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それから平和な日々が続いていた。そんなある日の事だった。
その日は休みで、リベリオも屋敷にいた。そこへ一人の客が訪れたのだ。
「ファビオ!?」
「やあ、兄さん。久しぶりだね」
驚くリベリオにファビオと呼ばれた爽やかな青年。どうやら彼はリベリオの弟らしい。
「来るなら来ると、前もって連絡くらいしろ……っ」
「ごめんごめん、ビックリさせたくてさー」
悪びれる様子もなくニコニコと笑うファビオは、顔立ちはリベリオと似ているところもあるが印象はまるで違う。リベリオは真面目で物静かなタイプだが、ファビオは明るく朗らかな雰囲気だ。
「それで、一体何しに来たんだ?」
「それはもちろん、義姉さんに会いに来たんだよ」
ファビオはニッコリ微笑み、リベリオの背後に控えていたオルガに顔を向けた。
「ああ、あなたがオルガ義姉さんだね!? はじめまして、僕はファビオ」
「はじめまして、オルガです」
「会いたかったよ、義姉さん!!」
ファビオが抱きついてくるのを、オルガは大人しく受け入れた。知らない相手ならば抱きつかれる前に避けたが、リベリオの弟ならば避けるのは失礼だろうと思った。
見ていたリベリオが怒鳴り声を上げる。
「何をしてる、ファビオ! 離れるんだ!!」
「ええー、いいじゃない。もう家族なんだし」
「いいから離れろ!!」
リベリオは無理やりファビオをオルガから引き離した。
「連絡も入れずいきなりやって来て、一体何なんだ!」
「だから、義姉さんに会いに来たんだってば。兄さんが悪いんでしょ。紹介もしないでさっさと結婚して、実家に連れても来ないなんて。父さんと母さんだってオルガ義姉さんに会いたがってたよ」
「う……それは……」
ファビオに責めるように言われリベリオは言葉を詰まらせる。
実はそうなのだ。リベリオはオルガの両親のところへ結婚前に挨拶に来たが、オルガはリベリオの両親とまだ会った事がない。彼の弟とも今日はじめて顔を合わせた。
リベリオに両親への挨拶は必要ないと言われたのだ。そしてオルガは彼の言葉に従った。壊滅的に家族仲が悪いとか、そういう事情があるのかと思い何も訊かずにいた。
オルガとリベリオは結婚式も挙げていない。互いにそういった催しは苦手で、特に必要性を感じない、と意見が一致した。
だが両親にウェディングドレス姿は見せるべきだろうという事になり、婚礼衣装を着たオルガとリベリオのツーショット写真は撮った。そしてそれをオルガとリベリオの両親へ送った。
今まであまり気にしていなかったが、こうしてファビオがやって来たという事はリベリオの両親へ挨拶に向かわなくてはならないのではないかとオルガは思った。
「兄さんがどんな女性と結婚したのか気になってたんだ。だから義姉さん、僕に色々お話聞かせてよ」
そう言ってファビオはオルガの手を取る。
「義姉さんの部屋はどこ? 案内してよ」
「おいっ、ファビオ……!」
「リベリオ様、私は構いません。ファビオ様の望むようにいたしましょう」
「だが、君に迷惑を……」
「大丈夫です。迷惑などではありませんから」
オルガはファビオへ顔を向ける。
「行きましょう、ファビオ様。私の部屋はこちらです」
オルガはファビオを連れて、二階にある自室へ向かった。
「ここが私の部屋です」
オルガは彼を室内へと招き入れた。
「へえー。何て言うか……地味……いや、シンプルっていうか……意外だなぁ。こんな感じなんだ」
ファビオはキョロキョロ見回しながらそんな感想を漏らした。
オルガの部屋には必要な物しか置いていない。可愛らしい小物などは一つもない。派手な装飾のものも好まない。他の同年代の淑女がどんな部屋を持っているのかは知らないが、確かに地味な方なのかもしれない。
「義姉さんは、兄さんからどんな物をプレゼントされたの?」
「プレゼントですか?」
「そうそう。何かあるでしょ」
「この剣でしょうか」
「えっ……」
オルガは鞘におさめられた剣を手に取る。
「この剣を結婚してすぐにリベリオ様にいただきました」
「剣? 何で剣なの?」
ファビオは困惑している。
彼の反応に、普通の令嬢は剣などプレゼントされないのだと気づいた。リベリオも屋敷の使用人達も普通に受け入れてくれていたので忘れていたが、これは一般的には普通の事ではないのだ。
「私は剣術を習っていましたので。護身用にとプレゼントしてくださったのです」
さすがに魔物を殺す為のものだとは言わない方がいいのだろう。魔物を殺しまくっているなんて知ったら、兄の嫁は異常者だと思われてしまうかもしれない。
「へ、へえぇ……」
ファビオは明らかに引いている。失敗してしまっただろうか。このせいでリベリオに迷惑がかからなければいいのだが。
「えーっと……他には? 兄さんからの嬉しかったプレゼントは他にもあるよね?」
「そうですね。これです」
オルガは部屋の隅に積み上がった箱を指した。それを見て、ファビオは頬を引きつらせる。
「これって……何?」
「バランス栄養食です。私がこれを好んで食べていると知ったら、リベリオ様が大量に注文してくださったのです」
「バランス栄養食……? バランス栄養食? バランス……栄養食?」
ファビオは意味を理解できないのか何度も反芻している。不可解な場面に遭遇したかのように怪訝な表情を浮かべていた。
「えっ……これをプレゼントする兄さんもどうかと思うけど……義姉さんはこれをプレゼントされて嬉しかったの……?」
「はい。とても有り難くいただいています」
こくりと頷くオルガを、ファビオは奇妙なものを見るような目で見ていた。
「いや、でも、もっと高級なお菓子とかケーキとかも毎日食べたりしてるんじゃない? 一流のパティシエが作った、豪華なやつをさ!」
「いえ。私はそこまでお菓子やケーキが好きなわけではないので。食べるなら、食べやすく簡単に栄養のとれるものがいいです」
「ふ、ふーん……」
ファビオの様子を見るに、彼はまた引いていた。 一般的な令嬢は皆例外なく、甘いお菓子やケーキが好きなのだろうか。嘘でもお菓子やケーキを食べていると言った方がよかったのかもしれない。
ファビオは気を取り直したように言った。
「じゃあさ、アクセサリーとかは?」
「アクセサリーですか」
オルガは鏡台の引き出しを開けた。ネックレスと髪飾りが数種類しまわれている。
「えっ、これだけじゃないよね?」
「いえ、これだけですが」
さらりと答えれば、ファビオが詰め寄ってくる。
「ええっ!? もっとないの? ゴテゴテした指輪とか、ブレスレットとかっ」
「私には必要ないので」
アクセサリー自体、オルガは別につけなくてもいいのだ。だがやはりパーティーなどの催しに参加する時は、そういうわけにもいかない。なのでネックレスと髪飾りだけは用意してある。
「もっといっぱい、引き出しに入りきらないくらいあるんじゃないの!?」
「いえ、そんなに沢山必要ないので」
「ええー……」
ファビオは愕然としている。そんなにおかしな事だろうか。彼の反応を見ると、自分がそんなにも常識から逸脱しているのかと不安になってきた。
ファビオは何かを思い付いたようにパッと顔を上げた。
「あっ、そうだ! ドレスは!?」
「ドレスですか」
オルガはクローゼットを開けた。外出用とパーティー用のドレスが数着用意されている。
「…………これだけ?」
「はい」
「しかもこんな普通のドレス?」
「普通ですか? とても丁寧に作られた綺麗なドレスだと思うのですが」
「それはそうなんだけど! そうじゃなくて! 僕が想像してたのは宝石が散りばめられてたり、金箔でコーティングされてたりとか、そういうギラギラしたドレスがあると思ってたから……っ」
「そんなドレスがあるのですか?」
「知らないけど、でもあったら着たいと思うんでしょ?」
「いえ、思わないです」
きっぱりと否定すればファビオはオルガをじっと見据え、それから疲れたように深く息を吐き出した。
「もういいや。じゃあ次は、屋敷の中案内してよ。後、使用人も全員紹介してくれる?」
「わかりました」
オルガはファビオと部屋を出て、屋敷の中を案内して回る。その道中で使用人達も一人一人紹介していった。
それが終わると一緒にお茶を飲む事になり、オルガは客間に移動し用意してもらった紅茶をファビオと飲む。
正面ではなくソファの隣に座るファビオは、甘えるようにオルガに身を寄せてくる。
「義姉さんはさ、兄さんの事どう思ってるの?」
「誠実で優しい人だと思っています」
「それって本心? 本当は野蛮で残酷な人だと思ってない?」
ファビオは蠱惑的に微笑み、オルガの手を握る。指を絡め、じゃれつくように触れてくる。
オルガを見つめるファビオの瞳はこちらを誘うようで、こちらの心の内を探るようでもあった。
「僕の事、どう思う? ねえ、僕の方が魅力的だと思わない?」
オルガは笑みを浮かべるファビオをまっすぐに見つめ返す。
「兄さんと別れて、僕と結婚したいって思ってるんじゃない?」
「思ってないです」
オルガは即答した。ファビオの笑顔が引きつる。
「本当に?」
「本当です」
ファビオは疑わしげにオルガを凝視する。
「僕と兄さんなら、兄さんと結婚する方がいいって事?」
「はい」
「何で? どうして兄さんがいいの?」
ファビオは身を乗り出し問い詰めるように訊いてくる。
それはもちろん、魔物を好きなだけ殺せるから。リベリオが結婚相手でなければ不可能だし、だからこそオルガは彼と結婚する事になったのだ。
しかしそんな事を口にはできない。
「リベリオ様は、私のしたいと思う事を無闇に否定せず、受け入れてくれるからです。リベリオ様が受け入れ難いと思う事でも、私の気持ちを尊重してくださいます」
魔物を殺すだなんて、リベリオ以外の誰も許してはくれないだろう。魔物を殺したがる女を誰も妻にしたいと思わないだろう。
「そんなリベリオ様だから、私は支えたいと思いました。私にできる事ならば全力で力になりたいと思っています」
オルガの言葉に嘘はない。それも正直な気持ちだ。
それを聞き終えたファビオは、拍子抜けしたように声を上げた。
「あー、もー! 何だよ、心配して損したー」
ファビオはオルガの膝にぽすんっと頭を乗せる。
「心配、ですか?」
どういう事か尋ねようとしたら、部屋のドアが開けられた。
「おい、ファビオ、いつまでオルガを……」
部屋に足を踏み入れたリベリオは、膝枕状態のオルガとファビオを見て怒鳴り声を上げた。
「何してる、ファビオ!! オルガから離れろ!!」
「いいじゃん。兄さんのせいで疲れたんだから、これくらい許してよ」
「はあ? 何を言ってるんだお前は……」
「まあまあ、とりあえず座りなよ」
リベリオは憮然としながらも、対面のソファに腰を下ろした。
「ファビオ、いい加減にオルガから……」
「僕はね、兄さんが心配だったんだよ」
リベリオの言葉を無視してファビオは話しはじめる。
「今までお見合いの話が来ても全部断ってたのに、いきなり結婚するなんて言い出したと思ったら、挨拶にも来ないで、写真一枚送りつけて結婚したって報告だけで」
「そ、それは……」
「しかも写真に写ってる結婚相手は若くてめちゃくちゃ可愛いとか……絶対怪しいって思うじゃん」
「怪しいって、何がだ?」
眉を顰めるリベリオを、ファビオはビッと指差す。
「兄さんは騙されてるって事だよ」
「騙されてる……?」
「兄さんを金蔓だと思ってるようなサイテーな女と結婚しちゃったんだって……。だからそれを確かめる為に、こうして抜き打ちで来たんだよ」
どうやらいきなりの来訪の目的はオルガの事を調べる為だったようだ。
「てっきり兄さんに高価なアクセサリーとかドレスとかねだりまくってるんだと思ってたのに……。アレ欲しいコレ欲しいってワガママ放題の生活送ってると思ってたのにさー……。全然そんな事なかったし」
オルガの部屋で色々訊いてきたのはそういう事だったのだ。オルガとしては随分色々とプレゼントしてもらってしまっていると思っていたのだが、ファビオはそうは思わなかったらしい。
「だったらめちゃくちゃ性格が悪くて使用人に意地悪とかしまくってるんだろうって思ったのに、使用人達の義姉さんに対する態度を見る限り、そんな事もなさそうだったし……」
オルガに使用人全員の紹介をさせたのは、関係性を見たかったからだったようだ。
「僕が誘惑したらあっさり乗ってくるかと思ったらきっぱり拒否されたし……」
「誘惑って、お前……」
「別にちょっと手ぇ握っただけだって。そんな怖い顔しないでよ……」
強く睨まれ、ファビオは焦った様子で兄を宥める。
「まあ、そんな感じで……全然思ってたのと違ったんだよね……」
「全く、お前は……。そんな事の為にわざわざここまで来たのか」
悪戯っぽく笑うファビオに、リベリオは溜め息を零す。
「『そんな事』じゃないよ。僕は本当に兄さんの事心配だったんだよ」
ファビオは体を起こし、拗ねたように唇を尖らせた。
「兄さんは女性に誤解されやすいから……。兄さんの事何も知らないくせに、陰で好き勝手言ってる人とか見てきたし……。兄さんに辛い思いしてほしくなかったから……。兄さんを悲しませるような相手だったら絶対に許せなくて、だから……」
「ファビオ……」
彼はとても兄思いの青年のようだ。兄を守る為にオルガの事を色々と探っていたのだ。
我が儘と見せかけて、全てリベリオを思っての言動だった。それがわかり、リベリオは弟を怒れなくなってしまったみたいだ。
「すまない、オルガ。俺の弟が迷惑をかけたな。どうか許してやってほしい」
弟に代わって謝罪するリベリオに、オルガは首を振る。
「大丈夫です。私は気にしてません」
「ありがとう、義姉さん!」
「抱きつくなファビオ!!」
そしてファビオは一泊して帰っていった。
彼を見送った後オルガはリベリオの部屋を訪ね、言った。
「リベリオ様のご両親に挨拶に行きましょう」
「それは……」
リベリオは乗り気ではなさそうだ。オルガを両親に会わせたくない理由があるのだろうか。
「もしかして、私をご両親に紹介するのは恥ずかしいのでしょうか」
「まさか!! そんなわけがないだろう!!」
「では、私はリベリオ様の妻に相応しくないと、ご両親に反対されていますか?」
「そんな事はない! 両親は俺の結婚を喜んでくれているっ」
リベリオは全力で否定する。
「そういうわけではないんだ……。ただ、こんな事で君を煩わせるのが申し訳ないと思って……。オルガは魔物を倒したくて、ただそれだけの為に俺と結婚してくれたんだ。それなのに、俺の両親に挨拶させるのは悪い気がして……」
彼はオルガを気遣ってくれていたようだ。そして考えすぎてしまったのだ。
「そんな事はありません。私はちゃんと、そういう事も全部含めてリベリオ様との結婚を受け入れたんです。リベリオ様は私に遠慮する必要なんてないです」
結婚とはそういうものだ。オルガは理解した上で、彼と結婚する事を選んだ。煩わしいだなんて思っていない。
「それに、リベリオ様のご両親もファビオ様と同じような不安を抱いているかもしれません」
「オルガ……」
「だから行きましょう、リベリオ様のご両親に会いに」
「わかった。ありがとう、オルガ」
そう言って小さく微笑む彼は嬉しそうだった。




