった。
孫娘がモーリス元帥の方を向いて、少し困ったような表情をする。
「お祖父様。戦争が始まったら、もうこんなぬいぐるみ作れなくなるって本当でしょうか?」
モーリス元帥の緑色の目が凍りつき、勲章が光る胸は動きを止めた。
彼が愛する美しさと賢さを備えた孫娘は、自分宛ての箱だけに同封されたメッセージにもしっかりと目を通していたのだった。
彼は目線を逸らしながら孫娘の頭を撫で、必死に誤魔化そうと言い訳を始めた。
「いや、そんなことはないはずだが…」
「似たようなぬいぐるみはすぐに作れる」
「材料はあるし、職人もいる。何の問題もない」
「どんな問題が起きたとしても、お祖父ちゃんが何とかしよう」
しかし、透き通るような碧い目に涙を浮かべた孫娘の前では、彼はあまりにも無力だった。
「約束して頂けますか?戦争しないと?」
モーリス元帥は孫娘から視線を逸らすことができず、無言のまま冷や汗を流す。
さらに、隣に立っていた彼の妻が、鋭い視線と共に追い打ちをかけた。
「私の分のぬいぐるみも手に入るんですよね?」
彼女の声は、軍の最高責任者を震わせる力を持っていた。
そう、ピースキーパーは孫娘とモーリス元帥の分だけしかなかった。
モーリス元帥宛の箱に同封されたメッセージには、非礼を詫びる言葉と共に、後日改めて送付すると書かれていた。
当然、具体的な期限などは書かれていない。
もし生産中止となれば、彼女の手元にピースキーパーが届くことはないだろう。
進退窮まったモーリス元帥は額に汗を浮かべ、つい勢いで叫んでしまった。
「戦争はしない! 約束しよう!」
孫娘が笑顔になり、妻が満足げに頷く。
だが、彼の心は嵐に包まれていた。
この約束はモーリス元帥にとって、大きな問題となった。
彼は軍の最高責任者として、戦争回避を約束してしまったのだ。
しかし、ヘザーリン帝国からの侮辱に対しては強く訴えなければならない立場であり、相手が引き下がろうとしない中、戦争回避を公言するわけにはいかなかった。
そうしないと権力が維持できないだけではなく、軍部以外からも弱腰と批判される可能性がある。
ヘザーリン帝国以外の国から舐められれば、国防にも影響が出るだろう。
だが、家族の願いを無視することもできない。
モーリス元帥は体面を保ちながら、なんとかして戦争を回避しなければならなくなった。
彼は、「他者からの要請で仕方なく戦争回避を決断した」という体裁を取り繕わなければならない。
周囲の者やヘザーリン帝国から「戦争を回避して欲しい」と言わせるため、彼は必死になって動き始めたのだった。
同様の光景は、ロックミア共和国とヘザーリン帝国の権力者の家庭で繰り広げられていた。
子供たちの純粋な願いや、愛する妻たちの力強い要請に権力者たちは困惑し、膝を屈する者が続出した。
モーリス元帥以外にも、高位軍人や権力者が同様の状況に追い込まれていたのだった。
ただ、当事者たちはこんな話を外部に漏らすわけにもいかないため、誰にも相談できないまま対処せざるを得なかった。
誰もが体面を保ちつつ、戦争を回避するための方法を探そうと必死に駆け回り始めた。
**********
後日、モーリス元帥はロックミア共和国の権力者たちに接触し始めた。
軍関係者だけではない。
政治家や有力資産家、貴族など、とにかく手当たり次第に声をかけていった。
「戦争は経済的にも大きな負担になる」
「民間人の被害も避けられない」
「共和国の成長を妨げる要因になりかねない」
「これまでの強硬的な姿勢はあくまでも交渉上のブラフ」
「開戦を決議するような権限は軍部にはない。戦争の是非は政治で判断されることである」
「軍部としては弱腰の姿勢を見せるわけにはいかないだけだ!好き好んで戦争をしたいわけではない!」
「あなた方にも愛する家族がいるはずだ!戦争とは、その家族を巻き込む可能性がある行為だということを重々承知して欲しい!その覚悟があるのか?本当にあるのか!本当に!?」
モーリス元帥はそんな言葉を繰り返し吹き込み、表向きは強硬姿勢を崩さないまま、裏では和平の道を模索した。
同時期にヘザーリン帝国のドルフ元帥も、ぬいぐるみ好きの妻から圧力を受け、同じ状況に追い込まれていた。
ティムが手配したピースキーパーが、ドルフ元帥の家庭にも届いていたのだ。
彼は恐妻家であり、愛する妻には頭が上がらない。
彼の痩せた体格では妻の冷たい視線に耐えきれず、モーリス元帥と同様に戦争回避に向けて動き始めたのだった。
**********
ロックミア共和国の軍部では、ヘザーリン帝国との会談に向けた事前会議が開かれていた。
モーリス元帥は、誰かが「開戦を止めるべき」と言い出すのを期待していた。
しかし焦るあまり、発言しようとする者がいると、血走った目で無意識に睨んでしまう。
睨まれた者はモーリス元帥の機嫌を損ねまいと、当たり障りのないことを言ってお茶を濁す。
その繰り返しの結果、時間だけが無為に流れていった。
(このままでは、開戦に向けて話が進んでしまう...)
モーリス元帥はイラつきを押さえるように腕を組むが、焦りは隠せない。
そして、彼の焦りは周囲に伝染し、戦争回避などと主張できるような空気ではなくなっていった。
方針を変える発言がなければ、今回の会議の結論は「ヘザーリン帝国との開戦やむなし」となってしまうだろう。
彼はさりげなく他の意見を促そうとしたが、周囲は「余計なことを言うなよ」という圧力と勘違いし、ますます口を閉じてしまった。
モーリス元帥は知らないことだが、彼と同様に開戦を回避しようとする者たちが、その会議の場にはかなりの数存在している。
しかし、モーリス元帥が開戦派だと勘違いしている彼らは、モーリス元帥に睨まれてあえなく討ち死にしていたのだった。
「あと30分で会議は終了となります。他に意見のある方はおられますか?」
司会の声がむなしく会議室に響く。
最早これまでか。
モーリス元帥たちが諦めようとした時、重苦しい空気の中、若き大佐が覚悟を決めて立ち上がった。
彼は躊躇いながら、吹き出る汗を何度も拭く。
なかなか口を開かない彼を前に、参加者全員が固唾をのんで見守る。
開戦を後押しするとどめを刺すのか、元帥に逆らう命知らずなのか。
彼は青ざめた顔で震えながら口を開いた。
「戦争を回避することは不可能なのでしょうか…?」
モーリス元帥は内心で喝采を送った。
そして、今後彼を重用しようと固く心に誓った後、即座に便乗し大声で喋り始める。
「大佐の意見は傾聴するに値する!国の名誉を守るためであれば、戦争することも辞さず。これまでの私の態度はその一点に従ったものだ。しかし、一度戦争が起きればどこまで戦火が広がるかは分からない。そのことを考えれば、そうやすやすと戦端を開くことはできない。実際、私はこの頃国内の権力者とこの点について議論を深めてきた。そして、彼らの中にはどうにかして戦争を回避できないかと訴える者もいた」
モーリス元帥は注目を集めるため、椅子を蹴飛ばし勢いよく立ち上がった。
拳を握り、天高く突き上げ、誰にも口を挟ませないよう周囲を睨みつけながら喋り続ける。
「そう、戦争回避を訴える声があったのだ!戦争はあくまでも政治の延長に存在するものであり、我々軍人が率先して戦争を訴えるなど言語道断である。政治家が戦争を回避したいというなら、いかに困難な道であっても成し遂げるのが軍人としての責務である!そう、致し方ない責務である!」
他の者は元帥の唐突な心変わりに戸惑い、不思議そうに首を傾げる。
しかし、家族から圧力を受けている一部の軍人は、機を逃さずモーリス元帥に賛同した。
「モーリス元帥の仰る通りです!」
「安易な開戦は後世で軍部の恥として記されるでしょう!」
「守るべき国民を第一に考えねばなりません!」
彼らは立ち上がり、叫びながら会議を押し切ろうと連携を図った。
結果、モーリス元帥らの勢いに流されて、無事会議は戦争回避で合意。
軍部は権力者や他の組織に働きかけ、国民から戦争回避の声が上がるようマスメディアに情報を流し始める。
だが、ヘザーリン帝国に対して自分たちから言い出すわけにはいかない。
そんなことをすれば、どれだけ足元を見られるか分かったものではない。
むしろ、戦争回避に向けて動き出したことを悟られないよう、情報規制を始める必要があった。
軍部は相手から戦争回避の提案を引き出すため、必死に画策を始めたのだった。
ヘザーリン帝国でも、同様の動きが起きていた。
しかし、両国が情報漏洩を防ごうと厳重な規制を敷いたことで、互いに相手の動きを把握できなくなっていた。
外交官などの窓口も機能不全へと陥り、相手の事情を把握できずすれ違いが発生する。
相手からすると急に情報規制が厳しくなったように見え、開戦に向けた準備ではないかと疑う者が続出した。
ティムはフリントムーア連邦の自邸で事態を見守っていた。
書斎には、ベアトリスと展示会で貰った兎のぬいぐるみが飾られ、窓から差し込む暖かい陽光に照らし出されていた。
彼は連絡員からの報告を受け、満足気にステッキを軽く叩いた。
「うまくいっているようだな。だが、まだ決定的ではない」
彼はネイトに連絡を取り、「最後の一押しの準備を始めよう」と告げた。




