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Restaurant  作者: 夜月暁
友香の場合
13/16

8.

 昨日、何しに髙橋の部屋を訪ねたのか、友香はわからなくなっていた。あんな感情的になった彼の姿を見たのは初めてで、なぜ自分があんなふうに馬鹿にされなければならなかったのか、彼女にはわからなかった。

(好きじゃなくても、キスできる? 何のために?)

 あの時の髙橋の顔が、友香の頭から離れなかった。

「友香さん? どうかしましたか?」

 カウンターでついぼーっとしていると、個室の後片付けから戻った美帆が彼女に話しかけた。

「え? あ、ううん。なんでもないの」

 慌てて首を横に振る友香は、取ってつけたような愛想笑いを浮かべていた。

「…そうですか? なんか肌が荒れてるみたいだから、よく眠れてないのかと思って」

 自分のことをよく綺麗だと言ってくれる美帆の観察眼は鋭いなと、友香は思わずそう考えていた。


「あ、そういえば、御剣かなえの新刊、買いました? 友香さん、ファンでしたよね?」

 美帆が思い出したようにそう口にすると、友香はドキッとした。革のブックカバーをつけて時田に本を返した時の彼の反応が、想像していたよりも喜んでくれて、胸にキュンと来たことをつい思い出す。

「うん。実は借りて読んじゃったの。まだ自分では買ってないのよ」

 誰から借りたかまでは特に言わないでそう答えると、「髙橋さんからですか?」と美帆が聞き返してくる。

「な、なんで和志が出てくるのよ!」

「あれ、違いました?」

 急に高橋の名前が出て、焦る友香をよそに、美帆は続けた。

「この間、事務所の髙橋さんの机にその本が置いてあったから」

「え?」

 確かに、なんかの時に好きな作家の話をしたかもしれない。ただの世間話をした時だろう。そうでなくても有名な人気作家だ。誰に勧められたわけではなく、最初から彼が好きなだけかもしれない。

「和志だって、本くらい読むわよ…」

「まぁ、そうですよね」

 美帆は下げてきた空になったお皿が乗った台車を押して、キッチンの洗い場へと向かっていった。


(本くらい、ね…)

 髙橋の部屋を訪ねて以来、彼とはまともに話をしていない。業務上で必要なこと以外、彼が友香に話しかけることはなくなったのだ。

(…あたしが何をしたっていうのよ)

 遅番が髙橋と重なり、彼もいつものように涼しい顔をしてフロアを動き回っていた。その仕事ぶりはなんら変わらず、まるで友香の姿など見えていないかのような振る舞いだ。

(あたしは、透明人間ですか…)

 遠目から、友香の瞳に映る髙橋の姿に、昨日の彼はどこにもいない。 

 どうして急にノーマークな庶民の女を前にして狼なんかに急変したのか。どうして自ら悪者になってしまうのか。気付いたら、友香は髙橋のことばかり考えている。知り合って4年。人として、また今まで一緒に働いてきた仲間として認められているだろうと思う程度に親しくしているつもりだったが、あの時、知らない彼の一面を見た気がした。いつも彼は自分の感情を露わさず、ニコニコと笑うことで鉄の鎧を被っている。柔らかい言葉を使うことで相手を思いやるふうに装い、感情が振れるほどの取り乱す姿は決して見せない。そんな彼が、苛立った感情をぶつけるようにしてキスをすること自体おかしいのだ。


『好きじゃなくても、キスくらいできるよ』


 彼の言葉が耳から剥がれてくれない。あんなに乱暴にキスをしてまで、アルバイトの管理をしないといけないのか。それが彼の仕事だというのか。

(馬鹿げてる…)

 目を伏せ、ぎゅっと目を閉じてから頭を切り替えるように目を開けた。そして、前を見据えると、ガラスの自動ドアの向こうから客がこちらに向かってきているのが見えた。友香はしっかりと仕事をこなすことで、この店での自分の価値を上げるしかないことくらい、解っていた。何も持っていない彼女にとって、それくらいしか張り合えるものがない。人として否定をされるのなら、仕事振りで認めさせるしかない。

 プロジェクトがいったん落ち着き、時間ができるようになった時田と、今日も会う約束をしていた。今日は11時上がりだが、明日は早番のため、それほどゆっくりはできないが、家まで送らせてくれと申し出てくれた時田に甘えることにした友香は、今だけは時田のことを忘れて仕事に集中していた。




 11時を回り、最後の客の会計を済ませた後、友香は素早くレジ点検を始めた。コインカウンターに小銭を種類ごとに移し、数えていく。

(前回の点検との差異は、なしっと…)

 札も3種類とも全て数え終えると、過不足がないことを確認した。そのうち、レジに入れておく決められた金額よりオーバーしている分を封筒に入れて、さらに布の巾着に入れると、事務所の金庫へとしまう。そこまでやって、今日の友香の仕事は終わりだ。明日の午前中に社員のどちらかが前日の売上金とレジで読み込まれた売上データをパソコンで確認し、確定した売上金を店の口座へと預けに銀行へ行く。

 彼女が事務所に入ると、中にいたのは支配人だけだった。少しだけホッとしながら「お疲れ様です」と声をかけ、彼女はサクッと金庫を開けて、今日の売上金をしまうと、すぐに扉を閉めた。


「お先に失礼しまーす」

 友香は支配人にそう告げると、静かに事務所を後にした。そして、小走りで隣の女子更衣室へと向かった。中ではすでに美帆たちが着替えており、その輪に彼女も加わると、急いで制服を脱ぎ、私服へと着替え始めた。

「急いでるんですか?」

 仕事の疲れから、気怠そうに着替えている美帆は、キビキビと着替えている友香に声をかけると、「人を待たせてるから」と手短に答えた。すると、美帆は頬に赤みが差したような笑顔を見せた。

「時田さんとうまくいってる感じですか。この間、カフェで一緒にいるところ見て、佐井さんとちょっと心配してたんですけど」

「なんで心配になるのよ。つーか、気付いてたなら声かけてよね」

 苦笑いを浮かべながら、すとんとワンピースの袖に腕を通す。そして、鏡の前で崩れた化粧を手早く直した。

「声をかけようかと思ったら、先に時田さんが友香さんに気付いて突進していったので、かけられなかったんですよ」

「え」

「その時の様子を髙橋さんにしゃべったら、それまで当たり障りなく会話してたのに、急に黙り込んじゃって」 

「というか、おしゃべりなんだから」

 友香はまだ下着姿の美帆の鼻をきゅっと摘んだ。そのせいで過剰な干渉を受け、今度は無視だ。


「なんか、心配してましたよ」

 摘ままれた鼻を押さえながら、美帆はまた口を開く。

「時田さんのこと知ってるみたいで、友香とは釣り合わないって」

「余計なお世話よ!」

 つい、嫌な顔をしている髙橋の姿が頭に浮かび、大声を出してしまった。すると、美帆は慌てて首を横に振った。

「違いますって、友香さんが、じゃなくて。時田さんが友香さんとは釣り合わないって」

「え…?」

 その言葉の真意を理解できず、友香は思わず眉間にしわを寄せた。

「あの、友香さん。…時間、大丈夫ですか?」

 考え込む彼女に、美帆は恐る恐る声をかける。

「大丈夫じゃない!」

 化粧ポーチを雑にしまい、友香はバッグを持って慌てて靴を履き替えた。そして、慌ただしく更衣室を後にしたのだった。




 帰る準備ができたと時田にメールをした友香は、店が入っているビルの近くで路駐していると時田からの返事を受け取った。30階からエレベーターで一気に地上に降り、キョロキョロしていると、1台の車がビルの駐車場入り口付近まですっと動いたのだ。そして、その車はガードレールの切れ目で静かに停車した。助手席側の窓が開き、運転席側から時田の顔が見えた。

「こんばんは」

 優しい笑顔を浮かべた彼がそう声をかけると、友香も自然と笑っていた。

「お邪魔します」

「はい、どうぞ」

 ドアを開けて、助手席のシートに乗り込むと、重厚なドアの閉まる音がバンと響く。シートベルトを締めると、車は静かに発車した。

「なんか、こんな遅い時間にごめんなさい」

 運転する時田の横顔をちらりと見ながら、彼女はそう口にした。

「いや、仕事がひと段落したとはいえ、確認事項が多くてこちらもこんな時間になってしまうので。でも少しでも会えた方が癒されるから」

 照れもせず、隣の男は嬉しそうにそう返事すると、友香の方が恐縮していた。


 対向の車とすれ違うたびに、ライトが時田を照らしている。その様子を黙ってぼーっと見つめていると、ふとした瞬間に余計なことが頭に浮かぶ。それはきっと、髙橋の言葉が喉に刺さった魚の骨のようにいつまでも残っていたからだ。

(お互いに見る目がない…か)

 見た目だけの中身のない女に一目惚れした時田に見る目がない、ということだろうか。一目惚れを信じなさそうな髙橋が言いそうな言葉だ。友香に対しても、きっと髙橋には思うところがあるのだろう。

(2年前から何も変わろうとしない私には、何も持ってない。でもそれは私自身が望んだことだ)

「友香さん」

 不意に口を開く時田に、友香はすぐに現実に戻った。

「はい」

「今日は僕の生い立ちとか話してもいいですか?」

「えっと、時田さんの生い立ち、ですか」

 ずいぶんと唐突な話題に、友香は戸惑いを隠せなかった。しかし、彼の口調はたいしたことなさそうなほどに明るく、普段とわからない。

「はい、聞かせてください」

 彼と同じようにニコッと笑いそう答えると、時田はドリンクホルダーから缶コーヒーをひと口飲んでから、語り出したのだ。


「実は僕、施設に預けられていた時期があるんです」

「施設…?」

 思いがけない言葉から始まり、思わず聞き返していた。すると、時田は小さくうなずいた。

「今の両親とは血が繋がっていなくて、養子なんですよ。2歳の頃に引き取られたようなので、僕も覚えていないんですけどね」

 フロントガラスを見つめながら、ハンドルを操作する時田を見つめながら、友香は彼の話に耳を傾けていた。その語り口、彫りが深めの横顔に落ちる影。

(本当に、似ている。でも…)

 話を聞きながら、その横顔に翻弄されている自分に気付き、冷静を取り戻そうとその面影から目を逸らした。彼の語り出しは明るかったのに、今は憂いに満ちた目でフロントガラスを見つめている、友香はそんな気がした。

「最近、双子の弟がいたことがわかったんです。最近といっても、2年前なんですけど」

 時田は続けた。

「弟は僕とは別の里親に引き取られて、2年前に癌で亡くなったそうです。その直前、どうやって探し当てたのか、弟の両親が僕に最期だから会ってくれと連絡してきたんです」


 友香の瞳孔が開いた。

(え…?)

 ”2年前”と”癌”という言葉が引っかかり、心臓の鼓動が囃し立てるように早くなる。それはもう、痛いほど強く、苦しくなるほどだった。

「僕に兄弟がいるなんて…って最初思いました。しかし、弟の両親は昔僕が預けられていた施設のことを知っていましたし、こんな嘘をつくような人たちではないと思えたので、とりあえずその施設を尋ねることにしたんです」

 昔を馳せるように前を見つめる時田を、黙って友香は見つめていた。

「当時、僕と弟の面倒を見てくれた女性がいて、昔のアルバムを引っ張り出してきて、写真を見せてくれました。それは、僕と弟の赤ん坊の頃の写真でした。僕の家に有る写真は当然ながら引き取られた後からの写真しかなくて、子どもの頃、不思議に感じていた時期がありました。その後、今の両親から本当は養子であることを小学生のころに聞いて知ったんですが、実際に赤ん坊の頃の写真を見たとき、不思議な感覚に陥りました」

「不思議な…?」

 友香が聞き返すと、「えぇ」と時田は短く返事をする。そして更に続ける。


「忘れていた昔の記憶がなんとなく蘇ってくるというか。僕は以前、この顔を見たことがある、みたいな既視感を覚えたというか…」

 うまく言葉にできず、もどかしさを感じながら時田はそう語っていた。

「弟の両親が、施設から子どもを引き取る時の様子を教えてくれました。弟の方が僕より早く引き取られていったそうで、一緒に引き取れなくて申し訳ない、と弟の両親から謝罪を受けました。経済的な問題で弟の両親はひとりずつ抱っこをして、泣き出した僕ではなく、穏やかな顔をしていた弟に決めたと言っていました」

「…弟さんは、おっとりとした性格だったのですね」

 友香がそう口を挟むと、時田もうなずいていた。

「あなたがそう思うなら、そうなのかもしれませんね。僕もその後、今の両親に引き取られ、本当の子のように育ててくれました。今の僕があるのは、両親のおかげです。感謝しかない」


 運命のターニングポイントを記憶すらも定かでない幼い時に経験した彼らの人生が僅かな差で大きく変わる。

「…どうしてこの話を、私に?」

 友香が静かに尋ねると、時田は少し考えながら、再び口を開いた。

「あなたとちゃんと向き合いたいからです」

 いつになく時田の真剣な目が友香の瞳に刺さっていた。その言葉の重みを感じた彼女は、つい窓の外の景色に目を遣った。

 気付けば、見慣れた街並みだった。もう直ぐ自宅に到着してしまう。早く一人になりたい自分と、もっと話をしたいと思う自分が同じ胸の中にいた。いろいろな感情が渦巻いて、今の気持ちをうまく説明できなくて、ただ胸が痛かった。

「あの、この辺で…」

 耐えきれず、友香がそう告げると、車は直ぐに停車した。シートベルトを外そうと彼女が赤いスイッチに手をかけた時、温かく、大きな手が重なった。そして彼女の顔を覗き込むように見つめる時田の視線に彼女の体の動きが止まった。


「あ、あの…」

 近すぎる距離に戸惑いを見せる友香。時田はそれでも彼女の目を見つめることをやめなかった。

「僕は今だけじゃなくて、これからの時間もあなたと共有したいと思ってます。また、会ってくれますか」

(それはつまり…)

 この体温は誰のもの?

 大きな手から伝わるその体温に、今何故か、友香の頭の中で浮かんだ問いかけだった。もちろん、解っている。頭では解っている。彼女が言葉を探しているその時、車内にスマホの着信音が鳴り響き出した。鳴っている音が、友香のスマホであることがわかると、時田は体を引いて彼女の手から自分の手をそっとどかした。

「おやすみなさい」

 時田はそう告げて、車のドアの鍵を開けた。友香は小さく会釈をしてその車から降り、車のドアを閉めた。そして、遠ざかっていく時田の車のテールランプを見えなくなるまで見つめていた。




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