第17話 旅支度
「私は、故郷を追い出されたエルフですから」
ローズの声は、泉の水音に消えてしまいそうなほど小さかった。
胸元で握られた両手が、わずかに震えている。
ラベンダーもピクも、すぐには何も言わなかった。
「魔力が暴走したからか?」
俺が尋ねると、ローズはしばらく迷ったあと、小さく頷いた。
「はい」
ローズは自分の膝へ視線を落とす。
「私は、生まれたときから他のエルフよりも魔力量が多かったそうです。幼い頃は、それを才能だと言っていただけました」
そこで、ローズの声が途切れた。
「ですが、成長するほど自分の魔力を抑えられなくなりました。感情が乱れるだけで、周囲の魔力まで巻き込んでしまうこともありました」
「杖で抑えてたんだよね?」
ラベンダーの問いに、ローズが頷く。
「はい。杖があれば、ある程度は魔力の流れを整えられます。それでも、何度も暴走しかけました」
「それで追い出されたのか」
「故郷の方々にとって、私は危険な存在でしたから」
ローズの答えは、嘘ではないのだと思う。
けれど、それですべてではない。
そう感じた。
ローズは一度、何かを言いかけるように唇を開いた。
しかし、その言葉は声にならなかった。
「理由は……それだけです」
ローズはそう言って、再び顔を伏せる。
俺は、それ以上尋ねなかった。
「分かった」
「聞かないのですか?」
ローズが驚いたように顔を上げる。
「話したくないことを、無理に聞いても仕方ないだろ」
「ですが……」
「話したくなったら、そのとき聞く」
ローズはしばらく俺を見つめていた。
やがて、握りしめていた両手から少しだけ力を抜く。
「……ありがとうございます」
「でも、世界樹まで杖なしで行くのは危ないよね」
ラベンダーが腕を組んだ。
「魔法を使わなければ、問題ありません」
「旅の途中で魔物が出たらどうするの?」
「そのときは、皆さんにお任せします」
「それじゃあ、ローズが困るでしょ」
ラベンダーの言葉に、ローズは黙り込んだ。
「普通の杖でも、魔力を少しだけ流すなら使えるのか?」
俺が尋ねると、ローズは考え込む。
「普通の木では、私の魔力に耐えられません。ですが、魔力を多く含んだ木であれば、短時間なら耐えられるかもしれません」
「魔力を含んだ木なら、お庭にあるの!」
ピクが勢いよく飛び上がった。
「本当ですか?」
「妖精さんたちが育てている木なの!」
俺たちは妖精の庭へ向かった。
庭の奥には、淡い光をまとった大きな木が立っている。
枝には見たことのない葉や実がつき、幹の内側を光が流れていた。
ピクが木の前まで飛んでいく。
「ローズの杖にする枝を分けてほしいの!」
しばらく待っていると、風もないのに枝葉が揺れ始めた。
やがて一本の枝が、俺たちの前へゆっくりと降りてくる。
折れたのではない。
木の方から、差し出してくれたように見えた。
「いただいても、よろしいのでしょうか?」
ローズが木へ問いかける。
葉が小さく揺れた。
「何て言ってる?」
「使ってほしい、と」
ローズは枝を両手で受け取り、木へ深く頭を下げた。
「ありがとうございます。大切に使わせていただきます」
妖精たちが枝へ集まってくる。
表面の出っ張りを少しずつ削り、持ち手へ細い蔓を巻きつけていく。
枝の先には、小さな若葉が一枚だけ残された。
「できたの!」
ピクが胸を張る。
ローズは完成した杖を握り、ゆっくりと息を吐いた。
「試してみます」
杖の先へ、淡い光が集まる。
ローズの周囲を漂っていた魔力が、少しずつ杖の中へ流れ込んでいく。
今度は、暴れない。
ローズは目を閉じたまま、慎重に魔力を止めた。
光が消える。
「止められました」
ローズが目を開く。
「今、自分で止めたのか?」
「はい」
ローズの顔に、わずかな笑みが浮かぶ。
だが、その直後。
杖の表面から、小さな音が聞こえた。
一本の細いヒビが入っている。
「壊れたの?」
ピクが慌てて杖へ近づく。
「まだ使えます。ただ、世界樹の杖ほど強くはありません」
「魔力を流しすぎた?」
「はい。今の量でも、この杖には負担が大きかったようです」
ローズはヒビへ指を触れた。
「ですが、魔力を流して、止めることはできました」
「なら、練習すればいい」
俺が言うと、ローズがこちらを見る。
「世界樹へ着くまでに、壊さず使えるようになればいいんだ」
「……はい」
ローズは杖を両手で握った。
「必ず、使いこなしてみせます」
その日の夕方。
不安定だった妖精の泉の光が、少しずつ穏やかになっていった。
ピクが家の扉へ触れる。
扉の表面に広がった光は、今度は消えなかった。
「外につながったの!」
扉を開くと、その向こうにはローズが魔力を暴走させた森が見えた。
黒く焼けた地面や、折れた木々がまだ残っている。
ローズは、その光景を見つめたまま動かなかった。
「ローズ?」
「……すみません」
「謝らなくていい」
俺がそう言うと、ローズは杖を強く握った。
「次は、こうならないようにします」
「ああ。そのための杖だ」
ローズは小さく頷いた。
俺たちは一度外へ出て、周囲に危険がないことを確かめた。
泉も扉も安定している。
これなら、いつでも町へ戻れる。
「じゃあ、熊を解体しようか」
ラベンダーが言った。
月の欠片に侵されていた熊の死骸は、すでに妖精の家へ運び込んである。
水の精霊たちが冷やし続けてくれているため、まだ傷んでいない。
俺たちは妖精の家へ戻り、熊の死骸を置いてある場所へ向かった。
ラベンダーは腰の短刀を抜くと、熊の隣へしゃがみ込む。
「私も何かお手伝いします」
ローズが言う。
「最初は見てた方がいいよ。刃物も使うし、危ないから」
「分かりました」
ラベンダーは迷いなく刃を入れていく。
毛皮を傷つけないように剥がし、肉と骨を分け、爪や牙も取り外していく。
何度か見たことはあったが、やはり見事な手際だった。
「すごいですね」
ローズも感心したように見つめている。
「慣れてるからね」
「俺も手伝う」
「じゃあ、そっちを押さえて」
ラベンダーに教えてもらいながら、俺も解体を手伝った。
すべての作業を終える頃には、大きな熊がいくつもの素材へ分けられていた。
毛皮。
肉。
爪と牙。
売れそうな骨や脂。
量が多いため、素材は種類ごとに分けて妖精の家の中へ運んだ。
水の精霊たちは肉の周囲へ集まり、引き続き冷やしてくれる。
「毛皮はどうする?」
ラベンダーが尋ねる。
「売れば高そうだな」
「防具にしてもいいと思うよ。普通の熊より丈夫だし」
月の欠片の魔力を浴びていた影響なのか、熊の毛皮はかなり厚い。
今使っている防具より、ずっと丈夫な物が作れるかもしれない。
「売らずに残そう」
「じゃあ、革にしないとね」
「できるのか?」
「やったことはあるけど、時間がかかるよ」
「妖精さんたちも手伝うの!」
ピクの声に集まってきた妖精たちが、毛皮の周囲を飛び始めた。
ラベンダーに教えてもらいながら、毛皮に残った脂や汚れを落とす。
水の精霊たちが表面を洗い流し、妖精の庭から運んできた草や木の実を使って革を処理していく。
俺も見よう見まねで作業を続けた。
そのとき、頭の中に聞き慣れた声が響く。
《革なめしを習得しました》
「増えた」
「スキル?」
「ああ。《革なめし》を覚えた」
ラベンダーが嬉しそうに笑う。
「図鑑も進んだね」
革を丈夫に仕上げたあとは、防具に使いやすい大きさへ切り分けていく。
厚さや傷の位置を確認しながら、使える部分を選び分けた。
再び、声が響く。
《素材加工を習得しました》
俺はスキル図鑑を開く。
新しく二つの項目が増えていた。
スキル図鑑。
登録数――十八。
「十八個になったの!」
ピクが嬉しそうに図鑑の周囲を飛び回る。
「少しずつ増えてきたな」
「この革なら、いい防具が作れそうだよ」
ラベンダーが仕上がった革を持ち上げる。
まだ防具の形にはなっていない。
けれど、以前の毛皮とは違い、柔らかく丈夫な素材になっていた。
「旅から戻ったら、防具にしよう」
「うん。今作り始めたら、出発に間に合わないからね」
毛皮は妖精の家へ残す。
爪や牙、余った肉などは売ることにした。
町の近くまで歩いたあと、人目のない場所で妖精の家の扉を出す。
俺たちは売る素材を持ち、何度か町との間を往復した。
全部を一度に運ばなくていいだけでも、かなり楽だった。
冒険者ギルドへ着くと、受付で買い取りを頼む。
素材を見た解体担当の男が、爪を持ち上げて目を細めた。
「これは普通の熊じゃないな」
「月の欠片に侵されていた熊です」
「なるほど。長く魔力を浴びたせいで、身体まで変質している」
爪と牙は、普通の熊より硬い。
肉にもわずかに魔力が含まれているらしい。
「解体もきれいだ。いい腕をしてるな」
「ラベンダーがやりました」
「これくらい普通だよ」
そう言いながらも、ラベンダーは少し得意そうだった。
毛皮を残しているため、全部売った場合より金額は少なくなる。
それでも、旅の道具を揃えるには十分な額になった。
「これなら寝袋も買えるね」
「寝袋?」
ローズが首を傾げる。
「護衛中は妖精の家に戻れないからな」
依頼人を街道へ置いたまま、俺たちだけ妖精の家で眠るわけにはいかない。
夜に魔物が来れば、護衛を引き受けた意味がなくなる。
「なるほど。野営の準備が必要なのですね」
「ああ」
俺たちはギルドを出て、旅に必要な物を買い揃えた。
寝袋と毛布。
保存食と水袋。
火を起こす道具。
ロープや薬。
ローズの杖を補修するための布や紐も買った。
「私は安い寝袋で構いません」
ローズが値札を見ながら言う。
「全員同じのでいい」
「ですが、私のための旅なのに……」
「ローズ一人の旅じゃないよ」
ラベンダーが言った。
「私も世界樹を見てみたいし、ミントも妖精の家を成長させる方法を探してるんでしょ?」
「ああ」
「世界樹には妖精さんもいるかもしれないの!」
ピクも楽しそうに飛び回る。
「だから、みんなの旅だよ」
「……ありがとうございます」
ローズは寝袋を抱え、深く頭を下げた。
買った道具は、それぞれの背負い袋へ分けて入れる。
寝袋は丸めて、背負い袋の上へ括りつけた。
「結構な荷物になったね」
ラベンダーが背負い袋を持ち上げる。
「必要な物ばかりだから仕方ない」
「私は、もう少し持てます」
ローズが言う。
「最初から無理をすると、途中でもたないぞ」
「では、慣れてから増やします」
「それがいいね」
旅支度を終えた俺たちは、再び冒険者ギルドへ向かった。
依頼板の前で、世界樹と同じ方向へ向かう仕事を探す。
「これは違います」
ローズが一枚の依頼書を指差した。
「途中から南へ曲がる道です」
「こっちは?」
「こちらは途中まで同じです」
何枚か確認したあと、ラベンダーが一枚の依頼書を外した。
「これじゃない?」
商人の馬車三台を、次の町まで護衛する依頼だった。
旅程は六日。
世界樹まではまだ遠いが、同じ街道をかなり進める。
「これを受けよう」
受付へ依頼書を持っていく。
書類に目を通した受付嬢が依頼書へ印を押す。
「出発は明日の朝です。すでにほかの冒険者たちも参加する予定になっています」
「分かりました」
「それと、一つだけお伝えしておくことがあります」
受付嬢の声が少し低くなった。
「最近、この街道で冒険者が何人か消息を絶っています」
「魔物に襲われたの?」
ラベンダーが尋ねる。
「詳しいことは分かっていません。荷物も遺体も見つかっていないのです」
簡単な護衛依頼ではないらしい。
俺たちは顔を見合わせた。
ローズも、妖精の木から作った杖を強く握っている。
それでも、依頼を取り下げようと言う者はいなかった。
ギルドを出ると、夕暮れの風が街を吹き抜けた。
ラベンダーは新しく買った寝袋を抱え、満足そうに笑う。
「これで野宿も安心だね」
「はい。私も、皆さんと旅ができるのが楽しみです」
ローズも寝袋を抱きしめ、小さく微笑んだ。
その周りを、ピクがくるくると飛び回る。
「旅なの! 旅なの!」
「そんなにはしゃぐと、出発前に疲れるぞ」
「妖精は疲れないの!」
胸を張るピクを見て、ラベンダーが吹き出した。
「それ、ちょっとずるくない?」
ローズも思わず笑い声を漏らす。
俺たちは町の外へ出ると、人目のない場所で妖精の家の扉を開いた。
明日の朝までは、いつもの家でゆっくり休める。
不穏な噂の残る街道へ向かうことになっても、今夜だけは穏やかだった。




