【番外編】レイナルド視点【デート】
ジュリアと観劇に行く日、俺はいつもより早く身支度を始めた。
正装など、普段なら用意されたものをそのまま着るだけだ。だが今日は、この日のために新しく一着仕立てさせていた。生地も意匠も、珍しく自分でいくつか注文をつけた。
着替えを終えたところで、エドガーがこちらを見て目を丸くする。
「……」
「なんだ。おかしなところがあるか?」
「……いえ。完璧です」
「? そうか」
それならいい。なぜエドガーが妙な顔をしていたのか分からないまま、アルバイン侯爵家へ向かった。
侯爵家に到着すると、出迎えた侯爵がにこやかに俺を見る。
「殿下、本日はどのようなご用件で?」
「ジュリアと観劇に行く約束をしておりまして。迎えに参りました」
「そうでしたか」
「はい……。本日、ジュリア嬢をお連れしてもよろしいでしょうか」
「はは。私には、殿下に許可を出せるような役職はありませんよ」
「……」
深く頭を下げる。笑顔だというのに、頭上から降ってくる視線が痛い。だが、侯爵はそれ以上何も言わなかった。
そうしているうちに、階段を下りてくるジュリアが目に入った。
「……」
言葉を失った。
淡い青色のドレスだった。
もともと俺は、鮮やかな色よりもこうした落ち着いた色合いを好む。婚約して間もない頃から、ジュリアはそれを知って、俺の好みに寄せた装いをすることが増えていた。
ジュリア自身が一番好きなものではないことも、今なら分かっている。
それなのに――。
「お待たせしました。……殿下?」
「……よく似合っている」
「本当ですか?」
「ああ」
目が離れなかった。
「……可愛い」
「えっ……」
口にしてから、侯爵の咳払いが聞こえた。
「……ごほん」
はっとして、ようやくジュリアから視線を外す。
「では、ジュリア嬢をお預かりいたします」
改めて侯爵へ挨拶をし、ジュリアへ手を差し出した。
馬車へ乗り込むと、向かいに座ったジュリアが楽しそうに話し始める。その中で観劇の話になり、二年ほど前にジュリア自身が観劇好きだと話していたことを口にすると、彼女は一瞬ぽかんとした。
「……殿下は、人たらしですね」
「え?」
「なんでもありません」
そう言って、ジュリアは顔をそむけて窓の外を見る。
人たらし。
そんなことを言われたのは初めてだ。
むしろ、そういう意味ならジュリアのほうがよほど人たらしではないだろうか。学園でも王宮でも、ジュリアは多くの人間と親しく話している。魔法薬研究会でもそうだ。相手が誰であろうと、自然に会話を続ける。
……それにしても、いつまで研究会へ通うつもりなんだ。
そこまで考えて、眉を寄せた。
いや。俺が口を出すことではない。
ジュリアが好きで参加しているのだから、止める理由などない。
ないのだが……。
妙に引っかかるものを抱えたまま、劇場へ到着した。
馬車を降りてジュリアへ手を差し出し、そのまま席まで案内する。
「……こちらですか?」
「ああ」
席は、舞台にかなり近い場所だった。
少し意外そうな顔をしながらも、ジュリアは俺の隣に腰を下ろした。
「この辺りの席は、あまり利用したことがありません」
「そうだろうな」
「え?」
「君は観劇の話をするとき、役者の表情や仕草のことをよく話すだろう。だから、たまには近くで見るのもいいかと思って」
「そうですか……」
また、ジュリアが黙った。
なんだ。何か間違えたか。
顔をうかがっていると、ジュリアがくすりと笑う。
「殿下は、本当にわたくしの話をよく覚えていらっしゃるのですね」
「……そうか?」
「ええ。あまり関心がなさそうでしたから、聞き流しているのだと思っておりました」
「……そうだな」
否定できなかった。
だが、そう言われて初めて気づく。ジュリアの話したことは、頭に残っている。
観劇が好きなことも、役者の表情や仕草を見るのが好きなことも。好きな菓子も花も、苦手なものも、思い返せばいくつも出てくる。
そして、それと同時に気づいた。
ジュリアはいつも、俺が興味を持ちそうな話を選んでいた。こちらが答えやすいように話を振り、会話が途切れそうになれば別の話題へつなぐ。俺が退屈しないように、ずっと気を配っていたのだろう。
それを俺は、当たり前のように受け取っていた。
やがて幕が上がった。
評判どおり、役者の演技は見事だった。この劇のために用意された魔道具も、これまで見たことのない色彩を舞台いっぱいに映し出している。場面が変わるたびに光の色や景色まで変わり、客席から何度も歓声が上がった。
隣ではジュリアが舞台に見入っていた。楽しそうに笑ったかと思えば、次の場面では息を呑み、魔法の光が広がればぱっと顔を輝かせる。
こんなふうに、目の前のものをただ楽しんで表情を変えるジュリアを、俺はほとんど知らなかった。
気になって、ついそちらを見てしまう。一度舞台へ目を戻しても、またジュリアへ視線が向く。膝の上で組んだ手に、力が入った。
観劇が好きだと知っていたのに。
俺は一度も誘わなかった。
指先にさらに力が入り、そこでようやく気づいて手を緩める。
今さら考えても仕方がない。
これからは、ジュリアを大切にしていけばいい。
――いや、それだけではない。
王宮には今も、俺の判断力を疑う声が届いている。これまでならすぐに協力を得られていた家から返事を保留されたこともあった。夜会でも、以前より距離を取る者がいる。アルバイン侯爵家との関係が本当に修復されたのか、様子を見ている者も少なくない。
当然だ。
自分の婚約ひとつまともに扱えなかった人間に、国の判断を任せて大丈夫なのか。
そう思われても仕方がない。
もう一度、王太子として信頼される人間にならなければならない。
そのためにできることを、一つずつ――。
「殿下」
はっとして顔を上げる。
「どうした?」
「わたくしばかり見ていないで、劇をご覧になってください」
「……」
「さっきから何度も見ていますよね?」
「……見ていた」
「もう……。後で殿下とお話ししたいのですから、ちゃんと見ていてください」
少し頬を膨らませたジュリアを見て、胸が跳ねた。
……可愛い。
「……努力する」
「何を言っているんですか。……わあ!」
そのとき、舞台いっぱいに魔法の光が広がった。
ジュリアがぱっと顔を輝かせ、身を乗り出すように舞台を見る。
俺も舞台へ視線を戻した。
そうだ。後でジュリアと話をするのだから、ちゃんと見ておかなければならない。
そう思うのに、表情をころころ変えるジュリアが気になって、結局その後もあまり劇に集中できなかった。




