5. 第3章 「可愛い」の迷宮-3
翌日、工房でネイトは手足を放りだし、椅子に体をもたれかかっていた。
作業台には試作品が山積みになり、スケッチの紙は破り捨てられた屑で溢れている。
犬、猫、車、建物、果ては得体の知れない何かまでが転がっていた。
赤い髪は乱れ、淡褐色の目は疲れと苛立ちで曇っている。
「可愛いって何だよ…」
昨夜のエリノアとリネットとの議論が頭を離れない。
それを見た他の職人たちはヒソヒソと話し始める。
「ネイトも年貢の納め時だ」
「お偉方を怒らせた職人の行く先は1つだぜ」
その声には嘲笑と、少しの哀れみが混じっていた。
視界の端では壁に吊るされた軍服の肩章が、陽光に冷たく光る。
ネイトの隣にいるラッセルは試作品を見比べていた。
「…子供の言うことは参考になるが、具体性に欠けるな」
ラッセルの声は冷静だが、灰色の瞳には困惑が滲む。
「具体性? あいつら、ベアトリスが一番って言っただけじゃねえか!」
ネイトが作業台に拳を叩きつけ、ライオンのぬいぐるみが転がり落ちた。
「結局、俺たちが何作ってもベアトリスに勝てねえってことだろ!」
ラッセルは落ちたライオンを作業台に戻し、ため息をついた。
「...そうかもしれない」
2人が黙ったまま時間が過ぎていく。
「可愛い」の基準が分からないままでは、いくら試作品を作っても話が進まない。
逆に言えば、基準が分かりさえすれば、ネイトとラッセルならどうにかできる可能性はある。
では、その基準となるものはどこにあるのか?
それをひたすら考え続けたラッセルは、ふと顔を上げた時に目に入ったものに手を伸ばした。
ラッセルの手の中にはベアトリスがいた。
「ベアトリスを参考にいくつか試作品を作る。そして、評判の良い試作品を商品にしたらどうだ?」
彼の声は静かだが、確信に満ちていた。
「は? 真似すんのか? そんなダセえことできるかよ」
ネイトは作業台を叩き、赤い髪を振り乱した。
「じゃあ、どうするつもりだ? スチュアートに助言でも求めるか?」
ラッセルは灰色の目でネイトを見つめ、穏やかに畳みかけた。
「完全な模倣じゃない。基本的なデザインコンセプトを理解し、そこから独自のアレンジを加えるんだ。ベアトリスの強みは、ふわふわの生地と愛らしい表情だ。生地は無理でも、形や表情で勝負できる。パーツのバランスも参考になるだろう」
ネイトは唇を噛み、作業台の試作品を睨んだ。
ラッセルの提案は受け入れたくない。
彼が好き好んでこの提案をしたわけではないことは分かる。
彼には守るべき家族がいて、失敗すればスチュアートにも迷惑がかかる。
他に良い案も浮かばない。
ネイトはハーディプールに来て初めて意見を曲げた。
「…分かったよ。それでいこう」
2人はベアトリスを徹底的に分析し、パーツの構成比などを整理していく。
そして、ベアトリスと同サイズの犬と羊をモチーフにしたぬいぐるみを作り上げた。
胴体や手足のバランスはベアトリスのものを流用し、抱きかかえやすいように重心を調整する。
抱きかかえた時の感触が良くなるよう綿の詰め方を工夫し、綿が偏らないように内部に細かい細工を入れた。
犬は丸い鼻と垂れた耳を強調し、羊はフワフワの毛を増量し柔らかさを表現した。
生地もそれぞれのイメージに沿うような高級生地を使い、肌触りには極力配慮した。
縫い目は細かく、意図しないフォルムの歪みなど許さない。
完成したぬいぐるみをラッセルの娘たちに見せると、反応は悪くなかった。
エリノアは「これ可愛い!」と抱きしめ、リネットは「ベアトリスほどじゃないけど、好き!」と笑った。
だが、ネイトは満足できなかった。
作業台に並ぶ犬と羊のぬいぐるみを睨む。
「悪くねえけど…何かが違う」
そう呟くネイトの淡褐色の目には、苛立ちと焦りが混ざる。
だが、何が足りないのか、言葉にできないもどかしさが彼を苛んだ。
ネイトが悩んでいると、スチュアートが試作品を見にやってきた。
丸メガネの奥で目を細め、犬のぬいぐるみを手に取る。
「悪くはないが…」
ネイトと同じ感想を抱いたのだろう。
彼は言葉を濁し、微妙な評価を下した。
「ベアトリスと比べると、まだ何か物足りないな」
ネイトは拳で作業台を叩く。
「何だよ、その『何か』って! 具体的に言えよ!」
ネイトが吠えると赤い髪が乱れ、工房に響く声は他の職人たちを黙らせた。
その日の午後、大臣の使者が進捗確認のためにハーディプールを訪れた。
スチュアートは使者を応接室に通し、ネイトが作ったぬいぐるみを見せる。
「こちらはあくまでも試作品です。生地の調達の問題もあり、今後改善を進めていく予定で.....」
そうフォローしながらぬいぐるみを説明していく。
しかし、スチュアートの説明を一通り聞いた後、使者ははっきりと宣言した。
「申し訳ないが、私にはぬいぐるみの良し悪しは分からない」
その言葉にスチュアートは驚くが、同時に理解も示した。
使者はあくまでも大臣の命令を受けただけであり、彼本人がぬいぐるみを欲しがっているわけでない。
見込み客でもない彼が、商品の是非を判断できなくとも誰も咎められない。
「では、試作品の確認はどのように行えばよろしいのでしょうか?」
「後日、南方のフリントムーア連邦で開催される商品展示会に出品しましょう。そこでは各国の特産品が並び、商品や見込み客の反応を見ることができます」
戸惑いながら尋ねるスチュアートに対し、使者は即座に答えた。
準備がいい。
恐らく事前に回答を用意していたのだろう。
「展示会の新作枠で公開すれば、多少粗があっても許されます。販売はまだ先ということにして、広告を兼ねることも珍しくありません。値付けのイメージも掴むことができるでしょう」
「国際的な展示会......各国の威信をかけた場になりますね」
そこで評価されなければどうなるか。
未来を想像してスチュアートは額を押さえる。
丸メガネの奥で焦りが揺れた。
使者はスチュアートのことなど気にせず話を進めていく。
「問題は遅かれ早かれ露呈します。駄目なら駄目だと、早い段階ではっきりさせた方がいいでしょう。その方が対応が容易になります」
(その「対応」には処罰も含められているのか...?)
もし展示会での反応が芳しくなかった時、ネイトとラッセルはどのような扱いを受けるのか。
ハーディプールとして、2人をどこまで守れるのか。
スチュアートは内心で顔を歪めながら、展示会の出店について使者と打ち合わせを続けた。




