第37話 ジュリア視点
殿下と二人で学園祭を回ることになるなんて、少し前の私なら考えもしなかっただろう。
しかも、公務ではない。
誰かへの挨拶回りでも、王家を代表して展示を視察するわけでもない。ただ、二人で好きなところを見て回るだけだ。
人の多い廊下を並んで歩きながら、何だか不思議な気分になる。
「どこか見たいところはあるか?」
「わたくしが決めていいのですか? 殿下は?」
「今日は君が行きたいところへ行こう」
「ふふ、そうですか」
これまで殿下と一緒に出かけるときは、たいてい行き先も時間も先に決められていた。どこへ行きたいかと聞かれた記憶は、ほとんどない。
ちょうどそのとき、中庭の方から大きな歓声が上がった。
「何でしょう?」
「魔法学科の展示らしいな。行ってみるか」
人の流れについて中庭へ出ると、正面にある校舎の壁が突然暗くなった。次の瞬間、無数の光が浮かび上がる。
夜空を、光で形作られた大きな竜がゆっくりと飛んでいく。翼を広げるたびに星のような光が散り、やがて校舎の壁いっぱいに王都の街並みが現れた。
「わあ……すごいですね」
周囲からも歓声が上がっている。
「幻影魔法と光魔法を組み合わせているのか」
隣で殿下が呟いた。
「かなり広い範囲に投影できているな。これなら王都の祝賀行事にも――」
そこまで言ったところで、私は殿下を見る。
「殿下……今日は公務ではありません」
「……そうだったな」
一応は頷いたものの、しばらくすると、また壁を見上げながら呟く。
「ただ、従来の装飾より準備に必要な人員は少なそうだ」
「綺麗だとか、そういった感想はないのですか?」
殿下が少し考える。
「……竜がよくできている」
「そこですか?」
「かなり精巧だぞ」
真面目な顔で言われ、笑ってしまった。
次に立ち寄ったのは、魔道具研究会の展示だった。生活を便利にする道具から、何の役に立つのかよく分からないものまで、所狭しと並べられている。
その中で目に留まったのは、手のひらに乗るほどの丸い魔道具だった。ふわふわとした毛に覆われ、二つの大きな目がこちらを見ている。
「これは?」
「精神安定用の愛玩魔道具です!」
製作者らしい男子生徒が胸を張った。
「撫でると鳴いて、持ち主の心を癒やします!」
「まあ。可愛い」
私が手を伸ばすと、毛玉のような魔道具が小さく震えた。
『きゅう』
思わず頬が緩む。
「殿下もどうです?」
「俺はいい」
「せっかくですから」
「いや、本当に――」
半ば無理やり手渡す。
殿下の手のひらの上で、毛玉がもう一度震えた。
『きゅう』
「……」
殿下は真顔でそれを見下ろしている。
「どうですか?」
「……これで癒やされるのか?」
「何も感じませんか?」
「ああ……」
「この『きゅう』という声が可愛いのに……」
「……もう一度言ってくれ」
「え?」
「今の」
「……『きゅう』?」
殿下はしばらく黙ったあと、毛玉を私へ返した。
「なるほど」
「何がですか?」
よく分からない。
そのまま展示をいくつか見て回り、今度は訓練場の近くまで来た。
大きな歓声が聞こえる。
「模擬戦をやっているみたいですね」
剣術を学ぶ生徒たちが、木剣を使って三本勝負をしているらしい。観客も多く、勝敗が決まるたびに拍手が起こっていた。
私たちが近づくと、参加していた生徒の一人が殿下に気づく。
「殿下!」
途端に周囲がざわついた。
「せっかくですから、一戦お願いできませんか?」
「今日は見学に来ただけだ」
「そこをぜひ! 殿下が出られたら盛り上がります!」
殿下は断るつもりらしく首を振りかけたが、ふと私を見る。
「……君も見たいのか?」
「え?」
「少し残念そうな顔をしている」
思わず頬に手を当てた。
「そ、そんな顔をしていました?」
「ああ」
「……公的な試合以外で殿下が剣を振るわれるところは、あまり見る機会がありませんから。でも、お疲れでしょう? 無理は――」
言い終わる前に、殿下は上着を脱いだ。
「殿下?」
「一戦だけなら問題ない」
差し出された上着を受け取る。
殿下は木剣を受け取ると、そのまま訓練場へ入っていった。
相手は剣術科でも腕の立つ上級生らしい。けれど、最初の一本はあっという間だった。
相手が踏み込んだ瞬間、殿下がわずかに身体をずらす。次には、木剣の先が相手の胸元で止まっていた。
大きな歓声が上がる。
二本目は相手も警戒したのか、簡単には動かない。何度か木剣が激しく打ち合わされる。
殿下の動きは鋭い。けれど、一度大きく踏み込んだあと、ほんのわずかに呼吸が乱れた。
……やっぱり、疲れていらっしゃる。
それでも、次の瞬間には相手の木剣を受け流し、そのまま懐へ踏み込んでいた。
普段、こうして間近で殿下が剣を振るう姿を見ることがないせいだろうか。
剣を構えた姿は、思っていたよりずっと――。
格好いい。
やがて相手の木剣が弾かれ、二本目も殿下が取った。
大きな拍手が起こる。
殿下は観客へ軽く礼をすると、まっすぐこちらへ戻ってきた。
「どうだった?」
珍しく、自分から感想を求められる。
「格好よかったです」
そう答えると、殿下が目を見開いた。
「……そうか」
「はい。でも、やっぱりお疲れでしょう?」
「それは否定しない」
「でしたら、断ってくださってよかったのに」
殿下は少し黙ってから、私を見る。
「君が見たいと言ったから」
「……わたくしが?」
「せっかく一緒に回っているんだ。君には楽しんでほしい」
「そんな理由で……」
呆れながら上着を差し出すと、殿下はそれを受け取りながら、どこか満足そうにしていた。
その姿を見ているうちに、ふと気づく。
……楽しい。
殿下とこうして歩いていて、楽しいと思ったことが、今までにどれくらいあっただろう。
もちろん、一緒に出かけたことがないわけではない。公務なら失敗がないよう常に気を配っていたし、私的な外出であっても、王太子とその婚約者として周囲の目を意識していた。
殿下が退屈していないか。どうすれば楽しんでくださるか。どうすれば、私に笑ってくださるか。
そんなことばかり考えていた。
もしかすると私は、殿下の隣にいるとき、必要以上に力を入れていたのかもしれない。
ただ一緒に過ごすということを、ほとんど知らなかった。
隣を歩く殿下を見る。
ちょうど殿下もこちらを見ていたらしく、視線が重なった。
「……何ですか?」
「いや。楽しそうだと思って」
「ええ、とても楽しいです」
殿下の表情が変わった。
それから何かを言おうと口を開く。
そのときだった。
「殿下ー!」
遠くから、大きな声が飛んできた。
二人でそちらを見ると、人混みの向こうから何人かの生徒がこちらへ駆けてくる。
殿下のクラスの方々だった。




