39話 「泡沫ニヒリスト」
弱い奴は強い奴の慰み物にされた。
強い奴はより強い奴の食い物にされた。
中途半端な俺だけが、しがみつけた。
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「反吐が出るよ」
あぁ……本当に反吐が出る。
キラキラした、覚悟の滲む瞳。
本気で自分が何かになれると、成ったと勘違いしてる奴の目だ。
じゃあ、俺が教えてやるよ。
這い上がる気すら沸かない、底辺をな。
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『反吐が出るよ』
彼のその言葉には、様々な感情がグズグズに煮詰められているように感じた。
重く、そして心の奥底を刺すような「甘さ」を感じる『波』が、空間を押し退けていく。
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「じゃあ、場所を変えようか。こんな所で喧嘩するのも、アレだしさ」
「……そうですね」
泥甘はまたヘラヘラとした笑みを張り付けた。
それでも、金縁の丸メガネ越しに、目の下を小刻みに震わせているのがわかる。
「な、なぁ……! 悠真……!」
清水の震えた声が聞こえる。
『波』から、心配と、恐怖が読み取れた。
それを、泥甘が低く冷たい声色で突き放す。
「なぁ、清水、喧嘩売ってきたのはコイツからなんだよ。分かってくれるよな?」
「っ……!! でも……!」
「喧嘩売ったのは俺からだよ。ただの自分勝手だから、清水はあんま気にしないで。俺は大丈夫だから」
「……そんなこと……言われたってよ……!」
悠真は振り返って、軽く俺に笑ってみせた。
無理だ……! 泥甘さんに勝てるわけがないぞ……!
だって、お前の能力って戦えるやつじゃないだろ……!
俺だって泥甘さんと戦ったさ……!
でも、泥甘さんは……!
「じゃあ、付いてきて、ピッタリの場所知ってるからさぁ」
「………………」
悠真は、黙って泥甘さんの後に付いていく。
『行かせてはいけない』
分かってたのに……あんな顔で『大丈夫だから』なんて言われたら……お前の背中に、縋ってみたくなっちまうだろうが……!
悠真の後を追って、一緒にいた女と灰色髪も付いていく。
女の足取りは、不思議なくらいに凛としていて、貫禄があった。
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泥甘について行って、案内されたのは街から少し外れた廃倉庫。
泥甘からは、軽い足取りからは想像できないほどの凄まじい怨嗟が渦巻いている。
そして、倉庫の真ん中に立つと、横目にこちらを振り返った。
「ここなら、存分にやれるよね。ま、あんまり硬くなるなよ。ホラ」
掛け声とともに投げ渡してきたのは、『缶のサイダー』
「炭酸ってさ、カが抜けると不味いよな」
「っ……!」
その軽さの奥に、ゾッとするものが潜んでいるのを読み取った。
刹那、泥甘は、軽く鼻で笑いながら、缶を指さして呟いた。
「『炸裂』」
その瞬間、投げつけられたサイダー缶が膨張し、大きな衝撃音と共に破裂する。
「ぐっ……!?」
悠真は、咄嗟に腕で爆発をガードするも、耐えきれずに吹き飛ぶ。
しかし、直ぐに受け身を取り、立ち上がって向き直る。
(泥甘さんは完全にやる気だ……!)
「悠真……!!」
「大丈夫だ……!」
爆発を食らってなお直ぐに向き直った悠真を、泥甘は丸メガネ越しに見据える。
(至近距離でアレを食らって……受け身の取り方も素人じゃないな……いや、身体能力、反射神経強化の類いの能力か)
また、軽く鼻で笑った。
そして、一気に目を見開き、『サイダー缶』を投げつける。
「羨ましいこったよ!!」
悠真は横に駆け出し、サイダー缶の爆発から逃れる。
そして、一気に方向を変え、泥甘へと突っ込んでいく。
「っ……!!」
(速ッ……でも……!)
泥甘は、突っ込んで来る悠真に、サイダー缶を投げ渡す。
悠真は、それを拳で払い除け、さらに距離を詰める。
そして、悠真の拳が泥甘に届く、その射程圏内に入った瞬間。
悠真の足元で缶が爆ぜた。
『半透明の黒い液体』が大きく飛び散る。
「ぐっ……!」
(投げた缶はフェイク……! 本命はこっちか……!)
足元の衝撃で崩された悠真の顔面に、泥甘は思い切り蹴りを入れ込む。
悠真は、直ぐに地面に手を付き、身体を横に逸らして倒れる事で泥甘の蹴りを避ける。
そして直ぐに立ち上がり、距離を取った状態で向き直る。
(さっき爆ぜたのは『コーラ缶』だった……『サイダー缶』よりも爆発の威力が大きかったから、そういう『能力』のルール……或いは、出力の自由な調整が利くのか……?)
─────
「悠真……」
あいつ、あんなに運動できたか……!?
いや、いい方ではあったけどよ……
てか、着痩せしてるけどめっちゃゴツくなってるよな……
「………………」
泥甘さんと悠真が向き合う様を、一緒に居た女は冷静に見据えている。
そのあまりの落ち着きように、思わず声をかけてしまった。
「な、なぁ、お前、悠真の女なんだろ……!? なんで黙ってんだよ……!?」
俺の声に、女はゆっくりと振り返った。
そして、きょとんとした表情で返す。
「別にそういう関係じゃないんですケド」
「えっ、本当にそうなのか?」
「うん、全っ然。で、なんで黙ってるのかだっけ?」
「あぁ……」
その瞬間、大きな炸裂音が倉庫内にこだまする。
「あっ……!!」
血走った表情で駆け回る悠真と、女の真剣な表情を交互に見てしまう。
女は、戦う悠真達を観ながら、落ち着いた口調で続けた。
「これは悠真が売った喧嘩だから。私たちが首突っ込むのは野暮だよ」
「なっ……」
予想外に冷たい言葉に、呆気にとられる。
そんなの……いくらなんでも酷すぎるだろうが……!
俺だって……本当ならよ……!
俺が言い返そうと口を開いた途端に、女はさらに続けた。
「私たちが介入するのは、互いに『喧嘩』である事と、『降参』があるというタガを忘れて、相手を殺しにかかった時だけだよ」
「おい……そんなのって……」
「『あの二人』の喧嘩に水差したら……意味がなくなるでしょ」
女は、「まぁ……」と続けた。
その眼光が、一気に鋭くなる。
「もし悠真が負けたなら、私が組織ごと潰すから」
「っ………!!」
なんだよコイツ……
どんだけ物事を俯瞰して観てるんだ……!?
てか、組織ごと潰す……!?
「おま……何なんだよ……」
女は、こちらを向いて微笑んでみせた。
「キミと同じ、悠真の友達だよ」
「……そ……そうかよ」
微笑んでいながらも、その眼は、畏怖を覚えるほどに綺麗で、血のような赤が滲んでいた。
─────
鋼は、清水と桜のやり取りに、聞き耳を立てていた。
悠真が必死に戦う様が、見ていられなかった。
今直ぐにでも、応戦しようと準備していた。
自分に向けられていたわけではないはずの、桜の『野暮』であるとの言葉が深く突き刺さった。
踏み出そうとした一歩を、寸前で深く縫い留められた。
確かに、そうだと思った。
悠真は、このような場での介入は望まないはずだ。
だって、悠真は『感情』を乗せて戦うから。
最終的には相手が納得できる『何か』を、手探りで探っていく。
それを、身をもって知っていたはずだ。
なのに……
鋼に残った疑問は二つ。
一つ目は、悠真の異常なまでの責任感について。
普通の人なら放って投げ出すか、関わろうとしないところに、どんどんと踏み込んで行く。
やっぱり、理解しきれない。
そして、もう一つ。
桜さんはどこまで悠真を理解しているんだ……?
自分ですら理解できていなかった、悠真の『本質』
それを、改めて気づかされた。
互いに『友達』だと言うけれど、絶対に違うと確信した。
もっと、何か、根っこにあるものが何か違う。
「悠真……」
─────
連鎖し炸裂する炭酸飲料が、悠真を追う。
悠真は泥甘の周りを駆け抜けながら、それを躱していく。
(隙が無い……! 弾幕が分厚つ過ぎる……!)
「雑魚がよぉ……!! 俺に負けるような底辺がよく調子乗ったこと言えたもんだよなぁ……!?」
「っ……!」
その言葉に、悠真の表情が濁る。
それを覆うように、コーラが炸裂する。
それを後ろに下がって躱した悠真は、その後一気に距離を詰め、コーラの煙幕の中を突っ切っていく。
次の瞬間には、泥甘の目の前に迫っていた。
(ここで爆発させれば、自分も巻き込むだろ……!)
(〘自分も巻き込むだろ〙と思うよなぁ……!?)
しかし、泥甘はそれすらも読んでいた。
その瞬間、泥甘の『波』が大きく揺らぐ。
泥甘は缶コーラを握り締め、突っ込んでくる悠真の腹に押し当てた。
(嘘だろ……!?)
泥甘の掌の中で、コーラが爆ぜる。
「がっ……!」
「ぃ゙っでぇ゙っ……!!」
爆発が直撃した悠真は倉庫の端まで吹き飛ぶ。
泥甘の手は皮がめくれ、小さく痙攣している。
悠真は、爆発が直撃してなお、立ち上がった。
─────
その眼の光は、全く曇ることなく俺を捉えていた。
『強い』人間の眼をしている事くらい、最初から分かっていた。
上に登るんじゃない、下を増やすんだ。
這い上がれないように抑えつけて、俺が底辺にならないように。
カスだよ。俺は。
能力社会は不平等だ。
こんなカスみたいな能力で、どうしろってんだよ。
なんだよ、『炭酸が爆ぜる』だけって。
しかも見かけ倒しで、直撃しなきゃ大した威力も出やしねぇ。
うるせぇだけだ。
『雑魚程よく吠える』って、マジなんだよな。
じゃあ、俺みたいなカスの雑魚に負けるような奴って、ガチの底辺じゃん?
なら、見せつけてやるよ。
『お前はこんな雑魚に負けた底辺です』ってなぁ……!
─────
悠真は立ち上がり、再度距離を詰めていく。
「それしかねぇのかなぁ……!?」
泥甘は缶コーラを投げつけ、距離を取ろうとバックステップを踏む。
しかし、悠真は缶コーラを払い、泥甘が下がるよりも速く詰め寄っていく。
(馬鹿が……! 地面にはコーラが……)
悠真は、コーラがあることに気づいてなお、立ち止まらなかった。
地面を大きく踏みしめ、コーラが爆ぜる中を突っ切り駆け抜ける。
「ぐっ……!!」
(勢いで衝撃を押し切った……!? どんなフィジカルしてんだコイツは……!)
「クソチート野郎がよぉ……!!」
泥甘は缶を二つ放った。
一つは、悠真に向けて『缶コーラ』を。
もう一つは、宙高くに打ち上げた『エナジードリンク』
「っ……!!?」
炸裂するコーラに阻まれながらも、悠真はその異変を逃さなかった。
(『エナドリ』……!? 今までの傾向からして……これは……!)
泥甘は、宙を指差して、血走った目で嗤った。
「『魔剤衝撃』……!!」
凄まじい爆裂音が響き、倉庫の天井の一部が崩れ落ちる。
(瓦礫を落として……!)
危険を察知しその場から飛び退く悠真に、泥甘が投げた『もう一本のエナジードリンク』
「っ……!!」
不可避の爆弾が、悠真に迫りくる。
泥甘は、口角をつり上げ、表情を歪ませた。
「これでお前も底辺だ……!」
「うるせぇよ……!!」
悠真は投げつけられたエナドリに手を伸ばし、掴み取る。
そして、『栓を空けた』。
開けられたプルタブの穴から、勢いよく炭酸が噴き上がる。
(栓を開けて不発にさせやがった……!!)
悠真はエナドリの缶を握り締めたまま、一気に距離を詰める。
(『層合気・練武』)
缶が潰れ、拳が泥甘の顔面に向けられる。
(まずい……間に合わな……)
「クソがぁっ…………!!!!!」
バギ/ッ……!
「……………………っ」
響いたのは、眼鏡が割れる音だけだった。
悠真の拳は、泥甘の寸前で止まった。
握り締め過ぎたせいで裂けた缶が手に突き刺さり、血が数滴、滴っていく
悠真は、しばらくそのまま顔を伏せていたが、やがて、ゆっくりと泥甘を見上げる。
「これで……俺の勝ちにさせてくれませんか」
「………………」
─────
その言葉に思ったのは。
『そりゃそうだよな』だった。
こんな強い、恵まれた奴に、俺みたいなゴミカスが勝てるわけがなかった。
……別に、悔しいだなんて、思わない。
当たり前だから。
強い奴が雑魚に勝つのなんて、当然の、ごく自然な事だ。
─────
「……あぁ……お前の勝ちだよ。オメデトウ。強いな、お前。羨ましいよ」
「……………………」
黙ったまま。
つまらないやつだ。
……そうだ。
コイツの能力は、何だったんだ?
俺と違って、さぞ素晴らしい能力なんだろうな。
「……お前、能力は何なんだ?」
「『残響』……記憶と感情を読み取れる」
……………………は?
は? は? は? は? はぁ……!?
俺より弱くね……それ……?
じゃあ、あの身体能力も、反射神経も、自前……!?
「おま……おま、は?」
─────
涙目で震える彼の表情を見て、過去の自分を思い出した。
感情は、『水』にも強く乗るらしい。
彼が投げつけてきたジュースの飛沫の一粒一粒から、自身に対する色濃い卑下と、ズタズタの自尊心の欠片が伝わってくる。
彼の目から、涙が一滴、垂れ落ちた。
それで、震える声でこう言った。
「弱いクセに……俺に勝つんじゃねぇよ……!」
……返す言葉は、もう決めていた。
「努力は人間不信らしい……師匠が言ってたよ。」
「ぁ゙……!?」
俺みたいな恵まれた奴に、『努力』について語られるのは、おそらく、彼の逆鱗を逆撫でする行為だろう。
だとしても、これを伝えるためには、言うしかなかった。
「それでも……自分の能力と向き合って、研鑽してきた自分を、卑下するのはやめてほしい……お願いだから……!」
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は……?
そんな……
お前、なんでそんな事を…………
んだよ。
それ。
笑わせるなよ……
笑わせるなよ……!!
─────
「ふふっ……! は、ハハッ……!!」
腹の底から、笑いが込み上げてきた。
誰のことを笑ってるんだろうな。
あぁ、俺のことか。
「努力できるかも才能だろうが……!」
しばらくの沈黙が流れる。
清水の方をちらりと見た。
呆然とした表情で固まっている。
取り出したのは、『炭酸水』。
それを、清水に向けて投げつける。
それは困惑する清水の真上で弾けて、透き通った雨を降らせた。
悠真の顔をまた見ることはできなかった。
もう、あんな綺麗な目に映りたくなかった。
誰とも目なんか合わせたくない。
よろよろと歩いて、倉庫を後にする。
缶コーラの栓を開けた。
そして、自分の頭に注ぐ。
ベタベタのグチャグチャだ。
俺に相応しいだろ……?
「『乾杯』」
ロマンチスト・ソウル 39話 「泡沫ニヒリスト」




