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9. 共生か、死か

『――ほな、早速研究に取り掛かりますわ』

『――では、私も失礼します』


 実りある議論を終え、本庄さんと小谷さんが続けざまにビデオ会議から退出して行った。


 残ったのは、比護と僕の2人きりだ。


『……で、話っていうのは?』


 比護が僕に訊ねた。


 ――そう。

 この状況は、僕が比護に頼んで作ったものだ。


 どうしても、今の内に聞いておきたいことがあった。


 それは――――



「――――(さかき)先生のご家族が話していた、『ゾンビ猫』の件だよ」



『……あれか』


 比護の眉間にシワが刻まれる。


 昨日、埼玉の防衛医科大学校病院で――――


〝……息子が変なことを言ってたんです。確か『ゾンビ猫』がどうとかって……〟


 榊先生の義理の娘さん――榊英里奈(えりな)さんが、そう話していたことは、まだ僕らの記憶に新しい。


 僕は見舞いの後すぐに病院を立ち去ったが、比護はしばらく残って聞き取りなど続けていたはずだ。

 だが……


「――その猫の調べはついたのかい?」


 僕の問いに、比護は難しい顔をして首を振った。


『……生憎(あいにく)だが、どこにいるかもわからない野良猫1匹に手を()いている余裕はなかった。――除染作業の担当者に言伝はしたが、見つかる見込みは低いだろう』


 残念だが、もっともな話だった。


「――比護、君の見立ては?」

『……又聞きだから、断定はできないが――』


 比護はそう前置きしつつ、次のように答える。



『おそらく、あの瑞篠山(みずしのやま)で見つかった(パル)と同じ――――〝生還動物〟だろう』



「やはりそうか……」


 生還動物とは、「Acu-SHE」に感染しながらも奇跡的に〝死の発作〟を生き延びた動物のことだ。人間の場合は、〝生還者〟と呼ばれている。


 瑞篠山――すべての始まりとなった、「GRIM」を内包した隕石が落着した場所。

 あそこを調査し、〝パル〟という名の犬を保護したのは、ほんの9日前の出来事だ。


「生還動物や生還者の研究はどうなっているんだい?」


 僕が問うと、比護ははっきりと溜め息を吐いた。


『……(かんば)しくはないな。生還動物のサンプルも、人手も足りていないのが現状だ。動物については、設備の問題もある』


 感染研で確保している生還動物のサンプルは現状、〝パル〟だけらしい。それでは研究が進まないのも道理だ。


 だとしても、例の「ゾンビ猫」のような生還動物があちこちで発生しているとしたら…………


「――そもそも、野放しにしておいていいものかね? どれぐらい数がいるのかもわからないけど……」


 想像すると、空恐ろしいような気がした。


 比護は、ゆっくりと考えた上で回答する。


『……キャリア化しているのは間違いないな。――結論から言えば、基本的に接触を避けるしかないだろう。完全に管理するのは無理だ。かといって、駆除するのも現実的でないし、生態系に止めを刺すことになりかねない』


「……そりゃあ、せっかく生き残ったのに殺してしまうのはね……」


 それはそうだ。

 生還動物を駆除してしまったら、その種は絶えてしまう。


 しかし、次の比護の台詞がその考えに冷や水を浴びせる。


『――だが、生還動物の血中からは「Acu-SHE」患者と同程度の「GRIM」が検出された』


 ここで僕は、比護との認識の相違に気がついた。


「ん? ……ってことは、免疫がついたわけじゃないのか……」

『その通りだ』


 生還者から「GRIM」が検出されたことは知っていた。

 確か、G7+サミットの前には判明していたはずだ。


 ――とはいえ、生還しているのだから、免疫を獲得したのだろう。


 僕は、そう思っていたのだ。

 ……だが、事実は異なるらしい。


「……そんなこと、あり得るのかい……?」


 僕が疑念を呈すると、比護は軽く首を振った。


『――感染症学の基本を鑑みれば、極めて異例の出来事だ。……が、類似の事例が全くないわけじゃない』


 比護は僕に、ヒトの体内で作用するいくつかの微生物の事例を語ってくれた。


 例えば、腸内細菌などで知られる常在菌は「免疫寛容」と言って、免疫システムに攻撃されないような仕組みになっているそうだ。――とはいえ、「GRIM」のように血中や脳などに侵入すれば免疫システムに攻撃されてしまう。


 また、HIV――エイズウイルスの場合、免疫システムの中枢に感染してシステムを機能不全に陥れる。

 結核菌の場合、マクロファージにわざと食べられて生存する〝トロイの木馬〟のような機能を持っているらしい。


 こうして改めて聞くと、地球の微生物の生存戦略もなかなか大したものだ。


 中でも、特に恐ろしいと思ったのが――――


『〝トキソプラズマ〟って知ってるか?』

「いや……」


 それは、ネコ科の動物を終宿主とする細胞内寄生原虫だそうだ。

 なんと、全人類の実に3分の1以上が感染しているらしい。

 日本人の感染率は5%から20%だそうだが……いや、結構高いぞ。

 こうして話している僕や比護が感染していても不思議はない数値だ。


『――トキソプラズマは、ヒトやネズミの〝脳を操作する〟と言われている』

「なんだって?」


 特にネズミについては、本来天敵であるネコを恐れなくなり、近づいて捕食されやすくなるそうだ。

 またヒトでもネズミでも共通して、ドーパミンの分泌が活発になり、リスクを恐れず大胆な行動を取るようになるのだとか。


『……とはいえ、人類の大半は無症状のままだ。免疫が正常に(・・・・・・)機能している(・・・・・・)間は問題ない』

「免疫によって活動が抑え込まれている――『GRIM』とは違う、ということか……」


 僕の言葉に、比護は大きく頷いた。


『そうだ。生還者や生還動物は、「GRIM」の活動を抑制できているわけではない。……なのに、何事もなかったかのように生き延びている』


 段々と、僕にも「GRIM」の異常性がわかってきたような気がする。

 感染症学における一大ミステリー……ふと、そんな言葉が脳裏に浮かんだ。


「――生還者やパルの脳はどうなっているんだい?」


 それは僕の中で自然に生じた疑問だった。

 「Acu-SHE」の発作では何億という単位で脳細胞が致死のダメージを受けるという話だった。

 生還動物の場合も、それは同様なのか……?


 この僕の問いに、比護はまた渋面を浮かべる。


『それが不思議と、観察に入ってから脳が攻撃を受けたという事例は報告されていない』

「ええ……?」


 むしろ、〝死の発作〟によって生じた脳の浮腫(ふしゅ)や損傷は著しい回復を見せているらしい。

 また、パルの知能をテストしたところ、健常な犬と変わらなかったそうだ。


 ……どこか、チグハグな気配を感じた。


 致死率99.9%の恐ろしい殺人ウイルスにも関わらず、ひとたび嵐が過ぎてしまえばそこまで無害になるものなのか……

 いったい、ヤツらの〝目的〟とは――――?


「――もしかしたら、『GRIM』とも共生が可能なのか……?」


 僕のこの思いつきは、いま比護から聞いたいくつかの事例も踏まえて考えると、それほど飛躍した発想だとは思わなかった。


 だが、それを聞いた瞬間、比護は「うげえっ」と心底嫌そうな顔をした。


『――あんな気持ち悪い病原と共生なんか、俺は御免だぞ。そんなことになるぐらいなら、死んだ方がマシだ』


 こいつ……とても、さっきトキソプラズマの話をしていたやつと同一人物とは思えないな……。


「おい、比護。感情論は止せよ。リスクとリターンはどうなんだ?」


 ――もちろん、僕だって心情的には同じだ。

 陽菜(はるな)を殺した「GRIM」と共生なんか、死んでも御免だ。

 ……だが、僕は今やAQUAチームのリーダーだ。

 僕の双肩には、多くの人の命が掛かっている。


 あらゆる可能性を軽視していいはずがなかった。


 僕の真剣な表情を見て、比護はトントンとこめかみを指で叩きだす。


『……リスクは、未知数だ。生還者が目覚めないことには何とも言えん。――目覚めないリスクもある。……生還動物の研究が進めば、もう少しはっきりするだろう』


 ……まあ、そうだろうな。

 比護の回答は続く。


『……リターンは、リスクの裏返しだな。――仮にリスクなく共生が可能であれば、それが最大のリターンになる……』


 比護の表情は、苦虫を噛み潰したかのようだった。

 ……もっとも、画面に小さく映る僕の表情も似たり寄ったりだった。


 僕は、努めて淡々と言う。


「それじゃあ、生還動物のサンプルをなるべく確保すべきだね。僕らが抱えられるキャパシティはどのくらいだろうか?」


 比護も、あえてここで余計な茶々を入れたりはしない。


『BSL-3以上の設備は欲しいな。――だが、それも〝あの計画〟が発動してしまったら、全部パアだ。……パルに加えて、せいぜいネズミ程度の小動物を10匹程度ってところか』


 僕らの前に、「現実」という名の絶望的な壁が立ち塞がった。


「……時間が足りなさすぎるね……」

『まったくだ』


 ――とはいえ、僕らにはできることをやる以外の選択肢はない。


「……政府を通じて、現場の自衛隊員に生還動物捕獲の依頼を出しておこう。もちろん、細心の注意を払ってもらいながら」

『ああ、頼む』




    †




『――ところで宇梶、松沢という医師を知っているか?』


 話が一段落したところで、比護がそんなことを訊いてきた。


「いや……AQUAチームにいる人かい?」

『ああ、野木先生の推薦で7月θ日に参加した人物だ』


 野木先生というのは、国内で有名な脳科学の権威だ。

 確か、野木先生がAQUAチームに加わったのはθ日より2日早い7月ζ日だったか。


「その松沢先生が何か?」


 比護が次に発した言葉は、僕にとって驚くべきものだった。


『……「GRIM」との共生を(うた)っていたはずだ。俺とは相容れないと思ったが……話を聞く価値はあるかもしれん』

「へえ……」


 比護の言い様は、奥歯に物が挟まったかのようだった。

 ……「相容れない」と言っているぐらいだ。

 その先生に対して、苦手意識でもあるのかもしれない。


 ――しかし、ここへ来て「GRIM」との共生論か……


 松沢先生は、脳神経内科を専門とする臨床医だそうだ。

 千葉の北総(ほくそう)大学病院に勤務し、今では「Acu-SHE」に対応する医療現場の最前線に立っているとのことだ。


 比護とはまた違う専門性を持ったスペシャリストだ。


 確かに、その医師がどうしてそのような思考に至ったのか、気になるな……。


「――それは興味深い。教えてくれてありがとう」


 僕は比護に礼を言った。

 すると――


『ヒアリングのときは、俺は呼ばなくていいぞ』


 比護は、わざわざ念を押すように言ってきた。


 こいつは何を言ってるんだ?


「……いやいや、そこは感染症学の権威殿にもいてもらわないと」


 僕がそう言うと、比護はチッと舌打ちした。





    †††





 ――時を同じくして、千葉県北総大学病院にて。


 感染症管理エリア内に設けられた複数の陰圧室。

 それらを一望できるスタッフステーションの中に、1人の中年医師がいた。

 細いフレームの眼鏡を掛けた、神経質そうな男だ。


 医師は陰圧室に横たわる患者たち――「Acu-SHE」に罹患した中で数少ない〝生還者〟たち――の様子を時折ながめながら、セントラルモニターに映し出される幾何学的な緑色の波形を注視していた。



 ――――生還者たちの、脳波だ。



 医師はノイズのない整然とした波形を見つめ、うっすらと笑みを浮かべていた。


 そんなあるとき、デスク上の内線電話がけたたましく鳴り響く。


 ――医師にとってそれは、この静謐(せいひつ)な空間に泥を塗る、無作法な闖入者(ちんにゅうしゃ)だった。


 医師は眉をしかめつつ、間髪入れずに受話器を取る。


「……松沢です」

『松沢先生、急患です! 救急から集中治療室(ICU)に、「Acu-SHE」の発作を起こしている患者が向かっています!』

「――すぐ行く」


 松沢という名の医師は即座に立ち上がると、足早に一般病棟へと向かう。


 ……スタッフステーションを出る彼の表情に、特に不機嫌の色はなかった。




 ICUに到着した松沢は、素早く個人防護具(PPE)を着用した上で入室する。


「――こちらです!」

「ああ」


 同じくPPEを着用した看護師に案内された先には、激しい痙攣(けいれん)と高熱に苦しむ患者の姿があった。

 「Acu-SHE」患者に特有の暴力的なスパイク波がベッドサイドのモニターを埋め尽くしている。


 それを目にしたとき、松沢の顔色が変わった。


「鎮静剤、それから『抑制剤』――デキサメタゾンとシクロスポリンの用意を!」

「は、はいっ!」


 豹変した松沢の態度は、看護師たちを驚かせた。

 それでも、プロである彼女らは遅滞なく松沢の指示に応えた。


 看護師たちが代わる代わる患者の脇に立ち、鎮静剤とデキサメタゾンを静脈注射していく。

 別の看護師は、シクロスポリンを点滴する準備を整える。


 松沢はその間、真剣な表情で酸素マスクを患者の口元に押し当てて気道を確保し、ベッドサイドのモニターを食い入るような目でにらんでいた。


 その姿は誰から見ても、患者の命を救うために懸命に力を尽くす医師の鑑だった。


 ――ある若い看護師は、松沢のその姿に深い感銘を受けた。



 30分後――――



 …………ピーーーーーッ…………



 鳴り響く電子音と共に、あらゆる波形がフラットな直線に変わる。


 懸命な医療努力の甲斐もなく、また1つの命がこの世を去った。


 松沢は、沈痛な面持ちで下を向く。


「……死亡を確認」


 松沢の声には、深い失望と落胆がにじんでいた。


 ――そんな彼の様子を見て、若い看護師は目に涙をたたえた。




    †




 患者の遺体がICUから霊安室へ運ばれた後――。


「松沢先生」


 ICUのバックヤードで椅子に腰掛けていた松沢の横に、先ほど彼をサポートした若い看護師が立っていた。


「……何か?」


 モニターを見つめていた松沢は、ゆっくりと顔の向きを変えて彼女を見上げた。

 看護師は少し落ち着かない様子で、はにかみ笑いを浮かべていた。


「――私、先生のこと誤解してました」

「はあ……」


 松沢は当惑した。

 ――いったい、何の話だろうかと。


「私、わかったんです。――先生も、目の前の命を守るために真剣になれる人なんだってことが」


 看護師は松沢に、純粋な敬意の込もった視線を向ける。


「ああ、うん。……そうだね」


 松沢は彼女から目を逸らし、生返事を返した。


 そんな松沢の態度を見て、看護師はばつが悪い表情になった。


「突然、すいませんでした。……どうしても、それだけ伝えたくて」

「ああ……わざわざありがとう」


 看護師はぺこりと頭を下げて、足早にその場を立ち去った。

 松沢はもう、彼女に目を向けていなかった。




    †




 ICUのバックヤードには、白衣姿の松沢が独りきりで取り残されていた。


 松沢は再びモニターに向かい、先ほど亡くなった患者の死亡直前の記録を確かめる。


 ――ポツリ、と彼が呟く。



「……だって、死んでしまったらもう見れないだろう……?」



 モニターが死亡患者の脳波を映す。


 それはほとんどの間、〝死の発作〟の激烈な苦しみに呼応するように乱高下を繰り返していた。


 ――しかし、患者が死に至る直前、わずかにノイズのない整然とした波形が記録されていた。


 ……それは、松沢がICUに向かう前に見つめていた〝生還者〟の脳波に極めて酷似していた。



「――――この美しい波のカーブがさ…………」



 モニターを見つめる松沢の顔には、恍惚(こうこつ)とした笑みが浮かんでいた。









(2026-05-26)後追いとなりましたが、生還動物の血中から「GRIM」が検出された件について、3章末の〝『GRIM』レポート〈DAY 10〉〟に追記しました。もともと設定されていた内容なのですが、人類がいつそれに気づくかが未設定でした。

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