第41話 ジュリア視点
「妻としても、大切にしたいと思っている」
殿下の言葉が、まだ耳に残っている。
やっと、私を見てくださった。
あんな形ではあったけれど、思い返すたびに胸が落ち着かない。
「ニヤけてるわよ。本当に」
向かいに座るリズベットに言われ、私は思わず頬に手を当てた。
今はどうにも表情を抑えられない。
殿下が教員たちと話をしている間、私たちはカフェテリアでお茶を飲みながら待っていた。
「……言わないでよ」
「ついに自覚したか、ってところね。長かったわ」
リズベットは楽しそうに笑う。
「さて、どんな顔をして戻ってくるのかしら」
「あまり殿下をおちょくらないで」
そう言いながら紅茶へ手を伸ばすと、それまで黙っていたセドリックがカップを置いた。
「それにしても、酷い劇だったな」
「自分たちだって、貴族社会の一員だってことを忘れているのかしらね」
「なかなか客観的に自分自身を振り返るのは難しい、ということでしょうね」
私がそう返すと、リズベットは肩をすくめた。
「そもそも、家格にかかわらず同じ学園で学べるようになったことだって、昔から当然だったわけではないでしょうに」
この学園が設立された当初は、ずいぶん揉めたと聞いている。
家格の異なる者たちを同じ場所で学ばせることには、一部の高位貴族から強い反発もあった。それでも最終的には、国の発展のために必要だと受け入れられた。
今では子爵家や男爵家の子弟も同じように学んでいるし、学園の運営についても、高位貴族の家々から多くの寄付が寄せられている。
「それなのに、高位貴族はただ特権にしがみついているだけ、みたいに扱われてもね」
「けれど、不満が出ることそのものには理由があるのでしょうね」
そう言うと、リズベットがこちらを見る。
「高位貴族側の振る舞いに、まったく問題がないとも思わないわ。家格だけを理由に相手を軽んじる方がいるのも事実よ」
「まあ、それはそうね」
私は紅茶を一口飲んだ。
つい先ほどまで殿下の言葉を思い出して浮かれていたはずなのに、結局こういうことを考えてしまう。
リズベットも同じことを思ったらしい。
「本当にあなたたち、似た者同士よね」
「……否定できないわね」
すると、セドリックが面白そうにこちらを見た。
「じゃあ、もう殿下のことは許しているのかい?」
私はカップを置く。
「そもそも、怒っていたというより……傷ついて、呆れていたのよ」
「分かるわ。怒るというより、失望する方よね」
「それで?」
セドリックがにやりと笑う。
「今は?」
私は二人を見て、いつもの笑みを浮かべた。
「どうでしょうね」
「あら。王太子殿下の婚約者らしい顔に戻ったわね」
ちょうどそのとき、カフェテリアの入口に殿下の姿が見えた。
こちらに気づくと、まっすぐ歩いてくる。
「話は終わったのですか?」
「ああ。今日はひとまず、事情を聞くところまでになるだろう」
そう答えた殿下の視線が、私からリズベットへ、そしてセドリックへ移った。
眉間に皺が寄る。
「ジュリア。二人で話がしたい」
「分かりました。それでは、また後で」
リズベットが楽しそうに手を振り、セドリックも笑っている。
二人と別れ、殿下と並んで廊下を歩く。
しばらくして、殿下が思い出したように口を開いた。
「……あの二人、仲がいいのか?」
「ええ、そうですね」
「前からだったか?」
「たしか、入学前から親しくされていたはずです。その頃に、両家でもお二人の婚姻について話が出始めていたと聞いていますし」
殿下の足が止まった。
「……は?」
私も足を止める。
「聞いていない」
「まだ正式には公表されていませんもの」
「なぜ公表していないんだ……」
そこまで言って、殿下が黙る。
数秒後、眉間の皺がさらに深くなった。
「……いや、分かる」
「ご想像通りかと」
少し前まで、殿下とアイーダのことは学園中で随分と噂になっていた。
その最中に、公爵家の縁談――しかも相手が元王太子妃候補だと公になれば、王家との関係を巡って余計な憶測を招きかねない。
おそらく、それを避けたのだろう。
殿下も同じところまで考えたらしい。
「それは分かる。分かるが……」
殿下はひどく納得がいかない顔をした。
「なぜ俺だけ知らないんだ」
「リズベットの判断です」
「なぜだ……」
「それは、彼女に聞いてみてください」
殿下はしばらく黙り込んだ。
その横顔を見ながら、私はリズベットが以前言っていたことを思い出す。
――セドリック様を使って、殿下を焦らせればいいのよ。
あのとき彼女は、何でもないことのように笑っていた。
セドリック様が私に心変わりするなど、少しも疑っていなかったのだろう。
……このことまで殿下が知ったら、落ち込むかもしれない。
そう思い、今は黙っておくことにした。
それにしても、このままだと本当にリズベットのことを考え続けそうだ。
私は殿下の上着の袖を、ちょい、ちょい、と二度、指先で軽く引いた。
殿下がこちらを見る。
「……何だ?」
「殿下。それより、わたくしに言いたいことはないのですか?」
「……ある」
「あんな大勢の前で言って……ちゃんと整理はついたのですか?」
「……まあ、おおよそ」
思わず眉をひそめると、殿下は私の顔を見て少し考え、言い直した。
「いや。君への気持ちは、もうはっきりしている」
そう言って、私の手を取る。
先ほどまでとは違う、真剣な目で見つめられた。
「俺は、これからの人生を君と共に歩みたい。俺の隣で笑っていてほしいと思うのは、君だけだ」
「……もう、殿下のお心に他の女性はいませんか?」
殿下は黙った。
今度は言葉に迷っているのではなく、自分の中を確かめているようだった。
「いない」
はっきりと言ったあと、すぐに眉を寄せる。
「……いや、待て。正確には、アイーダを今後どうするべきかは考えているから、まったく考えていないと言うと語弊があるな」
そこまで正確に言わなくてもいいのに。
本当に、この方はこういうところだけ妙に律儀なのだから。
思わず、くすっと笑ってしまった。
「何がおかしい?」
「いいえ」
私は殿下の手を握り返した。
「では、そのお話が終わってから、もう一度聞かせてください」




