第50話 新しい家族の部屋
夕食を終えたあと。
俺たちは、それぞれの部屋へ戻ろうとしていた。
「それでは、おやすみなさい」
クローバーが丁寧に頭を下げる。
「ああ。おやすみ」
俺も返事をしたが、クローバーは家の奥ではなく、玄関へ向かって歩き始めた。
「クローバー」
「はい?」
「どこへ行くんだ?」
クローバーは不思議そうに首を傾げる。
「牧場です」
「こんな時間に?」
「飼育小屋で休みます」
当然のように答えられ、俺たちは顔を見合わせた。
「昨日も小屋で寝ていたよね」
ラベンダーが呆れたように言う。
「はい。この子たちの近くにいた方が、何かあった時にすぐ対応できますから」
「駄目だ」
俺はすぐに止めた。
「え?」
「クローバーは牧場の魔物じゃない」
「それは、そうですが……」
「家族なら家で眠るんだ」
クローバーは困ったように視線を伏せた。
「でも、私はずっと飼育小屋で暮らしてきました」
「ここでは違う」
そう言ってから、俺は気づいた。
家族として迎えると言った。
帰る場所は妖精の家でいいとも言った。
それなのに。
「……部屋がない」
「部屋?」
「クローバーの部屋を用意してない」
魔物たちのための牧場は作った。
飼育小屋も、水場も、牧草地もある。
だが、クローバー本人が暮らす場所について、何も考えていなかった。
「すまない」
俺は頭を下げた。
「魔物たちの居場所ばかり考えて、クローバーの部屋を忘れていた」
「謝らないでください」
クローバーは慌てて両手を振る。
「私は、あの子たちが安全に暮らせるだけで十分です」
「十分じゃないよ」
ピクがクローバーの前へ飛んでいく。
「クローバーのお部屋もいるよ!」
「でも、私は飼育小屋で――」
「駄目です」
ローズが穏やかな声で遮った。
「身体を休めることも、牧場を守るために必要です」
「そうですよ」
ピーチも頷く。
「干し草の上で眠り続けたら、クローバーさんが体調を崩してしまいます」
「だったら、今夜は私の部屋に来る?」
ラベンダーが笑う。
「わたしの部屋でも構いません」
「私の部屋も空いていますよ」
ローズとピーチも続ける。
クローバーは、ますます困ったような顔になった。
「皆さんのお邪魔になるわけには……」
「じゃあ、みんなで寝よう!」
ピクが両手を上げた。
「みんなで?」
「大きいお部屋に、お布団をいっぱい並べるの!」
ピクの提案に、ラベンダーが笑う。
「それなら誰の部屋にするか悩まなくて済むね」
「今夜だけなら、よいかもしれません」
ローズも賛成する。
クローバーだけが、戸惑ったまま皆を見ていた。
「私も、一緒に寝ていいのでしょうか」
「そのために言ってるんだ」
俺が答えると、クローバーは小さく頷いた。
「……はい」
◇
家の中で一番広い部屋へ、寝具を並べる。
妖精たちも手伝ってくれた。
毛布を運ぶ者。
枕を転がす者。
なぜか自分も一緒に寝ようと、布団の間へ潜り込む者までいる。
「ここ、ピクの場所!」
ピクが俺の枕の横へ座った。
「最初からそこに寝るつもりだったのか?」
「うん!」
ラベンダーとローズが隣同士に寝具を敷く。
ピーチはクローバーの隣へ自分の毛布を置いた。
「何かあれば、すぐ声をかけてください」
「ありがとうございます」
クローバーは用意された寝具を見つめている。
柔らかな敷布。
清潔な毛布。
きちんとした枕。
どれも、特別な物ではない。
それでもクローバーは、触れることをためらっていた。
「どうした?」
「こんなに綺麗な場所で眠るのは、久しぶりです」
クローバーはそっと毛布へ手を置く。
「風車小屋では、雨が降ると床まで濡れることがありました」
屋根に穴が開いていたのだろう。
「寒い夜は、ミルクバッファローのそばで眠りました。あの子は身体が大きくて、暖かいので」
「モォって鳴きながら?」
ピクが尋ねる。
「はい。時々、寝返りで押し潰されそうになりました」
クローバーが小さく笑う。
皆もつられて笑った。
「今日は押し潰される心配はないね」
「そうですね」
クローバーは、ようやく寝具へ横になった。
「おやすみ、クローバー」
ラベンダーが声をかける。
「おやすみなさい」
クローバーは目を閉じた。
だが、その身体にはまだ力が入っていた。
誰かと同じ部屋で眠ることに慣れていないのだろう。
しばらくすると、部屋の明かりが消えた。
◇
夜中。
かすかな物音で目を覚ました。
身体を起こすと、クローバーがそっと立ち上がっている。
「クローバー?」
「すみません。起こしてしまいましたか」
「どこへ行くんだ?」
「牧場を見てきます」
「何かあったのか?」
「いいえ」
クローバーは首を横に振る。
「ただ、夜中に一度は様子を確認する習慣があって……」
やはり、すぐには変えられないらしい。
俺も立ち上がる。
「一緒に行く」
「大丈夫です。すぐ戻りますから」
「窓から見てみよう」
俺たちは部屋の窓へ近づいた。
牧場は月明かりに照らされている。
飼育小屋の中では、羊の魔物たちが身体を寄せ合って眠っていた。
角兎も、柔らかな干し草の上で丸くなっている。
ミルクバッファローは小屋の入口近くで横になり、ゆっくりと呼吸していた。
その周囲を、小さな光が飛び回っている。
「妖精たち……」
数人の妖精が、牧場を見回っていた。
一人は水場を確認し、一人は柵の上へ座って周囲を見渡している。
別の妖精は、眠っている角兎へそっと干し草を掛けていた。
「ちゃんと見てくれている」
「はい」
クローバーは窓へ手を添える。
「私がいなくても、皆は眠れています」
「寂しいか?」
「少しだけ」
クローバーは正直に答えた。
「ずっと、私が守らなければならないと思っていました」
「今は一人じゃない」
「……はい」
ミルクバッファローが寝返りを打つ。
だが、起きることはなかった。
「大丈夫みたいです」
「ああ」
「戻りましょう」
クローバーは牧場へ向かわず、自分の寝具へ戻った。
今度は先ほどよりも、肩の力が抜けていた。
「おやすみなさい、ミントさん」
「おやすみ」
クローバーは目を閉じる。
やがて、静かな寝息が聞こえてきた。
◇
翌朝。
家の外から、大きな音が響いた。
ガン。
ガン。
木材を打ちつけるような音だ。
「何の音?」
ラベンダーが目を覚ます。
「外からです」
ローズも身体を起こした。
俺たちは急いで家の外へ出る。
庭では、大勢の妖精たちが木材や石を運んでいた。
「何してるの?」
ピクが近くの妖精へ尋ねる。
妖精は家の牧場側を指さした。
壁の一部に、新しい土台が作られている。
「増築?」
その瞬間、《スキル図鑑》が光った。
【妖精の家が、新しい家族のための部屋を必要としています】
【新しい部屋を増築できます】
「クローバーの部屋か」
クローバーが驚いたように家を見上げる。
「私のために?」
「妖精の家も、クローバーを家族として迎えたんだろう」
表示が続く。
【増築に必要な素材を確認します】
【木材 十本】
【石材 五個】
【柔らかな布 二枚】
【窓材 一枚】
【寝具用の綿 三束】
木材と石材は、妖精の家に残っている。
柔らかな布も、以前作った物があった。
だが。
「窓材と綿がないな」
「町で買う?」
ラベンダーが尋ねる。
「その前に、クローバーの希望を聞こう」
俺はクローバーへ向き直る。
「どんな部屋がいい?」
「私が決めていいのですか?」
「クローバーの部屋だからな」
クローバーはしばらく考える。
「豪華な物はいりません」
「遠慮しなくていいぞ」
「本当に、これだけで十分です」
クローバーは牧場の方を見る。
「牧場が見える窓が欲しいです」
「窓?」
「夜に目を覚ました時、皆の様子が見えたら安心できます」
さらに、家と牧場を交互に見比べる。
「できれば、何かあった時にすぐ牧場へ行ける場所がいいです」
「それなら、家の牧場側へ作ろう」
「ありがとうございます」
クローバーは嬉しそうに笑った。
その時。
庭の端から、乾いた音が響く。
カタン。
妖精のポストだ。
「お手紙!」
ピクが真っ先に飛んでいく。
ポストの中には、一通の手紙が入っていた。
「また《妖精の招待状》か」
俺が封を開くと、淡い光が文字を照らす。
> 妖精の家に住む皆様へ。
>
> どうか、私たちの村を助けてください。
>
> 山あいの畑で育てている《雲綿草》が、突然採れなくなりました。
>
> 夜になると畑から不思議な鳴き声が聞こえ、近づいた者は追い返されてしまいます。
>
> このままでは、冬に使う布や寝具を作れません。
「雲綿草?」
ローズが手紙を覗き込む。
「雲のように柔らかな綿を実らせる植物です」
「寝具用の綿に使える?」
「はい。上質な物なら、とても暖かな寝具になります」
必要な素材と、依頼の内容が重なった。
「場所も書いてある」
手紙へ魔力を流すと、光の文字が浮かぶ。
【山岳地域・白雲村】
「この依頼を受けよう」
俺が言うと、仲間たちも頷いた。
クローバーだけが、少し不安そうに皆を見ている。
「私も行っていいのでしょうか」
「当然だ」
「でも、牧場の管理が……」
「魔物たちは妖精たちが見てくれる」
昨夜、クローバーもそれを確認したはずだ。
「それに、クローバーの部屋を作るための素材だ」
「私のための……」
「一緒に取りに行こう」
クローバーは牧場へ目を向けた。
ミルクバッファローが柵の向こうから、こちらを見ている。
「モォ」
まるで行ってこいと言っているように聞こえた。
クローバーは、その首を優しく撫でる。
「少しだけ、留守をお願いしますね」
「モォ!」
クローバーは俺たちのところへ戻ってきた。
今度は迷わず、皆の隣へ並ぶ。
「私も連れていってください」
「ああ」
クローバーの部屋を作るため。
そして、助けを求める村のため。
俺たちは新たな手紙に記された、白雲村へ向かうことになった。




