第39話 レイナルド視点
幕が上がってすぐ、嫌な予感はしていた。
町娘と、身分を隠して町へ出た幼い王子。その町娘を演じているのがアイーダだ。
……ずいぶん細かい設定だな、とは思った。
とはいえ、アイーダはクラスでも慕われている。主演に選ばれたこと自体は、特に不思議ではない。
ところが、話が進むにつれて、次第に眉間に力が入っていった。
『あなたのような平民が、王子殿下に近づかないで』
「…………」
思わず隣を見る。
ジュリアは何も言わず、舞台を見ていた。表情も変わっていない。
俺も再び舞台へ視線を戻す。
ここは、貴族の子弟が集まる学園だ。
その生徒たちが、王太子の婚姻をまるで家格だけで決められるもののように描いている。そしてこの劇では、すべてが「身分の高い女が、身分の低い女を排除している」という単純な構図になっていた。
……こんな考え方をしている者が、それほど多いのか?
学園内で身分を巡る不満が広がっていることは、王都から届く報告で知っていた。
家格にかかわらず、能力のある者が登用される道を広げる。その考えには、俺も賛成している。
だが――それとこれは、まったく別だ。
舞台の上で、アイーダが言う。
『……生まれた家が違うだけで、殿下を想うことまで許されないのですか?』
俺は思わず額を押さえたくなった。
……アイーダ。
この間の話を、どう理解したんだ?
君を王太子妃にするつもりはないと、はっきり伝えたはずだ。
それなのに、なぜこうなる。
場面が変わり、舞台には華やかな夜会の広間が映し出された。
王子の隣に町娘が立ち、それを婚約者が責める。
『その娘は平民です。あなたのお隣に立てる者ではありません』
『それを決めるのは君ではない』
もう、嫌な予感どころではなかった。
『もういい……君との婚約は、ここで終わりだ』
会場が大きくざわめく。
王子は婚約者へ背を向け、町娘の手を取った。
『俺が妻に選ぶのは、家柄でも身分でもない』
続く台詞を聞く前から、分かった。
『愛する人だ』
大きな拍手が起こる。
俺は、しばらく何も言えなかった。
……何だ、これは。
俺とアイーダとジュリアのことを、都合よく物語に当てはめたものではないか。
もう一度、隣を見る。
ジュリアは変わらず舞台を見ていた。
怒っているわけでも、悲しんでいる様子でもない。あまりにも普段通りだった。
そのことが、逆に気になった。
やがてジュリアが、舞台を見たまま口を開く。
「貴族の子弟が集まる学園でありながら、王太子妃の選定を単なる家格の問題として捉える者がこれほどいるのは、少し気になりますわね」
「……ああ」
「学園の中だけならまだよいのですが、似たような捉え方が市井にも広がっている可能性はあります。一度確かめる必要がありそうです」
さすがジュリアだ。
俺と同じことを考えていたか――。
いや、そうではない。
「……待て。君は今、自分が悪役にされていたんだぞ」
「そうですね」
あまりにも平然と返されて、言葉に詰まった。
「……気づいていたのか?」
「もちろんです」
「なら……」
本当に、何ともないのか。
そう尋ねようとした俺を見て、ジュリアは目を細めた。
「この程度のことで、わたくしが傷つくとお思いなら――」
そこで一度、言葉を切る。
「殿下のなさったことの方が、ずっと傷つきましたわ」
「…………」
胸に、見事なまでに突き刺さった。
反論の余地がない。
「……そうだな」
この劇を見て腹を立てる資格など、俺にはない。
ようやくそれだけ答えると、ジュリアは何事もなかったように舞台へ視線を戻した。
……痛い。
その間にも劇は終幕へと進み、舞台に光が広がった。王子と町娘が手を取り合う姿を最後に幻影が消え、出演者たちが舞台へ一列に並ぶ。
大きな拍手が会場を包み、アイーダも満面の笑みで頭を下げていた。
やがて顔を上げた彼女が客席を見渡し――俺を見つける。
「レイ!」
嬉しそうに声を上げ、大きく手を振った。
周囲の視線が、一斉にこちらへ集まる。
……おい、アイーダ。
今の劇の直後に、町娘役のアイーダが俺を愛称で呼ぶ。
これでは、劇と現実を重ねるなという方が無理だ。
俺は席を立った。
「殿下?」
「少し、話してくる」
そう告げて通路へ出ると、会場がにわかにざわついた。
俺が舞台へ近づいていくのを見て、出演者たちは戸惑いながらも道を空ける。司会を務めていた生徒が慌てて前へ出てきた。
「で、殿下。もしよろしければ、劇について一言――」
「ああ。そのつもりだ」
舞台へ上がり、客席へ向き直る。
先ほどまで響いていた拍手はすっかり止み、広い会場が静まり返っていた。
「この物語が単なる創作であるなら、私が口を挟むことではない」
一度、言葉を切る。
「だが、今の劇を見て誤った認識を持つ者がいては困る。一つだけ、はっきりさせておきたい」
客席を見渡す。
「私は、ジュリア・アルバイン侯爵令嬢を、家格だけで婚約者に選んだわけではない」
客席にざわめきが広がる。
「彼女は王太子の婚約者として、長い間努力を重ねてきた。必要な知識を学び、公務では何度も私を支えてくれた」
会場が少しずつ静まっていく。
「それだけではない。彼女は、必要とあれば私に対しても異を唱えることができる」
そこまで言って、客席にいるジュリアへ視線を向ける。
「今の彼女の立場は、ジュリア自身が積み重ねてきたものの上にある。少なくとも私は、彼女ほど自分の隣に立ってほしいと思える相手を、ほかに知らない」
彼女も、まっすぐこちらを見ていた。
そして、自然と言葉が続いた。
「それに――今の俺にとって、彼女は王太子妃として必要なだけの相手ではない」
会場がしんと静まり返る。
「妻としても、大切にしたいと思っている」
不思議なくらい、すんなりと言葉が出た。
客席のジュリアは、珍しく目を見開いていた。




