第10話 レイナルド視点
だが、俺がそう考えていることと、周囲がどう受け取るかは別だったらしい。
「殿下。少しよろしいですか」
ある日の放課後、廊下を歩いているところをセドリック・ヴァルナーに呼び止められた。
ヴァルナー公爵家は王家の傍系にあたり、セドリックとは遠いながらも血の繋がりがある。幼い頃から顔を合わせる機会も多く、同年代の中では付き合いの長い方だった。
軽薄そうに見えるところはあるが、自分の立場を忘れるような男ではない。俺が王太子だからと必要以上に機嫌を取ることもなく、その点では話しやすい相手だった。
「何だ?」
「アイーダ嬢のことです」
またか。
そう思ったのが顔に出たのか、セドリックは眉を寄せた。
「その反応を見る限り、他からも何か言われていますね?」
「何人かにはな」
「でしたら、少しはお考えください。アイーダ嬢とは距離を置かれた方がいい」
王族の恋愛話など、学生にとっては格好の話題なのだろう。誰と話した、誰と踊った、その程度で勝手な噂が立つことなど珍しくもない。
とはいえ、好ましい状況でないことくらいは分かる。
「……分かった。気をつける」
それからは、なるべくアイーダと二人きりにならないようにした。昼食も人目のある場所を選び、乗馬部へ顔を出すのも他の生徒がいる時間に限った。
ある日の午後、乗馬部でアイーダと馬を走らせた。
「ちょっと! 手加減してよ!」
後ろから声が飛んでくる。
「競争すると言ったのは君だろう」
そのまま速度を落とさず走り、当然のように俺が先にゴールした。
遅れてやって来たアイーダが頬を膨らませる。
「もう! 普通、こういうときは女の子に勝たせるものじゃない?」
「そうなのか?」
「知らないけど!」
拗ねたように言いながら、アイーダはすぐに笑った。俺もつられて笑う。
馬から降りようとしたアイーダが、不意に足を滑らせた。
「きゃっ」
咄嗟に手を伸ばすと、アイーダがそのまま腕の中へ落ちてきた。
「大丈夫か?」
「う、うん……」
顔を上げたアイーダと目が合う。互いに何も言わないまま、ほんの数秒見つめ合った。
やがてアイーダの頬が赤くなる。その表情を見た瞬間、胸が大きく鳴った。
――もしかして。
アイーダも、俺と同じなのではないか。
確かめたいと思った。
もし同じ気持ちなら――。
そこまで考えて、思考を止めた。その先を口にすることはなかった。
「……悪い」
身体を離すと、アイーダも慌てたように一歩下がった。
「ううん。助けてくれてありがとう」
それでいい。
そう思うしかなかった。
◇
数日後、今度は母上に呼ばれた。
部屋へ入ると、母上はいつになく険しい表情をしていた。言われたことは、だいたいセドリックたちと同じだった。
「ジュリアが傷ついていないとでも思っているのですか?」
「それは……」
アイーダとのことを許してほしいと頼んだとき、ジュリアがすぐには答えなかったことを思い出す。それでも、最後には頷いてくれた。
「ジュリアは、理解してくれています」
「理解していることと、傷つかないことは別でしょう。ジュリアがあなたの願いを受け入れたのは、あなたを思っているからです。ならば、あなたも少しは彼女の気持ちを考えなさい」
その言葉が、妙に胸に残った。
翌日、王太子妃教育を終えたジュリアと顔を合わせたので、馬車まで送ることにした。
道すがら教育の進み具合を尋ね、無理はするなと声をかける。それだけのことだったが、ジュリアは嬉しそうに笑った。
その様子を見て、母上の言葉を少し気にしすぎたと思った。以前より、ジュリアとも自然に話せるようになっている。
あとは、俺が約束を守ればいい。
やがて、学園内で開かれる夜会の日が近づいた頃、ジュリアがどこか不安そうに尋ねてきた。
「殿下……夜会は、殿下がエスコートしてくださるのですよね?」
なぜ、わざわざ確認するのだろう。
夜会でジュリアをエスコートすることも、最初のダンスをともに踊ることも、俺の中では初めから決まっていた。
「当たり前だろう。君は俺の婚約者なんだから」
そう答えると、ジュリアはほっとしたように笑った。その様子を少し不思議に思ったものの、それ以上深く考えることはなかった。
夜会で音楽が始まると、予定通り最初の一曲をジュリアと踊った。
ジュリアとのダンスは昔から踊りやすい。俺が少し先へ踏み込めば、彼女は自然に身体を返す。こちらが細かく気を配らなくても、足取りが乱れることはない。
だからだろう。
踊りながら、意識がふと別の場所へ向いた。
広間の端に、アイーダがいた。
桃色のドレスを着て、友人たちと話している。いつもより少し大人びて見え、思わず目を奪われる。
ちょうどアイーダもこちらを見た。目が合うと、彼女が微笑んだ。
それだけで、胸の奥が浮き立った。
やがて曲が終わり、ジュリアの手を離す。
アイーダがこちらへやって来た。
「次は、私とも踊ってくれる?」
「言うと思った」
「えっ、なんで?」
「さっきから、目がそう言っていた」
「うそっ。そんなに分かりやすかった?」
分かりやすかった。他の男子生徒から声をかけられても踊らず、こちらを何度も見ていたのだから。
俺はアイーダへ手を差し出した。
「行くぞ」
「うん!」
曲が始まると、すぐにアイーダの動きが固いことに気づいた。
「わっ」
「足元を見るな」
「だって踏みそう!」
「俺を見ていればいい。合わせるから」
「本当?」
「ああ」
アイーダがおそるおそる顔を上げる。
俺が動きを合わせてやると、次第に彼女の足取りも軽くなっていった。一度きれいに身体を返すことができると、アイーダの顔がぱっと明るくなる。
「すごい! 私、ちゃんと踊れてる!」
「だから言っただろう」
「レイ、上手ね。さすが王子様」
楽しそうに笑うアイーダを見て、俺も笑った。
やはり、アイーダといる時間が一番楽しい。
ふと、音楽が終わりへ近づいていることに気づく。
あと少しで、この曲は終わる。そして、学園で過ごせる時間もいつか終わる。アイーダとこうして過ごせる時間も。
いずれ彼女とは距離を置き、別の誰かと結ばれるのを見届けることになる。
それが最初から決まっていた未来だ。
分かっていたはずなのに、目の前で楽しそうに笑うアイーダを見つめながら、初めて思った。
――本当に、終わらせられるのだろうか。




