第9話 レイナルド視点
気づけば、アイーダと過ごす時間は増えていた。
昼食をともにし、授業で分からないところがあれば教える。彼女が乗馬部に興味を示したと聞けば、俺も顔を出すようになった。それまで部活動など時間の無駄だと思っていたのに、アイーダが馬上で楽しそうに笑っているのを見るのは嫌ではなかった。むしろ、もっと見ていたいと思った。
そうして一緒に過ごす時間が増えるにつれ、昔は分からなかった感情の正体が少しずつはっきりしていった。
俺はずっと、アイーダが好きだったのだ。そして、おそらく今も。
だからこそ、何も言わなかった。
俺にはジュリアがいる。いずれ彼女と結婚し、王となる。それを変えるつもりはなかった。王太子妃となるのはジュリアだと、疑ったことすらない。
なら、アイーダに気持ちを伝えて何になる。困らせるだけだ。彼女には彼女の人生がある。いずれ誰かと出会い、幸せになればいい。
学生でいられる間だけ、昔のように過ごせれば、それでいい。
ある日の昼休み、アイーダが一冊の本を抱えてやって来た。
「ねえ、見て。この本、覚えてる?」
差し出された表紙を見て、すぐに思い出した。
「ああ。覚えてる。昔、俺が読んでやった本だろう」
「そうそう。まだ続いてたの。本屋で見つけてびっくりしちゃった」
「まさか、アイーダが一人で読めるようになるとはな」
「うわ、腹立つ」
「昔は途中で分からなくなって、全部俺に読ませてただろう」
「子どもの頃の話でしょう!」
アイーダが笑い、俺もつられて笑った。
二人で中庭へ向かい、木陰のベンチに腰を下ろす。ページを捲るアイーダの横顔は、幼い頃とほとんど変わっていなかった。
こうしていると、離れていた年月などなかったように思えた。
そのときだった。
「殿下……」
聞き慣れた声に、身体が固まった。
振り返ると、ジュリアが立っていた。先ほどまで何も考えず笑っていたはずなのに、表情が勝手に強張る。
「……ジュリア」
なぜ、ここに。
真っ先に浮かんだのは、そんな考えだった。別に隠していたわけではない。それなのに、見つかってはいけないものを見つけられたような気分になった。
隣でアイーダが首を傾げる。
「レイ、この方は……?」
その呼び方に、ジュリアの表情がほんのわずかに揺れた気がした。だが、すぐにいつもの笑みへ戻る。
「はじめまして。ジュリア・アルバインと申します」
そして、俺を見る。
「殿下の婚約者です」
アイーダの目が大きく開いた。
「レイの婚約者様……! は、初めまして! アイーダ・ベクターと申します!」
慌てて頭を下げる姿を見て、このままではまずいと胸の奥がざわついた。
「ジュリア、ちょっと……」
彼女を促し、アイーダから少し離れた場所まで移動する。その間にも、どう説明すべきか考えていた。
アイーダは以前話した少女だ。偶然再会しただけで、ただ昔のように過ごしているだけだ。
頭の中ではいくつも言葉が浮かんだ。だが、その前にジュリアが口を開いた。
「殿下。未婚の令嬢とお二人だけで過ごされるのは、あまりよろしいことではないかと存じます」
胸を突かれた。
正論だった。ジュリアは何も間違ったことを言っていない。
それでも、視線の先にはベンチでこちらを待つアイーダがいる。何年も忘れられなかった彼女と、ようやく再会できた。
それを、もう手放さなければならないのか。
気づけば、口が動いていた。
「ジュリア、頼む」
彼女がわずかに目を見開く。
「……殿下?」
「学園にいる間だけでいい。アイーダと、昔のように過ごさせてほしい」
ジュリアは何も答えなかった。
「卒業したら、きちんと君との将来に向き合う。王太子としても、君の婚約者としても」
本心だった。だから、今だけ。この時間だけは手放したくなかった。
「それまで待っていてくれないか」
ジュリアをまっすぐ見つめる。
長い沈黙のあと、彼女は小さく頷いた。
「……分かりました」
「ありがとう、ジュリア」
自然と笑みがこぼれた。ジュリアも目を潤ませながら、もう一度頷く。
その姿を見て、胸の奥にあった不安が消えていった。
ジュリアに、これほど心から感謝したのは初めてだった。だから俺も、約束は必ず守ろうと思った。アイーダと過ごすのは、それまでだ。卒業すれば、俺はジュリアと結婚する。
――今だけなのだから。




