第21話 ローズの故郷
町の門をくぐった途端、商隊のあちこちから安堵の息が漏れた。
長い街道を進み、途中で山賊にも襲われた。
それでも荷馬車を一台も失わず、全員で目的地までたどり着くことができた。
「本当に助かった」
商隊の責任者が、俺たちへ深く頭を下げる。
「君たちがいなければ、荷物どころか命まで失っていたかもしれない」
「依頼を受けた以上、当然のことをしただけです」
「山賊まで捕らえておいて、それだけで済ませられる冒険者は少ないよ」
商人たちは、縛り上げた山賊を町の警備兵へ引き渡していく。
俺も山賊の小屋で見つけた紙を取り出した。
「小屋に、これがありました」
紙の端には、黒い蝙蝠の紋章が押されている。
警備兵は紙を受け取ると、わずかに眉をひそめた。
「この印に見覚えは?」
「ありません。小屋には、同じ紋章が焼き印された木箱もありました」
「分かった。小屋の場所も教えてくれ。町の冒険者ギルドと協力して調べる」
俺は山賊の小屋までの道を伝えた。
蝙蝠の紋章について今すぐ何か分かるわけではなさそうだ。
警備兵へ山賊を任せたあと、俺たちは冒険者ギルドへ向かった。
受付で護衛依頼の完了を報告する。
商隊の責任者も無事に到着したことを証明してくれたため、手続きはすぐに終わった。
革袋に入った報酬を受け取る。
初めての護衛依頼は、これで完了だった。
「終わったね」
ラベンダーが両腕を上げ、大きく伸びをする。
「ずっと周りの音と匂いを気にしてたから、疲れたよ」
「お疲れさま」
「ミントもね」
俺も肩を回す。
戦いが終わった直後は気が張っていたが、町へ着いたことで一気に疲れが押し寄せてきた。
ローズの隣には、助けたエルフの少女が座っている。
毛布はもう必要なくなったが、顔色はまだ少し悪い。
「この子の村は、ここから遠いのか?」
俺が尋ねると、商隊の責任者が東の方角を指差した。
「町の東にある森の中だ。普通に歩けば半日もかからない。ただし、エルフの集落は森に慣れていない者には見つけにくい」
「道は分かります」
ローズが静かに答えた。
その声は、普段よりも少し硬い。
「私が案内できます」
「ローズ、行ったことがあるの?」
ラベンダーが尋ねる。
「はい」
ローズはそれ以上答えず、少女へ視線を向けた。
「もう少し休んでから出発しましょう。歩けないときは私がおぶります」
少女は申し訳なさそうに俯いた。
「ごめんなさい……」
「謝らなくて大丈夫です」
ローズは少女の手を優しく包む。
「家族のもとへ帰りましょう」
◇
町で水と食料を補充し、俺たちは東門から外へ出た。
町から離れるにつれ、道は次第に細くなっていく。
やがて背の高い木々に囲まれ、森の中へ入った。
少女はまだ長く歩けないため、ローズの背中におぶわれている。
胸元のポケットから、ピクが顔を覗かせた。
「大きな森なの」
「ああ。俺だけなら、すぐに迷いそうだ」
「ローズがいるから大丈夫なの」
ピクは迷いなく言った。
先頭を歩くローズの肩が、わずかに揺れる。
森へ入ってから、ローズはほとんど話さなくなっていた。
道に迷っている様子はない。
むしろ何度も通ったことがあるように、分かれ道でも足を止めずに進んでいる。
「ローズ」
俺が声をかけると、ローズは前を向いたまま答えた。
「はい」
「疲れていないか? 少女を代わろうか?」
「大丈夫です。私が運びます」
言葉は丁寧だったが、その声には余裕がなかった。
ラベンダーも気づいているらしく、俺の隣へ並ぶと小声で囁く。
「ローズ、少し変だね」
「この森に入ってからだな」
「道だけじゃなくて、森の匂いも知ってるみたい」
ローズの背中で、少女が顔を上げた。
「お姉ちゃん、この道を知ってるの?」
ローズの足が止まった。
木々の間を風が通り抜け、葉の擦れ合う音が響く。
「知っています」
ローズは少女を背負ったまま、ゆっくりと前を向く。
「昔、何度も歩きました」
それ以上は何も話さなかった。
俺たちも、無理に聞くことはしない。
◇
森を進んでしばらくすると、少女がローズの背中から降りた。
「もう歩けます」
「無理はしないでください」
「大丈夫です。もうすぐだから」
少女の声には、少しだけ元気が戻っている。
そこから先は少女も自分の足で歩いた。
細い獣道のような場所を抜け、大きな木の根を越え、小川の横を進む。
森の奥へ入るほど、不思議なほど空気が澄んでいった。
木々の間には、小さな光がいくつも漂っている。
「精霊かな?」
ラベンダーが手を伸ばす。
光は指先へ近づいたあと、触れる直前に離れていった。
「この森には、小さな精霊が多く住んでいます」
ローズが答える。
やはり、ただ一度訪れたことがあるという様子ではない。
しばらく歩くと、前方の木々が途切れた。
その向こうに、巨大な木々を囲むように家々が並んでいる。
太い幹を利用した家。
枝の間に作られた渡り廊下。
森と一つになったような、美しい集落だった。
「あそこです!」
少女が声を弾ませる。
そのまま駆け出そうとして、足をもつれさせた。
ローズがすぐに体を支える。
「ゆっくりです」
「でも、家が……」
「もう逃げません。村も家族も、そこにあります」
少女は目に涙を浮かべながら、何度も頷いた。
俺たちが集落へ近づくと、見張りらしいエルフたちが弓を構えた。
「止まれ!」
鋭い声が飛んでくる。
少女がローズの手を離し、前へ出た。
「私です!」
見張りのエルフたちが目を見開く。
「生きていたのか!」
「早く家族を呼べ!」
一人が村の中へ駆けていった。
少女の目から、大粒の涙がこぼれ落ちる。
やがて村の奥から、一組の男女が走ってきた。
少女も今度こそ駆け出す。
三人は村の入口で強く抱き合った。
「ごめんなさい……」
少女が泣きながら何度も謝る。
両親らしい二人は少女の体を抱きしめたまま、離そうとしなかった。
周囲には次々と村人たちが集まってくる。
「よかった」
「本当に生きていた」
「誰が助けてくれたんだ?」
少女が涙を拭い、こちらを振り返った。
「あのお姉ちゃんたちが助けてくれたの」
村人たちの視線が、俺たちへ集まる。
そして、その視線がローズへ向いた瞬間。
村の空気が変わった。
「ローズ……?」
誰かが呟く。
ざわめきが広がっていく。
驚いた顔。
怯えた顔。
気まずそうに目を逸らす者もいた。
ローズは村人たちから向けられる視線を、黙って受け止めている。
「ローズ、知り合いなの?」
ラベンダーが尋ねた。
ローズはすぐには答えなかった。
やがて静かに息を吐き、目の前の集落を見つめる。
「ここは……私が生まれた村です」
ラベンダーが目を見開いた。
俺もすぐには言葉が出なかった。
村人たちの中から、一組の男女がゆっくりと前へ出てくる。
ローズと同じ色の髪をした女性と、険しい表情をした男性。
ローズは二人を見たまま動かない。
「お父さん。お母さん」
女性の瞳に涙が浮かんだ。
「ローズ……」
一歩踏み出そうとして、その足を止める。
ローズも近づこうとはしなかった。
二人の間には、わずかな距離しかない。
それなのに、長い年月が間を隔てているように見えた。
ローズの父親が先に俺たちへ向き直る。
「村の子を助けてくれたこと、心から感謝する」
深く頭を下げると、周囲の村人たちもそれに続いた。
「護衛を終えたばかりだと聞いた。このまま帰すわけにはいかない。しばらく村で休んでいってほしい」
「ありがとうございます」
正直、助かった。
護衛を終えたばかりで、山賊とも戦った。
町で少し休んだとはいえ、体の奥にはまだ疲れが残っている。
ラベンダーも眠そうに目を擦っていた。
「今日はもう休もう」
「賛成……」
ラベンダーは力なく頷く。
ローズは俺たちの顔を見回し、申し訳なさそうに眉を下げた。
「すみません。私のことで、ここまで来てもらって……」
「今は謝るより休もう」
俺が言うと、ローズは小さく頷いた。
村人に案内され、俺たちは客人用の家へ向かう。
その途中、ローズが何度も頭上を見上げていた。
村全体を包むように、淡い光の膜が広がっている。
「どうした?」
「村を守る結界です」
ローズは足を止め、揺らめく光を見つめる。
「ですが……昔より魔力が薄くなっています」
「分かるのか?」
「はい。以前は、もっと強い魔力で森全体が満たされていました」
近くを歩いていた村人が、気まずそうに視線を逸らした。
「最近、少しずつ弱くなっている」
ローズの父親が低い声で答える。
「原因は調べている。だが、すぐに崩れるような状態ではない」
ローズはしばらく結界を見上げていた。
それでも今は、それ以上何も言わなかった。
◇
客人用の家には、いくつかの寝台が用意されていた。
運ばれてきた簡単な食事を食べると、ラベンダーは寝台へ倒れ込むように横になる。
「もう動けない……」
尻尾まで力なく寝台の上へ落ちた。
ピクも俺のポケットから出ると、枕の近くへ降りる。
「ピクも眠いの」
「みんな今日はよく頑張ったからな」
俺も剣と防具を外し、壁際へ置いた。
肩や腕が重い。
防具には魔物や山賊の攻撃を受けた傷が増えている。
剣の刃にも小さな欠けがあった。
護衛の報酬も入った。
何日かこの村で休めるなら、装備も見直した方がいいだろう。
寝台へ横になると、体が深く沈み込んでいくようだった。
ローズの故郷のこと。
村人たちの反応。
両親との間にあるもの。
弱くなった結界。
気になることはいくつもある。
けれど今は、考える余裕がなかった。
「続きは明日だ」
そう呟いて目を閉じる。
その夜、俺たちは久しぶりに、何も警戒せず眠った。




