第40話 アイーダ視点
レイの言葉を聞いて、私はしばらくぽかんとしていた。
妻として、大切にしたい。
それって――。
客席へ目を向けると、ジュリア様が驚いたような顔でレイを見ていた。
……ああ、そっか。
今ここで私とのことを認めるようなことを言ったら、ジュリア様がかわいそうだもの。レイは優しいから、きっと最後までジュリア様を傷つけないようにしているんだ。
そう考えていると、舞台の上にいるレイが司会役の子へ目配せした。
「幕を下ろしてくれ。それから、この催しの担当教員を呼んでほしい」
「は、はい!」
急に辺りが慌ただしくなる。
さっきまで拍手に包まれていた舞台の前へ、ゆっくりと幕が下りてきた。
周りのみんなも、何が起きているのか分からないらしい。隣にいた王子役の子と顔を見合わせていると、舞台袖から先生が駆け込んできた。
「殿下、お待たせいたしました」
先生は息を整える間もなく、レイのところへ向かう。
二人が小さな声で何か話し始めた。何を言っているのかまでは聞こえなかったけれど、先生の顔がみるみる険しくなっていく。
やがて先生がこちらを振り返った。
「このクラスの皆さんは、全員教室へ移動してください」
「え?」
あちこちから戸惑った声が上がる。
「衣装や大道具の片づけは、いったん後で構いません。全員です。事情を確認します」
事情?
何の?
「先生、何かあったんですか?」
マリアベルが尋ねると、先生は一瞬答えに詰まり、それから手にしていた台本へ視線を落とした。
「まずは、この劇がどのような経緯で現在の内容になったのかを確認します。話はそれからです」
さっきまで「成功したね」と笑っていた子たちまで、急に黙り込んだ。
私はもう一度レイを見る。
けれど、レイはこちらを見ていなかった。
舞台を降りると、そのまま客席にいるジュリア様の方へ向かっていく。
……なんだろう。
劇は終わったし、お客さんもたくさん拍手してくれたのに。
◆
私たちは、教室へ集められていた。
教壇の前では、担当の先生が二冊の台本を見比べている。
一冊は、学園へ提出された最初の脚本。
もう一冊は、今日、実際に使ったものだ。
先生はしばらく無言でページをめくっていたけれど、やがて深いため息をつき、額を押さえた。
「……どうして、ここからここまで変わったんですか」
誰も答えない。
先生は最初の台本を持ち上げた。
「こちらでは、身分の異なる男女が惹かれ合いながらも、それぞれの立場や責任について考える話になっています」
それから、今日使った台本へ視線を落とす。
「それがどうして、王子と町娘の恋物語になったんです? しかも、高位貴族の婚約者が家格を理由に町娘を排除し、最後には王子がその婚約者を捨てて町娘を選ぶ」
先生は教室を見渡した。
「いくら創作とはいえ、皆さんは貴族社会に身を置く者でしょう。この内容が現実の誰を想起させるか、本当に考えなかったのですか?」
ベントン男爵令息が、不満そうに口を開く。
「でも、先生。大筋は変えてません。身分違いの恋っていう題材自体は同じですし」
「題材の話をしているのではありません」
先生はすぐに言葉を返した。
「なぜ、この内容へ変更しても問題ないと判断したのかと聞いています」
「最近、こういう話がよく出ているから……議題としても面白いかと思って」
「どこで、どのように?」
「……」
ベントンが黙る。
先生は深く息を吐くと、しばらく教室を見渡した。そして、なぜか私のところで視線を止める。
「……アイーダさん。あなた、礼法の成績は悪くありませんでしたよね」
「え? はい。たぶん……」
養女になったばかりの頃はずいぶん苦労したけれど、今では授業にもついていけていると思う。
先生は眉間を押さえた。
「では、この内容を上演することで、どのような受け取られ方をする可能性があるかは考えませんでしたか?」
「……え?」
思わず首を傾げる。
「これは劇ですよ? 身分が違っても、人を好きになる気持ちは自由だっていうお話で……」
「それ自体について言っているのではありません」
先生の眉間の皺が、さらに深くなる。
「この学園には、さまざまな立場の生徒が在籍しています。実際に婚約関係にある方もいますし、家同士の事情を抱えている方もいる。そうした中で、この内容がどのように見えるかについて、何も思いませんでしたか?」
「でも、こういうお話って、よくあるんじゃないですか?」
先生はしばらく黙った。
それから、ゆっくりと息を吐く。
「……仮にも、この学園にはレイナルド殿下がいらっしゃるのですよ。この劇をご覧になった殿下が、どう思われるかは考えませんでしたか?」
私は少し考えた。
レイなら――。
「……素敵な話だと思ってくれると思います」
教室が静まり返った。
隣にいたマリアベルが、ぎょっとしたように私を見る。
「……アイーダ」
「え?」
何か言いたそうに口を開いたけれど、結局、マリアベルは何も言わなかった。
「……?」
先生はしばらく私を見つめたあと、ゆっくりと目を閉じた。
「……そうですか」
その声は、ひどく疲れて聞こえた。




