第22話 世界樹の枝
目を覚ましたとき、窓の外はすでに明るくなっていた。
木々の隙間から差し込む朝日が、部屋の床を淡く照らしている。
俺は寝台の上で体を起こし、ゆっくりと肩を回した。
「よく寝た……」
昨日は横になった直後から、ほとんど記憶がない。
山賊との戦いや長い移動で溜まっていた疲れも、だいぶ抜けていた。
向かいの寝台では、ラベンダーが毛布にくるまって眠っている。
頭の上から、狼の耳だけが飛び出していた。
「ミント、おはようなの」
胸元から小さな声が聞こえる。
眠る前に脱いだ上着の胸ポケットから、ピクが顔を出していた。
「おはよう。ピクはもう起きてたのか」
「妖精は朝が得意なの」
そう言った直後、ピクが大きな欠伸をする。
「眠そうだけど」
「これは欠伸じゃないの。お口を大きくする練習なの」
「何の練習だよ」
「いつか役に立つの」
俺が笑うと、毛布の中から低い声が聞こえた。
「朝からうるさい……」
「起きてたのか?」
「今、起こされたの……」
ラベンダーが毛布から顔を出した。
髪は乱れ、目も半分しか開いていない。
「まだ寝たい……」
「かなり疲れてたからな」
「うん……」
ラベンダーがもう一度毛布へ潜ろうとしたところで、扉が静かに叩かれた。
「皆さん、起きていますか?」
ローズの声だった。
「起きてるよ」
俺が答えると、扉がゆっくりと開いた。
ローズはすでに着替えを終え、銀色の髪もきれいに整えている。
昨日より顔色はよくなっていたが、少し緊張しているようにも見えた。
「よく眠れた?」
「はい。久しぶりに、自分の部屋で眠りました」
「ご両親とは話せたの?」
ラベンダーが寝台の上で体を起こす。
ローズは少しだけ迷ってから答えた。
「昔の話を少ししました。ですが、まだ何を話せばいいのか、お互いに分からなくて」
「何年も離れてたんだから、仕方ないよ」
「そうですね」
ローズは小さく笑った。
「父が、朝食のあとに世界樹へ案内すると言っています」
その言葉を聞き、ラベンダーの耳がぴんと立った。
「世界樹の枝をもらえるの?」
「はい。昨日、父と村長へ事情を話しました」
俺たちはローズのための杖を手に入れるため、ここまで来た。
ようやく、その目的を果たせる。
「なら、早く準備しないとな」
「でも、その前にご飯なの!」
ピクが両手を上げる。
「それが一番大事だな」
「うん!」
◇
朝食を終えた俺たちは、ローズの父親に案内されて村の奥へ向かった。
村の中央へ近づくにつれて、周囲の木々が太くなっていく。
やがて視界の先に、他の木とは比べものにならないほど巨大な大樹が現れた。
「大きい……」
ラベンダーが足を止め、空を見上げる。
幹は何十人もの大人が手をつないでも囲めないほど太く、枝葉は村全体を包み込むように広がっていた。
白に近い樹皮の表面には、淡い緑色の光が脈のように流れている。
その周囲には、小さな光の粒が無数に漂っていた。
「精霊なの」
ピクが俺の胸ポケットから身を乗り出す。
「たくさんいるの!」
「あれが、この村の世界樹だ」
ローズの父親が大樹を見上げる。
「村を覆う結界も、森に満ちる魔力も、この木の力によって保たれている」
「枝を切っても大丈夫なんですか?」
俺が尋ねると、父親は首を横へ振った。
「生きている枝を切ることはない」
世界樹の根元へ近づく。
太い根の上に、淡い光をまとった一本の枝が置かれていた。
俺の腕より少し長く、白い木肌には細い金色の筋が走っている。
葉はついていないが、枯れているようには見えなかった。
「世界樹が自ら落とした枝だ」
「自分で落とすのか?」
「ああ。世界樹は時折、役目を終えた枝を自然に落とす。その枝には、木から離れたあとも強い魔力が残る」
ローズの父親は枝を両手で持ち上げた。
「ローズから、皆さんがこの枝を求めて村へ来たと聞いた」
「はい」
俺は頷いた。
「ローズの杖にするためです」
ローズは黙ったまま、父親の手にある枝を見つめていた。
長い旅をして、山賊にも襲われた。
それでもここまで来たのは、この枝を手に入れるためだった。
「本来、世界樹の枝を村の外へ持ち出すことは、ほとんどない」
父親の表情が少し厳しくなる。
「だが、皆さんは村の子を助けてくれた。それに、ローズが信頼する仲間でもある」
父親は一度、娘へ視線を向けた。
「この枝を、ローズのために使ってほしい」
世界樹の枝が、俺たちの前へ差し出される。
「ありがとうございます」
俺は迷わず両手で受け取った。
見た目よりも軽い。
指が木肌へ触れた瞬間、穏やかな魔力が腕を通して体の中へ流れ込んできた。
熱くも冷たくもない。
それなのに、疲れが少しだけ薄れるような不思議な感覚がある。
「すごい魔力だ」
ラベンダーも枝を覗き込む。
「触ってないのに分かるよ」
「世界樹の枝は、加工しなくても杖として使えます」
ローズが静かに説明する。
「枝そのものが魔力を通し、術者の力を安定させてくれるのです」
「なら、このまま使えるんだな」
「はい。ただし、誰が持っても同じ力を発揮するわけではありません」
「持ち主との相性があるのか?」
「精霊と心を通わせられる者ほど、強く応えてくれると言われています」
俺は世界樹の枝をローズへ差し出した。
「ローズ」
「はい」
「ようやく手に入ったな」
ローズはゆっくりと両手を伸ばし、世界樹の枝を受け取った。
枝がローズの指へ触れた瞬間。
白い木肌を、淡い緑色の光が走った。
周囲を漂っていた精霊たちが、一斉にローズのもとへ集まってくる。
「わあ!」
ピクが声を上げた。
緑や青の光が、ローズの髪や肩の周りを楽しそうに飛び回っている。
ローズは世界樹の枝を両手で握り、静かに目を閉じた。
「どう?」
俺が尋ねると、ローズはゆっくりと目を開いた。
「魔力が、とても静かです」
「静か?」
「はい。今まで、私の魔力は体の中で暴れ続けていました。抑えようとすると苦しくなり、力を緩めると溢れそうになっていたのです」
ローズは杖を胸元へ引き寄せる。
「ですが、この枝を握っていると、魔力が正しい場所へ流れていくように感じます」
「これなら、前より魔法を使いやすくなる?」
ラベンダーが尋ねる。
「おそらく。実際に使ってみなければ分かりませんが」
ローズの顔に、かすかな笑みが浮かぶ。
「皆さんとここまで来られて、本当によかったです」
「俺たちも、ローズがいてくれたから村まで来られたんだ」
「そうだよ。ローズが道を知らなかったら、今頃まだ森で迷ってたかも」
「ピクが案内したの!」
「ピクはずっとポケットにいたでしょ」
「ポケットから応援してたの!」
ラベンダーが笑う。
ローズの父親は、そんな娘の姿を黙って見つめていた。
「似合っている」
やがて、父親が短く言った。
ローズは少し驚いたように顔を上げる。
「昔、お前に杖を持たせてやることができなかった」
父親は世界樹へ視線を移した。
「今さら遅いかもしれないが、その枝がお前を支えてくれることを願っている」
ローズはすぐには答えなかった。
世界樹の杖を見つめ、それから父親へ向き直る。
「大切に使います」
父親は静かに頷いた。
◇
世界樹の枝を受け取ったあと、俺たちは村の中を案内してもらった。
エルフの村には食料や薬草を扱う店だけでなく、武器や防具を作る工房もある。
店先には弓や杖が多く並んでいたが、剣や短剣、革鎧も置かれていた。
「エルフは弓しか使わないと思ってた」
ラベンダーが店先の剣を眺める。
「森には接近戦を避けられない魔物もいる」
ローズの父親が答えた。
「弓だけで村を守ることはできない」
俺は腰の剣を抜き、刃を確認する。
これまでの戦いで細かな傷が増え、先端近くには小さな欠けもできていた。
防具にも、山賊の攻撃を受けた跡が残っている。
「買い替えるの?」
ラベンダーが尋ねる。
「ああ。護衛の報酬も受け取ったからな」
「ミントの防具、ここが裂けてるよ」
「まだ使えると思ってた」
「命を守る物をけちったら駄目だよ」
ラベンダーに言われると反論できなかった。
店の主人に装備を見てもらうと、剣は修理するより買い替えた方がいいと言われた。
何本か握り、重さや長さを確かめる。
俺が選んだのは、以前の剣より少しだけ重い片手剣だった。
派手な装飾はないが、刃は厚く、強く打ち合っても簡単には折れそうにない。
防具も革だけの物から、胸や肩に薄い金属板が入った物へ替えた。
「前より強そうなの!」
ピクが胸ポケットから顔を出す。
「見た目だけじゃ駄目だけどな」
「見た目も大事なの」
「そうなのか?」
「弱そうに見えたら、悪い魔物が来るの」
「強そうに見えても来ると思うけど」
ラベンダーは新しい狩猟用の弓を手に取り、何本か弦を引いて感触を確かめる。以前の弓よりもしなりが強く、矢を遠くまで真っ直ぐ飛ばせそうだった。予備の矢も補充し、新しい矢筒を腰へ下げる。
防具は動きを妨げない軽装のままだが、胸元や脇腹を守る部分が厚くなっている。
「軽い」
ラベンダーがその場で体をひねる。
「これなら走りやすいよ」
「尻尾は守らなくていいのか?」
「尻尾まで防具を着けたら、動かしにくくなるの」
「大事な尻尾なの!」
ピクが真剣な顔で言う。
「ピクが守ってくれる?」
「危なくなったら応援するの!」
「応援だけ?」
「一生懸命応援するの!」
ラベンダーが吹き出した。
ローズは新しい世界樹の杖を手に、少し離れた場所から俺たちを見ている。
その表情は穏やかだった。
けれど、村人が近くを通るたびに、わずかに体が固くなる。
村人たちもローズへ話しかけようとはしなかった。
村の子を救ったことで感謝はされている。
それでも、過去の出来事まで消えたわけではない。
◇
装備を買い終えたあと、俺たちはローズの家で昼食を取ることになった。
食卓には森で採れた野菜や木の実、川魚を焼いた料理が並んでいる。
ローズの母親は料理を運びながら、何度も娘へ視線を向けていた。
「あなたが昔好きだった物を作ったのだけれど……今も食べられるかしら」
「はい。覚えています」
ローズは焼いた木の実を一つ口へ運ぶ。
「昔と同じ味です」
母親の顔が少しだけ緩んだ。
けれど、そのあとに続く言葉が見つからない。
ローズも何かを話そうとしては、口を閉じてしまう。
長く離れていた時間を、一度の食事で埋めることはできない。
食事が半分ほど終わったところで、外から小さな足音が聞こえた。
扉が開き、昨日助けたエルフの少女が母親に手を引かれて入ってくる。
「もう歩いて大丈夫なの?」
ラベンダーが尋ねると、少女は小さく頷いた。
「まだ少し疲れていますが、怪我はほとんどありません」
少女の母親が答える。
少女は俺たちの前まで来ると、深く頭を下げた。
「助けてくれて、ありがとうございました」
「無事でよかった」
俺が答えると、少女はローズへ顔を向けた。
「ローズさんも、ありがとうございました」
「私は、ほとんど何もしていません」
「そんなことないです」
少女は首を横へ振る。
「怖くて動けなかったとき、ずっとそばにいてくれました」
ローズがわずかに目を見開く。
少女は母親の後ろへ戻る前に、もう一度ローズへ頭を下げた。
その様子を、家の外にいた村人たちも見ていた。
誰も何も言わない。
けれど、ローズへ向けられる視線が、昨日よりほんの少しだけ柔らかくなった気がした。
◇
午後、俺たちは村の外れへ向かった。
新しい装備に慣れるための軽い訓練と、ローズが世界樹の杖を試すためだ。
「まずは、小さな魔法から試します」
ローズが世界樹の杖を両手で握る。
少し離れた場所には、葉のついた細い枝が一本立てられていた。
「風よ」
杖の先に淡い光が集まる。
ローズが杖を振ると、細い風の刃が飛んだ。
風は狙った一枚の葉だけを切り落とし、その後ろの枝には傷一つつけなかった。
「できました……」
ローズが驚いたように杖を見る。
「狙った場所へ、狙った強さで魔法を放てました」
「すごいよ、ローズ!」
ラベンダーが駆け寄る。
「今までとは全然違う?」
「はい。力を抑え込まなくても、杖が余分な魔力を整えてくれます」
ローズはもう一度、杖を構えた。
今度は地面に向けて魔法を放つ。
小さな風が落ち葉だけを巻き上げ、綺麗な輪を作った。
「きれいなの!」
ピクが舞い上がった落ち葉の中を飛び回る。
「ピク、危ないよ」
「平気なの!」
ローズの周囲に、小さな精霊たちが集まってくる。
世界樹の杖から流れる魔力に引かれているようだった。
ローズは精霊たちを見つめ、静かに微笑んだ。
この枝を手に入れるために、ここまで来た。
目的は果たした。
俺たちの装備も整い、体の疲れも取れつつある。
あと一日か二日休んだら、妖精の家へ戻ってもいいかもしれない。
そう考えたとき。
ラベンダーの耳が突然立った。
「どうした?」
「静かすぎる」
ラベンダーが森の奥へ顔を向ける。
「さっきまで鳥の声がしてたのに、何も聞こえない」
俺も耳を澄ませた。
風が木の葉を揺らす音は聞こえる。
だが、鳥や小動物の鳴き声は一つも聞こえなかった。
ローズが空を見上げる。
村を覆っているはずの結界が、淡く揺れていた。
「やはり……」
「何か分かるのか?」
「昨日から感じていました」
ローズは世界樹の杖を握り直す。
「結界の魔力が、以前より薄くなっています」
その直後。
世界樹の方角から吹いてきた風が、一瞬だけ冷たく変わった。




