第16話 ローズ
「ここは……どこですか?」
水色の髪の女性が、寝台の上から部屋を見回している。
まだ身体に力が入らないのか、片手を寝台へついたまま、不安そうに眉を寄せていた。
俺が説明しようとしたとき、ピクが女性の目の前へ飛んでいく。
「ここは妖精の家なの!」
「妖精の……家?」
女性は目を瞬かせた。
その視線が、ピクから部屋の中を飛び回る妖精たちへ移る。
「さっき森で倒れたのを覚えてるか?」
俺が尋ねると、女性は額へ手を当てた。
「森で……私は……」
少しずつ記憶が戻ってきたらしい。
女性の顔が青ざめていく。
「魔力が、止まらなくなって……」
「もう大丈夫だよ」
ラベンダーが寝台の近くへ歩み寄る。
「暴れてた魔力は、全部泉に流れたから」
「泉へ……?」
女性は自分の身体を確かめるように、両手を見つめた。
森で感じた、肌が痛くなるほどの魔力はもうない。
今の彼女からは、穏やかな魔力しか感じられなかった。
「俺はミント。こっちはラベンダー。それから、この妖精がピクだ」
「ピクなの!」
「私はラベンダー」
俺たちが順番に名乗る。
女性は寝台の上で姿勢を正すと、深く頭を下げた。
「助けていただき、ありがとうございました。私はローズと申します」
「ローズか」
「はい」
顔を上げたローズへ、いつの間にか集まっていた妖精たちが一斉に話しかける。
「ローズ、起きたの!」
「もう痛くない?」
「お腹すいた?」
「水色の髪、きれいなの!」
「お耳が長いの!」
妖精たちの声が重なり、部屋の中が一気に騒がしくなる。
俺には、誰が何を言っているのかほとんど分からなかった。
「みんな、少し落ち着くの」
ピクが両手を広げて止めようとする。
しかしローズは、妖精たちを一人ずつ見ながら答え始めた。
「はい。もう痛くありません」
「お腹は少しだけ空いています」
「髪を褒めてくださり、ありがとうございます」
「耳は……エルフですので、昔からこの形です」
妖精たちが嬉しそうに飛び回る。
ピクは目を丸くした。
「ローズ、みんなの声が聞こえるの!?」
ローズが不思議そうに首を傾げる。
「はい。皆さん、普通にお話しされていますよね?」
「ミントとラベンダーには、ピク以外の声はよく聞こえないの」
「そうなのですか?」
ローズが驚いたように俺を見る。
「声は聞こえるけど、何人も同時に話されると分からなくなる」
「私は、皆さんの声が一人ずつはっきり聞こえます」
エルフは森や精霊との結びつきが強いと聞いたことがある。
妖精の声を聞けるのも、そのためかもしれない。
「ローズ、すごいの!」
「みんなと話せるの!」
「お友達なの!」
妖精たちはすっかりローズを気に入ったらしい。
何人かが水色の髪へ座り、別の妖精は長い耳の近くを飛び回っている。
「お耳、ピクたちみたいに尖ってるの」
「触ってもいい?」
「優しくでしたら……」
ローズが少し恥ずかしそうに耳を押さえる。
そのとき、別の妖精が大きな声を上げた。
「ローズ、ミントに抱っこされてたの!」
「ずっとぎゅってされてた!」
「おうちまで運んでもらったの!」
「えっ?」
ローズが固まる。
視線がゆっくりと俺へ向いた。
「意識を失っていたから、仕方なくだぞ」
「そ、そうですよね」
ローズの頬が、みるみる赤くなっていく。
「ご迷惑をおかけしました」
「迷惑じゃない」
俺が答える横で、ラベンダーが少しだけ頬を膨らませていた。
「ミント、ずっと大事そうに抱えてたもんね」
「落としたら危ないだろ」
「別に何も言ってないけど」
そう言いながら、ラベンダーは俺から顔をそらす。
妖精たちは楽しそうに笑っていた。
少し空気が和らいだところで、俺はローズへ尋ねる。
「どうして、あんなことになったんだ?」
ローズの表情が曇った。
膝の上で両手を重ね、指先を強く握る。
「私には、生まれつき多すぎるほどの魔力があります」
「魔力が多いのは、いいことじゃないのか?」
ラベンダーが首を傾げる。
「普通なら、そうなのでしょう」
ローズは寂しそうに笑った。
「ですが、私は魔力を外へ出すことはできても、一度流れ始めた魔力を止めることが苦手なのです」
「止められない?」
「はい。少しだけ魔法を使うつもりでも、必要以上の魔力が流れてしまいます」
ローズは寝台の近くへ置かれていた、焼け焦げた杖の欠片へ目を向ける。
「普段は、杖を使って魔力の流れを抑えていました」
「魔法を強くするためじゃないんだな」
「私にとって杖は、魔力を弱めるための道具です」
森では魔法を使った際、杖がローズの魔力に耐えられなかった。
ひびが入り、魔力を抑える力を失った。
そこから流れ出した魔力を、自分では止められなくなったらしい。
「町や人を巻き込まないように、森の奥へ逃げました」
「一人で?」
「他に方法が思いつきませんでした」
ローズは俯いた。
「最後は、もう自分ごと魔力が尽きるまで放つしかないと思っていました」
「そんなことしたら死んでたかもしれないだろ」
「それでも、誰かを巻き込むよりは……」
「よくない」
ラベンダーが強い口調で言った。
ローズが顔を上げる。
「一人で全部抱えて、自分だけ消えればいいなんて、よくないよ」
ラベンダーの声には、どこか自分自身へ言い聞かせるような響きがあった。
「ミントもそう言ってた。だから、ちゃんと助けを求めていいんだよ」
「……はい」
ローズは小さく頷いた。
しばらく休んだあと、ローズは寝台から降りた。
「本当に、もう大丈夫なのか?」
「少し身体が重いですが、歩くことはできます」
「無理はするなよ」
「ありがとうございます」
ローズは、森へ戻らなければならないと言った。
だが、外へつながる扉の前へ向かうと、扉は薄く光るだけで開かなかった。
「開かないの」
ピクが扉の前で何度も手を振る。
いつもなら光が広がり、外の景色へつながる。
しかし今は、扉の表面に小さな光の波が浮かぶだけだった。
「壊れたのか?」
「壊れてないの。泉の魔力がまだ落ち着いてないの」
俺たちは外へ出て、妖精の泉を確認する。
泉の中央では、透明なクリスタルが静かに輝いていた。
水面にも淡い光が残り、ゆっくりと渦を巻いている。
「ローズの魔力が、まだ泉になじんでいる途中なの」
「どれくらいで戻る?」
「分からないの。でも、しばらくは扉を開けない方がいいの」
転移の途中で魔力の流れが乱れれば、どこへ飛ばされるか分からないらしい。
ローズが申し訳なさそうに頭を下げる。
「私のせいで、皆さんを閉じ込めてしまいました」
「ローズが助かったんだから、それでいい」
「ですが……」
「食べ物もあるし、寝る場所も増えた。困ることはないよ」
ラベンダーも笑う。
「それに、家が大きくなったのはローズの魔力のおかげかもしれないしね」
「そうなの?」
妖精たちがローズの周りへ集まる。
「おうち、大きくなったの!」
「お部屋が増えたの!」
「ローズのお部屋もあるの!」
「私の部屋まで……」
ローズは戸惑いながらも、少しだけ嬉しそうに微笑んだ。
そのとき、泉の近くを飛んでいた妖精が、ローズへ話しかけた。
「きらきらさん、ローズを待ってるの」
「きらきらさん?」
ローズがクリスタルを見る。
「この結晶のことのようです」
「何て言ってるんだ?」
「言葉ではありません。ただ……私の魔力を受け入れられると伝えてきています」
ローズは泉へ近づいた。
だが、クリスタルへ手を伸ばす直前で止まる。
「また暴走したら……」
「そのときは、俺たちも一緒に考える」
「ピクもいるの!」
「私もいるよ」
ローズは俺たちを見回し、ゆっくりと息を吐いた。
「少しだけ、試してみます」
ローズの手がクリスタルへ触れる。
透明な結晶の内部で、水色の光が灯った。
ローズは目を閉じ、ほんの少しだけ魔力を流す。
光が細い糸のように指先から伸び、クリスタルへ吸い込まれていく。
「今度は、止めます」
ローズの眉間にしわが寄る。
流れ続けようとする魔力を、必死に押し戻しているのが分かった。
水色の光が揺れる。
「ローズ、ゆっくりなの!」
「小さくするの!」
「もう少しなの!」
妖精たちの声へ、ローズが頷く。
やがて、指先から伸びていた光が細くなり、完全に消えた。
ローズが目を開ける。
「止まりました……」
「できたじゃん!」
ラベンダーが嬉しそうにローズの肩を叩く。
「はい」
ローズは自分の手を見つめていた。
信じられないような、泣き出しそうな表情だった。
「自分の意思で止められたのは、初めてです」
妖精たちが歓声を上げる。
「ローズ、できたの!」
「上手なの!」
「もう一回する?」
ローズは笑いながら頷いた。
「はい。ここでなら、何度でも練習できそうです」
それからローズは、何度かクリスタルへ魔力を流した。
最初より少なく。
さらに少なく。
流して、止める。
もう一度流して、また止める。
失敗しそうになるたび、クリスタルが余分な魔力を吸収してくれた。
ここなら、暴走を恐れずに練習できる。
けれど、ローズの表情は次第に曇っていった。
「どうした?」
「ここでは、クリスタルが助けてくれます」
ローズはクリスタルから手を離す。
「ですが、外では使えません」
妖精の家から出れば、クリスタルを持ち歩くことはできない。
外で魔法を使うには、自分だけで魔力を抑えなければならない。
「せめて、私の魔力に耐えられる杖があれば……」
「どんな杖なら耐えられるんだ?」
ローズは少し考え、答えた。
「世界樹の枝から作られた杖なら、おそらく耐えられます」
「じゃあ、取りに行けばいいじゃん」
ラベンダーが簡単そうに言う。
だが、ローズはすぐには頷かなかった。
「世界樹は、ここから遠く離れたエルフの町にあります」
「どれくらい遠い?」
「歩けば、何週間もかかります」
かなり遠い。
食料や旅費も必要になる。
「同じ方向へ向かう護衛依頼を受ければいいかもしれないな」
「護衛依頼?」
「ギルドで商人や旅人を守る依頼を探すんだ。報酬をもらいながら、途中まで進める」
夜は妖精の家へ戻り、クリスタルで魔力を調整する。
外では、妖精の庭にある木の枝を使って、簡単な杖を作ればいい。
世界樹の枝ほど強くはないだろう。
それでもローズが魔力を抑えながら使えば、しばらくは耐えられるかもしれない。
「旅をしながら練習すればいい」
「ですが、そこまでしていただくわけには……」
「俺たちも世界樹を見てみたい」
「私も!」
ラベンダーが勢いよく手を挙げる。
「世界樹なんて、絶対すごいよ」
「ピクも行きたいの!」
「妖精たちも一緒なの!」
ローズの周囲で、妖精たちが次々と声を上げた。
ローズは困ったように笑う。
けれど、その目は少しだけ潤んでいた。
「皆さんは、本当に優しいのですね」
「困ってるなら助ける。それだけだ」
俺がそう言うと、ローズはしばらく黙っていた。
「泉が落ち着いたら、世界樹へ向かおう」
俺の言葉に、ラベンダーとピクが頷く。
しかしローズだけは、顔を上げなかった。
「世界樹は、私の故郷にあります」
「故郷なら、場所も分かるんだよね?」
ラベンダーが尋ねる。
「はい」
「だったら大丈夫じゃん」
ローズの両手が、胸元で強く握られる。
「いいえ。私は戻れません」
「どうして?」
ローズは長い間、答えなかった。
泉の水が流れる音だけが、静かに響く。
やがてローズは、震える声で言った。
「私は、故郷を追い出されたエルフですから」




