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それから三日後。オルガはメイドのベルティーナと一緒に馬車で街へ来ていた。
注文していた商品を店に取りに来たのだ。商品とは固形タイプのバランス栄養食だ。
魔物を倒している途中、オルガは小腹が空いたらそれをよく食べていた。前世で食べていたものと味がそっくりだったのだ。だからオルガはおやつや軽食代わりに好んでそれを食べる。
それを知ったリベリオが大量に注文してくれたのだ。
なんて優しい旦那様なのかと感謝し、それならば自分で品物を取りに行かせてほしいと頼んだ。
店につき、バランス栄養食の入った箱を馬車に詰め込む。
「ありがとうございます、ベル。付き合ってくれて」
「いえいえ、寧ろこういう事はオルガ様の仕事ではないのに申し訳ありません」
「いいんです。私が取りに行かせてほしいと頼んだんですから」
「それにしてもこの量、多すぎません? リベリオ様ってば可愛い奥様にメロメロになっちゃって加減ってものが抜け落ちちゃってるんじゃないですかね? いくら好きでも、こんなに食べたら飽きちゃわないですか?」
ベルの愛称で使用人仲間からも親しまれている彼女は、眼鏡と笑顔の似合う気さくなメイドだ。
彼女を含め使用人達は、オルガとリベリオが互いに利害が一致したから結婚したという事を知らない。
リベリオは決してメロメロになどなっていない。彼の沽券に関わる事なので否定した方がいいのだろうか。だがここでわざわざ否定したら、夫婦仲が良くないのかと心配させてしまうだろうか。
一瞬考えて、オルガはスルーする事にした。
「大丈夫です。沢山食べても私は飽きたりしません」
「それならいいですけど」
「飽きたりはしないですけど、確かに多いので皆さんも食べてください」
そんな会話をしながら荷物を馬車に詰め終わった。
「折角街まで来ましたし、ちょっと見て回りません、オルガ様?」
「いいですね」
先に馬車を預け、それから二人で街中を歩いて見て回る事にした。
靴屋や服屋を見てベルティーナはオルガに似合いそうなものを探す。
ファッションに一切興味のないオルガは外出時の服装は全てお任せしている。ベルティーナはオルガに似合う衣服やアクセサリーを見繕うのが好きなようで、とても生き生きしていた。
何軒かの店を回り、二人は互いにその存在に気づく。
ベルティーナはくいっと眼鏡を上げた。
「つけられていますね」
「はい。目的は何でしょう」
足は止めず、背後も振り向かず、二人は日常会話をしている体でそっと言葉を交わす。
オルガもベルティーナも、この程度で動揺する事はない。
「物取りの類いか、それともオルガ様を狙った誘拐でしょうかね?」
「目的を知りたいので捕まえてもいいですか?」
「それなら二手に別れた方がいいですね。目的がオルガ様お一人だとしたら、私が傍にいたら何もしてこないでしょうし」
こういう時、オルガの自由にさせてもらえるのは大変有難い。本来ならばあり得ないだろう。危険から遠ざけられるのが普通だ。
だがリベリオも彼の屋敷で働く使用人達も、オルガの強さを認めて信頼してくれている。
信頼してもらっているから、オルガは決して無茶はしない。できると確信している事しかしない。
つけている相手に不自然に映らないようにベルティーナと別れた。もし狙いがオルガではなくベルティーナの方だったとしても、彼女も大抵の男ならば素手でぶちのめす事ができる。
尾行はオルガの方についてきた。
オルガは慎重に、誘導しているのだと気づかれないように人のいない方へ足を向ける。
つけてくる気配は感じるが、警戒されていたら姿は見せないだろう。
その時、タイミング良く野良猫が現れた。オルガは無邪気な令嬢を演じ、猫を追いかけるフリをして更に人気のない道を進んだ。
これで引っ掛かってくれればいいのだが。
そう思っていたら、背後の気配がまんまと近づいてきた。
「よお、お嬢さん」
「はい?」
声をかけられ振り返れば、人相の悪い男がこちらを見てニヤニヤしていた。
「アンタ、アドルナートって家に嫁いできたっていう女だよな? 魔専騎士団団長の妻で間違いないか?」
「はい」
オルガはきょとんとした表情を浮かべて頷いた。
男は完全に油断している。オルガを無力な女だと思っている。
「あの……何かご用でしょうか?」
「ああ。別に俺はアンタに恨みなんかないんだが、金を貰っちまってるんでね」
男はナイフをちらつかせた。
「痛い思いしたくなきゃ、大声出すなよ」
「っ……」
オルガは怯えた顔を見せて、男に自分がか弱い普通の令嬢だと思い込ませる。
「ど、どうして、そんな事を……っ」
「さぁな。理由なんて知らねーよ。俺はただ、アンタを滅茶苦茶に可愛がってからアドルナートの屋敷の前に捨ててこいって頼まれただけだ」
誘拐が目的ではないようだ。
「抵抗するなよ。大人しくしてりゃ、優しく可愛がってやるからよ」
下卑た笑みを浮かべながら男が手を伸ばしてくる。
オルガは素早く男の手首を掴み、足を払う。男は簡単に地面に倒れ、ナイフを手離す。
「ぐぁっ……!?」
片方の手首を掴んだまま、仰向けになった男の腹に乗り上げる。
「何しやがる、この……っ」
空いた片手でナイフを拾い、罵声を浴びせようとした男の首に刃を押し当てた。
オルガはすっかり表情を消し、男を見下ろす。
「リベリオ・アドルナートの妻に乱暴し屋敷の前に捨ててこいと、あなたはそうお金を積んで頼まれたんですね?」
「っ……」
先程のか弱い令嬢とはガラリと雰囲気の変わったオルガを見て、男はゴクリと喉を鳴らした。
オルガの瞳には怯えも怒りもない。声にも表情にも感情はなく、男はその異様な様子に一瞬怯んだ。
だが、相手は所詮まだ二十歳にも満たない女だと、男は余裕を見せて唇の端を吊り上げる。
「だったら何だ?」
「ちゃんと答えてください」
「はっ……答えなかったらどうすんだ? お前みたいな小娘にナイフが扱えんのか? どうせ人を刺した事もねーんだろ。やめとけよ」
確かに今世ではまだ、人間は刺した事がない。魔物ならばもう数えきれないほどに斬りまくっているが。そして前世では数えきれないほどに人間を刺しまくっていた。
そんな事など知らない男は、こんな状況でも自分は傷つけられる事はないと思っているようだ。オルガには人を傷つける事ができないと高を括っている。
オルガはそんな男の首を躊躇いなくナイフで切った。血が噴き出す。
男は己の身に起こった事がすぐには理解できなかったようだ。数秒の間を置いてから、叫び声を上げる。
「っぎゃああぁ!! ウソだろこの女! マジで切りやがった!!」
暴れる男を体重をかけて押さえつけ、ナイフを手離し傷口に取り出したハンカチを強く当てる。
「あまり叫ばない方がいいです。血が多く出てしまいます」
「うるせぇ、てめぇがやったんだろうが……っ」
「はい。では私の質問に答えてください」
「はあっ……!?」
「答えてくれたらきちんと手当てします。答えないのなら何もせずあなたが死ぬまでこうして押さえつけています」
オルガはずっと無表情のままだ。男をナイフで切りつけた時も、こうして男の生死を握り優位に立っている今も。
オルガにとってこの状況は何でもない事だ。感情を動かされるような事など何もない。
男は漸くオルガの異常性に気づいたようだ。オルガは一般的な貴族の令嬢とはかけ離れた存在だと。
男の顔から血の気が失せ、瞳に怯えが滲む。男はひくりと喉を震わせた。
「っ……わ、か……わかった……。答える……」
「リベリオ・アドルナートの妻を強姦し屋敷の前に捨ててこいと、あなたはそうお金を積んで頼まれたんですね?」
「そ、そうだ……」
「誰に頼まれたんですか?」
「名前は、知らない……聞いてない……。ほ、本当だっ」
「性別は? どんな外見の人ですか?」
「男だ……。歳は二十代くらいで……態度や服装から、多分貴族だ……。金髪で……顔のいい男だった……」
血を流したせいで、男の意識は朦朧としてきたようだ。
その時、ベルティーナがやって来た。
「オルガ様ー! ご無事ですか!?」
「私は無傷です。でも相手の男をナイフで切ってしまいました」
「知りたい事は聞き出せましたか?」
「はい」
「ならこの男は私が引き取りますね。お医者さんのところに連れていきます」
ベルティーナは眼鏡のブリッジをくいっと上げる。
彼女が病院ではなくお医者さんと言ったのは、恐らくちゃんとした病院で働いているのではない医者のところへ連れていくという事だろう。
「すみません。お手数おかけします」
「大丈夫ですよー、これくらい。こんな事もあろうかと、うちの馬車ともう一台別の馬車連れてきたので! オルガ様はうちの馬車で先に屋敷に戻っていてください」
「何から何までありがとうございます、ベル」
ベルティーナは男を乗せてもう一台の馬車で医者のところへ向かい、オルガはアドルナート家の馬車で屋敷に戻った。
そして帰宅したリベリオに起きた事を全て話した。聞き終えたリベリオは眉間に皺を寄せる。
「金髪で顔のいい、二十代くらいの貴族らしき男か……」
難しい顔で黙り込む彼に、オルガは言う。恐らく互いに思い当たる人物は同じだ。
「ダニロ様でしょうか」
「……そう思いたくはないが、タイミング的にアイツ以外に考えられないな」
リベリオは深く深く息を吐き出した。それからオルガに頭を下げる。
「すまない……。まさか君に直接そんな事を仕掛けてくるとは」
リベリオはギリ……歯噛みし、強く拳を握る。
無傷で済んだとはいえ、リベリオはオルガが狙われたという事実に深いショックを受けている。
そして隠しきれないほどの怒りを迸らせていた。
「リベリオ様が謝る事ではありません」
「だが……」
「それよりも、これからどうしましょう? 捕まえた男に証言させて訴えますか?」
「証拠がなければ無理だな。そしてきっと証拠は見つからないだろう。あったとしても揉み消される」
証言させても、ダニロがそんな男など知らないと一蹴すればそれで終わりだ。ダニロが男に金を払ってオルガを襲わせようとした証拠も、見つけられる可能性は低い。公爵家の子息であるダニロを確実に裁ける方法はなさそうだ。
「ダニロが自分から騎士団を辞めて、もう二度と関わらずにいてくれるようになれば一番いいんだが……」
リベリオは溜め息を零す。
「まあ、無理だろうな」
「リベリオ様」
「うん?」
「私、試したい事があるのですが」
「試したい事?」
「はい。もし失敗したら、ダニロ様に更に恨みを買う事になってしまうのですが」
「え……」
「でもどうしても試してみたいので、協力してもらえますか、リベリオ様」




