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Restaurant  作者: 夜月暁
友香の場合
15/16

10.

 髙橋にLINEを入れた時間は、もう日付を越えていた。彼からとどいたのは、とても簡潔な返事だった。「まだいる」。その一言だけだったが、その言葉を頼りに、友香は店に向かっていた。


 友香にとって、次の場所がそこで正しいのかもわからなかった。好きでもない女にキスができてしまう様な男だ。しかし義務だからとか花畑の頭に教えてやるだとか言いながら、彼は結局は手を差し伸べてくれる。みんなに遊びや飲みに誘われても平気で断ってしまうような人間なのに、人の世話はきっちりと焼いてくれるんだよな、と小さく笑いながら彼女は店の通用口のドアノブを掴んでいた。


 フロアの明かりも落とされ、キッチンにもすでに人の気配は感じられなかった。事務所の入り口のドアの隙間から、部屋の中の明かりが漏れていて、パソコンのキーを叩く音がカタカタと聞こえていた。しばらくドアの前でその音を聞いていた友香だったが、その音が突然止まったかと思えば、ドアが静かに開いたのだ。開いたドアの隙間から見えたのは、笑うことすら疲れていた素の髙橋だった。


「あれ…、泣かされた?」

 友香の頬の乾いた涙のあとを、長い指でなぞりながらそう口にした。

「…バイトを管理する責任があんたにはあるんでしょ」

 友香がそう口にすると、髙橋はニヤッと笑う。

「…俺の仕事だからな」

 そして友香の腕を軽くつかみ、事務所の中に引き入れた。そしてその長い彼の腕は、そのまま友香の華奢な身体を閉じ込めたのだ。

「ちょっと…」

 文句を言いながらも、真夜中に受け止めてくれたあの時よりも、白いワイシャツから伝わる体温が心地よく、友香は酷く安心していた。


「いつも思ってたけど、お前ってこんなに小さかったんだな」

「いつもって…」

 彼の胸の中で少しだけ上を向く。眼鏡の奥にある目が、小さく笑っている。いつもより断然優しい。自分だけに向けられたそれは、友香の中でくすぐったかった。

「これでもいつもお前のこと見てたからな、俺は」

 そんな友香をよそに、髙橋は恥ずかしがることなくハッキリとそう言い切ると、さらに力を込めて彼女を抱きしめていた。


「好きじゃなくても、キスくらいできるって言ってたじゃない…」

 友香がそう抵抗すると、髙橋は「ははは」と声に出して笑っていた。

「それは嘘じゃないけど」

「…からかってるの?」

 友香が眉をひそめながらそう抗議すると、彼女の頬に触れたのは、髙橋の冷たい指先だった。その冷たさに驚いていると、その隙に彼は彼女の小さい唇にそっと自分の唇を重ねたのだ。

(…!)

 重ねた唇は何度も角度を変えていくうちに深くなる。吐息さえも絡めとるような深い口づけは、好きじゃなくてもできるようなものじゃないと身をもって教えられたようなものだった。


 唇が離れたときに見た髙橋の目が愛おしいものを見るような優しさが滲んでいる。友香の頬が薔薇のように紅潮した。

「今はすごく好きな人としたいよ」

 彼女の髪に触れながら、髙橋はニコッと笑った。その笑顔は反則だ。今までになく、愛されていることを思わずにはいられなかった。ずっと一緒に仕事をしていたのに、彼女自身も彼を恋愛の対象として見ていなかった。それが今、自分だけに向けられた特別な笑顔でありのままの彼が目の前にいるのだ。


「2年前に何があったか、当てていい?」

 そう口にし、髙橋は見てきたかのように友香の2年前の話を語りだしたのだ。

「ちょっと、なんで…」

 店のスタッフには話していないはずなのに、と動揺する。しかし、髙橋は暖かく微笑んでいるだけだった。

「え、ストーカー…?」

「な訳ねえだろ」

 吹き出しながら笑う髙橋に、友香は頬を膨らませていたが、謎は謎のままだ。

「今日の夜のオープンの時、時田さんが興信所に依頼したお前の身辺調査の資料を持ってきてくれたんだ」

「…なんで和志に?」

「さぁ」

 とぼける髙橋は、友香に話すつもりはないようだ。付き合いがそれなりに長ければ、それは彼の顔を見ればわかる。

「じゃぁ、全部…」

「あぁ、全部知ってる」


 その時、ふたりの間に沈黙が走った。何故時田が髙橋に自分を調べた資料を渡したりしたのか。もちろん彼女はそれも気になるところだったが、秘密にしてきた自分のことを知られてしまった友香はうつむいた。

「バカだなぁって思ってるでしょ」

 目を伏せながら自分の過ちに気付いた彼女がそう口にする。すると彼は少しだけ考えてから小さく首を横に振った。

「理由がわかったから、今はそんなこと思ってない」

 髙橋がふっと笑うと、友香の抱いた不安がふわりと軽くなる。いつもならバカにしてきそうな彼が、自分に理解を示してくれていることに、心が一杯になっていた。つい、胸元の彼のシャツをぎゅっと握ってしまう。嬉しくて、彼を抱きしめたい衝動に駆られていた。


 髙橋の胸に自分のおでこを預け、彼の胸の鼓動を聞いていた。自分の胸の鼓動が合わさっているのがわかり、同じ時を同じ場所で過ごしていることがこんなにも幸せなことなんだ、と思い出していた。かつてそう思ったことがあったのに、すっかり忘れていた。自分はひとりではないことをひとりぼっちの時は忘れてしまっていたのだ。


「…春になると、お前の顔が暗くなっていくのは去年も気付いてたんだよな。大方、好きだった男に振られて忘れられなくて拗らせてるんだと思ってたんだけど。で、その男が時田さんと似ていた。だから惹かれていった。そんな筋書きだと思ってて、くだらねぇーって思ってた」

 友香の頭をそっと撫でながら、小さくため息をついて髙橋が口を開く。

「過去に縋っているだけの女に惚れる男も、昔の男に似てるからと惹かれいく女の方も見る目ない、くだらねぇってさ。俺はこれでも、お前がなんで正社員の打診を蹴ってまでなにもしようとしないんだろうって、気になる程度にはお前のことを見てたんだ」


 この4年。この男なりに、友香を見守っていた。外見は大人っぽく、しかし中身は天然で思い込みが激しくて危なっかしい性格の彼女を、彼女が二十歳の時にこの店に入ってきた時からずっとこの男は見ていたのだ。


「過去の何かに縛られてて、身動きが取れないんじゃないかって。時田さんは良くて、俺じゃダメな理由はなんだろうってずっと考えてた。だから、あの日の夜にお前が抱えてた本当の自分の気持ちを打ち明けてくれた時、やっと素直になってくれたって安心した」


 髙橋の言葉に、友香はしっかりとうなずいた。すると彼は満足そうに笑った。

「その相手が俺でよかったって柄にもなく思ったし、何よりお前が自分でちゃんと気付けたから、もう嘘つかなくてもいいかなって」

 彼はそう口にしながら、友香の頬を両手で包み込むように触れると、自分の目を見せるように彼女の顔を上げた。

「嘘?」

 友香が聞き返すと、彼は笑いながらうなずいた。

「お前のことを好きじゃないっていう嘘」

 彼はそう言って、もう一度彼女の唇にそっとキスをした。今度のキスは触れ合うような短いキスだ。


「亡くなったお前の恋人は、頭悪い人だった?」

「え…?」

 突然の問いに、友香はびっくりした。それでも首を横に大きく振る。すると、髙橋もそれに同意するようにうなずいて見せた。

「その人は、お前が自分の死で身動きとれないほど苦しむのを、望んでたとは俺には思えないよ」

 頬に触れていた指先は、流れるように彼女のカールのかかった艶のある黒髪を梳いていた。

「誰もお前の苦しむ姿なんて見たくない。それは時田さんも同じだと思う。だから、今日お前に調査結果のことを話したんだろうと思う。それをお前が望んだとしても、隠すこともできたのにさ」

「…うん」

 髙橋の言葉がストンと胸に落ち、友香はうなずいていた。


「和志も、そう思ってくれる?」

 彼の顔を覗き込むように友香はそう口にすると、「…そうだな」と少しだけ考えながら「俺だったら、お前が苦しむことを忘れてしまうほどお前を引き込むね」と悪戯に笑いながら付け加えてたのだ。

「…本当に?」

 髙橋のシャツの袖をぎゅっと掴む友香の手の力が強くなる。

「疑り深いな」

「だって、女としては相手にされてないって思ってたから。だから、好きじゃなくてもキスできるんだって聞いた時、そっか…って思ったわよ」

 はぁ、とため息を吐いた友香は、髙橋の家を尋ねた時のことを思い出していた。


「初めてだった。あんなに感情を丸出しにしたの。今までそこまで熱くなる恋愛とかしたことないから」

 さらりと言う髙橋の言葉に、友香は聞き逃しそうになり、目が点になる。

「え?」

「いや、だから。お前みたいな危なっかしい女と、今まで出会ったことないから」

 苦笑いしながらそう口にした髙橋は、もう一度友香を自分の腕に閉じ込め、抱きしめた。

「…危なっかしい?」

 彼の胸に額を預け、もう一度問いかけてみる。

「突っ走るしな」

 クククと笑いながら、彼女の髪に彼は顔を埋めた。ふんわりと香る友香の甘いシャンプーの香りに彼女が自分の腕の中にいることを実感していた。


「…ちゃんと捕まえててくれたら、もう突っ走ったりしないわよ」

 頬を赤くさせながら、友香は遠慮がちに口にすると、髙橋は彼女を自分の体からそっと引き離し、嬉しそうに目を細めて友香の瞳をじっと見つめた。

「じゃぁ、俺と一緒に前に進んでみる?」

 ゆっくりと見下ろすようにじっと友香の揺れる瞳を捕えてる髙橋は、友香の前で鉄の仮面を被ることもなく、正直な目で静かに問いかけていた。

 その一言が、この男から聞けるとは思えず、彼女は目を丸くした。しかし、彼の目を見つめたとき、友香は彼の背中に腕を回して、抱きしめ返していた。


「あー…でも、大丈夫かな」

 急に思い出したかのように彼女は不穏な声を上げる。

「何が」

「…だってあんたん家、すごいお金持ちじゃない? 身辺調査とかまたされちゃうのかなって」

 すると、髙橋は少し考えてから口を開いた。

「俺、家の会社を継がないつもりだけど。今のところ親父からそれでいいって言われてるし」

「そうなんだ」

 友香が聞き返すと、彼はうなずいた。そして、彼女の頭に自分の顎を乗せた。

「だから、ずっとお前はそのままでいいよ」

(あたしはあたしのまま…)

 彼の言葉を噛み締めるように友香は自分の頭を彼の胸に預けていた。

「…なんか不満でもあるのかよ」

「ない…」

 慌てて首を横に振ると、疑いの目で髙橋は友香のことを見ている。しかし、ふっと笑い彼女の頭に触れて、その大きな手で髪をかき混ぜた。


「…というか和志があたしのこと好きって意外よね」

「そう?」

 彼がそう返事すると、友香は神妙な顔をしながらゆっくりとうなずいた。

「…まぁ、そうかもね」

 少し考えながらそう口にする彼のその目は、悪戯な笑顔に変わっていた。しかし、彼女の髪を撫でるその手は優しく、大事なものに触れるかのように繊細だった。そして彼は、少しだけ不満な顔をした友香のおでこにキスを落としたのだった。




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