第38話 森を救う薬
どおん――!
地面が大きく揺れた。
枯れた花びらが舞い上がり、周囲の木々が軋む。
「来る!」
ラベンダーの声と同時に、花畑の中央が盛り上がった。
土が割れる。
太い根が次々に弾け飛び、その下から巨大な影が姿を現した。
「下がれ!」
俺は盾を構え、妖精たちの前へ出る。
地面を突き破って現れたのは、巨大な虫の魔物だった。
長い身体は黒い甲殻に覆われ、何本もの脚が土を掻いている。
頭部から伸びた二本の牙には、緑色の液体がまとわりついていた。
魔物が身体を震わせる。
どん――!
先ほどまで森に響いていた音は、この魔物が地中を進む音だったのだ。
「大きい……」
ローズが杖を握り直す。
「地中を掘る魔物なの?」
「見たことない」
ラベンダーも短剣を構えたまま答える。
巨大な虫は俺たちではなく、足元の枯れた花へ牙を突き立てた。
すると、花にわずかに残っていた色が一瞬で失われた。
地面から淡い緑色の光が浮かび上がり、牙を通して魔物の身体へ吸い込まれていく。
「植物の力を吸っている?」
ローズが息を呑む。
魔物の黒い甲殻に、緑色の筋が浮かんだ。
その瞬間、周囲の草がさらに枯れていく。
「こいつが原因か」
俺は剣を抜いた。
「倒すぞ!」
「待ってください!」
ピーチの声が響いた。
俺は踏み出しかけた足を止める。
ピーチは魔物ではなく、枯れていく地面を見つめていた。
「どうした?」
「このまま倒してはいけません」
「何?」
巨大な虫がこちらへ顔を向けた。
牙の間から緑色の液体が落ちる。
「来るよ!」
ラベンダーが叫ぶ。
魔物が地面を蹴り、俺たちへ突進してきた。
「散れ!」
俺は正面から盾で受け止める。
激しい衝撃が腕を抜け、身体ごと後ろへ押された。
「ぐっ……!」
「ミント!」
ローズが杖を振る。
「《風の刃》!」
風の刃が魔物の頭部へ直撃する。
だが、黒い甲殻に浅い傷をつけただけだった。
「硬い!」
「足の関節を狙う!」
ラベンダーが横から走り込む。
短剣を脚の付け根へ突き立てるが、刃先が甲殻に弾かれた。
「こっちも硬い!」
魔物が身体を振り回す。
ラベンダーはすぐに後ろへ跳び、太い脚を避けた。
俺は再び盾を前へ出し、妖精たちへ近づけないよう魔物の進路を塞ぐ。
「ピーチ、さっきの話は何だ!」
「この魔物は、植物から力を奪っているだけではありません!」
ピーチは地面に落ちた緑色の液体を布で拭い、小瓶へ入れていた。
「その液体、毒じゃないのか?」
「だから調べるんです!」
ピーチは小瓶を光へかざす。
覚醒する前までなら、詳しい分析には時間が必要だった。
だが今のピーチは違う。
《妖精薬師》として得た知識が、目の前の液体の性質を次々に教えていた。
「植物の生命力を溶かしています」
「生命力を?」
「はい。この液体が根や土へ染み込み、植物の力を引き出しているんです」
ピーチは枯れた花を一本取り、茎の切り口を確認する。
「魔物を倒しても、この液体が土に残れば、森は枯れ続けます」
俺は魔物の牙を盾で受け流した。
「じゃあ、どうすればいい!」
「中和します!」
ピーチは強く答えた。
「私が薬を作ります!」
「今ここで?」
「ここで作るしかありません!」
ピーチは革鞄を開く。
薬草。
《妖精露草》。
眠りの霧を防ぐ薬の残り。
そして、たった今採取した魔物の液体。
すべてを地面へ並べた。
「時間をください!」
ピーチは俺たちを見た。
「必ず、この森を救う薬を作ります!」
迷いのない目だった。
俺は剣を握り直す。
「分かった」
魔物が再び身体を持ち上げる。
「ピーチが薬を作るまで、こいつを近づけるな!」
「任せて!」
ラベンダーが魔物の右側へ走る。
「私も援護します!」
ローズは左側へ移動し、杖を構えた。
俺たちはピーチを守るように魔物を囲んだ。
◇
ピーチは小さな乳鉢へ《妖精露草》を入れた。
今まで大切に使ってきた素材だ。
だが、迷いはなかった。
妖精たちを治すだけではない。
妖精たちが暮らしていた森そのものを救わなければならない。
「植物の生命力を溶かす液体……」
ピーチは魔物の液体を一滴だけ加える。
薬草が黒く変色した。
「このままでは駄目」
毒を消すだけでは、枯れた植物は戻らない。
中和したあと、残っている力を土へ返す必要がある。
《妖精薬師》の知識が、いくつもの調合方法を示してくる。
しかし、どれも材料が足りなかった。
「森で手に入るものだけで……」
ピーチは周囲を見る。
枯れた花。
黒く変色した葉。
傷ついた木の根。
どれも薬の材料には見えない。
それでも、ピーチは立ち上がった。
「ピク!」
「なに?」
「妖精さんが元気な花へ触れた時、花が光ることはありますか?」
「あるよ!」
ピクはすぐに答えた。
「妖精が嬉しい時、お花も少し元気になる!」
「その力を借りられますか?」
「やってみる!」
ピクは花畑に残っている、まだ完全には枯れていない花へ飛んだ。
ほかの妖精たちも続く。
「お花、がんばって!」
「枯れないで!」
「元気になって!」
妖精たちが花へ手を触れる。
小さな身体から淡い光が溢れ、花へ吸い込まれていく。
萎れていた花びらが、わずかに持ち上がった。
「これです!」
ピーチは光を宿した花びらを一枚だけ受け取る。
乳鉢へ入れると、黒く変色していた薬草が淡い緑色へ戻った。
「足りない……」
だが、まだ弱い。
これでは小さな範囲しか中和できない。
「ピーチ!」
ミントの声が響く。
顔を上げると、巨大な魔物が盾ごとミントを押し込んでいた。
地面を踏みしめて耐えているが、足元が少しずつ滑っている。
「まだか!」
「もう少しです!」
ピーチは再び薬を見つめる。
薬の効果を広げる方法。
少ない材料で、多くの場所へ届ける方法。
頭の中に浮かんだのは、霧だった。
「眠りの霧を防ぐ薬……」
森へ来るために作った薬。
霧へ混ざっても効果を失わず、身体を守るように作られている。
ならば、逆に薬そのものを霧へ変えればいい。
「使える」
ピーチは眠りを防ぐ薬の残りを乳鉢へ加えた。
液体が渦を巻き、淡い緑色の霧が浮かび始める。
「できました!」
ピーチは立ち上がる。
「ローズさん!」
「はい!」
「風で、この薬を森へ広げてください!」
ピーチは完成した薬を小瓶へ移す。
瓶の口から、緑色の霧が細く溢れている。
「魔物にも当てて大丈夫ですか?」
「むしろ、当ててください!」
ピーチは魔物を指さした。
「牙と身体に付着した液体を中和します!」
「分かりました!」
ローズはミントから距離を取り、ピーチの隣へ移動した。
杖を両手で構える。
「瓶を開けてください!」
ピーチが栓を抜く。
淡い緑色の霧が一気に溢れた。
「《風よ、広がれ!》」
ローズの周囲で風が巻き起こる。
緑色の霧を包み込み、花畑全体へ運んでいく。
霧が地面へ触れた。
黒く変色していた土から、薄い煙が上がる。
魔物が撒き散らした緑色の液体が、次々に透明へ変わっていった。
「効いています!」
ピーチが声を上げる。
霧はさらに広がり、枯れた花や木の根を優しく包んだ。
すぐに元通りになるわけではない。
だが、枯れる速度が止まった。
落ち続けていた木の葉も、風に揺れるだけで枝に残っている。
「森が……」
ピクが目を見開く。
「枯れるのが止まった!」
魔物にも緑色の霧が届いた。
牙へ付着していた液体が泡立ち、消えていく。
黒い甲殻に浮かんでいた緑色の筋も薄くなった。
巨大な虫が苦しそうに身体を捩る。
「ギィィィィ!」
「弱ってる!」
ラベンダーが叫ぶ。
「甲殻の光が消えた!」
魔物の硬い身体は、植物から奪った力で強化されていたのだ。
その力をピーチの薬が中和した。
「ミントさん!」
ピーチが俺を見る。
「今なら、甲殻が弱くなっています!」
「分かった!」
俺は盾で魔物の頭を押し返す。
牙が上へ逸れた。
「ラベンダー!」
「任せて!」
ラベンダーが魔物の側面へ回り込む。
先ほど弾かれた脚の付け根へ、もう一度短剣を突き立てる。
今度は刃が深く入った。
「通った!」
魔物の身体が大きく傾く。
「ローズ!」
「はい!」
「《風の槍》!」
凝縮された風が、傷ついた脚へ直撃した。
魔物が地面へ倒れる。
俺は剣を両手で握り、露出した頭部の隙間へ刃を突き立てた。
「これで終わりだ!」
剣が甲殻を貫く。
巨大な虫は一度だけ身体を震わせ、そのまま動かなくなった。
森に、静けさが戻った。
◇
「終わった……?」
ピクが恐る恐る魔物へ近づく。
「ああ」
俺は剣を引き抜いた。
「もう動かない」
妖精たちが少しずつ花の陰から出てくる。
魔物を倒したことよりも、枯れ続けていた森が止まったことに驚いているようだった。
「お花、まだ生きてる」
「木も枯れてない」
「ピーチのお薬だ」
妖精たちが一斉にピーチを見る。
ピーチは空になった小瓶を握り、花畑を見回していた。
「完全に元へ戻ったわけではありません」
枯れた花は、まだ俯いたままだ。
落ちた葉も戻らない。
「ですが、これ以上枯れることはありません」
「本当?」
「はい」
ピーチは傷ついた花の前へ膝をつく。
「土に残った液体も中和できました。時間はかかりますが、植物は少しずつ回復するはずです」
妖精たちが歓声を上げた。
「やったー!」
「森、治る!」
「お花のお家も作れる!」
ピクが勢いよくピーチへ抱きつく。
「ピーチ、すごい!」
「ピクさんたちが力を貸してくれたからです」
「でも、お薬を作ったのはピーチだよ!」
ほかの妖精たちも集まってくる。
「ありがとう!」
「森を助けてくれた!」
「ピーチ大好き!」
小さな妖精たちに囲まれ、ピーチは困ったように笑った。
丸眼鏡の奥には、涙が浮かんでいる。
「私は……」
ピーチは枯れずに残った一輪の花へ触れた。
「妖精さんの薬を作りたいと思って、ずっと研究してきました」
誰にも必要とされないと言われた。
意味がないと笑われた。
それでも諦めなかった。
「妖精さんを助ける薬だけを考えていました」
ピーチは森全体を見回す。
「でも、今日分かりました」
「なにが?」
ピクが尋ねる。
「妖精さんを助けるには、妖精さんが暮らす場所も守らなければならないんですね」
ピーチは立ち上がった。
「私は、妖精さんと妖精さんの森を守れる薬師になります」
妖精たちは嬉しそうに飛び回る。
「妖精薬師!」
「ピーチは妖精薬師!」
「森のお薬も作れる!」
ピーチは少し照れながらも、今度は否定しなかった。
「はい」
胸を張り、はっきりと答える。
「私は《妖精薬師》です」
覚醒した力で妖精を治した。
そして今、枯れかけた森まで救った。
ピーチが作り続けてきた薬は、誰にも必要とされないものではなかった。
妖精たちにとって、かけがえのない希望だった。




