第45話 魔物を守る少女
翌朝。
俺たちは日が昇る前に妖精の家を出た。
目的地は、草原地域の西にある風車小屋。
《妖精の招待状》を開くと、便箋の上に淡い光の線が浮かび、進むべき方角を示してくれる。
「こっちだよ!」
ピクが光の先を追いかけるように飛んでいく。
「遠くへ行きすぎるなよ」
「分かってるー!」
返事だけは元気だ。
俺たちは草原を西へ進んだ。
ラベンダーが先頭で周囲を警戒し、ローズがその後ろを歩く。
ピーチは薬の入った鞄を背負い、何度も中身を確認していた。
「そんなに薬が必要なのか?」
「手紙には、魔物たちが殺されそうだと書かれていました」
ピーチは真剣な表情で答える。
「すでに怪我をしている可能性もあります。傷薬だけでなく、解毒薬や止血薬も用意しました」
「さすが妖精薬師だな」
「まだ名乗り始めたばかりですけどね」
そう言いながらも、ピーチは少し嬉しそうだった。
◇
しばらく進むと、草原の様子が変わり始めた。
背の低い草に交じって、食べかけの葉や踏み荒らされた跡が増えている。
ラベンダーがしゃがみ込み、地面へ指を触れた。
「動物の足跡が多い」
「魔物か?」
「うん。でも、一種類じゃない」
小さな丸い足跡。
二つに割れた蹄の跡。
鋭い爪を持つ足跡。
大きさも形も違うものが、同じ方向へ続いていた。
「群れで移動しているのでしょうか」
ローズが周囲を見渡す。
「それにしては、足並みが揃いすぎています」
ラベンダーは足跡をたどりながら首を振った。
「逃げている感じもない。誰かについて歩いてるみたい」
「クローバーか」
魔物と暮らしているテイマー。
彼女が連れている魔物たちの足跡なのかもしれない。
その時。
「ミント!」
先を飛んでいたピクが、慌てた様子で戻ってきた。
「向こうから音がする!」
耳を澄ませる。
遠くから、怒鳴り声が聞こえた。
「囲め!」
「逃がすな!」
俺たちは顔を見合わせる。
「急ぐぞ」
草をかき分け、声のする方角へ走った。
◇
丘を越えた先に、古びた風車小屋が見えた。
羽根は途中で折れ、壁の板も何枚か外れている。
その小屋の前を、十人ほどの男たちが取り囲んでいた。
革鎧や胸当てを身につけ、剣や槍を持っている。
冒険者だろうか。
彼らの向こう側には、一人の少女が立っていた。
柔らかな緑色の髪。
草原を歩くための丈夫な服。
手には、先端に小さな鈴が付いた短い杖を握っている。
クローバー。
名前を知らなくても、すぐに分かった。
少女の後ろには、数匹の魔物が身を寄せ合っていた。
丸い身体をした羊のような魔物。
茶色い毛並みの大きな角兎。
羽根を痛めた小型の鳥魔物。
そして、少女の隣には一頭の大きな魔物が立っている。
白と茶色のまだら模様。
牛によく似ているが、額には短く丸い角が二本あり、首元には柔らかな毛が生えていた。
「モォ……」
低い鳴き声を上げ、クローバーを守るように前へ出る。
「駄目。下がって」
クローバーがその首へ手を添える。
牛の魔物は不安そうに鼻を鳴らしたが、少女の言葉に従って一歩下がった。
魔物は言葉を話さない。
それでも、クローバーのことを守りたいと思っているのは、見ているだけで分かった。
「最後にもう一度言う」
男たちの中央にいた大柄な冒険者が、剣を抜いた。
「その魔物をすべて引き渡せ」
「嫌です」
クローバーは震えていた。
それでも、魔物たちの前から動かない。
「こいつらは人を襲っていません」
「魔物は魔物だ」
「この子たちは、誰も傷つけていません!」
「今はな」
男が剣先を牛の魔物へ向ける。
「だが、成長すれば町を襲うかもしれない。危険になる前に始末する」
牛の魔物が唸り声を上げた。
「モォォ……!」
「ほら見ろ!」
男たちが一斉に武器を構える。
「敵意を見せたぞ!」
「あなたたちが武器を向けたからです!」
クローバーが叫ぶ。
だが、冒険者たちは聞く耳を持たない。
「討伐する!」
大柄な男が剣を振り上げた。
「待て!」
俺は丘を駆け下りた。
男たちが一斉にこちらを振り返る。
「なんだ、お前たちは」
「その魔物たちを殺す理由を聞かせてもらった」
俺はクローバーと冒険者たちの間へ入る。
ラベンダーたちも、すぐに後ろへ並んだ。
「今の話だけなら、討伐する理由にはならない」
「部外者は黙っていろ」
「助けを求められて、ここまで来た」
胸元から《妖精の招待状》を取り出す。
クローバーが目を見開いた。
「その手紙……」
「妖精の家に届いた」
「本当に……届いたんですね」
少女の目に、わずかに涙が浮かぶ。
だが、大柄な冒険者は鼻で笑った。
「妖精の家だか何だか知らんが、これは草原の安全を守るための討伐だ」
「ギルドの依頼か?」
「違う」
「町から正式に頼まれたのか?」
「それも違う」
「じゃあ、誰の判断だ?」
男は一瞬だけ黙った。
代わりに、後ろにいた細身の男が口を開く。
「そのテイマーが魔物を囲っているせいで、草原の魔物が増えているんだ」
「増えていません!」
クローバーが反論する。
「怪我をした子や、群れから追い出された子を保護しているだけです!」
「同じことだ!」
「違います!」
クローバーの声は震えていた。
それでも、一歩も引かない。
「この子たちは、もう野生へ戻れません。羽が折れた子も、足を怪我した子もいます。放せば死んでしまいます」
ピーチが鳥の魔物を見つめる。
「確かに、羽の傷はかなり古いようです」
角兎も片方の後ろ足をかばっていた。
羊のような魔物の身体には、刃物で切られたような傷跡が残っている。
どれも健康な魔物には見えない。
「保護しているという話は、嘘ではなさそうですね」
ローズが静かに告げた。
「それでも魔物は危険だ!」
大柄な男が声を荒らげる。
「なら、実際にこの魔物たちが人を襲った証拠はあるのか?」
「証拠など必要ない!」
「必要だ」
俺は男の目を見る。
「何もしていない相手を、危険になるかもしれないという理由だけで殺すのか?」
「魔物と人間を同じにするな!」
「同じだとは言ってない」
魔物には危険なものもいる。
俺だって、これまで何度も魔物を倒してきた。
仲間や人々を守るために、これからも戦うだろう。
だが。
「人を襲っている魔物と、傷ついて保護されている魔物まで同じに扱うな」
牛の魔物が、俺をじっと見ていた。
大きな黒い瞳。
そこにあるのは怒りではない。
クローバーを守ろうとする警戒心だけだった。
「モォ……」
低く鳴き、クローバーへ身体を寄せる。
クローバーはその頬を優しく撫でた。
「大丈夫。怖くないよ」
言葉を理解しているのかは分からない。
それでも、牛の魔物は少しだけ力を抜いた。
「どうして、そこまで魔物を守る?」
ラベンダーがクローバーへ尋ねる。
クローバーは牛の魔物から手を離さずに答えた。
「この子たちも、痛いものは痛いんです」
小さな声だった。
「怖ければ震えます。嬉しいときは近くへ来ます。お腹が空けば鳴きます」
クローバーは後ろにいる魔物たちを振り返る。
「言葉を話せなくても、生きています」
羊のような魔物が、クローバーの服へ顔を擦りつけた。
角兎は傷ついた足を引きずりながら、彼女の近くへ寄る。
「この子たちを道具として使いたいわけではありません」
クローバーは唇を噛んだ。
「ただ、生きていてほしいだけです」
その言葉に、男たちの何人かが目をそらした。
全員が心から魔物を殺したいわけではないらしい。
だが、大柄な男だけは剣を下ろさなかった。
「綺麗事だ」
「何?」
「魔物を飼えば金になる」
男の視線が、牛の魔物へ向けられる。
「そいつはミルクバッファローだ。毎日、栄養価の高い乳を出す。町へ売ればかなりの金になる」
クローバーが牛の魔物を庇うように立った。
「この子は渡しません」
「やはり、そいつが目的か」
男は笑った。
「自分だけ利益を独占するつもりなんだろう?」
「違います!」
「なら、俺たちが引き取っても問題ないはずだ」
「あなたたちは、この子を殺そうとした!」
「従順なら殺さない。乳を出せなくなったら肉にすればいい」
その言葉を聞いた瞬間。
牛の魔物が大きく身体を震わせた。
意味までは分からなくても、向けられた敵意は伝わったのだろう。
「モォォォッ!」
地面を蹴り、角を男へ向ける。
「待って!」
クローバーが首元へしがみついた。
牛の魔物は前へ出ようとしたが、クローバーを振り落とさないように踏みとどまった。
「ほらな!」
大柄な男が剣を構える。
「やはり危険な魔物だ!」
「お前が挑発したんだろ!」
俺も剣へ手を伸ばす。
ラベンダーが弓を構え、ローズの周囲へ魔力が集まる。
男の後ろにいる冒険者たちが動揺する。
「お、おい。本当に戦うのか?」
「相手は四人だぞ」
「エルフまでいる……」
大柄な男が怒鳴る。
「黙れ! 邪魔をするなら、こいつらも魔物の仲間だ!」
男が俺へ向かって踏み込んだ。
剣が振り下ろされる。
俺は盾を上げた。
硬い金属音が、草原へ響いた。
「ミント!」
「大丈夫だ!」
攻撃は重い。
だが、受け止められないほどではない。
俺は盾を押し返し、男との距離を空けた。
「本気で来るなら、こっちも手加減はできない」
「脅しのつもりか!」
男が再び剣を振り上げる。
その時。
クローバーが短い笛を口へ当てた。
澄んだ音が、草原へ広がる。
牛の魔物がすぐに動きを止めた。
ほかの魔物たちも、クローバーの後ろへ集まっていく。
暴れさせるための合図ではない。
落ち着かせるための音だ。
クローバーは魔物たちを守りながら、俺たちへ叫んだ。
「戦わないでください!」
「でも、このままじゃ――」
「私たちがここを出ます!」
クローバーは涙をこらえながら言った。
「この場所を渡せば、もう追いかけないと約束してください!」
大柄な男の口元が歪む。
「魔物も置いていけ」
「それはできません」
「なら話は終わりだ」
男は剣を握り直す。
最初から、風車小屋だけが目的ではない。
狙いはミルクバッファローだ。
「クローバー」
俺は盾を構えたまま、彼女へ呼びかけた。
「その子たちと一緒に暮らせる場所があれば、ここを離れられるか?」
「え……?」
「安全で、許可された者しか入れない場所だ」
クローバーが目を見開く。
ピクが俺の肩へ戻り、胸を張った。
「妖精の家だよ!」
「でも、魔物たちまで……」
俺は魔物たちを見る。
傷ついた鳥。
足をかばう角兎。
怯える羊の魔物。
そして、クローバーを守ろうとするミルクバッファロー。
言葉は話せない。
けれど、俺たちを襲おうともしていない。
「ピク。妖精の家へ入れられるか?」
「うーん……」
ピクは魔物たちの周りを飛びながら、一匹ずつ見つめた。
「この子たち、ミントたちを傷つけようとしてないよ」
「それなら?」
「大丈夫だと思う!」
ピクが笑顔で頷く。
「クローバーが家族なら、この子たちも一緒!」
クローバーの目から、涙がこぼれた。
「一緒に……いてもいいんですか?」
「ああ」
俺は答えた。
「まずは、この場を切り抜けてからだけどな」
大柄な男が苛立ったように舌打ちする。
「勝手なことを言いやがって」
「勝手なのはどっちだ」
俺たちは再び向き合う。
その時。
遠くから、複数の馬の蹄が地面を叩く音が聞こえてきた。
ラベンダーが振り返る。
「誰か来る!」
草原の向こうから、馬に乗った集団が近づいてくる。
先頭には、冒険者ギルドの紋章を掲げた男がいた。
「全員、武器を下ろせ!」
鋭い声が響く。
「無許可で魔物を討伐しようとしている者がいると、通報を受けた!」
大柄な男の顔色が変わった。




