5. 第3章 「可愛い」の迷宮-1
応接室での出来事から数時間後、職人たちはいつも通りの様子で仕事に戻っていた。
ある職人の作業台の上には、目を引くような青いスーツに真紅のドレスが並ぶ。
男女セットで注文された服に、これまた同じ意匠の刺繍を施していく。
夜会で着れば周囲から視線を集めるとともに、2人が特別な関係であることをアピールできるだろう。
引き換えに作業量も2倍になるため、職人は休む間もない。
しかし、忙しなく働く職人たちとは対照的に、ネイトとラッセルは全く手が動いていなかった。
先程、ネイトとラッセルは椅子を寄せ、ぬいぐるみ作りの打ち合わせを始めた。
といっても、ネイトは作業台に肘をつき、ベアトリスを乱暴に弄びながら不満を漏らすばかりだった。
「ったく、なんでこんな馬鹿馬鹿しい仕事に首賭けなきゃなんねえんだよ」
ネイトは茶色のベアトリスを指で弾く。
ラッセルは灰色のベアトリスを手に取り、縫い目を確認しながら答えた。
「...馬鹿馬鹿しいかどうかは関係ない。元帥が本気なら、俺たちの命がかかっている」
彼の声は落ち着いていたが、灰色の瞳には不安が滲む。
「命?ハッ、ぬいぐるみ作れなかったくらいで首刎ねるなんて、頭おかしいだろ」
ネイトは笑いながら言うが、その笑顔は強がりにしか見えなかった。
「軍の最高責任者の頭がおかしいかどうかは、私たちには関係ない。命令は命令だ」
ラッセルはベアトリスを作業台に戻し、何枚もの試作品のスケッチを広げた。
最終的にはぬいぐるみの設計図、型紙を作らなければならないが、まだそこまで話は進んでいない。
「最大の問題は......私たちがぬいぐるみ作りの素人だということだ」
ラッセルが深くため息をつく。
「ぬいぐるみなんて子供の玩具だろ?そんな違いがあるのか?」
ネイトは茶色のベアトリスを摘み上げ、まじまじと見つめる。
「少なくとも、国産のぬいぐるみでは駄目なくらいには違いがあるのだろう。娘たちに話を聞いた時も、ベアトリスの名を最初に上げていたくらいだ」
「ブランドの知名度の差ってことはないのか?」
ネイトの質問を受けて、ラッセルが眉をひそめる。
確かに、人気があるものほど特別扱いされる。
だが、それで話が終わるなら、今回の注文を果たすのは絶望的だろう。
「その線は否定できない。とはいえ、大臣や元帥を納得させる程度には、評価を得なければならないことには変わりない。まずはいくつか試作品を作ってみよう」
「...仕方ねえな。やるか」
そう言ってネイトはスケッチを始めた。
流石に危機感は抱いているのだろう。
今回はきちんと型紙も書き起こし、少しでも完成度を高めようとする。
それを見て、ラッセルも自分の作業台で試作の準備を始めた。
他の職人たちは遠巻きに2人を観察し、ヒソヒソと囁き合う。
そんな中、ヒューがネイトの作業台に近づき、先日ネイトが作った犬のぬいぐるみを手に取った。
「お、意外と悪くねえじゃん!でもさ、これで元帥が納得するのか?」
「うるせえ。テメェにゃ関係ねえだろ」
ネイトはヒューからぬいぐるみを奪い返し、叩きつけるように作業台に置いた。
「はいはい。頑張れよ、次世代のぬいぐるみ名人!」
ヒューは笑いながら手を上げ、去っていった。
冷やかしなのか、それとも少しでも気を楽にしようという配慮なのか。
ラッセルは判断がつかないまま黙々と作業を続け、内心で娘たちの笑顔を思い浮かべていた。
(エリノアとリネットが喜びそうなものを作れば...)
それが彼が思いつく唯一のアイデアだった。
**********
数日後、ネイトとラッセルはぬいぐるみ作りに本格的に取り組んでいたが、早くも壁にぶつかっていた。
ぬいぐるみのデザインを模索する2人だが、目指すべき「可愛いぬいぐるみ」の姿がイメージできず作業に詰まっていた。
足元にはスケッチの紙が山のように積み上がり、箱に試作用の生地が無造作に投げ出されていた。
作業台には、犬、猫、猿、鳥、車、飛行機、塔などの試作品が転がっている。
どれもそれなりに形にはなっているが、残念ながらベアトリスに勝てるとは到底言えなかった。
ネイトは赤い髪を苛立たしげにかきむしり、淡褐色の目で目の前の試作品を睨みつけた。
ラッセルは口元のヒゲを撫でながら、灰色の目でスケッチを眺め額に手を当てた。
「...クソが。『可愛いぬいぐるみ』ってどうすりゃいいんだ」
ネイトが吐き捨て、作業台に拳を叩きつけた。
ボタンや糸がカタカタと跳ね、犬の試作品が倒れる。
ラッセルは白い猫の試作品を手に取り撫でる。
「...私にも分からない。服なら、形や機能性で評価できる。ドレスのシルエット、軍服の威厳、アームホールの自由度。そういうのは客観的に判断することができる。しかし、可愛いというのは.........主観的過ぎる」
「スーツなら格調高さやラインの美しさで勝負できる。ドレスなら華やかさや上品さだろ? でも『可愛い』って何だよ! 」
2人は服飾の専門家だが、専門といっても分野というものがある。
ドレスの優雅さやスーツの格調高さは理解できるが、「可愛い」という概念は別世界のものだった。
男性服を主に担当するネイトは論外。
ラッセルは女性向けの服を担当しているが、基本的に上流階級の高級服は上品さや華やかさを求める。
可愛さを求められるとすれば子供服くらいだが、そういう客は最初から子供服専門店に行く。
そのため、娘用の服を仕立てたことくらいしか経験がない。
つまり、「可愛い」の基準が分からず、適当にそれらしいぬいぐるみを作ることはできても、改善するには何をどうすればいいのかが分からないのだった。
「子供の心を掴む何かが必要なんだが…」
デザイン案を何度も書き直し、仮縫いを繰り返して調整した。
どこが悪いという明確な答えはないが、それでもベアトリスの横に並べてみると確かに見劣りする。
改善しようと犬の耳を長くすればバランスが悪く、猫の目の形を変えると不気味に見え、羊の胴体を細くすると貧弱に映る。
どれも「それなり」にしかならない。
犬や猫を可愛いと言う人は多い。
だが、そのままぬいぐるみにしても違和感が残る。
ぬいぐるみに限らず人形や模型などでも、リアルな縮尺で作るとバランスが悪くなる。
手足の位置や顔の大きさなどが最たるもので、特徴的な箇所を強調するなどのデフォルメが必要になるのだ。
リアルさを求めるなら剥製で十分。
リアルさを『適度に』削ぎ落とすことで、初めてぬいぐるみとしての意味を持つ。
そして、その『適度さ』が難しい。
ベアトリスのフワフワの毛並みと愛らしい表情は、子供の心を瞬時に掴む魔法がかかっていた。
そして、ネイトとラッセルの試作品には、その魔法が欠けていた。
2人が頭を抱えていると、そこへスチュアートが現れた。
丸メガネの奥の目は疲れを帯び、黒いショートヘアの頭頂部が陽光で薄く光る。
「ネイト、ラッセル。悪い知らせだ。ベアトリスの生地を入手しようとしたが、特注品で同じものは用意できないと分かった」
「はぁ? 何だって?」
ネイトが作業台に肘をつき、顔をしかめた。
スチュアートはため息をつく。
「ベアトリスの生地は、ヘザーリン帝国にしか生息しない動物の毛から作られている。最高級品だけあって、毛がフワフワかつ滑らかというわけだ。生地は希少品なので、ヘザーリン帝国内で全て消費されている。ロックミア共和国では用意できない。その上、輸出規制品だから、仮に入手できたとしても表立って利用することはできない」
ラッセルは作業台のベアトリスを手に取り、指で毛並みを撫でた。
確かに触れると絹のように滑らかで、フワフワの感触は他に類を見ない。
感触の割に腰が強く、ヘタらないのも特徴的だった。
初めて見る生地だと思っていたが、それも当然の話だったわけだ。
ネイトが舌打ちし、作業台に散らばった生地の切れ端を乱暴に払い落とす。
「じゃあ、国内の高級生地で代用するしかねえだろ」
ハーディプールなら国産の高級生地はどれでも手に入る。
だが、ベアトリスと並べると、毛並みの滑らかさや柔らかさ、耐久性が明らかに劣る。
「生地で差をつけられるなら、他の要素で挽回しないといけない。だが…」
ラッセルは言葉を切り、灰色の目で試作品を眺めた。
「アイデアが浮かばない」
ラッセルは腕を組みながら呟いた。
ネイトも大きく息を吐きだす。
格上の相手に対し、劣った生地で立ち向かわなければならない。
また1つハードルが高くなった。
「......子供の視点が必要だ。12歳の女の子なら、何が可愛いか知っているかもしれない」
ネイトは眉をひそめ聞き返す。
「お前の娘か? 」
「エリノアとリネットに聞けば、何かヒントが得られるかもしれない」
「まぁ、確かに子供の意見は参考になるかもしんねえが...」
ネイトは提案を素直に受け入れられずにいるが、後のないラッセルも引く気はなかった。
「今晩、私の家に来るんだ。話を聞いてみよう」
「......分かったよ」
渋々同意したネイトは赤い髪を指で梳き、作業台の試作品を麻袋に詰め込み始めた。




