8. セカンド・プラン
――8月γ日、金曜の午前中のことだ。
この日、僕――宇梶慧――は公用車で大学に出勤していた。
自家用車を使わなかったのは、そろそろ東京もキナ臭くなってきたから……というより、昨夜遅くまで米国のワイズマン博士と引き継ぎのやり取りをしていたからだ。
『――以上が、GSTF(=国際科学タスクフォース)で私が受け持っていた案件です』
『……よくもまあ、それだけ手を広げたものだね』
ワイズマン氏は、呆れ混じりに苦笑していた。
――いや、本当に申し訳ない。まさか、議長に就任して早々、こんな事態になるとは……
『今後、私に連絡が来た場合にはそちらへ繋いでも?』
『……ああ、なんとかしよう』
そんな形で、差し当たっての引き継ぎが済んで安心した。
それが、今日の午前3時頃のことだった。
――そう。
僕は日本政府の要請に従い、全球脅威対策機構の下位組織であるGSTFの議長職を下りることになった。
……AQUAチームの室長に就任した以上、さすがに国内対応を優先せざるを得なかった。
通い慣れた宇宙工学研究棟の研究室に到着したのは、8時半過ぎのことだ。
もちろん、〝家族〟である2人も一緒だ。
「――未咲は今日、どうするんだい?」
「新葉お姉ちゃんのお手伝いする!」
最愛の天使の言葉を聞いて嬉しくなった僕は、「偉いぞ」と言って頭を撫でてあげた。
天使は「むふー」と得意げに笑っている。
「……それじゃ、今日もよろしく頼むよ」
「はい、任せてください!」
新葉さんとの会話もそこそこに、僕は早速ビデオ会議用の個室ブースに入る。
――思いつきに近いことだが、真っ先にやるべきことがあった。
ブースから、僕は1本の電話を掛ける。
電話の相手はツーコールで応答した。
『宇梶か……どうした?』
この10日間で、すっかり昔のように聞き慣れた声――比護の声だ。
僕はスッと息を吸って、言う。
「――『Acu-SHE』に対抗する、〝特効薬〟のアイディアを思いついたんだ」
電話の向こうで、比護が息を呑んだのがわかった。
†
『――宇梶……お前、正気か?』
僕がひと通り自分のアイディアを説明した後の、比護の第一声がこれだ。
中々に辛辣なコメントである。
……いや、素人の思いつきと言われれば、その通りなんだが……
「もちろん、リスクがあるのは承知の上だ」
僕は、努めて真剣に言う。
「――でも、どちらがよりマシかと問われたら、比護はどう思う?」
「…………」
比護が黙り込んだ。
少し考えているらしい。
現時点で、「Acu-SHE」患者が辿る道は3つ。
①0.1%の生還――ただし、未だ意識が回復した患者はいない。
②数日以内の廃人化。
③死。
この絶望的な選択肢のテーブルに、もう1つ比較的マシな選択肢を提示する。
それが、僕の提案する〝特効薬〟の性質だ。
『……確かに、廃人になるよりは亜鉛欠乏症で苦しむ方がまだマシだな』
――その選択肢が、これだ。
僕が提案した〝特効薬〟とは、「GRIM」に先んじて血中の亜鉛を奪い尽くす、というアイディアだ。
僕たちのこれまでの研究から、亜鉛が「GRIM」にとって重要な役割を果たしていることはほぼ間違いなさそうだ。
ひょっとしたら、「GRIM」が増殖する上での必須ミネラルかもしれない。
そこで、血中の亜鉛イオンを強力に吸着するキレート剤のような薬を投与する。
これによって、「GRIM」を干上がらせるのだ。――言わば、兵糧攻めである。
『――いや、しかし長引けば結局は人体も持たない……』
比護の言葉も、きっと正しいのだろう。
亜鉛は、人間の生命維持にとっても欠かせない成分だ。
この種の〝特効薬〟が出来たとして、それを投与することは諸刃の剣となるだろう。
――それでも、人としての尊厳は守られる。
僕はそう思った。
『……お前の話を聞いて、俺もひとつ別のアイディアが浮かんだ。こんなのはどうだ――?』
僕の思いつきは、比護の閃きの呼び水にもなったようだ。
彼のアイディアを聞いたところ、僕の案よりも洗練されており、魅力的に聞こえた。
さすがは、比護だな。
††
――20分後。
比護との電話を終えた僕は、まだ同じ個室ブースの中にいた。
ただし、今は電話ではなく、PCでビデオ会議に接続している。
会議の参加者は僕と比護の他、2名だ。
『――宇梶はんと、お話しするのは初めてでしたっけ……』
「ええ、確かにそうですね」
内1名は、目の下に濃い隈をつけ、やや乱れた髪型の女性――本庄亜梨朱さん。
本庄さんは、幽鬼のような雰囲気を漂わせていた。どうやら、「Acu-SHE抑制剤」のドラッグ・リパーパシングが徒労に終わったことを引きずっているようだ。
……無理もないことだと思う。
そして、もう1名――
『紹介させて頂きます。ウチのブレーンの小谷ですわ』
『……どうも。お役に立てるか、わかりませんが』
ゲノム・フロンティア社のCSO――最高科学責任者である小谷さんだ。
比護から本庄さんに今回の会議について打診した際、『そういう話なら……』と本庄さんが彼の同席を希望したのだ。
『――時間は我々の味方ではない。早速話を始めましょう』
切迫感をにじませながら、比護が会議の口火を切った。
慌ただしいが、仕方のないことだ。
『新薬のアイディアが2つあります。1つは宇梶の発案です。まず、こちらについて説明します――』
この場では、僕の案についても比護が話してもらうことになった。
――まあ、素人が出しゃばるより、医師免許を持つ彼に任せるのが筋だろう。
『……なるほど。リスキーな案ですね』
比護の説明の後、小谷さんは唸った。
本庄さんも、その傍らで頷いていた。
……概ね予想通りの反応だ。
『――でも、亜鉛不足さえなんとかできれば、もっとマシな状態に留められそうですね。臨床で様子見て、調整できるといいですね』
そんな本庄さんのコメントに、他の2名も肯定的な反応を見せた。
……どうやら、全く的外れなアプローチではなさそうだ。
僕は内心でホッと胸をなで下ろした。
話題は、比護のアイディアへと移る。
『次は私の案ですが、いわゆる「トロイの木馬戦略」ですね――』
比護が思いついた案とは、以下のようなものだ。
「GRIM」の〝亜鉛を取り込む受容体〟にピタリとはまる〝偽のダミー分子〟を投与する。
それによって、「GRIM」の活動を阻害するという作戦だ。
このアプローチならば、人体に悪影響もなさそうだ。
僕にとって、このアイディアは非の打ち所のないものに思えた。
『――こっちの方が理想的ですね』
案の定、本庄さんの声も先ほどより弾んでいた。
一方で――
『セフィデロコルのような薬を創る、というわけですか……』
小谷さんは、渋い表情を見せていた。
セフィデロコルというのは、感染症治療に用いられる抗菌薬の一種だ。
細菌が鉄を取り込む仕組みを利用して菌の内部に侵入し、細胞壁の合成を阻害するものらしい。
――まさに、比護の言う「トロイの木馬」そのものだ。
しかし、現実はそう甘くないらしい。
『……あれの研究開発には、10年以上かかっています。それに、今回は候補物質の手がかりもないところからのスタートです。正直、雲を掴むような話になるかもしれません……』
『確かに……』
小谷さんの言葉を受けて、比護も眉をしかめた。
盛り上がっていたところに、冷や水を浴びせられたような感があった。
小谷さんはバツが悪そうな顔をしていた。
そんな気まずい空気の中――――
『――とりあえず、どっちも試してみたらいいんとちゃいます?』
あっけらかんと言ってのけたのは、本庄さんだ。
『しゃ、社長……?』
脳天気とも言える台詞に、小谷さんが困惑の表情を浮かべた。
……なんとなく、この2人の関係性が伝わってくる。
本庄さんの言葉は続く。
『〝案ずるより産むが易し〟ってよく言うでしょう。このまま人類が滅びるのを、ただ指をくわえて見てるわけにも行きませんし』
――強い人だ。
彼女の言葉を聞きながら、僕は感銘を受けていた。
――ショッキングな出来事が起こったばかりなのに、この短時間でもう立ち直りを見せている。
きっとこのバイタリティが、彼女のこれまでの成功を支えてきたのだな。
『――どっちも手をつけてみて、先に目処が立った方にリソースを集中しましょう』
『……ええ。並行開発よりは、そちらの方がいいでしょう』
本庄さんの言葉を、小谷さんがフォローした。
――先に比護が述べた通り、時間は我々の敵だ。
昨日の今日で、2つも新薬のアイディアが出て来たんだ。
この会議の間に、AQUAチーム内で他にもアイディアを募集してみようという意見も上がった。
昨日、我々を襲った絶望が若干和らぎ、前向きな風が吹いてきたように感じられた。
『――汚名返上の機会を下さって、感謝しますわ』
会議の終わり際、本庄さんは憑き物が落ちたような顔をしていた。




