7
その日、オルガは再び魔物専門騎士団の詰め所を訪れていた。
女性団員が使用する練習着を借りてそれに着替え、訓練場で一人木剣を振るう。
そこへダニロがやって来た。
「あれ……オルガ? こんなところで何してるんだ?」
「ダニロ様、お久しぶりです」
オルガはダニロに向かって微笑みを浮かべ、綺麗に一礼した。
「私、子供の頃から剣術を習っておりまして。訓練場が空いている時間、こうしてお借りしているんです」
「へぇ、そうだったのか。意外だな。君みたいな綺麗な子が剣術なんて」
「ふふ……。よく言われます」
オルガは鈴の音のような上品な笑みを零した。そうして目の前の男に好印象を与えるような仕種を見せた。
「ダニロ様はこれから剣の鍛練を行うのでしょうか……? でしたら私は邪魔になってしまいますし、もう失礼しますね」
「ああ、いや、いいんだ。今は休憩中で、何となくここに来てみただけだから」
彼はそう言うが、それは嘘だ。彼は訓練場が使われていない時を見計らってここへ来たのだ。サボる為に。
それを事前に聞いていたからオルガはここでダニロを待っていた。
「ところでオルガ……」
「はい、何でしょう?」
「えーっと……君は最近、街を出歩いたりはしてるのかな?」
「いいえ。そういえば最近はそういった事はしておりませんね」
「そ、そうか……。オルガはあまり屋敷を出ないのか?」
「そんな事はないのですが、最近は色々と忙しくてそういう機会がありませんでした。落ち着いたら、また街を出歩く時間を取りたいと思います」
「ああ、うん、それがいい」
大きく頷くダニロを見て、詰めが甘い男だとつくづく思った。
オルガを襲わせようとしたのなら、そういう事は事前に調べておくものだ。ダニロの雇ったあの男は、雇われてからずっとリベリオの屋敷を見張り、オルガが出てくるのを待っていたのだろうか。
名前も知らない相手に、いつ姿を現すかもわからない女を襲うように頼まれて、よく引き受けたものだ。それだけ金が欲しかったのか。
この世界では普通の事なのだろうか。
前世で殺し屋をしていた時、オルガは組織に所属していた。その組織は絶対にそんな杜撰な仕事の請け合いはしなかった。そしてオルガがターゲットを殺す時、徹底的に情報を集めた。ターゲットの行動を調べ尽くし、入念に計画を立てそれから仕事に移る。
それが当たり前だったので、ダニロの行き当たりばったり感が引っ掛かってしまう。
いや、今自分がやろうとしている事も充分に行き当たりばったりなのだから、お互い様か。
オルガはダニロを見つめ、口を開く。
「そうだ、ダニロ様。私と手合わせしていただけませんか?」
オルガは艶然と微笑む。媚びるように。
「手合わせ? 俺が君と?」
ダニロの笑みに僅かな嘲笑が滲む。彼が完全にこちらを見くびっている証拠だ。恐らく彼は自分が女に負ける事などあり得ないと思っているのだろう。勝負にもならないと。
「はい。是非練習相手になっていただきたくて……。それで、負けた方は勝った方の言う事を何でも聞く、というのはどうでしょう?」
「え……?」
「ああでも、騎士様にこんな事をお願いするなんて失礼ですよね……。申し訳ありません……」
オルガは目を伏せ肩を落とす。悲しみに満ちた表情を浮かべる。
そんなオルガの肩にダニロの手が触れた。
「いや、是非やろう!」
「でも……いいのですか……?」
「ああ、もちろんだ。折角の君の誘いを断るわけがないだろう? 可愛い女の子の頼みなら、喜んで引き受けるよ」
優しさをアピールしながらも、彼の笑みには隠しきれない下心が溢れていた。
彼は自分が負けるだなんて微塵も思っていない。自分が勝つ事が前提で受け入れたのだ。
オルガは満面の笑みを浮かべて感謝を伝える。
「ありがとうございます、ダニロ様。お優しいんですね」
「これくらい、当然だよ。ただし、勝負は勝負だから。君が負けたら、俺の言う事を何でも聞く。それはちゃんと守ってもらうからな」
「ふふふ……。それなら、誓約書を書いておきましょうか」
冗談ぽく言いながらも、オルガは訓練場の隅に置いてあるテーブルの上に用意されてあった紙にペンを走らせる。「勝負に負けた者は勝った者の言う事を聞く」という旨の内容を紙に書いた。
「ここにサインをしましょう」
「いいだろう」
オルガとダニロ、二人の名前が紙に記された。
「でははじめよう」
「はい」
互いに木剣を手に、距離を置いて向かい合う。
ダニロはコインを取り出した。
「コインを投げて、これが落ちた瞬間をはじまりの合図としよう」
「わかりました」
彼の手でコインが高く飛ばされた。二人は木剣を両手で握り、構える。そして、コインが音を立てて落ちた。
その瞬間、ダニロが一気に距離を詰めてきた。彼は木剣を振るう。オルガはそれをかわす。
恐らく彼はオルガには避けられないと思っていたのだろう。僅かに目を見開きつつ、再び木剣を振るった。オルガは再びかわす。
ダニロは木剣を振るい続ける。けれどオルガには当たらない。
「くっ……」
ダニロは悔しそうに歯噛みする。
彼の木剣は、ずっとオルガの顔を狙っていた。躊躇いなく、顔だけを狙い続けている。
どうやらリベリオの妻の顔を木剣でぼこぼこにしたいようだ。
そちらがそのつもりならば、こちらも手心を加える必要はない。元々そのつもりではあったが、徹底的に痛め付けてしまっていいだろう。
オルガは打ち込まれたダニロの木剣を弾き、攻撃を開始した。彼の顔を木剣で打つ。右頬を、左頬を、交互に木剣で打ち続けた。
「っ、ぐっ、うっ、ぐぁ……っ」
ダニロは痛みに顔を歪め、呻き声を上げる。
彼の攻撃は全て弾き、彼の顔だけを木剣で打つ。
「ダニロ様、もしかして私が女だからと手を抜いてらっしゃるんですか?」
木剣を振るいながらオルガは言った。
「私は構いませんから、どうぞ本気を出してください。鍛練とはいえ、勝負は勝負です。本気でなければ意味がありません」
「っく……ぅっ」
「それともまさか、これがダニロ様の本気ではありませんよね? 本気を出して女の私に一撃も当てられないなんて、そんな事ありませんよね?」
オルガの挑発にダニロは怒りを剥き出しにした。
「っこのクソアマ!! 調子に乗るなよ……っ」
彼は憤りのままに木剣を振り回す。勢いは増したが、大振りで隙が多くなる。やはり彼の剣の実力はこの程度なのだろう。
ダニロの攻撃は一度も当たらず、対してオルガの木剣は彼の全身を打ち据える。彼の顔も既に腫れ上がっている。体ももう痣だらけだろう。
「クソッ、クソッ……ぐっ、ぐぉっ」
「ダニロ様、まだ本気を出してくださらないのですか?」
「うるさっ、うぐっ」
「ではダニロ様に本気になっていただけるまで、私も手を抜かずに頑張りますね」
「ひっ、ぐ、うっ、や、やめ、もう……っ」
ダニロの瞳から徐々に戦意が失せていく。怒りが恐怖へと塗りかわっていく。
彼はもうぼろぼろだ。これが正式な練習試合であればとっくに止められていただろう。だがオルガは止めない。彼の心が折れるまで。
「やめろっ、もうやめてくれ……っ」
遂に彼は膝をつき、懇願の滲む声を上げた。
オルガは無表情にダニロを見下ろす。
「『やめろ』とは? 負けを宣言するという意味でしょうか?」
「そ、それは……」
「ダニロ様が負けを認めないのでしたら、私はやめません。勝負がつくまで続けます」
オルガが木剣を振り上げれば、彼は怯えるように両腕で頭を抱えた。
「わかった……! 認める、俺の負けだっ……。だからもう、やめてくれ……っ」
「ダニロ様の負けでよろしいんですね?」
「あ……ああ……」
「では、約束を果たしてもらえますよね」
「約束……?」
窺うようにこちらを見上げるダニロを、無感情に見返す。
「負けた方は勝った方の言う事を聞く、という約束です」
「っそれは……」
「まさか約束を反古にするつもりですか? 誓約書まで書いておいて。公爵家のご子息であるあなたが、そんな真似はしませんよね?」
「っ、っ……」
「それとも、今度は証人を用意しましょうか。騎士団員の皆様に私達の勝負を見てもらうのです。あなたが私のような小娘に手も足も出ずにこてんぱんにやられる無様な姿を大勢の前で晒したいのでしたら構いませんが」
「やめろ……!」
「けれどダニロ様が約束を反古にするつもりなら、証人を用意しなくてはなりません。そしてもう一度私と勝負してくださいね」
オルガの言葉にダニロは青ざめ声を上げる。
「わかった……! わかったから……。約束は、守る……っ」
「ありがとうございます。ではまた誓約書にサインをお願いしますね」
オルガは紙とペンを用意しそれに必要な事を書き込んでいく。
ダニロは騎士団を退団する事。二度とリベリオと彼に近しい者達に関わらない事。
それらを書いた紙をダニロに渡し、サインさせた。
「必ず守ってくださいね、ダニロ様。決して約束を違えませんようにお願いいたします」
オルガはダニロに顔を寄せ、感情の籠らない瞳で彼を見据える。
「もしこの誓約を破れば、今度は殺します」
「っ……」
「脅しではなく、確実に殺します」
彼を脅かし恐怖で縛るつもりはなく、それはただの宣言だった。少なくともオルガにとっては。
結果としてダニロに強い恐怖を植え付ける事となった。
ダニロは逃げるように訓練場から離れた。残されたオルガの元へ、今度はリベリオがやって来た。
彼は一部始終を隠れて見ていた。それが今回の件に協力してもらう条件だったのだ。
「この誓約書は、リベリオ様が保管していてもらえますか?」
「ああ。……ありがとう。君のお陰で問題が片付いた」
「まだわかりません。ダニロ様がこの先報復を考えないとは限りませんから」
プライドが高いので、女であるオルガにぼこぼこにされた事は口外しないだろう。女にやられたなど、彼にとっては恥でしかない。
「あの様子ならば大丈夫だと思うが……。アイツは完全に君に怯えていた」
「そうだといいのですが」
相手に言う事を聞かせたい場合、オルガが一番に思い付くのは金だ。しかしダニロ相手にそれは通用しない。
だから、許容できないほどの痛みと恐怖を与える事にした。それもまた、有効的な方法だと知っていたから。
そして効果は覿面だった。
オルガは容赦なくダニロを追い詰め、こうして誓約書を手に入れる事ができた。
オルガはダニロをどれだけ痛め付けても別に何も感じないが、端から見ていたリベリオはどうだったのだろうか。彼は一方的にダニロを木剣で打ちまくるオルガを見て、引いていなかっただろうか。殺さないように手加減はしたが、腫れ上がった彼の顔は酷いものだった。
「私、やり過ぎだったでしょうか?」
「え?」
「あそこまでズタボロにする必要はなかったでしょうか」
「……こんな事を言うのはどうかと思うが、俺は正直かなりスッとした」
じっと見つめるオルガに、リベリオは苦笑を浮かべた。
「アイツは君を傷つけようとしたんだ。本当なら、俺がアイツをぼこぼこにしたかった。顔面が潰れるくらい殴ってやりたかった。だからズタボロになったアイツを見て、心がスッとしたよ」
「それなら良かったです」
「俺ではあんな方法は思い付かなかったし、俺がやったとしてはダメだったんだろう。女性である君だったからこそ、最もアイツにダメージを与えられた。ありがとう、オルガ」
「リベリオ様のお役に立てたのなら嬉しいです」
リベリオは誇らしげにオルガを見ていた。
どうやら引かれてはいなかったようでオルガは安堵した。
「これからも夫婦としてお互いに支え合いましょう」
「ああ。本当に助かったよ、オルガ。君じゃなければ、こうはいかなかった。もし君に何かあれば俺も全力で力を貸すから、遠慮なく頼ってほしい」
利害が一致した事でオルガとリベリオは結婚した。けれど二人の間には確かな信頼と絆が芽生えていた。オルガはそう感じた。
その後ダニロは騎士団を退団し、彼はこの街から姿を消した。




