40話 「外縁」
あ〜〜……終わった。
泥甘は昼過ぎの路地を一人歩く。
グチャグチャの髪に、乾いた笑い声、それでも清々しいような笑みを浮かべている様は、完全に異常者といったところだ。
それでもよかった。
心を大きく抉られた今の自分には、お誂向きだと思っていた。
今になって、悔しいとすら思えてきた。
雑魚でも、雑魚なりに、もっと……何かは出来たんじゃないかと。
しばらくふらふらと歩いていると、ふと、遠くに妙な格好をした人物が映った。
真っ白な巫女服に、顔をベールのようなもので隠している。
そして、その体躯は190はある程に大きく、歩いているだけで威圧感を放っている。
(宗教……? エグいスリットだな。寒そ。……目にはいいけどな)
近づくにつれて分かった事だが、ベールには真っ赤な家紋? のようなものが刻まれており、ますます妖しさを際立たせている。
そんな女を横目に、通り過ぎていく。
咄嗟に女の方を振り返ったのは、生存本能だと思う。
女は、泥甘に向けて出刃包丁を振りかぶっていた。
「っ!?」
間一髪でそれを避けるも、矢継ぎ早に次の一撃が泥甘の顔面に放たれる。
火事場の馬鹿力とでも言うべきか、向けられた包丁の先端を、握り締めたサイダーの缶を緩衝材にして防ぐ。
缶は勢いよく液体を噴射させ、貫通した包丁が掌に突き刺さる。
「いっ……!」
泥甘はすぐさまコーラ缶を取り出し、爆発を女に直撃させた。
女は宙に吹き飛ぶも、バク宙し体勢を整え泥甘を襲う。
(なんつー運動能力してんだ……!)
それを見た泥甘は、二つ缶を放る。
一つは女に向けてサイダーを。
もう一つは地面にコーラを。
泥甘は地面に放ったコーラを踏みつけ、爆発で跳躍し、家屋の上へと飛び乗る。
そして、ジュースを踏み台にしながら屋根から屋根へと飛び移っていく。
(やばいやばいやばいやばい……本気で殺しに来てやがる……! それに……)
泥甘は先ほどあの包丁に刺された掌を見る。
傷口の周辺が、ミイラのように干上がっていた。
(あいつ絶対ろくなもんじゃねぇ……!)
女はベール越しにのんびりと泥甘を見上げていた。
そして、軽く家屋の上へと飛び乗る。
既に泥甘は何件か先の家屋へと移っていた。
時折こちらを振り返りながら、血走った目を向けてくる。
女はそれを見て一度「はぁ……」とため息をついた。
そして、一気に家屋を踏み締める。
次の瞬間には、泥甘の背後まで迫っていた。
そして、泥甘を軽く蹴飛ばす。
「がっ……!?」
蹴飛ばされた泥甘は宙に投げ出され、路地裏へと落とされる。
「っ……!」
泥甘は地面にサイダー缶を落とし、爆発で衝撃を緩和し受け身を取る。
(は……? 瞬間移動……!? 距離はあったよな……?)
しかし、家屋の上を見上げても、女の姿は見当たらない。
その瞬間、背中に感じた鈍い衝撃。
「ごっ……!」
女は、押し倒した泥甘の腕を極め、ギリギリと捻り上げる。
「ぃ゙っ……!!」
関節が軋む音が、泥甘の体内に響く。
全身を締め上げられた泥甘に、既に動く術は残されていなかった。
しかし、泥甘は読んでいた。
完全に密着したタイミング、互いに避けることの出来ない狭い路地。
上空に打ち上げていた、『最後のエナジードリンク』
爆発寸前のエナドリが、女の頭上に落ちる。
「っ……!!」
「爆ぜろ……!!」
バヂ/ャ/ァッ……
(…………は?)
エナドリは、爆発しなかった。
爆発寸前のエナドリを、女は『握り潰した』
握り潰した缶を、女はベール越しに眺める。
歪んだ缶のくぼみを指先でなぞる姿を、泥甘は抑えつけられながら見ていた。
ほんの数秒眺めた後、女は胸元に丁寧に缶をしまい込んだ。
「お前……何なんだよ……何のつもん゙っ……!?」
女は柔らかな手つきで、泥甘の口を塞いだ。
そして……
べぎ/ゃっ……
「ッ゙!? 〜〜ッぅ゙ぅ゙ぅ゙ぅ゙ッ!」
捻り上げていた泥甘の骨を、逆に曲げた。
(なんでなんでなんでなんで!? 俺コイツに何かしたか!? そもそも誰だよ!?)
悲鳴を上げた瞬間、女の力はさらに強まった。
握り締めた手の握力だけで、骨が伸ばされているような感覚すらある。
痛ぇ、ありえねぇ。
こんなバケモノに襲われるいわれなんかねぇよ。
……簡単に……捻り潰してくれてよぉ……!
「っ……」
泥甘は、女の手に思い切り噛みつき、睨み上げる。
「な゙ぇ゙や゙あ゙っえ゙ぇ゙……!!」(舐めやがって……!!)
その時、風が吹いた。
女のベールがめくれ、素顔が一瞬見えた。
『優しい──憐れむような表情をしていた』
「ひっ……」
泥甘は知っていた。
自分が取り繕って来た側の人間だからよくわかる。
表情の裏の顔を。
(『コイツ……本当に同情して、憐れんでやがる……』)
女が泥甘に向けていたのは、屠殺場の鶏を見るような目だった。
ずっと。
女の指が、ゆっくりと肉を締め上げる。
べぎ/っ……
「ッ゙ぎぃ゙っ……!!?」
女の握る力が、さらに強まった。
衝撃に耐えられず、骨が潰れた。
女の腕の小刻みな震えが、直に伝わってくる。
やがて、女は、だらりと垂れ下がる泥甘の腕の、指先へと手を這わせる。
ボ/ギッ……
「〜〜〜〜ッ!!!!」
ボ/ギッ……
「がぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙っ……!」
骨が折られる無情な音が、呼吸を浅く沈めていく。
まな板の上で、無様にジタバタと跳ねる『魚』に、女は呟いた。
「ごめんなさい……怖いですよね…………ごめんなさい……私なんかが……ごめんなさい……」
静まり返った路地に、泥甘の小さな呻き声だけが響く。
それに呼応するかのように、女の力は強まっていく。
「っ……あ゙……ぅ゙ぅ゙ぅ゙ッ…………」
雑魚は雑魚のまま死ねってか……?
そりゃねぇよ……
「なぁなぁお二人さん、さすがにやり過ぎとちゃう? お子様の教育に悪いで」
「……………………」
路地の奥から、訛った声が響いた。
声の主は、しっかりとしたスーツに、紺色のネクタイを締めていて、年は20代後半ほどに見える。
彼はあくびをしながら、ゆっくりとこちらに歩いて来た。
「除け」
ドスの効いたその言葉が聞こえると、女は糸が切れたようにふっと力を抜く。
そして、一瞬、会釈するように頭を下げると、音もなくどこかに去っていった。
「はぁ……はぁ……ぅ゙ぐっ……」
「あ〜あ〜大丈夫かぁ? 君、『泥甘』君やろ? いや……本名は……『菅原 凜』君やっけ?」
「えっ…………」
俺の本名なんて、知ってる奴はほとんどいない。
ここに来てから数週間程度で『神の奇跡』が起こって、それからずっと『泥甘』だ。
それに、知ってたあいつらは多分、もう……
コイツ……何者だよ……
「不安そうやな、自分は『歳神 連律』。『歳神組』の組長やらせてもろてるわ」
「なっ……!?」
『歳神組』って……マジかよ。
名前はよく聞くけど……初めて会った。
「泥甘君の事は耳に入っとるで。君が売る『お薬』、えらい評判ええみたいやね?」
「あ、いや、それは……」
「謙遜せんでええよ。自分達も、実は泥甘君みたいな人材が欲しいと思っててな」
「そう……ですか……」
掴みどころが無い……
何が目的なのか、分からない……そもそも、なんでこの場所が分かった……?
連律は、思い出したように続けた。
「でもなぁ……泥甘君喧嘩負けよったからなぁ……ここはそういうのす〜ぐ広まるし、負けた奴からもう買ってくれへんかもしれんよなぁ」
「っ………………」
連律は、俺の腕をちらりと見て、ほんの一瞬、目を細めた。
「それに、そのケガ。災難やったなぁ。あいにく、ここじゃマトモな医療機関も受けられへん。このままやったら、長ないで……そこで提案や」
連律は、ぱっと明るい表情になった。
嫌でも、言いたいことが分かってきた。
「自分なら、そのケガ治せる。それどころか、『最初からやり直せる』。思うところや後悔も多いみたいやし、『一遍、赤子からやり直して見ぃひん?』」
最初から、コイツの手のひらの上だった。
「……………………はい」
それが分かっても、今の俺に、断れるわけがなかった。
「ええ子やな」
連律の手が泥甘の頭に触れる。
…………それでも、もし本当に最初からやり直せるとしたら……?
いや、そんな都合のいい話、あるかよ。
あるならこんな事になってねぇわ。
泥甘は振り払えないその手を見て、ほんの一瞬、笑った。
その瞬間、連律を襲った、『黒い砂嵐』。
視界が赤黒く歪む。
(この『黒い熱砂』は……)
「……『淑図』」
「はっ」
それを、どこからか現れた青い髪の女が、和傘を開いて防ぐ。
「ザザザザザ……!!」という激しい音を、強靭な和傘が弾いていく。
砂が、肌を焼いた。
砂嵐が止むと、傘の中から両手を挙げている連律が映る。
「いきなり攻撃なんて容赦ないなぁ。なぁ? 『小鳥喰 恒河』君?」
連律が『恒河』と呼んだ人物の居る方を振り返ると、黒い熱砂を纏った目つきのキツい青年と、青い髪に和風の服を着た女、それに、水色の髪に紫色のメッシュを入れた女子高生《JK》が立っていた。
女子高生《JK》だけ、明らかに怯えていた。
熱砂の温度が上がっているのか、少し離れた俺でもヒリヒリと痛む。
「もう……あっついなぁ……」
「今度こそ全面戦争してやろうか? 本気で潰すぞ」
青年は目つきをギラギラさせながら、連律たちを睨みつける。
えも言われぬ緊張感が、場を支配する。
「別に、なんも変なことできへんわ。そっちにも『山本』さんがおるんやろ? でも、自分たちの事くらい、自分たちにさせてくれてもええやんか?」
「そうか、答えはノーだ。ぶち殺すぞ」
「そんなピリピリせんで欲しいわ。それに、こっちにも一応、剣豪『朱雨』がおるんやで? 確たる証拠もないんやろし、ここは穏便に済ませて欲しいなぁ」
「チッ……あまりいきがるなよ犯罪者共が」
連律は、にこやかな笑みを恒河たちに向けた。
「肝に銘じとくわ」
背を向けて帰っていく連律たちを見て、張り詰めていたモノが、少し緩んだ。
「ねぇ、君」
不意に三人の中で、一番落ち着いた雰囲気の女に声をかけられる。
「……はい?」
「『能力暴行』と、その他諸々の容疑で、署まで来て貰うから」
「えっ……あ、はい。」
そっ……か……こいつら政府の……『鎮静会』の連中か……
助かったと思ったけど……普通に俺を逮捕しに来ただけだったか……
あ〜〜〜……ろくなことねぇな……
逃げるのも見た感じ無理そうだし……青年の方は殺気立ってるから、下手すると殺されそう……
いや、もう死にかけなんだけどさぁ……
落ち着いた雰囲気の女は、優しい口調で続けた。
「それでも、先ずはとにかく病院だな。立てそう?」
「…………立てそうに見えます?」
「だよね……恒河、肩持ってあげて」
さっきの黒い砂嵐のやつ……恒河が、舌打ちしながら俺に肩を寄越してくれる。
「チッ……しゃあねぇな。恩に着ろよ犯罪者」
「うっす……ぃ゙っ……」
ゆっくりと立ち上がった瞬間、さっきまで誤魔化していた凄まじい激痛が、全身に噛み付いた。
「我慢しろよ」
「分かってるって……」
そう言えば、悠真達はどうなるんだ……?
普通に逮捕されるんだよな……?
ただ歩いていても、痛みに集中するだけだ。
だから、口を開いた。
「なぁ……俺と喧嘩してた奴はどうなるんだよ?」
その質問に、恒河は少し頭を掻きながら目を細めた。
「お前が知る必要もねぇ事だけどな……まぁ、今のところ俺たちじゃ手出しできねぇんだわ。それはいいから、大人しくしてろ」
「……はいよ…………」
肩を持ったまま、ゆっくりと歩き出す。
まさか『鎮静会』の世話になる日が来るとはな……
まぁ……ちゃんと裁かれるだけ、まだマシか。
それに……どこだろうと、死ぬよりは絶対にマシだわ。
その時、さっきまで露骨にビビっていたJKがおそるおそる話しかけてきた。
「あの……さっきのヤクザさん、仲間とかじゃないですよね……?」
「あ? あぁ……仲間じゃないけど……何が言いたいんだよ?」
そいつは、さらに続けた。
「あの人たちと……もう会いたくないな……って、思ってたりします?」
何が言いたいのかはあまり理解出来ないが、まぁ……確かに、出来ることならばもう会いたくはない。
今度会ったならば、おそらくツケを払わされる。
そういうことは、いつまで経っても忘れない連中だ。
「まぁ…………そう……だな」
そう答えると、彼女は小さく頷いて、どこか安心したように笑った。
そして、禍々しい鳥居のような模様が刻まれた、小さな紙ばさみを取り出す。
「じゃあ、『縁』、切っちゃいましょうか? これでもう会わなくて済みますよっ。たぶん」
「は……? いや、そんな都合いいこと……あっちゃいけねぇよ」
彼女は俺の言葉を聞いてか聞かずか、何もない空中に向けて── 一度、はさみを閉じた。
紙の擦れる小さな音が、やけに長く耳に残った。
恒河は、泥甘の肩を組みながら、今回の件について考えていた。
(コイツを襲撃した女……あの逃げ足の速さ……体躯……それにあの『家紋』……暗殺一族の大物『甚鬼』で間違いない……それが『歳神組』と関係を……?)
恒河は、ボロボロの泥甘をちらりと見た。
そして、ふと、誰もいなくなった路地裏に視線を移す。
「……厄介だな」
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泥甘が去った後の廃倉庫は、とても静かだった。
何だか、居た堪れない。
……何も変えられなかったな。
泥甘のことを、どうすれば救ってあげられただろうか。
いや、こんな事を考えるのも、泥甘にとっては失礼なんだろうな。
「ふぅ…………はぁ……」
「なぁ……悠真……大丈夫……なのか……?」
清水が、心配そうな表情で覗き込んでくる。
清水は炭酸水でびしょびしょで、なんか色々ぐしょぐしょだ。
「はは……お前こそ、風邪ひきそうじゃん」




